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旧丹波口駅/正面通の行き着くところ(続・・その5)

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島原はその時でも町はずれであった
正面通(しょうめんどおり)の行き着くところは山陰街道の丹波口と書いた
実は明治に入っては鉄道の「丹波口駅」でもあった
元々は京都鉄道の二条~京都間の駅であった
明治40年に京都鉄道が国有化された
明治の間は島原遊郭と島原競馬場(京都競馬場)の前の駅であった

小説家水上勉(みなかみつとむ)の「京都遍歴」に"初めて京都に出て来た時、田舎の和尚さんに連れられてこの丹波口駅で降りた"と書いている
丹波口駅は極めて粗末な駅で駅前広場もなかった
駅前から東へ市電の通る大宮通に出るにはいきなり続く両側妓楼の客引きの中を抜けた記憶を書いている
千鳥格子に化粧ガラスは妓楼の作りである
娼妓は首に包帯を巻いていたという
昭和の初めの頃の風景である

格式の遊郭としては当時は既に相当に寂(さび)れていたとは思う
大正8年の生まれの作家10歳の頃の記憶である
お寺に入るために京都に来た作家にとっては現実の都会の明かりだったかもしれない
それもその筈である
後にも先にも国鉄の駅前通りが遊郭であるのはなかった、とも書いている

京都競馬場はそのころはすでに船井郡の須知町(京丹波町)に移っていた
競馬ブームがもっともっと早かったら島原の丹波口駅は残ったかもしれないし
島原も競馬場の前の風俗街として残ったかもしれない
現に京都の祇園のど真ん中にも中央競馬会が進出している
繁華街や遊郭の一番の客はあぶく銭だからである
鯵庵(30.3.5)

by ajiankyoto | 2018-03-05 08:00 | 正面通 | Comments(0)