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天文方京暦/おさん茂兵衛


文明の最初は天体観測と暦である
それは世界史が証明していることである
わが国でも天武天皇の時代(674)に「占星台」というのが記録にある
時代が下って、平安期には加茂氏の弟子の安倍晴明(あべのせいめい)が活躍する
晴明以降安倍氏が天文と陰陽道で朝廷に仕える
安倍氏は室町期に土御門と名乗る一流が江戸期を通じて陰陽頭として続く

一方江戸時代には幕府の天文方の研究が進み、幕末時には世界に比する天文知識を蓄えていた
当時の暦は太陰太陽暦の最新型「天保暦」であった
天保暦で1年を365.242..日と計算しており太陽暦より誤差が少ないとも言われる
江戸幕府崩壊の時、幕府天文台方は瓦解
朝廷側の陰陽頭の土御門家は暦に関しての権勢を戻す
が、明治政府は陰陽頭土御門氏の説によらず、
明治5年12月2日の次の日をグレゴリオ暦(太陽暦)の1月1日と改める改暦を行った
その後陰陽寮という役所も廃止

日々の暮らしにはカレンダーが必要である
江戸では江戸暦(えどごよみ)、京都では京暦(きょうごのみ)という庶民向けの刷り物が売り出された
各地にもあった、いわゆるカレンダーである
京暦には大経師暦(だいきょうじごよみ)と院御経師暦(いんみきょうじごよみ・菊沢家)の2種があった
その大経師暦の版元(はんもと)が大経師(だいきょうじ)浜岡家であった
大経師というのは元来表具師であるが、朝廷から暦の発行の特権を与えられた御用商人である
11月初めに翌年の暦を発売したという
江戸時代の暦はこういう形で頒布されていた

実は大経師家はその後、幕府によって取り潰しになった
その発端となったのが、「おさん・茂兵衛事件」である
鯵庵(30.2.14)

by ajiankyoto | 2018-02-14 07:38 | | Comments(0)