年功序列

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シルバーの仕事の雑談で「年功序列」という話になった
商売や職人していた人にとっては実感はないかもしれない
この頃、サラリーマンしかしたことのない人がシルバーに増えている
小生もその一人である
この人たちにとってはシルバーも早いもん順だと言った
そう言うと、私の先輩は、シルバーに歳の差などないと言う
シルバーの年功序列というのは死ぬ順番のことを言っている
「年功序列に異議があるならボケるのは後回しにせよ」と
・・・言っていた
やはり年とってからの仕事は買ってでもせよ?????
鯵庵(29.11.3)

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by ajiankyoto | 2017-11-03 07:00 | 往生 | Comments(0)

(尊勝院/粟田口界隈に続く)
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元三大師と言うのは慈恵大師(じえだいし)とも言われる
18代の天台座主良源(りょうげん)、天台宗中興の祖とも言われる
ここは元三大師をお祀りしているお堂でもある
応仁の乱の後秀吉によって再建されたとある
徳川期は住職が多賀大社の別当を務めるなど
青蓮院門跡の有力な塔頭であった

が、ここで述べたいのは平安時代の良源のことである
僧兵を多く抱えた比叡山であったが、
良源(985没)や源信(1017没)は天台本覚思想と言う教義を体系化していく
これは平たく言うと信仰中心主義であった
その後200年やがて、法然(1212没)や親鸞(1263没)、道元(1253没)、日蓮(1282没)などの僧はこの思想を超えて鎌倉時代の新しい教義を開いていく

その根元にあるのが、良源である
良源は観音の化身とも言われたりする
角大師(つのだいし)はこの良源の姿厄除けの護符である
近江の坂本や大原や京都市中の民家に見られる
この項、その護符の謂れの一端である
鯵庵(10.26)




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by ajiankyoto | 2017-10-26 09:27 | 往生 | Comments(0)

尊勝院/粟田口界隈

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粟田口(あわたぐち)と言うのは、秀吉の京の七口の一つ
三条口とも言う
東海道や中山道へ繋がる街道の口である
秀吉の時代には三条大橋の西側、今の河原町三条の交差点に近いと言われている
その後は東海道の上りとして都への入り口としての役割を果たす
蹴上(けあげ)から西へ三条大橋の方へ進むと粟田(あわた)神社がある

通りから南へ参道がある
しばらく進むと旧東海道に出る
粟田神社の参道に少し西へずれて並行してあるのが、京都一周トレイルの東山コースである
このまま登っていくと将軍塚に至る筈だが、その途中にあるのが尊勝院(そんしょういん)である
そこまで登ると、ここから京都の北山方面が望まれる
真下が粟田神社だけど、直に行けない
隣が青蓮院だけどこれも直に行けない

実はこのお寺、隣接する青蓮院(しょうれんいん)に属す、住職は青蓮院門跡とある
青面金剛(しょうめんこんごう)を祀る京都の三庚申(さんこうしん)の一つと言うことで時に見学させていただくわけである
地図では上手く見つけられない、観光から外れてしまうとこれほどのものかと思う
本当に60歳以上にはしんどい、その静すぎる尊勝院
元三大師(がんざんだいし)良源のお堂である
近江坂本の西教寺の時にも名が出てきたあの元三大師のことである

この項続く
鯵庵(10.22)



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by ajiankyoto | 2017-10-25 09:45 | 往生 | Comments(0)

祇王と仏御前(後)

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祇王、仏御前のこの話はたとえ再現フィルム風に作っても下手な役者が演じたのでは駄目である
現代を生きる人は仏の前でも差別されてきた女性ということを体現しないからである
平安時代の宗教観は貴族による貴族のものである
現代人の知らない宗教観だと思う
清盛は天下の貴族であるが祇王も仏御前も庶人である
貴族社会の庭から自ら逃れて祇王らが隠れ住んだというのは寺ではない
隠れ住むのである
しかしながら、いずれにしろはるかなる嵯峨野の山奥である
祇王寺そのものは明治になって謂れにより再建されたものである
今であっても、物見遊山だけでは足が届かない地である

論調を変えます
平家物語というのは、源氏が天下を取り戻す物語なのであるが
珍しく敗者の平家に目を向けたものなのである
二十歳そこそこの白拍子が芸能人として女として最大の評価を得て
権力者の気ままゆえの浮き沈みをまた二十歳そこそこで感じる
その逃げ道が貴族社会から逃れることであり出家であり念仏を一念とする世界である
今まで以上の長き人生を念仏だけで生きていくのと決めることなのだ
それでも往生は唯一の求める道なのだ

それが物語である
それでも何でそんな祇王の話が平家物語の冒頭に出てくるのかと言えば、女人も往生出来るという概念を訴えたいからである
この時期になって法然上人が古い殻を破って唱えた念仏往生を表しているという
祇王も仏御前もさりとて善人でもない、ましてや悪人というまでのこともない
善行・悪行よほどのこともないまでも、ただただ、往生するためには念仏一途の姿なのである
それが、既存の天台や真言の教義から超えてでてくる法然(1133-1212)の念仏思想である
平安時代に天台教義の根元である良源(元三大師912-985)や源信(恵心僧都942-1017)らが往生のあり方を唱えた
鎌倉時代に入ってより明確に庶民の宗教としての存在を明確にしてくる
それが念仏であり阿弥陀如来の力をすがる思想である
阿弥陀如来信仰はやがて親鸞によって体系化されることになる

平家物語は善人悪人平等の法然の新しい浄土思想が背景にあるというのが、我がスーパー講師の力説するところである
祇王寺は苔の色
鯵庵(9.25)





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by ajiankyoto | 2017-09-25 07:53 | 往生 | Comments(0)

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あなたの家に、この頃1円玉増えてませんか?と問われた
あとしばらく8%のややこしい数字で行くのだから急に減ることはないやろ
消費税の話かと思ったら、違った
専門医が極端に少ないもんだから、認知症の発見が一番の課題だという
講師曰く、認知症になると、家の中に1円玉が増えるという
認知症になると片づけや掃除が出来なくなる、また食べることが唯一の楽しみになるということらしい
その辺はなんとなく分かるような気がする
でもちょっと待って、それが診断なの??認知症ってそんなもんなの??

講師いわく、お金を正確に払えなくて大きな札でお釣りをもらうようになるからだという
小生、使うよりたまる、1円玉を毎日持ってかえってくる、毎日増える・・
もっぺん待ってよ、それが認知症?!
小生の部屋は足の踏みどころない、昼飯と晩酌が楽しみで生きている
その上、1円玉はめんどくさいから持ち歩かない、家に貯まってる
これみな認知症の症状だったの・・????
これから先は民間療法??

優しくしてくれる人は気が弱い、おとなしくしてる人は後ろめたいことがあると決めてるような話だ
レジで並んでる後ろの人のことも考えずに1円玉を一つずつ出してる老熟女も認知症診断からいえば逆に大丈夫かもしれない
いつでもポケットに1円玉を持って出るなら、30円分くらい必要だ
それが出来なければ小生これから、コンビニやスーパーでは「釣りはいらないよ」言うことにしようかな
鯵庵(29.9.25改)

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by ajiankyoto | 2017-09-25 06:40 | 往生 | Comments(2)

祇王と仏御前(前)

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平家物語巻第一「祇王」による
「萌え出ずるも枯るるも同じ野辺の草 いずれか秋にあわで果つべき」
祇王(ぎおう)が西八条の清盛の館を下がる(去る)時の歌である
正直なところと言えば新しく自分代わって寵を受けることになった佛御前(ほとけごぜ)への妬みだと思う
「佛もむかしは凡夫なり 我らもついに佛なり いずれも佛性具せる身を へだつるのみこそかなしけれ」
と清盛と佛御前の前で舞った
強烈な嫌みだったけど、結果は二度目の憂き恥(うきはじ)だった
祇王二十一歳尼になる、妹妓女十九歳、母四十五歳ともに髪を剃り、
"一向専修(いっこうせんじゅう)に念仏(ねんぶつ)して後世(ごせ)を願うこと哀れなり"とある
栄華を手に入れた人ゆえの恥である、憂き恥だった

ところが
「娑婆(しゃば)の栄華(えいが)は夢の夢、楽しみ栄えて何かせん・・、」
仏御前は語る
この度、地獄に沈んだら、輪廻転生とは言えど未来永劫浮かび上がる事難かるべし、一旦の栄華を誇って後生のことを忘れた生き方の哀しさに気づいて・・哀しくてと
既に尼の姿になって自分が蹴落とした祇王の前に現れた
ともに念仏して、一つ蓮の上の身となりたい・・苔の上にても念仏し往生(おうじょう)の素懐(そかい)を遂げたいと思う
それを祇王が受け入れるわけである
・・
大河ドラマ的ではなく歴史は再現フィルム的に見るべきである
大事件なのである
時の太政大臣清盛の寵愛の白拍子が、栄華の頂点にある芸能人が、一瞬にして何もかもほって蹴落とした女とともに念仏一途の生き方に帰依するのである
僧(ほぼ公務員)の修行をしなくとも、髪を落として念仏三昧の人生はおくれるのである
往時、女人は宗教の埒外であった
だから、女人でも往生できるというもう一つ大事なことを物語の最初に言ったのである
かくして、平家物語は「往生」という当時(鎌倉時代)最新の宗教観によって構成されることになる
写真は祇王寺にて
(この項続く)
鯵庵(9.23)



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by ajiankyoto | 2017-09-23 20:45 | 往生 | Comments(0)

人間は、特に庶民は統計の上でなど生きていない
この老後というカテゴリーでくくっても、中には別荘を買った人もおれば、それでなくとも500万円の車を買った人も、1000万払って世界一周の旅をした人も含まれる
いいんだよ・・ただはっきり言って統計の中に入ってほしくないのだ
月25万円という夫婦所帯の平均支出と言ったってところで、平均とは何の意味もないのである

小生の先輩は1戸建て自慢の家を処分して、介護付きの養護施設に入所した
一生そこで暮らせるかもしれないが、帰るとところがなくなった
それは離婚した奥さんも同じことだろう
結果として介護を社会に頼むことによって家族は大きな資産を失った
都市住民の唯一最後の財産は家だし、最後の買い物は老後施設だろう
やっと自分の家を売って施設に入らねばならなくなってもったとしてもだ
それでも国の統計では支出も収入も平均をはるかに超える幸せかもしれない
老人の不動産処分にひょっとしたらバブルの再来を期待する不動産屋だっているかもしれない??
ただ、くどく言えば都市と田舎では大きな差がある
老後破産や、生活保護という反対因子も浮上してきている
人生はここにきてセーフかアウトの二つしかなくなる
離婚や病気はセーフからアウトへ変わるきっかけにもなる
それでも基本的な医療や介護制度は円熟してきている
ただ、介護を受けるための単価は今後も少し進めば暴騰するだろう

老後に収入を超える生活は出来ないのは当たり前だ
年金生活をするということはそれぞれの隠遁生活をするということなのだ
娑婆(しゃば)にありながら娑婆の消費生活から離脱することだ・・
それでないと暮らしていけなくなると気付くべきだ
隠居だと思っていたら隠遁だった
なまじ予定より長生きすればなおリスクが増大する
アウトかセーフか毎回ベースを踏みながら生きていけと言う警告だと思うべきではないか
鯵庵(9.20)

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by ajiankyoto | 2017-09-20 11:33 | 往生 | Comments(0)

統計というものは右・左に山があって真ん中がへこんでいても平均値というものがある
60歳で定年を迎えて夫婦二人が死ぬまで(いわゆる老後)どれだけの金が要るだろうかという話題だ
将来の平均余命を勘案してかつ平均して夫婦で30年間暮らすという仮定だ
月の消費支出は2人で月25万円(60才以上の平均的生活)
年に300万円、30年間で300×30年で9000万円にもなる
夫婦の年金は月に20万円、30年間の年金額は7200万円になる
月に5万円は不足するわけだから、90までも生きてしまえば不足額が1800万円になる
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もちろんいくら平均だと言って、各家庭が月に5万円ずつ借金しているわけでない
この1800万円をどうして埋めるかというとサラリーマンでも幸せな人は退職金がある
企業年金も少しは上乗せできるかもしれない・・
しかしこれはもらった人の話である
すでに統計に何の意味もないのが分かってもらえるだろうか
もしもまだ統計を大事にするなら国民は60歳からまだ1800万円近くの収入を得なければ平均も維持できないことになる

退職金どころか、実際は年金額が10万円に満たない人も多い
いい仕事があって働ける人もいるし
そうかと思えば働きたくても働けない人もいる
仮にハローワークの紹介パートなら月に100時間も働いて9万円ほどである
その計算では約200か月働いてやっと1800万円・・
60歳から76とか77歳まで働いてやっとの世界なのだ
子供からの仕送りがある人ないこともないだろう、その他にも不動産を活用するとか、究極は自分に掛ける生命保険もある
一人一人の気持ちではせめて平均までは行きたいと思うだろう

それにしてもただ二人で生きていく(老後)だけで9000万円も支出しなければならないという方に改めて驚く
そんなところに世間の業者が群がってくるのがこれからの図式だろう
(この項続く)
鯵庵

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by ajiankyoto | 2017-09-18 09:24 | 往生 | Comments(0)

老人化が始まる日

小生の親父は今年で100年になる
親父が70歳の頃、小生が40歳ぐらいの時である
親父がパーキンソン病を宣告された
その時まで意識していなかった親の老後を感じた
一気に我が家族も老人化に巻き込まれたという気がした
82歳で亡くなった、今日は親父の命日だ

誰かが言っていた
老人化と我々が言う場合には3っつのパターンがあると
一つ、自分が年とること
二つ、連れ合いが年とること
そして三つ、親が年とること
親が年をとった時に老人化のすべの課題が身近になってくる

あれから30年、一世代進んで今度は私が老人になった
当時老人化はまだ家族にとっての問題だった
その間にゴールドプラン(1989年)や公的介護保険制度(1997年)がスタートした
今は、社会全体での問題となりつつある
それは子供や家族に頼らなくてもやっていける
本人の心がけ次第の老後となったというわけなのだ
ところがである、いずれ老人のための施設にも限りある
ピークに合わせた施設整備は必ず過剰なものとしてあとに負債が残る
老人世代がヘルパー世代より人口が多いということになれば
結局は家庭での自力介護に戻らなければならなくなっているようだ

戻るべき家庭があればいいが、配偶者すでになく・・子供とはなにかと疎遠では・・
自分の老人化を子や孫の老人化にすることが出来ない
いずれどこかの大部屋で一人寂しく生きていくしかなくなってしまう
もうそれは始まっている
マイホーム主義の我らの世代だった
それが最後の矜持かもしれないが・・
それがマイホーム主義のつけ払いだと気付くのはこれからだと思う
鯵庵(9.16)



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by ajiankyoto | 2017-09-16 17:42 | 往生 | Comments(0)


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西教寺というのは聖徳太子によって創建されたとも言う
良源(元三大師)の庵でもあった
源信(恵心僧都・えしんそうず・1017没)も修行したという
天台宗の阿弥陀如来の念仏道場である
室町時代に比叡山の真盛(しんしょう)上人により中興
信長の比叡山焼き討ちの後、坂本の領主となった明智光秀の援助によって再建された
我々が見てるのはその後の西教寺である

西教寺は開放的なお寺である
事務所の玄関に「戒称二門」(かいしょうにもん)の文字がある
戒とは如来の不思議な力と働きをわが身の中に感じることである
称とはその力によって活かされている喜びを念仏として外に現すことである
努めて自分の欲望を抑えて他の人との和合に心がけることである
真盛(しんしょう)上人の標榜した戒を守り一心に念仏を唱える姿勢を表したものである
この思想から鎌倉時代に至り、法然や親鸞などが育ってくることになる

ここへ来ると大津の大きさが分かる
信長は対岸安土にあって、湖を渡り坂本に上がり、比叡山を超えて京都に入る道を好んだ
最短距離でもあり比叡山延暦寺勢力を牽制出来る
もっももそれと同時に焼き討ちもしてしまった
それも合理的発想である?いずれにしろ信長の上洛ルートである
北陸・関ヶ原越えの東国からは最短距離なのだ
この道を滋賀越えとか山中越えという、当時の主要街道であったが、やがて東海道へ移っていく
信長の時代は坂本が南近江の中心都市だった

寺は坂本から比叡山横川(よかわ)に向かう中腹に立っている
坂本の町と琵琶湖が見渡せる要害の地でもある
延暦寺(えんりゃくじ)、園城寺(おんじょうじ・三井寺のこと)と並ぶ天台宗の名刹である
今は天台宗の一派から独立した天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)の本山である
なお、坂本の西教寺は兼法勝西教寺(けんほっしょうさいきょうじ)ともいう
白河にあった法勝寺(ほっしょうじ)と言うと、応仁の乱の時にほぼ焼失
その後、廃寺同然であったが、乱後約120年の秀吉の小田原攻略の年天正18年に後陽成天皇の命により山を越えた近江坂本の西教寺(さいきょうじ)に併合された
西教寺は明智一族の滅亡や念仏道場という言葉の方が重みがある
鯵庵(9.12)

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by ajiankyoto | 2017-09-12 07:45 | 往生 | Comments(0)