奈良時代の野菜/野菜主義

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縄文時代の人々は狩猟(しゅりょう)や漁(りょう)が主体であり木の実などを食べていたと思われる
若草の茎や新芽を摘んで食っていたとしたらそれが野菜の始めだろう
弥生時代に入ると農耕文化の伝来により人々が土地に定着する
低いところでは水田を、台地では自然野菜の栽培も始めた
弥生時代の遺跡から野菜が出土することは少ないけれど、壺に入ったクロクワイを出土したことがあるらしい
ソバ・エンドウ・ウリ・スイカなどが栽培されていた形跡がある

漢字検定ではない
記録に残る奈良時代の記述だからカナがなかった?読者の参考のために掲載する
菘菜(すずな)・水葱(ねぎ)・芹(せり)・蘿蔔(だいこん)・旬(たけのこ)・菌(きのこ)・瓜(うり)・胡麻子(ごま)・茄子(なす)・薊(あざみ)・草蒿(よめな)・薤(らっきょう)・茎韮(にら)・苣(ちさ)・蕗(ふき)・葵(あおい)・竜葵(いぬほうずき)・荏(えな)・芋(さといも)・冬薯(やまいも)・売我(みょうが)・蓴(じゅんさい)・荼(おおどろ)・羊蹄菜(しぶさ)・山管(りゅうのひげ)・菱(ひし)・百合(ゆり)・田葛(?)・島蒜(あさづき)・蓮根(れんこん)の記述がある
学者にもわからないものがある
無くなったものももっとあるだろう

日本人の胃がこれらのものがきちっと消化できたということだろうことの証明なのである
他にも、米は穀物であるし、果物類や魚介類・・もある
が、これらは合わせて日本人の体と胃を作っていく材料である
土地に定着する暮らしはやがて狩猟から農耕を中心になっていくのは当然のことだった
その中で多くの野菜が作られ多くの野菜が滅んで行った
歴史がそれを選んできた

余談だが・・野菜の中でも嫌いなものがある、どうしても食えないということもある
好き嫌いや、あるいは猛烈に何かを食いたいと思うときは、それは長い間の遺伝子の作用なのである
山菜取りに熊のすむ山へ入っていく人もひょっとしたら胃の遺伝子が求めているのかもしれない
一方、無理して消化に悪いものを食っていながら、サプリメントで補っているのは遺伝子に反しているのかもしれない
と、思ったりもする
健康を取り戻したいときは体が求めるものを食えと言う学者もいる
肉食動物と草食動物は胃の構造も消化酵素も違うのだ
しかも、肉食動物であっても草食動物であっても偏食は当たり前なのである
先祖が食ってきたものの遺伝子が残されているのだ
鯵庵(29.11.18)



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by ajiankyoto | 2017-11-18 12:00 | 野菜主義 | Comments(0)