都会の方が住みやすい?


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日本のツバメは日本国籍である
日本で生まれて日本で育った鳥なのだ
早ければサクラの満開前線に少し遅れるぐらいで故郷に帰ってくる
京都地方気象台は市内のツバメの初見日を今年は4月3日だったと観測結果を発表している
うちの里ではまだ去年の巣が空き家のままである
それからまず番になり巣作りをしてヒナを育てる

1年中鳥の写真を撮ってる人でもツバメは撮りにくい
ましてや、ツバメのことを研究している人も少ない
日本野鳥の会ほホームぺージによれば
2000年から10年位で営巣数が3分の1くらいになっている
10年ごとに3分の1を掛けていけば・・
ツバメの餌となる昆虫が少なくなったのが原因だという
そういえば赤とんぼ(アキアカネ)が見られない県が広がっているという話をしたことがある

それは日本の田んぼ作りの構造に深くかかわっている
水田に依存しているのがアキアカネでありツバメである
その里山でもミツバチが大量死しているというニュースがあった
そこにはネオニコチノイド系の農薬が深くかかわっているという話をよく聞く
昔、タバコの葉を水に浸してニコチノイドを抽出し殺虫剤としていた時代がある
戦後はDDTがそれに続いたが、今は使われない
ニコチンは毒性が強く長く農薬として開発されなかったが
これを改良して科学的に合成したのがネオニコチノイド系の成分である
現代の殺虫剤の主成分である
1990年頃から市場に出回った

困ったことに日本はこの農薬に対する認識が低い
昆虫(カメムシなど)には効くが、人(脊椎動物)には害が少ない、というのがその理由だ
が、その頃からミツバチの大量死など、昆虫の異変が続いていると警告する学者が多い
この農薬は水に溶けやすい
土壌から作物への浸透がよく、結果、水にも土壌にも含まれることになる
今は規制も緩いので、ネオニコチノイド製品が家庭菜園や道の駅の野菜にも多く使用されている
人体への害を警告している学者もいる

親が帰ってこなければヒナは死ぬ
そんなことがいっぱい起こっている?
昆虫の激減はトンボにとってもツバメにとっても痛い
昆虫類の激減した田舎ではツバメも生きていけないのだろう
都会の方が住みやすいのならそれは大いなる矛盾である
だが、それはツバメだけではない
写真はハボタンの花
鯵庵(4.24)



by ajiankyoto | 2017-04-24 07:59 | 都市 | Comments(0)

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「京都で生きる」で書いたMさん、ブログを始めてからしばらくたつ
小生も機会あるごとに目を通している
仕事や暮らしの日常の中に、街や人を見る女性の目が光っていて、参考になる
東京のサラリーマン男性と一緒になって子供と一緒に大阪転勤についてきて、おかげ(?)で大阪で離婚
両親のいる東京に帰るかと思いきや大阪の社宅を出るついでに京都で仕事を見つけた
今は、京都で大学生と高校生の子供二人を育てている
小学校から京都の私立に通っていた長女が気丈にも「お父さんがいなくとも京都でならやっていける」と言った
それなら自分も二人の子供と暮らしていけると思った、と言う

京都人になろうと思ったら思い切れたと言う、不思議な力を持った人だ
自然の黒髪もさることながら、きれいな標準語に周りの誰も気づかない
溶け込むように目立たない
もちろん旅行者みたいな東京育ちのアクも嫌味もない
教養の都で培った教養は腐らない?京都も昔はそんな香り高い人を育てていた町だったんだろうと思った
その一方で都の修羅場を引き受けてくれているのが東京である
元のご亭主はこちらでの仕事も上手く行かずに修羅場の東京へ帰って行った、ということらしい・・

街というのは人を受け入れてくれるところのことである
逆に言えば受け入れの下手なのが田舎だともいえる
人生の節目に住むところを選べるということはそう何度もあることではない
その中で都市の持っているイメージは重要だろう
ただ、自分に本当に自分にあうのだろうか、それは分からない

MさんとMさんの娘さんが京都を選んだのは、京都に通学していただけのことかもしれない
新しい暮らしの場所が必要だっただけのことのかもしれない
そんなときに、東京も大阪も、温かく受け入れてくれるいい街だ
しかし、同じ都市でも京都は京都の方から寄ってきてくれる街だ
街には、向こうから近づいてきてくれる街というのがある
というようなことが書いてあった
人は街をさまよっている
ただ、花を求めてさまよってるのではない
人生の転機にこそあいたいそんな街が沢山ある国が豊かなのだろう
鯵庵(4.8)



by ajiankyoto | 2017-04-08 08:23 | 都市 | Comments(0)

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「東京の下町のおばさん」が言う
「わたしゃもうテレビは観ないよ」だって、「・・今は東京の人が出てないもの」だって
少し突込みを入れさせていただきます
いつの時代にテレビに東京の人ばかりが出てたのでしょうか??!!
昔、テレビには東京の人ばかりが出ていたという根拠が分かりません
その心は何でしょうか、ひょっとして芸人連中のこと言ってるのではないのでしょうか
こんなこと言って芸になるのは・・内海桂子師匠ぐらいなら分かる

東京は日本の首都、全国から人が集まって来る
人の増える歴史を歩んできた町、それを都と言います
そして、勝ち残った者が住民として暮らしている街
言うてみれば昔の京都(ただし、秀吉の時代まで)
国の政治をするところが首都といわれる
当然、国会議員だけでなく、大会社も、商店も、放送局も、当然毎日テレビに出ている芸人もが暮らすのが都である東京である
野心と向上心を持った人たちが、テレビで毎日ピエロ役をやりながら・・成功すれば東京人になっていくのです

それとも、吉本の芸人を大阪の人間と決めてかかってるのじゃないですか?
京阪神の人間は皆野球しか分からない阪神ファンだと思い込んでるのと同じことです
品性と感性は都市として皆持っています
都市は全国にありますが、それが一極集中のこの世の中、東京だけが移民の大都市です
近頃、そのことを身をもって示してくれた人がいるではないですか
あの混同さん、別の名を舛添さんって言ったかな?
受験戦争に勝った時から東京人を目指して一途にここまできたあの人も、吉本の芸人と同じじゃないですか

それにあれほど毎日テレビに出てたじゃないですか
知事が東京の人でなければ誰が東京の人なのでしょうか?
しかも、その尊大さもすっかり吉本芸人顔負けじゃないですか
サラリーマンだってクラブのホステスだって同じこと”売れるものは皆売り”ます
何んとか滑り落ちなければ、いずれいつかは「東京の下町のおばさん」のように東京人になっていくのです
こんな話は全国共通だっせ、どこにでもありまんがな

でも、下町のおばさんってことわるところが臭い
こんな人に限ってひょっとしたら、山の手の上流階級文化人かも?
それなら失礼しました
写真は孫娘のサイコロ、1が出たら上がり(東京)と教えている
鯵庵(28.7.6)

by ajiankyoto | 2016-07-06 06:00 | 都市 | Comments(0)

伏見一揆を忘れまいぞ

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徳川体制に入って京都や伏見は天領(直轄地)になった
伏見奉行は大名格の者が務め、伏見の町政、近国の司法などを所管する幕府の高級官僚である
元和(1622)の頃、伏見奉行を務めたのが小堀遠州、もと秀吉の弟豊臣秀長に仕えていたが徳川体制にも大名で残る、近江の国で小室藩(長浜市)主となる、元来、作庭・茶の湯の名人である

伏見の町政を預かって公金横領の重大嫌疑がかかるが、この時は名のある茶人大名で不問となる、その後茶の湯三昧で伏見の観月橋近くの豪勢な屋敷で生涯を終えたとある
それからほぼ160年(安永8年・1779)の伏見奉行、小堀政方(まさみち)の悪政と苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)を幕府に直訴する事件(一揆)が起きた
天明5年(1785)伏見の年寄文殊九助(もんじゅくすけ)ら七人らが禁を破って伏見を脱出、江戸に出て幕府に直訴、だが例によって2年の後江戸にて獄死した
この伏見奉行小堀政方は件の大茶人小堀遠州から7代、近江小室藩第6代領主、時の老中田沼意次(たぬまおきつぐ)派で大番頭を勤め幕閣でも羽振りが良かった
が、とんでもない食わせ者だった、先祖かえりして奉行は領主と同じだと勘違い
御用金10万両を小室藩の財政立て直しのためにと調達・流用・浪費がばれた

幕府直轄領伏見に幕府の目は届いていなかったが、さすがに今度は伏見奉行を罷免した
今なら政権が変わるほどの大汚職事件である
現に、翌年田沼が失脚した後、松平定信(まつだいらさだのぶ)により近江小室藩は改易(かいえき)となり消滅した
という前段が天明伏見一揆、町人一揆の代表的事件である
〝伏見義民事跡″として御香宮神社の片隅に碑がある

一方、御香宮はその先祖小堀遠州による作庭が自慢でもある
この場合、作庭や茶の湯は為政者の道とは別のものだったと知っておけばいい
現代でも政治が好きな文化人には注意した方がいいのは皆の知るところ
庭師や茶人を大名にしたつけを払うのに160年かかったことになるのだから
写真は伏見の酒蔵
鯵庵(28.5.12)


by ajiankyoto | 2016-05-12 07:50 | 都市 | Comments(0)

京都の庭園は自然志向?

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京都府立植物園は大正12年12月に完成・開園したとある
京都で代々お世話になったということで三井家10代当主八郎衛門、男爵でもあった三井高棟が大正天皇の即位の記念事業に京都府に多額の寄付をして完成させたものであると碑文にある
今は北山通と北大路通の間にある
が当時は下鴨、上賀茂二村の間にあった半木神社の鎮守の森であったという
哀しいかな戦後は12年間も連合国進駐軍に接取されていた
あの地に進駐軍の将校の家族の住宅が建設されていた
彼らは森や林の中の家を理想とする

昭和36年今から50数年前に植物園として再開したとある
我が国の自然保護は鎮守の森に始まると唱える人がいる
人々が安直に手を入れることが出来ないのが神域である
たとえ子供の遊び場であっても森が守られてきた謂れがある
船岡山もそうだし上賀茂の裏山や下鴨の糺の森などのことを思えばいい
原生林の名残である

ちまちました庭園を作ったって森や林にはなりはしない
京都へ来てお寺や別荘の庭園を見て、自然が一杯だと感心する人は多い
だが残念ながら、それは大いなる勘違いである
庭園は人工物である、自然とは対極にあるものなのだ
そもそもが都の中は人工物のかたまりなのだ
それが都市だった
都市は時に拡大し時に縮小しその歴史の中で残されたものなのだ
そんなことを考えるときに元鎮守の森だった植物園の木々や花園の意義は大きい
いかに自然に、自然らしく見せるのかと言うことをテーマの一つにしている

ただ、いつもながら・・いかにもそれらしくしようとあっちを掘ってみたりこっちを掘ってみたりしているのは余計なことだと思ってしまう
またそういう工夫したところほど枯れたりする
どうしようもないほど茂ってしまえば植物の勝ちである
そんなところが残るだろう
人間が変に手を加えずに100年もたてば自然と言ってもいいようになる
鳥や昆虫にも優しくなければならない
そんなところは春夏秋冬美しい
写真は植物園でも見ることのできないキクナの花
鯵庵(28.5.7)

by ajiankyoto | 2016-05-07 20:21 | 都市 | Comments(0)

火盗改め鬼平の京都

江戸で活躍の鬼平が20年ぶりで京都へ来る
当時、西町奉行に就任(1772)した父の赴任と従って足掛け2年を平蔵の家族も京で暮らした、という話である、
平蔵の父もその後の平蔵も徳川の実在の官僚だったからそこまでは史実とほぼ重なる

それから20年その父の墓参りにやってきたのは小説だけのことだろう
テレビは何度も再放送されている、「艶婦の毒」と言う題であった
艶婦とはお豊と言う西国をまたにかける盗賊団の引き込みで、若いころの平蔵に京都で出会った
”お前がおれば主もいらんし親もいらん”と言わしめた相手であるが、平蔵にとっては若い時の京都での大失敗である
女優山口果林がいい40女を演じている
何んとテレビ映画「鬼平犯科帳」平成6年(1994)約20年も前の作品だ
その女を幕府のお先手弓頭兼火盗改めに出世した鬼平が20年後の京都でまた見かけたて捕えた
女優が誰であろうと、小生なら昔のよしみで見逃してやる
鬼平は自分の若い頃と京女が憎かったに違いない
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鬼平年譜によれば京都で暮らした20年前の平蔵は結婚して息子辰三が出来ていた
父がも少し長く奉行を務めておれば、京都で暮らしてたかもしれないが、早々と父の役宅をたたんで江戸へ帰ってしまう
1年にも満たない京都暮らしであった
京都では大言だけを残した人であった
世は田沼政治の時代、28歳で長谷川家の当主となるが、無役の旗本、それからしばらくまた放蕩が始まるという、ところがやがて幕臣として頭角を現す
その上昇志向は大言壮語だけでなく三河以来と言う長谷川家の家柄によると研究者は言う
思えば地方都市京都では暮らせない人であったと思われる
明治になって都が東京に移るまで京都は都だったというのは京都人の意識的な勘違いである
鬼平の時代には既に古都だったのだから・・
写真は線香
鬼平の再放送ばかり見ている鯵庵(28.5.6)



by ajiankyoto | 2016-05-06 07:41 | 都市 | Comments(0)

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嵐山に観光に来て、川しかないとがっかりした人がいる
新緑のこの季節は藤の花が見える山もあるやんかと反論しても意味がない
それがどうしたということになる
川しかないから船しかない
遊覧船の船頭さんが国内の観光の人には言うらしい
「お客さんが国の人でよかった、嵐山のいいとこを案内出来る・・外国のお客さんは話が出来ないから同じ船をやっても肩が凝る」と言うことだ
外国の人には黙って竿を扱っているだけらしい

ベンチャラなのか愚痴なのかわからないので、お返しで一番いいときはと聞いてみたら
やはり、夏の鵜飼の時だという答えが帰ってきた
「岐阜の長良川には負けるが大分の日田と並んでここは盛んだ」と話が弾んだ
我が国の三大鵜飼に入ろうという勢いだった
嵐山は千年も前から都人の最大の行楽地、鵜飼の歴史は記紀や万葉集にもある
観光資源としての鵜飼で今更虚勢を張らなくとも差し支えない

昔から嵐山は川に船を浮かべて遊ぶところなのだからそれでいい
季節の移り変わりを優雅に楽しむところだ、そのための船頭さんだ
丹波亀岡盆地の水はこの川一本で京都盆地に入る
その気になれば大堰川の由来やら、近頃の水害の謂れなどこの川だけでも講釈のネタはいくらでもある
人力車のお兄ちゃんもそうだがあまりごちゃごちゃの説明をしてくれなくともよい
その方が楽しめる、言葉の分からない外国の人の方が素直に楽しんでいるのかもしれない

富山に住む友人富山氏夫婦は久しぶりの嵐山観光を終えて、今京都駅前で小生夫婦と飲んでいる
・・でも日本語で会話出来たのはあの船頭さんだけだったと海外旅行みたいな話になった
外国人ばかりで嵐山も京都も肩が凝るという話だった
早々と小生の家で飲みなおすことになった
写真はボタンが咲いた
鯵庵(4.27)


by ajiankyoto | 2016-04-26 07:43 | 都市 | Comments(0)

ツバメは日本から来る

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大阪の造幣局のような八重桜の名所が京都には少ないせいか、サクラの話題も終わりかけている
京都の今年の満開日は4月2日で平年より3日早かった
早くも遅くも約1週間のことである、過ぎてしまってから言う訳ではないが、そう騒ぐほどのことではない
京都気象台がツバメの初見を発表している、満開の次の日、4月3日だった
南の方から上がってくるのだから、当然だけど・・ツバメ前線というのもあるのだ
素人がちらっと調べてみるとサクラの開花とツバメ前線は重なる
もっと言うとツバメ前線は満開に前後してやってくることが分かる
桜が咲いて、田んぼを始める、そのタイミングなのだ
ツバメはオスが数日早くやってくるということだ、その後家族になる一団がやってくる
その間に人の目に触れる、今年もほぼ今頃だ
ソメイヨシノはクローンである、ほぼそろって開花する、が
ツバメはオンとメンの遺伝子を受け継いでいる、個性的でもあるが一羽ごとの命なのだ
それゆえか、日本に来るツバメはびっくりするほど減ってきている
イタチや蛇やカラスに狙われ続けている、ツバメは戦うことを放棄した鳥
だから人の近くでしか生きていけない
廃屋の村でもサクラは咲くしカラスはいるが、ツバメはいない
過疎こそはツバメの天敵なのだ
都市のツバメは開けっ放しの駅に巣を作る
ツバメが暮らせるところが人が暮らせるところだと言ったら言い過ぎだろう・・か
日本で子供を育てるツバメは日本の鳥だ
ツバメは南から来るのでなく、日本から来るのだ
むかし田舎から出てきた我らである
後を追ってきたツバメぐらいは最後まで守ってやりたいものだ
写真はヤマブキ、ツバメが来るのと同じころに咲く
鯵庵(28.4.12)


by ajiankyoto | 2016-04-12 09:44 | 都市 | Comments(0)