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12月8日は釈迦の日

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紅葉は洛葉になっても京都の街はあいも変わらず喧騒の中にある
観光とは魚市場の如くあると誰かが言っていた
小生は中国語の音符が分からない
JR奈良線も稲荷を過ぎてしまうと単線らしいローカルな落ち着きを取り戻す
黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)は宇治にある、駅は京都からは宇治の一つ手前黄檗駅でおりる

萬福寺は徳川体制になってから中国から招かれた隠元(いんげん)禅師によって開かれた
今でも、中国様式と音を守っている
だが、ここで中国の人に会うことは少ない
独特の装飾もここでは気にならない
12月に入って一層静かだ
実は12月はこの禅宗でも「臘八摂心(ろうはちせっしん)」と言って座禅の時期に入っているのである
しかも、一週間以上も寝ずに座禅の修行をするらしい
12月8日は仏教にとって大切な日である
35歳の釈迦が明けの明星を眺めながら悟りを開いた日とされる
陰暦の12月は臘月(ろうげつ)という、その8日目のことだから臘八(ろうはち)なのである
多くの寺で法要が行われる、暦を見ていただいて成道会(じょうどうえ※〇〇かいとよんではいけない・・やくざの会ではないので注意)というのがこれである
例えば、千本釈迦堂の大根炊き(だいこだきと発音してください)もこの行事である

我々は悟りを開いた釈迦と付き合っている
悟りを開くまでの釈迦はひょっとすれば(×ひょっとすれば)我々と同じかもしれない
人生が苦であるならば、その原因を断たなければならない
が、釈迦にある悟りが我々にはない、ある筈がない
生死事大(しょうじじだい)は中国音では"せんすすーだ"と音するらしい
禅では「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」と堅苦しく始まる

まず考えることは生と死である
どちらを先に考えるべきだろうか?
死んだら考えることは出来ないのだから、生きてるうちの課題であるであることが分かった
ならば死んだ後のことまで考えが及ばないのも無理もない
座禅だけで悟るには相当な修業が必要だろう
あくまでも萬福寺は静かである
せめて座禅を組む間の修業僧にはこの静かさが保たれてほしいと思った
鯵庵(29.12.8)



by ajiankyoto | 2017-12-08 17:26 | 往生 | Comments(0)