誤算なのか違算なのか

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実は集団行動が苦手な人ほど集団行動が好きなのだ
小さい時から勝手な行動をし学校にも行かず、
それが個性だと言っておだてられたけど、
だからと言って個性で飯を食うほどにはなれなかった
気がつけばそんな群れから離れ、離れまいとしている
小さい時に大きかった集団はいつかいくつかの群れになって、
下級の自分の群れからも置いていかれる
集団行動についていけないのだ

集団行動こそがメンドクサイ
群れることとは違う
30歳・40歳になってさえもまだおみそに気づかない
人生は誤算だらけであるが・・違算ばかりではいつか生きていけなくなるよと
気がつけばそんな群れから離れ、離れまいとしている

子供のおみそはガキ大将の群れについていけばいい
大人のおみそはガキ大将がいない
おみそが群れている
でも伝染病にでもかかれば、自分の群れからも置いていかれる
今こそ個性的に生きはじめるときになって今度は一人が怖い
モラルの群れからも置いて行かれる
それもおみそという

いいんだよ、いいんだよ、幾つになってもおみそはおみそなのだ
小生だっては言わざるを得ない
人生は誤算だらけであるが・・違算ばかりではいつか生きていけなくなるよと・・・
鯵庵(10.20)

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by ajiankyoto | 2017-10-20 21:41 | おとこ編 | Comments(0)

「憎まれてまだ世にはばかる」に続く
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昼飯にさる中華屋に入って驚いたことがある
それがまた同年輩である
一人でビールや酒を呑んで中華を食っている人に挟まれたことがある
カウンターで両側に大食漢の同年輩に挟まれると席の幅は狭い
必要以上にゆっくり食事する様子はそしり食いの様であった
夜勤明けの労働者でないのは誰にでもわかる
たとえそれがデカダンスであったとしても、客の若きサラリーマンやあるいは安い時間給で働く店員から見てどう見えるのだろうか

ごめん、今時デカダンスは使わない
朝から一日街歩きの文化人風老人
昼間からビールで食らう今は遊び人風老人
その他にも、株屋の前で数字の掲示板を見つめて一日過ごす人もいる
この頃のメーデーやデモで大多数を占める元気な老人たち
これ皆街で出あう同年輩である
この中にはそれでも職を探してハローワークに通う人もいるかもしれない
いずれにしろつい数年前まで都市の経済を支え会社の中で必死で働いて来た人であろう

しかしである、その人それぞれの実際の境遇や懐具合はそこからは何も見えやしない
今までの稼ぎや年金や貯蓄の額とも無関係である
それは「生き方の趣味」の問題である
現在(いま)も違う以上に、過去も違う、もっとそれ以上に先のことも違うだろう
ただ、間違いなく、同じような人生(老後)を暮らすことはないように思う

家族にも社会にも何の役割もなくはばかるその姿のまま、あと何年暮らさねばならないのだろうか
不幸でもないのに人を羨ましく思って暮らすのは嫌だ
やはり不健康で長生き出来ない人もいるだろうし
長生きしたとしたら一人で施設で暮らしているかもしれない
ここまで来て犯罪者に転落する人間もいる
何か絡まっているように見えるけど碇(いかり)ほどのものじゃない
60歳を過ぎればアンカーのない小舟なのだ
おそらくイソップ童話の結果とはきっと違うだろうけど、
それが誰にも本人にも分からないのが人生なのだと、思えてくる
鯵庵(10.13)


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by ajiankyoto | 2017-10-13 14:14 | おとこ編 | Comments(0)


この頃街中を歩くと同年輩によく出合う
都会は今はガードマンの時代だ
道路工事に限らずパチンコ屋でもスーパーでもお寺でもそこらじゅうガードマンである
よく見ると、それこそ同年輩が多い
ヘルメットをかぶって少し顔も汚れているが、手入れされた髭の似合う紳士が多いことに驚く
ハローワークに行けばすぐにわかるが、この年代、簡単に採ってもくれないし、簡単に勤まらない
この世代ではガードマンの仕事につけるのはエリート的存在なのだ
人に接するわけだから欠陥ある人間では勤まらないのは当たり前だ

同年配の輩(やから)とは昭和20年前後から20年代の生まれというところ
帽子をかぶってリュックを背負って、いかにも街中をぶらぶらしている
もちろん結構いいものを着ている
まー恐らく定年を暫く過ぎて、しかも、仕事は何もしていない
広義で言えば団塊の世代とも言う
団塊の世代はそもそもその言葉が嫌いだけれど、それに代わる有効な単語がない
小生もその仲間だというのに、そんなぶらぶらしているオッサンを見るとこの頃鬱陶しい(うっとうしい)と思ってしまう
"憎まれ者世にはばかる"という言葉がある
実は"憎まれてこそ世にはばかる"というのが正しいのではないか?
今もって世にはばかる輩も、今頃になって世にはばかる輩も同じである
若い人の目から見れば腹立たしく感じるかもしれないと、この頃思っている

(後編に続く)
鯵庵(10.12)

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by ajiankyoto | 2017-10-12 08:55 | おとこ編 | Comments(0)

トイレには悪魔もいる


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サラリーマン二人がトイレで小用を足しながら上司の悪口を言ってたらその上司が扉の中で聞いていたなんて笑い話がある
就活生二人が会社の面接である会社を訪れたら女性がトイレの掃除をしていた
こんな時、馬鹿が掃除の女性を蔑んだ会話をした
その悪態を後ろから注意した人がいて、「君ら後であおう」と言った
それがこの会社の社長だと知って、嬉しかったと掃除の女性がブログに書いていた
その就活生二人はその後の面接でさぞ驚いただろうというそんな話である
だが、この話は社長が水戸黄門的で悪人がはっきりしすぎて男性作者の教訓風作り話であることは容易に分かる

就活中は最後まで我を出すな、そのために皆と同じスーツを着ているのだ、という程度の教と思えばいい
しかし、よく考えればこの二つの話には共通点がある、そうだ、それぞれ二人の会話だということである、口の軽さのその怖さなのだ、トイレに一緒に入った油断だと思う方が現実的だ
トイレには一人で行こう、そして黙って用を足して出てくればいい
時々トイレであった人に会釈する人がいるが、要らざることだ
小便かけられることもあるぜよ

男は用を足すとき安心感と時に高揚感がある、その後ろ姿は隙だらけである
男性は生理的に・・特に出すときにはそう出来ている?!
だから、掃除中のトイレには入らない方がいい
トイレの掃除は神様に好かれる仕事である、だがトイレ掃除しながら不満と悪態をついているおっさんに水をとばされたことがある
トイレにも恨みがあるのだろう、トイレには必ず悪魔がいると喚いてた

あの二人組のなれの果てだろうか、いや違う、今時そんな小うるさい社長の会社一つしくじったって恨みもあるまい
小生が社長なら採用してやって彼ら二人に3年ぐらいトイレ掃除させるのだが・・
それぐらいのことをすればどちらかは出世していずれ小うるさい社長を継いでくれるかもしれない
それをトイレの神様と言う
今日は上手く落とせなかった
最後の一滴が分からないのと同じだ
頻尿鯵庵(29.10.9
改)


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by ajiankyoto | 2017-10-09 20:57 | おとこ編 | Comments(2)

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鬼平犯科帳、BSでずっと再放送をしている
平成元年7月に始った第4代目の鬼平役吉右衛門シリーズがいい、その「五月闇」は非業に密偵の伊三次が死ぬ
小生が師事(?)するカルチャーのスーパー講師(女性)が好きなのが鬼平の密偵伊三次
小説「鬼平犯科帳」の主人公は鬼と言われただけのことがあって盗賊にもモテる
小生も小説の密偵の中で作者が力を入れている伊三次(いさじ)という男が好きだ
伊三次には泥棒としての業と男としての業が合わせ描かれている

伊三次は捨て子である、小説によれば伊勢の関宿の宿場女(女郎)たちに育てられた
10才で油屋に奉公にあがるが・・・、それしか生きていく道がなく、捨て子の素性でやがて悪の道に入る
悪の道は仕方がないことながら、それゆえの業を持っている
伊三次の20代は盗賊の配下だった
29歳のときに盗賊の女房と逃げる、その女を殺す
その後鬼平に拾われ、密偵を勤める

役宅の長屋で寝起きする、きびきびとした動きが出来る一方、地面を這いながらで一人で生きてきた男を描いている
人が好きではあるが人とは〝つるまない″男である
あるいはそのときそのときを生きていくことに精一杯であるが、変体が下手な男である・・が、生き抜ける力は持っていたと思う
〝希みもないが死ぬ度胸もない″伊三次である
鬼平の登場人物の中で同じく密偵おまさと並んで人気のあるキャラクターでもある
テレビでは最新版では平成元年から俳優三浦浩一が演じている
鬼平は無頼派であっても高級官吏である旗本、作者は主人公の男としての這いつくばってる男の業の部分を伊三次に置き換えて書いているように思う

しかし、伊三次の素性は泥棒である、過去に人も殺した
それでいて一分の隙もなく密偵として働く二つの面を持っている
いかに鬼平に拾われようともどうしようもないというものを作者は描いている
伊三次にとってはもう一つ密偵としての業を増やしただけのことだからだ
岡場所のおよねと一緒になったらどうかと鬼平に言われ、泥棒としての過去を捨てようと思いかけた時に昔の業によって昔女房を盗ったその盗賊に殺される
実は伊三次を殺したのは作者である
昔の業を逃れられない密偵の男を書きたかったからである、と
小説連載中、伊三次の死は作者にも重くのしかかっていたという
その鬼平に多くの女性ファンがいたのは嬉しいことだ
女性ファンは伊三次が好きみたいだなと思った
もちろん男性ファンはおまさ(梶芽衣子)の次におよね(池波志乃)が好きである
それにしても役者も我らと同じように齢をとってきた
最初の放映で伊三次が死んだのは平成7年である
それから20年、鬼平シリーズはとことん再放送で楽しむのが面白い
写真はカナヘビ
鯵庵(28.8.31)
「火盗改め鬼平の京都」ほここをクリック


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by ajiankyoto | 2017-10-02 18:32 | おとこ編 | Comments(0)

5段階の落ち着き


我々の時の小学校の通知簿は5段階評価だった
1クラスに50人(本当は60人だった)だったから・・
最高の5を貰えるものは3人くらいだった
4は12~13人くらいだと教えられた
3は20人で残りの15~16人が2の評価だった
教育的お情けで登校拒否しない限り1は2にしてくれていた
それでも相対評価である
3だったら親に怒られることはなかったが、4をもらえたら褒められた
4が複数あれば明らかに平均より上にいることの証明になった
個人的には音楽や体育や図工もいつも2だったけど・・大体それぐらいであった

あの時は勉強もしなかったし、その気はなかった
親がそれ以上言うこともなかった
あれから数十年、頑張るところは頑張った
思えば高校受験あたりから、競争を意識させられた
それからずっと競争ばかりだったが・・・
音楽や体育のないや世界へ進めば、複数の4で十分だった
自分らしくなどと・・才能にこだわらなかったのがよかったのだと思う

何度も何度もやってくるチョットした小さな競争に負けなければ・・
くじけて拗ねてしまわなければ、群の中の前の方で一緒に走ることが出来た
この数回の小さな試験の成果でそれから数十年過ごしてきた
その間は五段階評価では4だったと思っている

定年というゴールに入った時はもう順位は気にならなかった
それからの評価は3になった
3を目指しているともいえるし
小学校時の評価に戻ったとも言える
それが自分の本来・本当の実力だともいえる
結局、"おみそ"でさえなければ落ち着く評価だと思える
鯵庵(29.9.10)


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by ajiankyoto | 2017-09-10 07:36 | おとこ編 | Comments(0)


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ゲス不倫という言葉が流行った
不倫好きの人のために弁護すれば、不倫イコールゲスということではないのだ
下種がした不倫でということなのである
下種(げす・下衆・下司とも書く)とは振る舞いなどに品性が感じられないことを言う
そういう振る舞いを言うし、そういう人を言う

昔、職場でこの言葉が好きな上司がいた
仕事の謎が解けないときは、下種の勘繰りこそがが当たるというのが持論だった
こちらが下種になって勘ぐれば、相手の狙いや気持ちや腹の底が手に取るように解るという
下種の勘繰りというのは、ひがんで邪推することなのであるが・・
邪推の方が正しいことが多いというのだ
世間は打算と欲の二つで動いている???
「下種の勘繰りよく当たる」という
サラリーマンの哲学の一つだと小生今でも思っている

下種とは仏教用語である
初めて仏に触れたものに仏が種を下し与えることである
なお、やがてその種は熟し最後に花が咲く
このことを「種熟脱(しゅうじゅくだつ)」という、法華経の教えである

それをあえて下世話に持ってくれば、物を考えるのにまた人と付き合うのに高き清きところでは誤りの元になる
心構えの始まりは下種なのである
世間のほとんどはまだこの段階(下種)なのだ
そう思えば解ける話が多い
暮らしもそうだし、仕事もそうだった
テレビで見てる話題もそれなら分かる
世間の商売もそうだし、官僚でも政治家でも同じことだ
そこらじゅう・・下種っぽいのだ
下種の寄り合い、下種の忖度である
下種っぽい世間なら下種の勘繰りの方が当たるのはあたりまえ・・だ

小生に下種の種を植え付けてくれたおかげでこんなブログを書ける
その上司は田舎へ引っ込んで住職がいなくなった寺の守をしていた
「生活が出来なければ坊主も逃げ出す」と言っていた
が、その上司ももはや音沙汰がない
鯵庵(8.29



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by ajiankyoto | 2017-08-29 08:50 | おとこ編 | Comments(0)

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親が本当に子供に望んでいるのは成績じゃない、実は子供の性格なんだ、・・と
子供にとっての環境のほとんどは両親と両親との生活空間である
性格などと言うから、多様性なり個性などと言う言葉が乱入して来て分からなくなってしまう
性根(しょうね)と言いかえて見れば理解しやすい
人から金を巻き上げる子
平気でうそがつける子
親の金を当てにして生きてる子
食生活と味覚が歪(いびつ)な子
幾つになっても勉強しようとしない子
異性に興味を持たない子
自分だけは何をしてもかまわないと思ってる子、などなど・・
こんなことを性格などと言ってたら、大人になっても一生治らないよ
性格(せいかく)は遺伝しないかも、しかし性根(しょうね)は遺伝する
親も注意、何故なら子供は必ず親の真似をして親を超えるよ

女性が一人で一生懸命育てた子なのに・・
大きくなったら別れた昔の夫そのままになってしまったなどと言う話は余りにも辛い
女性は夫も子も一緒に育てていくものなのであるという・・
夫を育てられない女性は子供も育てられないと書いてあった
そこまで言われると女性は辛すぎる
ただ、育て方の問題ではない
親にとってはどうしようもない哀しさなのだ
せめて男の子は父親と女の子は母親と暮らす方がいいと言う
20年以上前、離婚が流行り出した頃の本の一節である
親だけが子供を囲い込んで育てたのでは性根は治らないという説である
子供は社会に育てられるというようなテーマだったと思う
今時、、そんな分かり切ったことを書いた本など売れはしないだろうけどね
写真はカエルの親
鯵庵(29.8.21改)

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by ajiankyoto | 2017-08-21 11:21 | おとこ編 | Comments(1)



人生の中では20歳ぐらいが一番暗いころだと思う
沈むまいと浮木(ふぼく)を求める
勉強には興味がないが就職には十分興味がある
就職活動が忙しいと勉強するのが面倒くさいのだろう
就職してしまうと今度は仕事するのが面倒くさいのだろう
企業に就職したらその日から心を売らなければならない
そんなことにはすぐに馴染めるのに、束縛と他人との付き合いは面倒くさいという
そんな中でもかろうじて10年も勤まれば、今度は慣れた仕事以外は面倒くさいと言う

それは彼の打算に過ぎない
そもそも人生の楽しさは齢とともに高まってくるものだ
30代に入れば概ねどちらかに舵(かじ)を切らねばならない
ただ、今やっとの思いで得たもの(例えば仕事)を犠牲にするのも、マイナスになるのも実は怖くなる、のが自然なのだ
だが、それも打算という

彼女・彼らにとってはこの10数年の成果から言えばコストパフォ-マンスは仕事(就職)が一番
庶民の嫌みを言えば・・お味噌なのだから・・
恋愛などその観点からいえば最悪なのらしい
ましてや結婚など生涯の不採算事項である
そう信じたら性欲すら抑えられるらしい
・・・でもしない訳ではない
両立が出来ることがはっきりしたら結婚もしたいし子供も欲しいという
そんな中で一番嫌なことは結婚に焦っているように見られることだと言う
だから、今は面倒くさいと言う
何のことはない・・恋愛も結婚もいつまでも"おみそ"を期待している

小生も言おう、年取るのが一番メンドクサイ
元に戻すのはもっとメンドクサイ
鯵庵(29.8.1)




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by ajiankyoto | 2017-08-01 10:29 | おとこ編 | Comments(0)

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「本当にもてたいなら」という話のついでにもう一つ
男は自分が持っている身体的・生物学的優位をもっと理解するべきだというのがスーパー女史の話
〝優位を理解したときにいたわりの気持ちが出る人とあるいはいじめる気持ちになる人に分れる″という
その間はないという
自然にいたわりの気持ちを持てる人は極めて少なく、たとえ優しそうに見える男でも精々1割だというのが女史の論である
またそんな貴重な〝いたわりの気持ちを上手く理解できない女性が必ず増えてくるのが歴史″だという
だから結局"女をいじめる男”と″男を信用しない女”との組み合わせになる

その中でも女性が男性に感じる魅力は三つあるという・・腕力と、性力と、経済力だという
心の中で女性は腕力と経済力は人並ほどほどでいいと思っている
女性が幸せを感じえるのは唯一その男性の持つ"性力”だという
・・性力とは?
〝皆さんもうちょっと深く考えてください″と女史は言う
精力絶倫の精力は腕力の部であるが、確かに精力も性力に含まれる
男性と女性との性差という方が近い
その性差を感じさせる力だという
例えば乙女の頃に初恋の相手に感じたのが性力の初め?
異性に感じさせる生物的本能でありながら、
肉体が成熟するとともに動物的性欲(もしくわ行為)が勝ってしまう、その過程で、意識せずに捨てて来たものだという・・

小生思う・・腕力とか経済力とかでなくてよかった、それなら小生にも可能性がある
下世話に言うあれだね、″色男金と力は無きにけり・・” 
ひょっとしたら・・あるいは″失楽園”?
それは男性に言っているようであるが、キッチリ女性に対しての応援でもあるような気がする
女性はいつまでも乙女心の芯を持っている
ならば女性もせいぜい枯れないでほしい
相手の性力を感じられたら枯れかけた男の本性が思いだせるかも???
もてたいのは男の本能である
前段の”三つのチ”よりは女性の本音に近いかなと思った次第である
写真はそういうことでジョロウグモ
鯵庵(29.7.24)



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by ajiankyoto | 2017-07-24 17:38 | おとこ編 | Comments(0)