択一式で答えが合ったからと言って何が残るのだろう

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大学入試センター試験科目にも「倫理」ってあるらしい
随分前に親鸞聖人が語った(悪人正機あくにんしょうき)という問題が出たらしい
親鸞の著書歎異抄にある「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」というこの言葉についての(選択)問題だった
答えは
『善人とは自力で善を行えるとおもっている人のことであり、悪人とは根深い煩悩を自覚し、どんな善をなそうと努めても、それが不可能と思っている人のことである』
に〇をつけると正解らしい
悪人こそは往生するにふさわしい機根があると歎異抄は説いていると解釈している
救いを求めているのは悪人である、と言うのは親鸞の気持ちに沿っているかもしれない
機根とは物事を理解できる力である
悪人はその機根を多く持った人であるというのが悪人正機ではないだろうか

そんな問題が出るということは倫理の教科書にそんなことが書いてあるはずだ
″どんな善をなそうと努めても、それが不可能と思っている人のことである″
と言うのは高校生に理解できる筈がない
選択といえど入試センター試験でも余りにもふさわしくない
それより先に色気むんむんの高校生にそんなこと教えてるのだろうか
教育効果があるのだろうか、それが倫理なのだろうか
鎌倉時代の法然や親鸞や日蓮の名も知らないのはようではおかしいが、
宗教家ですら悩むような問題がこんなところで出てくるのもおかしい
択一式で答えが合ったからと言って何が残るのだろう

世に悪をなす人は自分が善人だと思っている人ではないだろうか
極端に言えば・・そんな善人も悪人の一種である
阿弥陀如来は根深い煩悩を自覚出来れば善悪の区別などなく救ってやろうと言っているのだ
救われる方は善悪の区別の定義など今考えなくていい
それは宗教哲学者に任せればいい話である
親鸞に近しみを感じてあるいは学びたいと思って初めて親鸞が近づいてくるのである
それが機根である
親鸞が生きていた時代から800年・・
お寺に走らなくともよい、せめて、親鸞と名のつく小説でも読みたまえ
年々芥川賞も直木賞も下降気味だが、本来小説は青春と一体だ
大学に合格したら、どうせ勉強しないなら文学にでもなじむことだ
善人も悪人も、救いを求めてる人もそうでない人も・・
勝ち組も負け組も、大学生もそうでない人もみな同じ「悪人」だと気付けるだろう
救われる悪人であればいいのにね
鯵庵(1.24)




Commented by hirokazusazanami at 2017-01-24 10:23
昨日、たまたま図書館で歎異抄の現代語訳本を読もうか、やめとこうかと迷って結局やめました。なぜなら、それは、現代語に訳した人の考えが入っているからで、すりこみが嫌だったからです。今朝のブログを見て昨日の私の行動が見られていたのではと思う程タイムリーでした。おのおので解釈が違ってくることを、人生を左右する入試の正誤の問題で出すのはおかしいと思いますね。原文で読むとどう解釈出来るか試してみましょう。読めるかな。
Commented by ajiankyoto at 2017-01-24 14:13
親鸞は750年も前に亡くなった人です。一生かかって自分の思想を書き残しています。ただ、自分の跡がこれほどの教団になるとは思っていなかったと思います。親鸞の哲学は、法然に教えに従って阿弥陀経への信仰が発端だと思います。それを宗教にしたのは親鸞の後継者や教団だと思います。親鸞は一人の哲学者だとみるべきだと思います。
今の高校の授業は我々には想像がつきません。
歴史や宗教や倫理を習うことは基礎的な知識として重要ですが、教えたらテストをし、当然入試にも出てくくるというものではないと思います。
入試に成功すると、京都の歴史も文化も皆学校で習ったわ・・全て合格したと思う人が多いので・・そのあたりのことをちょっと書きました。
ご意見は色々あろうことかと思いますが、これからも閲覧を賜りたいと思います。
by ajiankyoto | 2017-01-24 07:33 | Comments(2)