保津峡新線/嵯峨野線複線電化

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明治30年、京都鉄道が二条・嵯峨間で開業した
この後3年後には京都・園部間が開通した
京都鉄道会社は民営鉄道、二条駅舎が本社を兼ねていた
今は梅小路公園にある旧二条駅舎として残っている

時の社長は田中源太郎、亀岡の生まれ
今観光客がトロッコ列車として楽しんでいるのがこの京都鉄道が難工事の上に建設した線路
決してトロッコのための線路ではない
この線が国鉄になったのは明治42年(1907)のことだ
この区間保津峡の新線複線化は開業から100年たった平成元年のことである
100年もの間、京都から丹波への山陰本線として活躍したことを思えば、
当時の行政・経済界と鉄道土木の意気と技術の高さの方に驚く

が、まだ旧の山陰本線を走っているとき、この嵐山渓谷嵯峨第2隧道(トンネル)付近の鉄橋上で大惨事が起こった
大正11年(1922)4月3日午後5時過ぎ園部発京都行き(機関車1両・貨車9両・客車7両の編成)が脱線
多くの死傷者を出した

この列車に乗り合わせた初代社長で羽織袴白足袋をはいて二等車に乗っていた田中源太郎も列車ともども渓谷に転落投げ出された
と当時の新聞にある
保津川の船頭が嵐山から救援に向かったが流れが逆で難航したという話が当時の新聞ものっている
これが嵐渓列車転覆事件の一部である

田中源太郎は旧亀岡藩時代の名家に生まれ・・彼の生家が今亀岡の「楽々荘」になっている
明治の京都の経済界で活躍した実業家である
政治家としても京都府会議員や衆・参の両議院も勤めた
70歳を前に因縁の鉄道事故に遭遇した
その後暫く下流で水死体が発見された
が、袂に石が入れられていたという怪情報がある
これもまた100年近く前の事件である
鯵庵(29.12.29)

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Commented by nonbino at 2017-12-31 00:16
来年はどんな年になるのでしょう。
また宜しくお願いします。
Commented by ajiankyoto at 2017-12-31 08:27
> nonbinoさん
ノンビーノさんのご健勝を祈ります。鯵庵
by ajiankyoto | 2017-12-29 16:49 | 京都の水 | Comments(2)