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おさん茂兵衛事件

天文方京暦・おさん茂兵衛に続く

5代将軍綱吉の時代、京都所司代は稲葉正通(後の老中)
天和(てんな)元年(1683)
京都四条烏丸(しじょうからすま)にあった大経師(だいきょうじ)家の嫁・おさんが手代の茂兵衛と不義密通(ふぎみっつう)・・?、丹波への逃避行の末見つかって京で磔(はりつけ)にされた事件

井原西鶴が「好色五人女」の第3話に「中段に見る暦や物語」で書いた
それを、近松門左衛門が浄瑠璃の戯曲に書いた
磔(はりつけ)の後の三十三回忌にあたる正徳5年(1715)大坂で初演したのが「大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)」
暦の名ではない、おさん茂兵衛の話である
おさん茂兵衛事件_b0355451_08041018.jpg
この「おさん茂兵衛」事件を脚本に書いたのが昭和の大御所川口松太郎
映画はなんと昭和29年(1954)の大映作品である
おさんが香川京子・茂兵衛が長谷川一夫だった
題が示すように近松物の仕上がりになっている
現代でも、芝居だけでなく歌にも浪曲にも落語にもなっている
島津亜矢が歌う「おさん」がそれである
おさん茂兵衛の逃避行を恋の道行と歌っている
もちろんなぜ逃げなければいけなかったのかは歌詞からは分からない

暦の専売権を持った大経師家というのは商人としても別格であった
大事件であった
それを理由に改易(かいえき)になった
改易になったことから遡ればそこに改暦(かいれき)にともなう朝廷と幕府の権力争いがあった解説している歴史研究家も出てくる
現代人が好色という言葉で受けるイメージとは少し違うだろう
史実はどうだったかは別にして、おのおの鑑賞されたい

(今回はすんませんネットから拝借)
鯵庵(30.3.14)




by ajiankyoto | 2018-03-14 18:00 | おなご編 | Comments(0)