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本山なら宿坊(ホテル)を経営出来る
塔頭寺院ならそれなりに墓地の守や幼稚園経営でやっていける
観光寺院でなければ経営も出来ない
とすれば、俗世間に自ら近づいて入っていかなければ生き残れないことになる
どこが悪いのだと開き直らなくてもいい
宗教を広めるには俗化する宿命は避けられない

由緒や祈りも現在進行形ならお寺の生活も現在進行形なのである
・・と言えど、軒を連ねて俗なものが並んでいる街が京都である
ただの民家となすべきではないと
もともと寺は檀家があって、大檀家が国や豪族であれば公務員然と暮らすことが出来た
だから、堕落したとも言える
他人のために祈ることを忘れた
廃仏毀釈の憂き目にあった
肉食妻帯は以前からだとしても、家族を養っていかねばならなくなったら、俗そのものなのだ
それから150年、一度緩めたものが締まることのないのが世の常のことである

さりとて時代を戻せたとしても同じこと
今時、人より犬が好きなボンさんもいる
ぼんさんって近所の人、普通の人、俗な人・・
京都ではそれでも何百年とそれで付き合ってきた
それが「坊んさんが屁をこいた」である
ボンサンガヘヲコイタ、ボンサンガヘヲコイタ・・・・
子供達も肌で知っているし、親も止めることはない
それを見てボンさんがにっこりしているというのが本当の京都ともいえる

我が家のタヌキも目が霞んできた
鯵庵(6.14)

by ajiankyoto | 2017-06-14 18:37 | ご利益 | Comments(0)

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「だるまさんがころんだ」・・知っていると思う
が、京都・大阪の子供達は「ボンさんがへをこいた」が強い
鬼ごっこなどで十の数を数える文句である
お姫さんでも糞もすれば屁もこく訳だから、坊主(ボンさん)が屁をこくぐらい何でもない
そんな恐れ多いこと・・と思う人は京都にはいない
京都は各宗派の本山が並んでいる
門跡寺院は京都だからこそであり、その他の寺も由緒を書くことでは負けない
観光寺院であってもなくても寺には住職がいる
ずっと昔、明治5年に太政官布告が出た
「自今僧侶の肉食妻帯蓄髪勝手たるべし」とある
が、そもそもこんな布告を出さなければならないほど僧侶の日常は俗化していたとされる

800年前の親鸞ほどの人間がいる訳でなし・・
しかし、この布告によって一層仏教戒律は骨を抜かれた
出家も在家も全く同じことになってしまった
ボンさんに家族が出来て家族のためにお寺を経営し財産を守る
財産を子に継いでいく・・というならお店(おたな)と同じだ
大きさから言えば商売人以上の経営センスが必要だろう
それはそれでいいのだが、お寺が修行の場でなくなった

息子は本山系の大学でさえあれば入学も卒業も出来る
娘を幼稚園からキリスト教系の私学に入れてよその親と同じレベルで教育を語ったりする
ちょこっと楽屋裏(がくやうら)をのぞき見すれば、高級車があったり、その横に子供の三輪車がおいてあったりする
家族があればなまめかしい洗濯物も干さねばならない
このお寺の跡継ぎのお嫁さんは宗教家と一緒になったという認識がない
現世は多様である・・ご住職にとってはこれも修行かもしれない

それにしても廃仏毀釈、時々廃仏稀釈になってるので注意
(後編に続く)
鯵庵(6.12)

by ajiankyoto | 2017-06-13 06:37 | ご利益 | Comments(0)

乙女には水無月

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京都では6月に入った途端、町内の和菓子屋でも「水無月」「みな月」を売りだす
水無月は水の月、旧暦の6月のことを言う
旧暦だったらたしかに夏の気でむんむんするときである
水無月(みなづき)とは外郎(ういろう)に小豆のせ、三角形が特徴の菓子である
白いういろう(外郎)部分は氷に見立てたものと言う
宮中では氷、庶人は水無月の菓子と言うところである
涼しさを楽しむだけでなく「夏越の祓い(なごしのはらい)」の神事に関わっている

実は京都人は自分のところで作ることが出来た
格好のいいものでなかったかもしれないけれど、食い応えのあるおやつだった
あのボリュームには意味があったのだろうね
魔除けだとしたら意味が分かる
やっぱりこれもクックパッドにもちゃんと載っています
上手に出来るかどうかは別にして、

季節のことが出来るお母さんはきっといいお母さんなんでしょうね
日本の少年・少女にはお好みの味だと思う
お母さんの水無月で育った乙女はいいお母さんになれるはずです
写真はみなづき
鯵庵(29.6.10改)

by ajiankyoto | 2017-06-10 07:00 | ご利益 | Comments(4)

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天満宮は言わずと知れた天神さん菅原道真公を祀るもの
学問や書道の神様として身近な神様
お正月の書き初めなどの映像は微笑ましい
書き初めが終わると受験シーズン、塾の生徒が団体でお参りに来るの出くわしたりする
人生は最初に受験勉強を選ぶかどうかで方向が決まる、と言った小生である
が、また本人の真剣さを茶化すわけではないが、天神さんは学問の神様であって決して受験の神様でなかった
学問は精進の成果、受験は博打とは言わないが勝負の世界
天神さんも頼まれてばかりでも
ちょっと性格が違うのでは・・と思ったりする
が、まっいいか、神様の力に限界はない筈

この年度変わりの時は神前の客の中にもお礼に来る人もいる
お礼参りにきてくれてる客は神様にも嬉しいことだろう
ただ、幸せだと思っていることにまたまた水を差すつもりがないが
あなただけに依怙贔屓(えこひいき)してくれたのではない
精進の成果である
もっと端的に言えば今回は勝負(博打)に勝ったということだろう
ただ、それはあなたの選択の結果であることは間違いない
神様も少し面はゆい
お礼ばかり言われると神様は辛い
次もまたとは必ずともいかない
神は神をもっと、神を恐れて欲しいと思っているのに
神の前ではご利益(ごりやく)をお願いするよりも、祈りこそが似合う

神主さんもご利益は否定しない
その代り、というのもおかしい表現だけど
〝お願いした神様の采配を恨まないのがルール″なのだ
要は願いがかなわなかったからと言って神様を恨むなということである
そのような人の願いは叶わないというのが神主さんのルールである
神はやはり恐れるものである

この世でもあの世でも、総理大臣にも裁判所にも閻魔大王にでも依怙贔屓を頼むのが人情だから・・
あなたによろしくと言われる筋合いがない・・と神様だけは言わない
贔屓してくれそうなのは神様だけである
そう思えば神様がいない国を考える方が無理である
鯵庵(3.29)

by ajiankyoto | 2017-03-29 10:00 | ご利益 | Comments(0)

住職は何をすればいい?

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お寺には住職やその家族がいる
大きなお寺になれば僧職にも階層があるし、職員もいる
その職員の中でも様々な雑用を行うものを寺男と言う
戒律が厳しいところでは多くの雑用を修行としてやる場合もあり得る
歴史的には平安時代の僧兵も僧ではなく寺男だという

封建制度の身分制度の時代であれば明確に下男・下女の身分である
現代のお寺であれば拝観の受付や庭の手入れや掃除などのや事務がある
墓地があれば墓地の清掃などもその業務である、雑務に従事する
宗教心が必要な訳ではないが、宗教心がないというのは違う気がする
名のある庭園も数ある花の寺も実は仏の心なのである
花を育てるというのは仏の道なのである
お寺がそれを忘れかけているだけである
ひょとしたら本堂なみに仏に近い場所なのかもしれない

ケチなところでは檀家に奉仕させることを当たり前としている
檀家に植木屋でもおればそれは助かるが、商売でやっている人はただではやらない
そんな庭仕事をまとめて造園業者や派遣業者に頼っている
それでもそんなことできるのは観光寺院だけである
多くはそんな面倒をやめて全部駐車場にするところもある
無粋な看板の中に土塀すら邪魔にするほど車が止まっている佛のいない敷地空間が増えている
檀家もなくかつ布教などに携わったことのない宗教関係者がたくさんいるのが京都である
なまじっか本山の大学を出て世間と交わってるものだからすっかりミーハーである

観光寺は宝物殿で学芸員にご本尊の守をさせたりしている
ならば同じように花の世話は寺男にさせればいい
住職は何をすればいいって・・
そら家族を大事に幸せに暮らせばいい
そのためにお寺を継いだのだから
せめて花一杯の寺にするのもいい方法だと思うのだが
鯵庵(11.3)

by ajiankyoto | 2016-11-03 07:39 | ご利益 | Comments(0)

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ゴールデンウィークが終わると京都は修学旅行生で溢れる
今日はいきなり北野天満宮で十数台のバスに出くわした
京都旅行の中に天神さん参りが入っているのは修学旅行の目玉である
天満宮の方も修学旅行メニューを用意して熱心に誘っている
クラスごとに神前に進む、初めての経験に中学生は少し照れもあるかもしれない
天神とは日・月や星の天空を司る神のことであり、それゆえ雷や雨の神である
1000年以上も前のこと、京の都に雷が大暴れして、それが先ほど九州でなくなった右大臣道真公の祟りだと言われ、怨霊を鎮めるために北野や九州大宰府で祀られた
菅原道真公の神号は天満大自在天神、と言うことで天神とは道真公、全国天満宮の祭神となる訳である、京都の御霊信仰の一つであった
道真公は学者であり詩人であった、政治家としての出世は学問によるが、藤原北家と位を並べるようになってしまったのでは学問だけでは身が守れない
政治には讒訴(ざんそ)がつきものである
朝廷や藤原氏や政争の勝者は敗者道真の怨念に重大な心当たりがあったということだろう
道真公の不幸は別にして、学問を身につけることは立身の最大の手段である
そんなこんなでいつか学問の神様と言われるようになる
学問にはげむ中学生がお参りに来るのは至極当然であるが
実は学問・学業の神天神様のご神徳はあくまでも学業に励む人にのみあらたかである
神は精進する人にのみご加護がある
だから、一発受験に勝利することを祈願したい人は博打の神様の方にお参りすべきである
そっちは一人こっそり行くことをお勧めする
写真は北野天満宮の空
鯵庵(28.5.13)


by ajiankyoto | 2016-05-13 08:35 | ご利益 | Comments(0)