2017年 09月 23日 ( 2 )

祇王と仏御前(前)

b0355451_20394007.jpg
平家物語巻第一「祇王」による
「萌え出ずるも枯るるも同じ野辺の草 いずれか秋にあわで果つべき」
祇王(ぎおう)が西八条の清盛の館を下がる(去る)時の歌である
正直なところと言えば新しく自分代わって寵を受けることになった佛御前(ほとけごぜ)への妬みだと思う
「佛もむかしは凡夫なり 我らもついに佛なり いずれも佛性具せる身を へだつるのみこそかなしけれ」
と清盛と佛御前の前で舞った
強烈な嫌みだったけど、結果は二度目の憂き恥(うきはじ)だった
祇王二十一歳尼になる、妹妓女十九歳、母四十五歳ともに髪を剃り、
"一向専修(いっこうせんじゅう)に念仏(ねんぶつ)して後世(ごせ)を願うこと哀れなり"とある
栄華を手に入れた人ゆえの恥である、憂き恥だった

ところが
「娑婆(しゃば)の栄華(えいが)は夢の夢、楽しみ栄えて何かせん・・、」
仏御前は語る
この度、地獄に沈んだら、輪廻転生とは言えど未来永劫浮かび上がる事難かるべし、一旦の栄華を誇って後生のことを忘れた生き方の哀しさに気づいて・・哀しくてと
既に尼の姿になって自分が蹴落とした祇王の前に現れた
ともに念仏して、一つ蓮の上の身となりたい・・苔の上にても念仏し往生(おうじょう)の素懐(そかい)を遂げたいと思う
それを祇王が受け入れるわけである
・・
大河ドラマ的ではなく歴史は再現フィルム的に見るべきである
大事件なのである
時の太政大臣清盛の寵愛の白拍子が、栄華の頂点にある芸能人が、一瞬にして何もかもほって蹴落とした女とともに念仏一途の生き方に帰依するのである
僧(ほぼ公務員)の修行をしなくとも、髪を落として念仏三昧の人生はおくれるのである
往時、女人は宗教の埒外であった
だから、女人でも往生できるというもう一つ大事なことを物語の最初に言ったのである
かくして、平家物語は「往生」という当時(鎌倉時代)最新の宗教観によって構成されることになる
写真は祇王寺にて
(この項続く)
鯵庵(9.23)



[PR]
by ajiankyoto | 2017-09-23 20:45 | 往生 | Comments(0)

豆腐と油揚げ

b0355451_08385430.jpg

豆腐は日本に伝わって後、室町時代の後半に広まったものと思われる
江戸時代に入って凍り豆腐(高野豆腐)なども現れる
江戸時代豆腐屋は職人分類では豆腐師と呼ばれた
作り置きに向かないので、種々職人の中でも朝が早いのがこの仕事である
それだけでなく庶民の日常に欠かせない栄養源でもある
江戸では豆腐は統制価格であったともある

もちろん現代も日本中で欠かせない食材であるが、遠くまで食いに行くほどのものではない
日本全国美味しい豆腐が存在する
町内の豆腐屋さんの応援をする方が文化的だ
京の町でも豆腐屋が町に売りに出るのももちろん残っている
種々の豆腐料理が普及した、もちろんおからも油揚げも豆腐である
小生はは少し肉厚の油揚げを炙ったものが大好物である
がんもどきのことは以前にも書いた

湯葉やおからの料理も京・大坂で栄えた
豆腐類は精進料理には不可欠なものである
寺院だけでなく公家や武士も必要な栄養を確保するものであったが、やがて庶民にまで広がって行ったのが懐石料理であるといわれる
昔から京都の寺院の中には参拝者を宿坊に泊める、この時寺院料理が提供される
寺院と料理屋(仕出し屋)との結びつきは歴史が古く、そんな謂れが豆腐料理店となった
それがまた観光と結びついたのが現代の現状である
紅葉のシーズンに向けて湯豆腐屋が手ぐすねを引いている
湯豆腐は茶店の始まりでもあった

今は、家で食うのが一番である
余談ながら、京阪地区の豆腐屋は〝とーふー″のラッパは使わなかった、鐘である
が、その区別も滅びつつあるように思う
鯵庵(29.9.23改)


[PR]
by ajiankyoto | 2017-09-23 13:55 | 京都の水 | Comments(0)