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つい、「面倒くさい」と言ってしまった
年令的にぼちぼちそんな表現も許されるかなと思った次第である
この面倒くさいという言葉、なんとも便利な言葉である
いい職業を持つ30代の女性、〝仕事をしたいときに恋愛をすると煩わしいことが多い、恋愛も結婚も結局は面倒くさい″と
一番面倒くさいは仕事だと思うのだが、そうでもないらしい
仕事にかまけて家庭を顧みもしないという企業戦士が活躍した時代はずっと前に過ぎてしまったと思っていたら、そうでもないみたいである

男性A君が同じようなことを言っている
大学を上手く卒業して、上手く就職も出来たとして、
"家庭を持つだけの力を得るのにこれからでも10年はかかりそうだ、だから今は恋人も面倒くさい"と言う
自分のペースに合わせてくれるならばいいがそうでないなら一人でいる方がいいと言う
小生、茶化すのではないがそれも真理だと思う
ただし、友人や人生の伴侶を得るのに計算は不要である
公式と言うものがないのだから・・自分都合の計算式なら計算しない方がましである
加減のいい人との付き合いというものは存在しない

都合通りでないのが人生だと思う
それは本当に面倒なことなのである
都合通りでないということが面倒くさいというのだが、
都合通りでないということが得難いものなのだ
"一人でいる楽しさ″を味あうのには彼女も彼はまだ若すぎる
今はメンドクサさを味わうのもメンドクサイ
気持ちが分かるような気もするが
鯵庵(10.19)



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by ajiankyoto | 2017-10-19 07:47 | おなご編 | Comments(1)

母の過ごし方

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小生のパートの職場でも豊田代議士似の美人も松井さんによく似た話好きの女性もよく来るが
金を払うところでは大体は挨拶もしない不愛想な女性が多い
先輩同僚の曰(いわ)くでは数十年前の女性運動がやっと実ってきて今若い女性の頭の傘になっているという
半世紀もたってしまったら、そのころの戦士は今頃は大転向して老人ホームで皆さんの世話になりながら楽しく暮らしているかもしれない
そう思えば何よりも我らの世代は転向が得意である
時代の流れは自分らが作っていくもので、踊らされるものではないと腹の底で信じていた

だがしかし、ここにきて女性は意外な頑なさを持っているように思う
それは、女性というのは「謝ることをしないという人が過半数(ほとんど)だ」という
そんな学説?を以前にこのブログで紹介したことがある
そのことと密接にかかわっているように思える
女性は自分だけを肯定して生きていくのをまず覚えた
肉体的性格上、自分や子を守る本能として備わっているのかもしれないが
世間に目を向けてみると・・
謝らないという生き方は、必然的に感謝できない心を作り、
ひいては恩を感じない生き方に継がってしまうということにもなるのだろう
その学説?もそう言うことを言ってるのかもしれないと思った


いやいっそのこと自分だけを肯定することを貫くべきだった
それは学者やアスリートや芸能人には最大の美徳である
だがその人たちはここに至るまでの感謝や恩を口にしない人はむしろいない
それには自分自身を高きにおく精神的強さを兼ね備えて初めて出来るものだからで

世間の化学反応は、いつもマネにマネを掛けることになる
結果マネだけが増殖する
哀しいかな、例えば数十年前の必死の女性運動だって、今はマネの何乗ということになる
はっきり言えば、本家とはまるっきり違うものになっている
気づいたときはカスばかりが体に残って、なお世代交代を続けているのかもしれない
いつまでも続けておれば、結局誰からも優しく親切にされることもなく人生を終えることにもなる
あなたはそれでいいかもしれないが・・でも、娘さんだけは自分を超える女にしなければなりませんよ
・・というのが鯵庵のテーマの一つでもある
鯵庵(9.8)



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by ajiankyoto | 2017-09-08 10:32 | おなご編 | Comments(0)

妖怪猫又(ねこまた)

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妖怪というか?昔からの化け物に猫又(ねこまた)というのがある
猫は昔から結構多くのものに化ける
その中でも齢をとって尾が二つに分かれて妖怪となるものがいる
人を食い殺して、なんと人間の女に化けているという
作り話ではない作り話だ
ゲゲゲにも出てくるが、猫又というのはあの「徒然草」にすら出てくる
女の中には猫が齢とって女となったものもいるということだ
これが猫又で、作り話だという根拠もない

ある文学者は「女性の9割は謝ることを知らない動物」だと言っていた
この頃、テレビを見ているとその説が正しいように思えてきた
テレビに出てくる女性、AもIもKもTもMもRもYも・・と言えば
アルファベットを並べるくらいは名を上げられるのではないか
正に謝ることのできない妖怪のパレードである
往生際(おうじょうぎわ)の悪いことに妖怪の本性が出ている
ゆえあって小生のシルバーでの仕事をあかす訳には行かないが
私どものお客さんにも・・まあ、割合は別にしてK型もT型も毎日やってきている
あなたの近くにもいないとは限らない

この説が嫌なのは残りの1割の女性について定義していないことだ
それではその1割女性が花かというと、これがまた謝らなくてもいいのに謝ってばかりの女性なのだ
それではいつまでたってもDVも無くならないし、自立もない
こっちは自分で何も決められない女たちだ
人間社会では謝っても謝らなくても・・結果が悪ければ何にもならない
妖怪は人間を羨んで生きているのだ
妖怪の心を持っている人の割合こそ知りたいものだ

結局?女性はそのパワーを上手く正しく使えない人種なのではないかと思っている
猫又という妖怪は年老いた猫が若き女性に化けていることもあるのだ
人と人の間に、男と女の間に不幸を作る妖怪こそが猫又である
世の中は人間の知恵と妖怪の知恵との戦いなのである
猫又が9割はいないとは思うが、見える人には見える
もちろん読者女性のことではない
鯵庵(9.7改)



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by ajiankyoto | 2017-09-07 08:50 | おなご編 | Comments(0)

夢なんて誰にでもある


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人生相談がやってくれる
この前は"自分らしく生きてるのに幸せになれない・・"だった
そっけない答えをするものだから
今度は"自分らしく生きるにはどうしたらいいのでしょうか・・"ときた
30代も半ばになってデザイナーを目指しているようだが成功しない
このまま夢を追ってデザイナーの道を進むか
自分らしくいきていく夢を捨てて・・結婚して子育てもしてみたい
というのが悩みである

両方の夢をかなえている人がたくさんいますよ、と激励の答えは一応は言わなければならない
されど、結婚というのは予定通り行くとは限りませんよ・・と
そこまでは、人生相談の回答らしいけど・・
相談者と相談者の親は結婚・子育てが誰にでも出来ているように思ってるらしく
せめて、こちらの方こそ難しいですよと言ってやらねばならない

夢なんて誰にでもあるのです
せめて、自分らしい夢にしたらいいのですが
夢であるということは一つの夢でも大変なのに・・
両方の夢をかなえられる人は計算の外です
どっちもつかず・・!?
と言ってやらなければならないのとちゃう
それと、そもそもそんな悩み、10年は遅いかな・・
鯵庵(9.5)



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by ajiankyoto | 2017-09-05 21:19 | おなご編 | Comments(0)

幸せになりたい


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"自分らしく生きようとしているのに幸せになれないのはどうしてでしょうか"
こんな相談が載っていた
"自分らしく生きていられたら幸せじゃないですか"

こうやって、また嘘を教える人がいる
その通りでもあるが、彼女に理解できる筈がない
自分らしくと言ったって、ファッションのことを言ってるのかもしれないし・・
ひょっとしたらつけまつげのことかもしれないし・・
自分らしさとは自分のために生きることでもないのだよ
そもそも自分らしく生きるという川と幸せになる川とは違う川である
いくら下って行っても違う海に出てしまう

大人になって子供の幸せは求めても得られない
そのくせ子供の幸せが一杯あっても不幸という
分からなければ、自分らしくという幻想を止めることなんだ
優しい言葉でいいから・・特に大事な人には・・
自分らしく生きようとするから幸せになれないと教えてあげるというのが
大人の親切というものである
鯵庵(29.7.27)



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by ajiankyoto | 2017-07-27 18:33 | おなご編 | Comments(0)

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女性の体の美について考えてみると、そのみなもとは二足歩行にあると感じる
人間に最も近いとされる類人猿と遠くの昔に分枝したときから、その隔たりの一番大きな点は、体軸が真直ぐ垂直に伸びた直立二足歩行にある
骨格そのものは、まだ、中途半端な形を残しているともいわれるが・・
二本足で立ってかつ暮らすにはそれを補うための筋肉が必要である
そのため足と上体を支えた機能的な臀部を持つことが不可欠なことである
ここが大事!
それが腰や大腿と独立した部位として人間の尻を形作っているのだから
ついでながら言えば、直立歩行によってなんと乳房の位置が腹から胸に移動したぐらいである

サルは膝を90度に曲げることで立つことは出来るが、長時間続けることが出来ぬばかりか、運動能力には著しく欠ける、歩き走るときは四足に戻る
また座る芸をするサルもいるが、尻の形は座るためには尖っていて不安定である
人間はちゃんと立つことが出来、ちゃんと座ることも出来るのです
だから、人間にとっての正常位は、人間ゆえの正常位なのです
しかし、二足歩行を常態とするためには、立つ座るだけでなく、歩き走るときもその前進(または後退も)のために腰に負担をかけている
その腰を全身機能として支えていくのも臀部の役割である

そこにその骨格と筋肉の二足歩行進化の美の造形と個体差があるというのが小生の論である??(もっと分かりやすく言って欲しい・・自分で考えろ!ちゅうの)
物事を一度裏から見る癖もここにあります
ただ、後ろ姿の美しい人を見つけたら必ず前に回って眺めてみるといい
この件に関しては保証する
写真は臀部風景(大阪新世界にて)
(29.7.2改)

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by ajiankyoto | 2017-07-02 20:28 | おなご編 | Comments(0)

クルミの殻は固いけど


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10年も前になる、小生がお世話になっていた会社のことである
会社を揺さぶる事件があってその結果経営が苦しくなった
銀行の融資を受けるためにいわゆるリストラが行われた
小生は年齢対象外だった
不思議なことに働き盛りを中心に行われた
我々の技術の部署に勤務し、資料の整理を担当していた一般職員だった
仕事ぶりは、素直にして正直、こんな人が娘だったらと思うぐらい人気者だった
結婚しても子供が出来ても彼女だけは勤めを続けていた
ニックネームはナッツといった、胡桃(くるみ)の殻は固いけど、中身はナッツだ
その来海(くるみと読む)さんにばったり会った
大阪に出た時に時間調整に馴染みだった本町のドトールに入った時である
相変わらずのショートヘアーの涼やかな服装で人を待っていたのが来海さんである

〇〇さん(小生のこと)、どうしてますか?ということで
小生は兎も角として・・そちらこそどうしている???と
退職の後、やはりリクルート会社も女性の職場は世話してくれなかったようだ
ずーっと自分で探してパートで働いているとのことだ
近所のスナックにも勤めたことがある、と

彼女、辞める前に下の子まだ小さかった?
そのことを言うと
まだ、その下にもいる、という
結局、3人?ひょっとしたら4人?
相変わらずの笑顔で何でも明るく話してくれる
数年前に離婚した、
今は旧姓に戻っていると、さりげなく・・
ただ言葉の端々に生活の自信に溢れている
自分で自分のことを決められる女性が小生は好きだ
自分で決めたからこそ話すことが出来る、覚悟が持てる

多くの優秀な男性社員がリストラ退社後、転々としているのを知っている
若いうちに退職金をもらってしまうと、一番大事な勤勉さを失ってしまうからだ
家族が先にダメになってしまうこともある
技術職は前の会社のプライドが邪魔をすることもある
彼女は本来やめなくてもすんだのだ
当時、彼女が最後に手を上げて辞めると言った時
何人も辞めさせていた課長があわてて止めに入ったぐらいだ
そんな話をすると、実はめったにない割増の退職金がもらえるチャンスを失いたくなかったと言って笑った
そうか、たとえ先のことが分からなくとも、自分で決めたことにしたのだなと思った
昔から絶対に、他人の所為にしない、そういう人なのだ
仕事でそのことに助けられた人が多い

(以下、付録)
小生、今は仮名で世捨て人風にブログをやっていると話してしまった
実は齷齪(あくせく)、ネタに困ってる
くるみさんのイメージをネタにしてもいいかと言うと
しっかりアドレスを記録し、弾む声で読者になると言ってくれた
これがまずその第一である
上を向いて咲くのはスカシユリ
鯵庵(6.19)

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by ajiankyoto | 2017-06-19 06:23 | おなご編 | Comments(0)


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時代祭の京都の女についてもう一人語りたい
江戸時代婦人列のことだ
この行列で受けるのは幕末14代将軍家茂に嫁いだ考明天皇の異母妹和宮とややこ踊りの出雲の阿国ぐらいである
歴史(政治史)を知る人にとっては知らない方が不思議な女たちだ

この列には往時の都の庶民が出演するのだから、地味である、簡単に言えば良く分からない
京都の人も知る人が少ないのが、お梶(かぢ)と孫の玉蘭(ぎょくらん)である
お梶というのは5代将軍綱吉の元禄の時代に祇園社(八坂神社)の南門近くに茶店を構えていた
恐らくぼちぼち流行り出したお茶屋であろうか、だが、少女の時から歌をよくやるとして名があった

梶も14、15才で江戸に下ったといわれる
旗本某家の養女になったと指摘する研究家もいる
ただ、嫁いだ先を離縁になり、京都に帰ってきてお茶屋の主に戻ったのではないか
お梶の歌才は際立っていた、全国から歌人や風流人がお梶の歌を訪ねてくる
お梶の出自は不明となっているが、先の研究者はお梶の父は公卿の正親町(おうぎまち)家と推測している
お梶の生活と歌の後ろ盾であった可能性がある
それぐらいの血筋と素養と手ほどきとがなければあれほどの才能は発揮できるはずがないと考えるのが自然である
独身の茶屋の主と言うこと自体が仮の姿だったのだろう
それは歌人としての仮の姿であったろうが、死ぬまで京でこの祇園で生き抜くという本物の京女の形が出来つつあるころの話でもある

今はお梶のことだけしか語る間がないが、そのお茶屋を継いだお梶の養女が百合である
百合は母に負けず歌をよくしたが、祇園に隠棲していた徳山某と一緒になり町を産んだ
徳山某が江戸の徳山家を継ぐことになり身を引いてその後一人で娘の町を育てた
町こそ稀代の貧乏画家池の大雅と一緒になった玉蘭(ぎょくらん)のことである
当時の三人の女の生き方を説くには歌や絵画やに知識不足である
女3代これだけの才女が続いたということがテーマである

ただ、それが、時代祭の行列にふさわしいかどうかが小生にもわからない
時代はイコール歴史ではないし、歴史はイコール政治史でもない
身分いやしきと言われた祇園の茶屋の主が皇女和宮と一緒に行列する違和感はどうしてもなくならない
この列の特色でもある、どうしても解説がいる
ひょっとしたら、お茶屋が建ち始めた祇園の界隈にもこれほどの文化人がおったことを言いたいのかもしれない
時代祭は市民奉仕である、もう少し市民に説明しなければ梶や玉蘭を演ずる人はどんな歩き方をしたらいいのだろうか?と戸惑う筈だ
見物する人は、艶やかな巴を探していると行き過ぎる、江戸時代の都の庶民お梶も見て欲しい
時代祭の行列は10月22日だ、あなたがどう楽しもうとあなたの勝手だ
写真はフジバカマ
鯵庵(28.10.20)

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by ajiankyoto | 2016-10-20 07:41 | おなご編 | Comments(0)

「巴は京女」に続く

義仲がいなければ都に来ることもない女だった
戦(いくさ)に連れていくための妾と言われるが、女武者でもある
馬乗りは得意だったかもしれないが、当時武芸というものはまだ出来ていない
闘争心のままに長刀を振り回すだけの女である
庶人が知る歴史は「物語」でしかない
荒削りの男のために精一杯武器を持った一人の女へのはなむけだろうと思う
最期を共にするはずが義仲に見限られた巴は鎧を脱いで落ち延びた
その後の巴のことは物語の外の話である

実はそこらからが能「巴」が始まるが、そのことを語る力は小生にない
亡霊になって義仲を慕うのも巴かもしれない
近江の粟津「義仲寺」にある義仲の墓の傍にある巴塚は見逃す人が多い
でも歴史に現れるのはこの都落ちの瞬間だけだ
平家物語の中でだけ輝く女武者だ
女を通し、かつ、それでも最後一人で戦っても討死しなかった巴の強さゆえの哀しさが京都人の涙を誘う
義仲と最後を一緒しなかったこの女を張った強く誇らしげな姿こそが哀れである
それは誰でも持てるものではない美しさだ
勝ち負けを超えた、善悪を超えた自分をはっきり主張している
それが京女の根性である?

平安時代婦人列ももちろん市民奉仕である
が、市民と言っても京都の花街や地域女性連合会がこれにあたる
行列に続く紫式部や・清少納言・小野小町というのも同じではある
しかしながら、鎧をつけて白馬にまたがって背筋を伸ばすことは気合の入ったプロの芸妓でも難しい
これが出来ると京女の代表と胸をはることができるらしい?
来年の時代祭のポスターになれる
生きるということは芝居気が必要だと思わされるのだが・・
鯵庵(28.10.13)

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by ajiankyoto | 2016-10-13 08:15 | おなご編 | Comments(0)

祭/巴は京女

10月の時代祭りは平安神宮の祭礼である
明治28年に平安遷都1100年を記念して始めた
今は1220年ちょっとだから、120年になるが、まだ120年ともいえる
平安京ゆかりの桓武帝と考明帝の神輿が主役であるが、維新以前の各時代の行列が出る
10月22日が行列の日である、京都観光の目玉にしたいという思惑である
もう一つの特長は市民奉仕である、出演は一般市民である
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一番の見ごたえを言えば、平安時代婦人列の先頭、巴御前である
後白河院政の時代だだから平安時代が終わろうというときである
1184年7月に入京した源氏の棟梁義仲、義仲についてきた巴にとって都で暮らすことはどういうことだったのだろうか
信濃・木曽の山国育ちを卑下することなく、武者として、それでも女としての栄誉もあったろう
都の水で化粧することにも馴染んで行ったろう
だがしかし、都の風に戸惑った義仲は平安朝政界をしくじって、翌年1月に頼朝軍に京を追われ近江で死す
都での羽振りはたった半年のことなのである
巴は、女として京都に残ることなどに何の未練もなく、最後まで将軍だった義仲についていく
「木曽殿(義仲)に最後の軍(いくさ)して見せ奉(たてまつ)らん」というのが平家物語のセリフだ

都を落ちていく武将に戻ったが、その時は既に京女であった
京都で生まれたわけでもない、たった半年で何時の間にか京都の女になっている不思議な女性だ
巴は「色白く髪長く、容顔(ようがん)まことに美麗(びれい)なり」と平家物語にある
なお、それでもその時の巴が一番美しいと京都の人は感じた
華やかな時代祭行列で白馬に乗って胸張った巴御前というのは・・
実はたった数騎で義仲にしたがって都を落ちていく時の姿だと言えば読者の皆様はどう思いますか
歴史というのは男の舞台でもあるが、また女の舞台でもある・・
(この項、続く)
鯵庵(28.10.12)

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by ajiankyoto | 2016-10-12 07:39 | おなご編 | Comments(0)