親鸞は鳥辺野に眠る

東山通り五条の大谷本廟の脇の細い道を上がっていくと清水寺へ出られる
清水寺の眼下、ここから泉涌寺の下・今熊野観音寺のあたりまで鳥辺野と言われた平安京の葬送の地だ
都の中での埋葬は許されない、庶民はここまで持ってきて屍をほって帰るのである
昔はよほど高貴な人でないと火葬にはされなった
この鳥辺野の清水寺へ登りかけたところに親鸞聖人の御荼毘(だび)所がある
親鸞は流罪になるも北陸・関東を転々として京都に帰って1262年に90才で亡くなった
南無阿弥陀仏の念仏を唱えることによって小人・凡人でも往生できるという
悪人であっても阿弥陀如来の本願により救われるという浄土真宗の教義を打ち立てた
御荼毘所は深い崖と擁壁の下にあり粗末なものであった
入口も分かりにくいし他宗派の墓地の中を進まなければならない
この清水寺へ行く道は少し急だが鳥辺山の裾を通る、墓地の関係者に限らず小生も含めて地元の人の知る道でもある
清水寺の下は葬送の地であったということは、観光客と観光バスでにぎやかな参道を行ったのでは分からない
初めてこの地に火葬場が出来た
明治6年に出来た大谷派本願寺と本願寺派本願寺、いわゆる東西本願寺の火葬場であった
京都市がこれを引き継いで花山中央斎場を運営するのは昭和7年のことである
火葬は仏教による葬法であるが、衛生的であるゆえに庶民にも受け入れられてきた経緯が見える
「墓地・埋葬等に関する法律」は昭和23年のことであるまだ70年は立っていない
ところで、歌舞伎の演目に「鳥辺山心中」というのがある
新作、岡本綺堂の脚本である
筋立てに無理を感じるが、つまらぬ短気な男も今の盛りの役者が演じると歌舞いて見える
武士も遊女も祇園の浮世を一歩踏み出せば鳥辺山である、という状況設定が効いている
当時はほぼ土葬、周りは亡霊だらけである、斜面に谷一面に土饅頭に卒塔婆の立つ地であっただろう
まさに足を踏み入れたらもうそこは霊界である
死のうと思わなければ怖くて入れそうにない
心中の屍は鳥や野犬が群れると知って見なければ意味が分からない
いつ頃から今の様な石碑の群れになったのだろうか?
今なら一度歩いてみるといい
そう紹介したいわけであるが去年(2015)の台風11号でこの鳥辺山の裾ががけ崩れでが大きくえぐられてしまって、今は五条坂大谷本廟から清水寺へは行けなくなっている・・
写真は鳥辺山、大谷本廟墓地
鯵庵(6.10)

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Commented by sazanamikaikou at 2016-06-10 22:43
五条坂に車を止めてその道を上がったことがあります。
娘の友達が高校生で無くなり親御さんがそこに墓を建てられたので、墓参りにつれていってくれと頼まれて行きましたので、もう20年も前になりますか。
確か途中に花を売る店があってように記憶しています。
そこを下に下りていきました。
墓参りを終わって上の方に行くと清水寺でした。
上がったところに茶店がありますね。
その店の名前が「六花亭」とは地図を見て始めて知りました。
北海道のお菓子屋「六花亭」となにか関係があるのかな。

Commented by sazanamikaikou at 2016-06-12 22:22 x
先ほど、テレビで「東山冥界散歩」という船越英一郎の番組を見てました。八坂神社、牛頭天皇、小野篁、明智光秀の首塚、幽霊アメ、六道の辻、珍皇寺、説明してくれました。
by ajiankyoto | 2016-06-10 08:07 | 親鸞 | Comments(2)