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何万年も辛抱していた休火山が噴火するのは、ありえないことの例えである
磯野家の脇をがっちり固めているマスオさんが・・
ひょんなことから里へ帰ることになった
もちろん仮定の話である
磯野家は福岡から来た
フグ田家は大阪である
一度も舅や嫁の前で大阪弁も語らなかったマスオさんが??
ついに「里へ帰らせてもらいます」と言った
たとえそうでなかっても、大阪転勤もあり得る訳である
も一度言うが仮定の話である

サザエはどうするのだろうか
大阪へタラオをつれてついて行ける女ではない
タラオはまだ小さい、それでも単身赴任ならあり得るかもしれない
サザエは言うだろう、せめて福岡ならついていくかも
小生の昔の会社では大阪支社勤務になるくらいなら、九州もしくは北海道まで行った方がましだと言う
ましてや京都などと言ったら、もう、帰り道が遠すぎる、という
そのかわり大阪で送別会すれば、「はよ帰ってこい」と皆が言う
送られたものも最後まで大阪弁を通すものだから意外と早く帰れる
もう一つは、悲しいかな奥さんがもたないだから、結局早い目に引き上げてくることになる

家庭がもたなければ仕事する意味がない
波平さんはマスオさんと絶対喧嘩しない
何十年たっても喧嘩したのを見たことがない
それはマスオさんの覚悟である
サザエの覚悟だとみている人がいるがいるが、それは違う
「サザエさん」でマスオさんが主役だといった意味がそこにある
本当に世の中はマスオさんみたいな人が主役である

仕事で失敗でもしたら、いつか「里(大阪)へ帰ります」と言い出すドラマを期待している
マスオさんだって、いつか噴火するというのは当たり前だと思うのだが
やっと東芝がスポンサーを止める時が来た
磯野家の屋台骨が・・崩れる????
鯵庵(30.2.19②)



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# by ajiankyoto | 2018-02-19 05:00 | おとこ編 | Comments(0)

校長先生と用務員

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シルバーの職場に元小学校校長先生がいる
今のチームでは最若手だから話しやすい
その元校長先生に聞いてみた
昔の「小使いさん」、どこ行った??と
それは差別用語?・・あくまでも小生らの時の表現ではある
今は用務員とか校務員とか言うらしい
今時は機械警備で、そもそも用務員さんがいないところが多いという

小生も、素浪人の時にハローワークに通った
小生の希望は、寺男・墓守・作男・・・きっと受け取った方が困っただろうけど・・
その仲間も立派な校長先生だったようだ、定年後、用務員を希望したらしい
世の中そんな希望がかなう訳もなく、教育委員会は嘱託教員でしかとってくれなかった
用務員なら他にも待っている人がいるのだからしかたのない話であるが
採用する側におった訳だからわかるという

実際、何もかも雑用を頼まれる用務員はとても勤まらないという
学校では先生は亭主関白だ、そのかわり生活感がない、釘一つ打てないのだから
電気でも植木でも・・一芸の専門職並みでないと用務員は務まらないという
何しろ若い先生そのものがペットボトル世代なのだ
子供に教えられてやっとお茶って沸かすものだと気づくぐらいだ
校長先生と若い先生、保健室の先生、給食のおばちゃんと小使いさん
皆がいる環境で教育が出来るのだ
その校長先生、若い時から用務員との付き合いを大切にしていたという
先生には見えないものが見えているという

一方、今時でもその用務員をこき使う先生もいる
先生や生徒が用務員さんと仲良く会話すると
おじさんをつかまえて、教育には口を出すなと言うらしい
わざわざ用務員さんは小使さんだと言いなおすらしい
話を聞いて、世の中どこも同じなのだと思う
シルバーのこの職場でも、年寄りは何も知らなくていい
口は出すなという・・
たしかに校長先生やめた人が用務員になってこられたら
自信のない先生はそらやりにくいわな
鯵庵(30.2.18)

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# by ajiankyoto | 2018-02-18 07:48 | ハロー・ワーク | Comments(2)

ある女性

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北からやってきた
どう見ても世間を狭く生きている筈なのに
たった3日の演技をする
黒鳥のように振る舞って北へ帰っていく
それが話題になる
わははは・・わしはいい妹を持った

見せるだけでも金にはなった
しかし、それでは生活していけなかった
体を張ったら、味が悪いと言われた
今度はじらせるだけになった
それでみんな去っていった
あの時は夢なのか
まずくって、料理のしようがない
なんならこちらに帰っておいで

2年後の東京に来たらどうしよう??
オリンピックは北朝鮮の平昌の次、東京・北京だって
どっか別の大陸へでも行ってよ

写真は北へ向かった日本の女王(大津祭から)
鯵庵(30.2.16)

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# by ajiankyoto | 2018-02-16 17:00 | おなご編 | Comments(2)

間違い電話

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家内の友達が来て、茶を飲みながら語る
「おかーさん」と言って電話がかかってきた
そのうるさいおばさんが優しい声でが「○○(孫)は元気か?」と言う・・
あっという間に「スンマセン間違いました」と言って電話を切られた
・・という
そんなことあるのん

それ間違い電話?
何を間違ったの?
自分の母親と亭主の母親と掛け間違い?
確かに間違い電話ではあるけれど・・そんなん、電話帳でもっとはなしとかな
せっかくかかってきた電話で「間違い電話」と言われたらなんとも気合の悪い話だった
と、思ってやった

女も結構年とってから辛い人生が始まる・・ような気がした
この正月も孫に会えなかったみたい、それを言いに来た、ようだ
しゃーけどそれぐらいのことは自分らも気が付かんとやってるのとちゃうか
女だって昔のツケはあるやろ
孫にはそう言われんようにせめて作戦練っとかな
鯵庵(30.2.15)

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# by ajiankyoto | 2018-02-15 12:05 | 家族 | Comments(0)

般若心経は観音が語る

観音とは〝観自在(かんじざい)菩薩″、観音(かんのん)菩薩、観世音(かんぜおん)菩薩など
唐の国の玄奘三蔵(げんじょうさんぞう・三蔵法師のこと)の訳以降、観自在菩薩との訳が定着しているとのこと
確かに「観自在」というのが観音さんがスーパーであるいわれである
この仏様はその人の苦難に応じて様々な姿に変化(へんげ)を行うと、三十三の化身をして人を救うという
真理は無色無形、観音は全て架空の姿でもあると言われる
だから見ることの出来ない人もおれば・・

見る人によって見え方も違うということなのだろう


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・・・世の中は個人のその人の悲嘆には構ってくれない

無情・無常にもそんなことにかかわらずどんどん時は移って流れていく

自分の人生もほとんどがその流れに乗って笑ったり楽しんだり暮らしたりしている
良いこともするし、苦もなすし悪もなす

これからなお病んだり老いたりするとともに、

拗ねて人に構ってはいられないもう一つの自分がある
罪はとどまらない

しかし、何も知らなくても「般若心経」ならば小生にも馴染みはある
観音さんが主人公でもあるし、何よりもお経の中で一番短いからかもしれない

短くても一番のお経であるのは、このお経は文学であるからだ
釈迦が修行中の自分が考えたことを、自分の弟子で智恵第一の舎利子(しゃりし)に分かりやすく繰り返し語っている
懐疑的な弟子に何度も何度も舎利子よ舎利子よ呼びかけながら・・

そう釈迦が我々に自分のことを語っているわけである
「空(くう)」という一つのことを語りたいため・・の構成である
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五薀皆空度一切苦厄・・・(かんじーざいぼーさーぎょうじんはんにゃーはーらーみーたーじー しょーけんごーうんかいくーどーいっさいくーやく)で始まる270余文字の文学
三蔵法師が中国語に訳したわけだけど、日本読みの音をたどって行けば何となく流れが分かるようにもなっている
音で感じるのもお経
説教なのに説教臭くない、釈迦のまだどこかで完成されない気持ちを表現している
究極の文学であるし、文学ゆえに救いである気がする・・・・

鯵庵(30.2.14②)


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# by ajiankyoto | 2018-02-15 01:00 | 往生 | Comments(2)


文明の最初は天体観測と暦である
それは世界史が証明していることである
わが国でも天武天皇の時代(674)に「占星台」というのが記録にある
時代が下って、平安期には加茂氏の弟子の安倍晴明(あべのせいめい)が活躍する
晴明以降安倍氏が天文と陰陽道で朝廷に仕える
安倍氏は室町期に土御門と名乗る一流が江戸期を通じて陰陽頭として続く

一方江戸時代には幕府の天文方の研究が進み、幕末時には世界に比する天文知識を蓄えていた
当時の暦は太陰太陽暦の最新型「天保暦」であった
天保暦で1年を365.242..日と計算しており太陽暦より誤差が少ないとも言われる
江戸幕府崩壊の時、幕府天文台方は瓦解
朝廷側の陰陽頭の土御門家は暦に関しての権勢を戻す
が、明治政府は陰陽頭土御門氏の説によらず、
明治5年12月2日の次の日をグレゴリオ暦(太陽暦)の1月1日と改める改暦を行った
その後陰陽寮という役所も廃止

日々の暮らしにはカレンダーが必要である
江戸では江戸暦(えどごよみ)、京都では京暦(きょうごのみ)という庶民向けの刷り物が売り出された
各地にもあった、いわゆるカレンダーである
京暦には大経師暦(だいきょうじごよみ)と院御経師暦(いんみきょうじごよみ・菊沢家)の2種があった
その大経師暦の版元(はんもと)が大経師(だいきょうじ)浜岡家であった
大経師というのは元来表具師であるが、朝廷から暦の発行の特権を与えられた御用商人である
11月初めに翌年の暦を発売したという
江戸時代の暦はこういう形で頒布されていた

実は大経師家はその後、幕府によって取り潰しになった
その発端となったのが、「おさん・茂兵衛事件」である
鯵庵(30.2.14)

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# by ajiankyoto | 2018-02-14 07:38 | | Comments(0)

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都市では遊びごとが必要である
特に男の遊びごとに売笑(ばいしょう)はつきものである
言いかえれば媚びを売る商売は都市でしか成功しない
都市に人が集まり様々な階層の人間が貨幣経済の中で暮らし始めている
貧しさが原点だから・・何時の世にも絶対に無くならない

平安時代は京都が最も平和な時代でその時から職業化してきた
様々な形をとりながら芸能で生きる階層が形成されていた
都は大消費地でありその階層の中でも遊女もまた職業として成り立っていた

室町期も織田・豊臣の時代も権力の許しや黙認を得ていくつかの傾城町(けいせいまち)があった
権力交代によって都の外郭を回るように何度も移転せられながら、
その中の最大のものが東本願寺の北、六条室町(三筋)にあった
徳川体制の京都の町づくり、あるいは経済対策上の施策とし唯一官許としての保護を得てきた
南西の外郭丹波口に移ることによって公に商売の継続が許されたのそれが島原であった

写真は正面通(伝導院)
鯵庵(30.2.13)


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# by ajiankyoto | 2018-02-13 08:14 | 都市 | Comments(0)

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サラリーマン諸君へ
定年までは辞めてやると言ってはいけない
退職までに家のローンは済ませておこう
それで退職金が残れば、まあ幸せな部類だ
そこまで行けばどんな仕事でも再任用にも応えよう

貴方がまだ現役なら、仕事のあるうちにいい物を買っておこう
これからは一生使うものばかり、買い替えが一番の無駄遣い
携帯電話が微妙だ、今使えない機能はこれからも使えない
機種変更は仕方ないとしても番号やメールアドレスは一生もん
会社の付き合いだと思わずに人にも付き合っていこう
その代わり退職後は同輩・後輩に期待してはいけない
昔の恨みを思い出されたら困るというものだ
会社人生依怙贔屓(えこひいき)、人の恨みも一生もん

大事なことを忘れてた
ここまでもったなら、絶対別れてはいけない
まとわりついてでも一緒にいよう
今の連れ合いが一生もん、死ぬまで大事にしてもらおう
乗り換え、買い替え高くつく
結局年金こそが一生もん
写真は光るレール、2本あってもどこまで行っても交わらない
鯵庵(30.2.12②)


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# by ajiankyoto | 2018-02-12 20:59 | おとこ編 | Comments(1)

京都の淀み

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昨日も今日も昼も夜も、花見小路は人で一杯である
観光とは言うけれど一体ここで何が見えるのだろうか、京都の人にはわからない
市民にはあまり用事のないところでもある
祇園社の門前から広がった茶店がいつか遊女の街になり
またいつの間にかお茶屋と高級料理屋があちこちの街になった
300年もたてば結局は京都の高級観光ストーリーとなった訳である
お茶屋や芸者屋も外人観光客に店の中を覗かれ、
芸妓や舞妓は指をさされ、袖を引っ張られて写真を撮られる

この頃はついに婚礼写真の業者が闊歩しだした
またそれを外国人もマネをしだした
そこまで行くと花魁(おいらん)の格好の花嫁も出てくる
プロのカメラマンというのはほとんどがそういう仕事をしている
カメラを食うために使うのだから、客にあわさねばならない
写真を芸術や技術として学んでしまった逆の結果である
そんなことではすでにレンタル着物業者が先を走っている

人気上昇気味の祇園新橋の地元は業者にマナー向上を言うけれど、プロの婚礼写真業者にマナーは通じない
逆に、アマチュア写真家が排除されるようになっていく
今までも振袖や花魁(おいらん)文化が京都の着物産業を支えていたかもしれない
花魁って何か知ってるのだろうか
女性にとって哀しいことを少しでも無くしていこうというのが歴史の血でもある
でも逆に花魁まで行ってくれればレンタル着物も3倍儲かる
産業をということはそういうことだという

京都は底の方に淀むものがいつかクローズアップされる
他の都市は底をさらえてしまったのに京都だけがそこにヘドロがたまっている
それをかき回したりして、そのメタンガスが今受けている
それが伝統だと皆(?)が言う
それでいいのだろうか
鯵庵(30.2.12)

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# by ajiankyoto | 2018-02-12 10:06 | 京都の水 | Comments(0)

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渉成園を迂回して正面通を西に進むとすぐに東本願寺にあたる
東本願寺を迂回してまだ西へ進むと西本願寺に達するのだ
西本願寺の西にも正面通は続く、やがて、山陰本線と京都中央市場になるが、山陰本線でほぼ突き当りになる
おそらくはこのあたりまでだったのだろう

何故ならそこが平安京の中心街路、朱雀大路(すざくおおじ)の名残である千本通(せんぼんどおり)にあたる
正面通は秀吉の都市計画、その都市計画の西の端、お土居にぶつかるからだ
そのあたりから丹波街道につながる
秀吉の時代の都市計画で言えば京の七口の一つ「丹波口」である
その丹波口の内側あったのが島原の遊郭である

このあたりの住居表示は「西新屋敷(にししんやしき)」という
島原という地名はない
400年前に大坂夏の陣が終わって豊臣家が滅亡し、徳川体制が固まった
もちろん京都も徳川の領地である
それから22年後九州島原の乱があった

島原城にこもった一揆を鎮圧するのに徳川幕藩体制を総動員するほどの騒動だった
それから数年寛永18年(1641)、幕府はそれまで六条室町にあった傾城(けいせい)町を西本願寺の西に移した
市中、御土居(当時はもはや取り壊たれていたと思う)の中とは言え、このあたりは朱雀野(すざくの・平安京の朱雀大路のことである)と呼ぶような田園の中、都の外枠ながらちょうど丹波街道へつながる位置にあったのを傾城町とした
島原の乱の騒動ににてあわただしい、しかも厳めしい武家屋敷風の大門を持った遊郭であることから誰とはなく島原ということになったというのが定説らしいが・・
(続く)

写真は通称東本願寺の門の前の大噴水
鯵庵(30.2.11)

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# by ajiankyoto | 2018-02-11 05:00 | 都市 | Comments(0)