油揚げと助六

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昔、京都に助六という番を張った侠客がいた
この侠客が大坂まで行って島原遊郭の揚巻(あげまき)という遊女と心中したという
歌舞伎の助六の相手も遊女揚巻(あげまき)だ
そういう意味である、・・らしい
揚巻というのは本当は髪型(総角・あげまき)のことである

このあげまきというのがイナリずしのことである
だから、イナリずしと巻きずしとのセットを「助六」という
揚げを巻いたのはイナリずしであるからだ
日本人、特に京都人の油揚げ好きは異常である
だが、歌舞伎との縁が理由とはとても思えない

食うものとってそんな謂れは関係ない
鯖寿司だってハレの日にはつきものだ
単純に言うと揚げを巻いたのと海苔を巻いたのが日本人は好きなのである
大人も子供も片手で喰えるものがいい
特に大人はもう片手に盃を持ちたい
デパート地下で稲荷ずしと巻きずしを交互に買っていって夜番の時の食事にしている
日本のファストフードだ
酒が飲めなくともその時は一人で祭気分だ

写真はまたまた始まったコンビニの恵方巻、パンフレットから・・
鯵庵(30.1.19)


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by ajiankyoto | 2018-01-20 19:23 | | Comments(0)

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暦を開くと、一番先に出てくるのが女神である
名を歳徳神(としとくじん)という、牛頭天王(ごずてんのう)の后とも言われたりする
この女神の居ます方角を恵方(えほう)という
今年、「何人にも吉」の方位はこの歳徳神のいる方向だと言う
江戸時代からある恵方詣で(えほうもうで)というのは、毎年この恵方の方角の寺社をお参りすることを言う

正月の民間信仰の一つであるが、この神様歳によって移動する
今年は戊戌(つちのえいぬ)で、戊(つちのえ)の歳の方角は巳(み)と午(うま)の間の丙(へい)と定まっている
暦では十干、十二支などを用い、二十四の方向を表す、北が子(ね)、南が午(うま)になる
丙はその11番目で方位で言えば「南南東やや南」になる、360度で表現すると165度になる
その方向というのはその年の干支(かんし)の十干(じっかん/甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)によっている
だから、恵方は4方向が5年周期で回っている・・だけのことである
ところがどっこい、この恵方と言う言葉をパクったのが恵方巻(えほうまき)である

節分は暦の上での大晦日である
大晦日に厄払いして正月に恵方参りをする・・その祈りの気持ちを表現したい?ことはなんとなくわからないでもないが・・
どうにも分からないのがその方角を向いて巻きずしを"まるかぶり”するという・・その風習だ
もう一つ分からないのがその恵方の方角のことである
すし商組合や大手コンビニのパンフレットなどにはいずれも大きく「南南東」と書いてある
残念ながら微妙に(7.5度も)ずれている

正しい恵方ではない、方角にも幅があり許容の範囲とは言えるが・・
この場合の方角という観念を16等分の東西南北の表現をしたことが誤り
暦で言う方位は24等分であることを理解していない
陰陽道や日本の暦では方角を大きく12分・24分している
最小単位は360÷24で、だから1単位が15度になる。
むかし、日本の時刻も同じ単位で表していた、24時間で一周した
・・今の時計は12時間で一周するわけだから、時計の短針を30分単位で表現すればいいのだ
だから165度とは5時半のこと、こちらの方が、陰陽道の正確な方位の表現になる

芸術も文化も歴史もいつか大きくデフォルメされていく
コンビニの販売促進というのは所詮熾烈なサラリーマン世界の産物である
ただ、新しいものを生み出す強引さの中にも簡素であっても正しさは大事にしたかった
そうでないと恵方神(歳徳神)も迷惑である
元来、「今年は5時半の方角です」としてた方がコンビ二客向きの表現だったような気がする
世に罪をしないということは大事なことなのだ

方位盤、この間に一つずつ入る、蛇(巳)と馬(午)の間が今年の恵方になる
鯵庵(30.1.19②)



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by ajiankyoto | 2018-01-19 10:29 | | Comments(0)

マスオさんは男である

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町内のマンション住民の人には親子でマンションを持っている人がいる
同じマンションだったり、となりのマンションだったりする
祭の時にそんな話になりかかった
我ら路地の住人だって子や孫が近所にいる場合もある訳だからべつにおかしくない
そもそも子供に残してやれるものが古家一軒あるかないかだから

費用の出し方で、二世帯住宅ということもあり得るが、マンションの方が安くすむこともある
いや違うんだと役員をしているA氏が言う
娘の夫婦のためにマンションを買ってやれる人がいるんだと言い出した
もちろん恨みでも僻(ひがみ)みでない、暮らし方の問題だという
娘しか頼りにならないと決まった時の投資だという
何の投資?、自分の老後に対しての投資だという

そんな投資が必要なのか、あるいは有効なのだろうか
独立して生計を営んでいる限り、アニメ「サザエさん」のマスオさんとも少しだけ違う
娘が親の面倒を見るというのは打算とは違う
爺さん婆さんだって娘の孫の方が触りやすいというのも自然である
生命保険の受取人に娘の子(孫)を指定する
しかし、娘さんのご亭主はどう考えているのだろうか

A氏も小生も娘がいない
今更何を言っても仕方がないがたしかに娘がいないと孫がいないにもつながる
娘がいない不安に今襲われているわけである
息子も嫁も孫もおって何が不安であるのか
それは他人には分からないことである
という話になった訳である
7月24日は後祭(あとのまつりとも言う)
昔に戻して前祭と後祭にわけた先の長老の決断に敬意を表したい
鯵庵(7.21)





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by ajiankyoto | 2017-07-21 07:00 | | Comments(0)

祭/鉾建てか鉾立てか

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先日前祭りの鉾建てに遭遇した、せっかくのことなので見学させていただいた
もちろん祇園祭の山鉾、大きな鉾は重さ12トン、高さは25メートルもある
山鉾はほとんどの部分を毎年組み立て、終われば分解するわけである
従って大小さまざまな部材を釘を使わず荒縄だけで縛って組み立てるのが特徴である
この人たちを建て方と呼ぶが、親方他、数十名での作業である
20数メートルの真木(しんぎ)を取り付けるのは本体も真木も横向き(水平な状態)で作業する
親方どなる、「こら、頭(あたま)、頭もっと右、頭上げて、ぼさっとしてんと頭の下に頭入れてつっかいを入れんかい・・」と言うような指示
頭(あたま)とは一番先を担当する人のことと真木の先端を言ってるようだ
その度に、真木の先を支えてる若手が真木の右に行ったり左に行ったりうろうろしている
多くの見物の前で割の悪い三枚目である

この作業、梁の片方を橋脚に埋め込む片持ち梁と同じことである
真木はしなりながら途中に何カ所か支保工で支えている
真木の太いところを本体にわら縄で縛っていくのは伝統技法であり、数人のベテランが手際よく作業している
でも周りで真木を支えたり、交通整理したり、クレーンやウィンチで引っ張ったりしているのはどうも親方と一緒に仕事しているメンバーとは違うようだった
初めて鉾建てに参加したりすれば、”あたま、あたま”と言われたって何のことか分からなかったはずだ
支える道具もやり方も鉾によって違う
傍で見ていると、自分の頭(あたま)で真木の頭(あたま)を支えろと言うようにも聞こえた
それを親方である大工方の頭(かしら)が言うのだから頭(あたま)だらけの話に聞こえた

工事中の高速道路で架設作業中の橋げたが崩れ落ちるような事故が相次いだ
ダジャレではない、大工事になればなるほどは仮設工事が出来と安全を左右する
鉾建ては練習も出来ない、そのくせ失敗も許されない作業なのだ、なんぼベテランと言ったって1年に一遍だけのことなのだ
おそらくその親方は、ただその真木の先を担当する若い人の名を知らなかったのだと思う
明確な指示こそ作業の安全につながると言う言葉を思い出した
しかも支保の設置が作業の成果と精度にすこぶる影響がある
伝統技法に目が行きすぎて仮設の安全性ががおざなりにならないことを祈る
平たく言えばここも安全第一なのだ

その日のうちにウインチやクレーン車を使って横になっていた鉾が立った
夕方になる前には四条通りや室町通りには数基の鉾が立っっていた
一日だけのことであるが骨格だけの山鉾は一度見学しておく価値はある
小生、この日の作業は”鉾建て”と言うより、”鉾立て”という方がしっくりくるように思った
水平の鉾を垂直にすることがこの日の祭りであり神事でもある
山鉾の美しさはまっすぐ立って揺れる真木にあり、その高さにある
写真はヒオウギ、祇園祭の花である
鯵庵(29.7.13改)


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by ajiankyoto | 2017-07-13 20:25 | | Comments(0)

祈りなき祭

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巻き寿司や鯖寿司は都会でも田舎でも祭りやハレの日には是非とも欲しいもの
「恵方巻」で、この日あたりはコンビニでも結構凝った美味しい巻き寿司が手に入るメリットはある
全国の消費者にとっては手軽に美味しい巻きずしが手に入る機会でもある
節分用の巻きずしの全国販売はそれぞれのコンビニが活躍してます
コンビニのチエーン力の大きさを見るようです
もちろんそれはコンビニ戦士のしのぎを削る闘いにも見えます

ただ、追儺(ついな)・節分の行事も色々ある中で、巻き寿司の丸かぶりには文化も伝統も感じられない
もともとこちらの方面(関西)のコンビニチェーンが販売促進のため始めたこととも言われる
いわばジョークだと知ってるものと思っていたが、スーパーに限らずこのごろはデパートでも、一丁前の寿司屋も負けずにやっている
巻きずしというのは日本版古典的ファストフードの代表でもあるが・・
一方せめて丸かぶりだけはやめて欲しいと言う運動も起こっている
販売促進なら何でも、ということか?

困ったことに「暦のはっぴを着て」祭りだと騒いでおれば
ジョークでも十年・二十年続くと本当らしくなってきたと言う訳である
この頃はその巻き寿司も並ばなければ買えないし、作るほうも工場でフル生産である
ふた昔以前のクリスマスのデコレーションケーキ以上の緊張感がある
バレンタインデーのチョコレートも似たようなものである
納品に手違いが許されない
しかも、一日遅れたらゴミになってしまう
そのことを嘆く人もいる

巻き寿司は各家の味というものがあったし、町内の仕出し屋でも味にこだわった
その中にささやかながらも家族の祈りがあったのにと思ってしまう
いつもながらコンビニやスーパーのレベルで議論してしまうと、
味は野蛮になり、食べ物に対する感謝や自然に対する信仰などという素朴な思いも文化もなくなってしまう
せめて・・工場で作るものではない。
〝物が足りる世の中を動かしているのは冗談とパロディ、フィクションである
それの作り手はいつでも商業主義と”サラリーマンの論理″だと言っていたコメンテーターがいた
こんなことを言う人はそのうちテレビでは見られなくなるかもしれない
その前にその言葉を紹介させいただいた
鯵庵(1.30)

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by ajiankyoto | 2017-01-30 07:26 | | Comments(0)

昔、招福巻で出てました


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文化には香りが必要だと思う
節分と言うのは新しい年に向けて邪気を払うという素朴な信仰を基にしている。
邪気は鬼であり、福を招くというのは当たり前の気持ちである
節分の行事の基本は豆まきであり、柊(ひいらぎ)の枝と鰯(いわし)の頭は厄(やく)払いである
室町時代から続く風習である
長く続くといえ基本は素朴な庶民の生活感がそこにある
ご馳走は巻きずしでも十分であり、それでもハレの気分を感じる人は多い
昭和の時代になって巻きずし業者は、同じ巻きずしでも節分のそれを〝幸運巻きずし″として広めていた
このあたりから文化の味わいが変わってくる

「招福巻(しょうふくまき)」と言う言葉なら、こちらの人なら記憶に新しいかもしれない
大阪の老舗のすし屋が節分の縁起を担いで考え出した巻きずしである
これに「招福巻」と名をつけ昭和63年(1988)商標登録した
節分とセットで招福巻と言う言葉は近辺のスーパーでもなじめる言葉になっていった
スーパー大手のジャスコが「十二単衣(じゅうにひとえ)の招福巻」と言うのを節分用の巻きずしとして売り出した
平成20年(2008)商標の侵害に関わる訴訟となった
結局、ジャスコ「十二単衣の招福巻」側が勝った
商標権の侵害にあたらないとの裁判所の判断だった
ジャスコが売り出したころには招福巻として既に普通名詞化している・・ということで登録商標であっても商標権の効力が及ばないという判断だった(2010確定)

登録商標は登録者が守らねばならないとされる
〝登録商標って何なのだろうか″と大阪の鮨屋はとっては結構やるせない思いだろう
たとえ普通名詞化されたとしても売り上げが上がればいい
またそうでなければジャスコも招福巻の名前を使わなかったろう
しかし、裁判で勝ったジャスコもその後もう招福巻は使ってない
登録商標を所有してても普通名詞並みであると公に認められたのではゴミ同様である
こちらも使わない
結局、「招福巻」は普通名詞になり損ねたまま、辞書にも載ることはない
一方「恵方巻」は、グーグル検索でも溢れているし、辞書にも載っている
これこそもっと早い目に商標登録しておけば今頃面白かったのにと思ったりする
(この項続く・・かも)
鯵庵(1.18)



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by ajiankyoto | 2017-01-18 06:58 | | Comments(0)

祭/蘇民将来の子孫也

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大いなる昔ばなし
あるところに住む兄は貧しく弟は富む
ある夜旅人に宿を請われた富める弟は惜しんで宿を貸さず、貧しいながら宿を貸してもてなしたのは兄だった
旅人は武塔神(むとうしん)だった
後に八人の王子を連れて、富貴なる弟の一族をことごとく滅ぼす
が、ただ一人弟の家に嫁いでいた兄の娘は、言われる通り腰に茅の輪(ちのわ)をつけていたので難を免れた
兄の名は蘇民将来(そみんしょうらい)
無塔神が言う、〝われはスサノオなり、後の世に病気があれば、蘇民将来の子孫と言って茅の輪を腰につけておれば免れる″と
これが祇園祭の〝茅まき撒き″のいわれ
無塔神も蘇民将来も何に由来した神か不明らしい
平安時代から各地で信仰の対象となっていた
牛頭天王(スサノオノミコト)信仰にはこの蘇民将来という護符が配られる
祇園祭りでは「蘇民将来之子孫也」と書いた〝厄除け粽″が昔は山鉾の上から撒いていた
粽は〝茅(ちがや)まき″であり、茅とはイネ科のカヤ(ススキ)のことである
水に強いことから茅葺(かやぶき)、や菅笠(すげがさ)などにも用いられる
夏越の祓いの茅の輪くぐりの茅である
祇園祭のちまきは正に〝茅巻″であっておもちなど入っていない
厄除けのお守りですので、端午の節句の粽と違って食えませんので注意
そうなんよ
7月に入れば祇園祭が始まってます
祭りは参加することに意義がある?関わり方は色々です
でも心配いりません、最後は観光客になればいい席で見れます
写真は7月の夜のユリ、時にむせる
鯵庵(7.4)


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by ajiankyoto | 2016-07-04 06:05 | | Comments(0)