検事とその妹

誰がそんなこと言ってるのか知らない
民主党が政権を担っていた時に言われた
民主党の最大の弱点は高学歴だということだ
それ以外のものを排除する精神構造しかもっていない
寄り合い所帯だから上手く行かないのではない
学歴偏重で何もかもうまくいかないのだ
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我が国で司法試験に合格するということは古き中国のあの公務員試験科挙と同じことなのだ
合格さえすれば支配階級になれる
今の日本にも司法試験合格者だけの言葉と世界があるのである
弁護士が政治家になって政治家を辞めても弁護士になる
政治が出来るのは司法試験合格者でなければならないと思ってる人たちの集団がいる

鯵庵は勝手に今、愛唱歌「検事とその妹」の歌を思いだしている
♫泣くな妹よ妹よ泣くな・・
♫泣けば幼い二人して故郷を捨てた甲斐がない・・
歯を食いしばってせめて兄だけでも世に出ていってほしい
でも、あれから数十年、その人たちの成れの果てを見ているようで寂しい

同じ司法試験合格でも、検事をしていた方が政治家に向いているらしい?
国家試験を通った弁護士が悪徳弁護士で金儲けする構造もおかしい
法律は自分たちのためにあると思って勉強してきた人ばかりでは困る
改めて、正しく生きる人のために仕事してもらうためには・・更新試験も必要?・・・弁護士がこの国を食ってしまう
鯵庵(9.26)



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by ajiankyoto | 2017-09-26 10:18 | 翁草 | Comments(0)

氷屋はどこへ

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明治以前にはなかったものだけれど、町内の店(商売)でなくなったものに氷屋がある
昭和30年代の町の暮らしには冷氷庫(れいひょうこ・本来の冷蔵庫である)があった
冷氷庫は木製にして2段になっていた
前面や扉には銅版をはってそれなりに豪華なもので玄関を入ったところにおいていた
玄関や土間におくのは理由がある
上段に氷、その冷気で下段の食品を冷やすのである
融けた氷は水になるからである
氷屋がリヤカーに乗せて運んできた氷の塊を1貫目(3.75㌔)から2貫目くらい
注文の大きさに大きなノコギリで切ってくれるわけである

その切れ味に夏を意識した

昭和40年代後半になると家庭にも電気冷蔵庫が流行り出した
三種の神器(さんしゅのじんぎ)と言われた
テレビ「サザエさん」に出てくる電気冷蔵庫は昭和50年代の製品のようだ
その時にはもう氷屋さんは急激に減っていた
電気冷蔵庫が氷を作れるようになって、冷凍庫が当たり前になり、ドアの数が増えて、どんどん機能的になって行った
30年代に何千件もあったようなあの時の氷屋さんはその後どこへ行ったのだろうか

素うどんの会
鯵庵(8.7)

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by ajiankyoto | 2017-08-07 06:49 | 翁草 | Comments(3)

スイカの愚痴

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吾輩はスイカである・・?
「サザエさん」でタラちゃんが庭でスイカ割りをする場面があった
懐かしいと思う人がおったら、相当な年配だと思う
が、さりとてスイカを買おうと思うかどうか
今、スイカいくらするのか知っている
直販価格で10キロ未満のL寸で3000~4000円である、やはり高い
京都でも祇園祭が終わった頃がスイカの季節である、が、8月に入ったら少し安くなる

スイカ網って知ってないだろう?
それから一世代、今頃網に入れたスイカをぶら下げている人を見たことがない
家族でスイカを食うシチュエーションがなくなっているのだ
3000円も出せば保証付きのメロンもある
結局スイカは親しみより懐かしみが勝っている
小さなころにスイカを食わされた小生も、田舎で畑のスイカを食ってきた家内も、皆、実は美味しいスイカに当たってなかったのである
実はスイカは甘くて美味しいのだ
世の中にはこんなことは多い、本来の味を知らないままのことが多い

有名産地では必死になって美味しいスイカづくりをしている人がいっぱいいる、その人が悪いのではない
スイカを作ることは出来るけど、美味しいスイカを作るのは難しいのだ
昔から素人が作ったスイカなど美味しくないに決まってる
街へトラックで来て産地直販とかの感覚で、美味しくないスイカを何十年にわたって食わしてきた輩がいるのだ
今更ブランド化したとて切り身で色を見てからしか売れないものになった
美味しくないスイカの祟りなのである
熱中症予防にスイカは持ってこいであるのだが・・

その気になれば美味しいスイカを食えるようになった
ころには家族がなくなってしまった・・
今の家庭には井戸もなければ丸ごとのスイカを入れる冷蔵庫もないのである
それが結論である、いやいやスイカの愚痴である
写真はサマーセール
鯵庵(29.8.5改)残暑見舞い

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by ajiankyoto | 2017-08-05 12:00 | 翁草 | Comments(0)

小銭入れが邪魔になる


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1円玉がポッケットにあると落ち着かない
時々小銭入れを使うとなおさら1円玉はちょっと邪魔だ
おかげで小銭を小銭入れに入れるのが身につかない
どれぐらいの小銭を持ち歩くのが自分にあっているかを考えたことがありますか

それも、カードの利用で減ってきた
小銭が一番必要な電話やバスや電車など今は小銭の方が使いにくい
小銭を減らすために小銭を使っている時がある
小銭入れを使うために小銭を使ってる人もいる
小銭は邪魔にならないときはあるが、小銭入れは常に邪魔である

立派な財布の中に、小銭が一杯の女性もいる
1円玉ばかりが増えることのないような使い方が必要だ
拙者も1円玉を使おうとしたら1円足らずにまた1円玉が増えた
もちろん1円玉をおろそかにした話ではない
1円を笑うものは1円に泣くと教えられてきた

だがそれは1円玉への愛着を言ったものではない
ともかく格言として説得力が落ちている
それでもキッチリ世の中は1円単位で動いている
1円玉を集めるビジネスがあたれば成功するだろうね
小銭に泣いてた人が小銭に笑うことになるかもしれない

小銭で一杯のバスの車掌のがま口が懐かしい
鯵庵(5.13)

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by ajiankyoto | 2017-05-16 07:47 | 翁草 | Comments(0)


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犬を飼って犬と暮らしていると、犬を家族のように思ってしまう
犬が飼い主を家族のように思うからこそ犬もかわいくなるのは当然だ
そこまでは人ゆえの優しさだと言えるのだが・・
犬との関係と人との関係を見誤ってしまうことになる
飼い犬が死んだら哀しいが、人との哀しさには無関心になってしまう
重大な誤りを犯すこともある

訓練すれば犬は人に従ってくれるが、
人はいかに訓練しようともあなたに従ってくれない
そこには人の意思というものがある
待てと言われれば待っている間何もしないのが忠犬である
犬はある程度の状況判断は出来るがそれでも教えられたことしかできない
だから、間違いが少ないかもしれない
忠犬はいても名犬が少ない所以でもある

人間と犬との関係はそれでいいが・・
人間は忖度(そんたく)出来る動物である
かくして小生のブログにも流行語が入ってくることになる
・・ああいうのを忖度と言ってしまうと
・・忖度というのが、犬的行動に近いのではないかと思ってしまう

確かに犬でも主人のために・・と思うだろう
しかし、官僚という小役人は自分ためにだけ忖度の技を使うから
主人にとっても時に都合悪いことになる
忖度というのは人と人と中での重大な美徳である
その技(わざ)を自分のためだけに用いるから
稀代の教育者もどきに付け込まれ手を噛まれたりする

昔、存在したオオカミの群れにはそういうこと(忖度)もあったかもしれない
だが犬には必要のないものなのだ
惻隠(そくいん)の情や忖度(そんたく)は他人をおもんばかる人間同士の機微だったのに・・
愛犬家の中には犬の気持ちを忖度している
人間との関係と犬との関係を時に区別つかない人もいるようだ
鯵庵(5.14)


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by ajiankyoto | 2017-05-14 20:18 | 翁草 | Comments(0)

人生の並木路

人生がもう終わったと思った人でも
そのことを語れるのは1割ほどである
9割の人は何も言わずにそのまま人生が終わってしまう

♪泣くな妹よ 妹よ泣くな
泣けば幼い 二人して
故郷を捨てた かいがない・・(S12)
「阪神タイガースの歌(六甲颪)」の佐藤惣之助の作詞である

それはさておき・・並木路なら道を間違うことが少なかったかもしれないね
鯵庵(5.8)
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by ajiankyoto | 2017-05-08 07:57 | 翁草 | Comments(0)

カバンが小さくなった

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カバンを持つほどの写真はやめたので、カメラかばんも要らなくなった
会社も終わって一番要らなくなったのはカバンである
簡単なことであるがビジネスがないのだから
昔のカバンで一番大きな皮のカバンが今は非常持ち出し用になっている
記念に頂戴した上等のアタッシュケースは一度も使っていない
二度と使うことはないだろう

退職後に買ったファッション性の豊かなカバンもこの頃は使う用がない
旅行カバンも型が古い?旅行に行かないのだから使うこともない
カバンを買ってまで旅行に行こうとも思わない
しからばという・・と、実はやはりリュックサックが一番重宝する
オールマイティながら、目的別に用意している
街歩きと、シルバーのパートと別で使っている
忘れ物をしない手でもある

携帯電話は1台しかないので仕方がないが・・
カメラも薬も小銭も鍵も、ICカードやノートも鉛筆もおやつも別々に入れている
リュックさえ持って出れば・・そう迷うことがないし、帰ってこれる
要は、忘れ物がなく帰ってこれるわけである
思えば忘れ物ばかりの人生だった
それでもカバンは人生の友だった
今でもであるが、中身が変わってきた

最初に入れたのは親に作ってもらった弁当だろう
教科書より重かった、会社の書類も入れた
出張の時は書類をほって子供の土産を入れたこともある
カバンに入るだけのものを入れたらカバンを持てなくなったということもある
マイホームを建てたころ、やけにカバンは重かった
人生は重荷を背負って生きるがごとしというのは実感だ
重荷は全てカバンに入っている
リュックに代わったが、ひと頃より軽くなったような気がする
これからは自分が重荷になってくるのだろうか??
鯵庵(5.2)


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by ajiankyoto | 2017-05-02 07:20 | 翁草 | Comments(0)


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うちのばあさんがよく使う言葉に"おため"というのがある
平たく言えば贈り物やご祝儀をもらったときのお返しである
国語的には使いの者に駄賃を渡すことも言う
昔・・贈り物のお盆を返すときにその上に半紙を折って乗せてお礼の意味にした
これを"おため紙"というとある

お祝儀を持ってこられたら、まずその場で返すのが"おため"である
内祝いなどの返礼とは別のものである
駄賃以上の駄賃程度であるという
京の街中でもそれも少なくなってきた
形式的に残っているのは結婚祝いぐらいかもしれない
お祝いというのは事前に持参するのが礼である
その時に"とりあえずのお返し"が"おため"なのである、と説明されると分かりやすい
このあたりの話は結納品の店などで知ることが出来るこれを「おため返し」という

困っとことによく似た言葉に「おため倒(ごか)し」と言うのがある
この場合の"おため"も同じおためである
表面上は人のためになるように見せて実は自分の利益を図ることを言う
人々の律儀な暮らしとは反対側にあるようで・・実は日常はこちらが多い
世の中のことはほとんどがこちらである

人は自分のためにしか動かないし働かないのだ
それはいいのだが、今度は仕事だと言えば何でもする
代表的なのが営業マンだと言えば営業マンは怒るだろう
それが異質なのではない、経済活動というのはそう言うものなのだ
はっきりと会社のためにやっていると言った方がいい
自分のためだけにやっていると詐欺になってしまう
少なくともあなたの誠(まこと)度が分かるというものだ
"おため返し"がなくなった分まで"おため倒し"が増えている
しかし・・それでどうだということではない
こちらは自分で考えればいいのだ
写真はカブの花、地域野菜の代表である
ついでながらカブの種からもなたね油が取れるが今は利用されることはない
鯵庵(4.26)

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by ajiankyoto | 2017-04-26 07:08 | 翁草 | Comments(0)

盗人の理

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泥棒が盗んだ金を元手に足を洗う
これは足を洗うことではない
盗人の理という

盗人に一番大事なのは"けじめ"である、
と雨引(あまびき)の文五郎は言って死んだ
小汚い盗人でも粋(いき)でなければならない
というのが彼の論理だ

いかに金に色がついてないからと言って
盗んだ金を貯めて、貯めた金で余生を送るなんて
泥棒の風上にも置けないという・・
テレビドラマ鬼平犯科帳の世界である
原作では矮躯・馬面で出てくる
かっこはそれほど良くないのがカッコいい

捕捉
雨引とは文五郎が常磐(ひたち)の国雨引観音のある村の生まれであるとしている
ちなみに雨引観音の雨引とは雨乞いの霊験あらたかな山号にちなんでいる
嵯峨天皇の雨乞いの写経が残されているようだ
鯵庵(4.22)



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by ajiankyoto | 2017-04-22 09:00 | 翁草 | Comments(0)

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昨年急死した友達がFACEBOOKに出てきた
「今日は〇〇さんの誕生日です、誕生日のメッセージを送りましょう・・」
おせっかいなFACEBOOKは知っているが、やはりなかなかにおせっかいである
つい、ポチッと送りそうになる
見て見れば去年の更新以降そのままである

小生もホームページもある
ブログもある
FACEBOOKもLINEもある
しかもいくつかは有料でもある

ひょっとしたら彼はFACEBOOKを消さなかったのかもしれない
あるいはそういうことが出来る人が周りにいなかったのかもしれない
FACEBOOKは別にしてもホームページなど消すのは管理者しかできない
果たして死期を知ったからと言って適切にそんなことできるのだろうか

FACEBOOK友達も、彼が死んだことも知らない人の方が多い
それでいいのかもしれない
証(あかし)なのだろうか、人玉(ひとだま)なのだろうか
拙者は?どうするつもりなのだろうか
確かに急に考えがまとまらない
鯵庵(4.20)




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by ajiankyoto | 2017-04-20 06:05 | 翁草 | Comments(0)