明治になって陸上の乗り物の文化が先進諸国から入ってきた
その最たるものが蒸気機関車である
蒸気機関は日本でも明治と言う時代を象徴する文化になる
一方、明治の和風文化は"人力車(じんりきしゃ)"と言う奇態(きたい)な乗り物を発明した
奇態というのは人が動力となって人を乗せて走ることである

こんな発想はヨーロッパやアメリカにもなく、これを見て欧米人は驚いたと言う
本来なら馬車である、が、まさに和風文化である
お抱え駕籠かきの延長である

明治維新は身分制度のご一新でもあった、人力車では揺り戻しでもある
明治も半ばになって学習院小学校の校長をしていた乃木希典が華族の子弟が人力車で学校に通うのを戒めたという

それよりもそれから百数十年たって、観光都市京都にまた人力車が走る
いっそ牛車にすればよかったのにと思ったりする
逆しまなことと、思っていたらテレビでもやっていた

特に苦情もないらしい
グローバルとかインバウンドとかゲストハウスなどなどカタカナで言い出すと奇態な業者が活躍しだす

京都も今、改めて文明開化の時代を迎えている

けったいな街に変貌しようとしている


人力車の原型も牛車にある?・・だが、軌道文化ではない

文明はエンジンというものを開発したのにと思う
それはさておき・・その当時の京都は人力車などに見向きもせず、軌道文化しかも、蒸気を越え一気に電力に走った
それは琵琶湖疏水の賜物であった
公共の事業というものはそういうものであった
そのころの文明というものは、政治家に科学者にもましてや庶民になどとてもやないけど見えるものではなかったのだ


この項続く
鰺庵(7.5)



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by ajiankyoto | 2017-07-05 11:20 | 都市 | Comments(0)


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契約中の客に迷惑電話をかける神経が理解できない
家にも、めったにかかってこない小生の携帯にもよくかかってくる電話なのだ
光回線だ・・いつまでたっても客の拡大に明け暮れている
それは仕方ないが、すでに契約済みの人に新しいサービスを勧めているのだ

「既に契約してます」というと「契約者にお得なサービスのご案内をしている」という
「もうそれは結構です」というと、その「不要な理由はどういうことか」と聞き返してくる
(これは迷惑電話ではない、どこで何を聞いたか知らないが、こんないい話に乗らないあなたは馬鹿だ)と言いたげだ
こっちははっきり言って、(いかな大会社でもこれ以上の深い付き合いはしたくない)の一点なのだ
毎回こういうセールスに乗せられてここまできたが、結局乗り替えごとに損をしている
が、契約が長期間になればもっと損をする
日本を代表する大会社にしては、商売の王道から外れている

しかも、新しいサービスというのはマンション暮らしのサービのようだ
通信業の本業から離れてしまっている
たとえ、本当にいいサービスであっても通信会社の思惑は契約者の囲い込みだろう
また、新たな思惑違いのトラブルのネタになるだけだ
世間に苦情が広まらないうちに契約してしまいたいのが本音だろう
通信事業者の契約者に対する一番のサービスは値下げだろう
あれほどの店舗を抱えても多くの会社が空前の利益を上げているのだ
多くの家庭が家計の支出の内、通信費が税金を超えてしまっている
そのことの異常さが今の世の異常さなのだ

毎日休みなく電話をかけるのも仕事だろうけど・・
出来れば、最後まで恨み言も聞けるような仕事をするべきである
そうでなければ自分が何をしてるのか最後まで分からない
その時はまた新しいものを売りこんでいるってというのでは虚職である
通信業は虚業になってはいけない業種だ
ずっと昔の電電公社の民営化の痛いつけを国民が払っているようにも思えたりもする
鯵庵(6.29)

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by ajiankyoto | 2017-06-29 19:00 | 都市 | Comments(2)

逢坂山の関跡の休憩所で見た車石の図を簡単にスケッチしました
一つの石は30センチ掛ける60セントほどで厚みも20センチ以上
これを車輪の幅に合うよう2列に並べたものである
別の文献によると軌道の幅は4尺5寸(136.3センチ)
溝は半円形に穿ったものや牛車の通行で自然に出来たものもあるらしい
石材の違いによる?
江戸時代中期これを大津から三条大橋まで約10キロ、5、6万個も敷き詰めたものである
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舗道は古代ギリシャやローマでも当然のように文明の象徴でもある
舗道の厚みは日本の現代の車道と同規模だも言われる
ある研究者によると、文明国でありながらわが国の江戸期は舗道の文化が発展しなかった
それは日本人は昔から牛や馬を去勢して使うのを好まなかった
馬は何とか調教によって使いこなせるが、力は強いが牛は使いにくかった
牛車の牛が大暴れするのを平安時代の昔から経験している
だから都市では馬や牛を使う交通手段は危険なものとして禁じられていたことによる、とある
乗り物は駕籠であり、荷物は大八車である
ほぼ人力に頼る交通文化だったといわれる
それが舗道(ペーブメント)が発達しなかった理由だということだ
この項続く
鯵庵(6.25)




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by ajiankyoto | 2017-06-25 17:23 | 都市 | Comments(0)

京都のカラス

お巡りさんが何人も出てきている
子供達は通行止めだ
何んとカラスが通行人を襲った
その加害者がまだ電柱の上から下を見ている
真昼間の犯罪である
カラスは雑食で賢い
田舎でも都会でもはびこった
だが、人を襲うのは余り聞かなかった
鴨川近辺ではトビが弁当を狙って急降下してくる
カラスも周りにいる
が急降下の芸はないながら、賢いカラスがそれを真似たのかもしれない
立ち食い人種が増えてカラスが学習したのかもしれない
しかし、餌を襲うのと人を襲うのとではまるっきり違う

京都では今年はまともにツバメを見ていない
関係しているかもしれない
ツバメにとってはカラスはもともと天敵である
人間を恐れないカラスがいたらツバメも巣を守るすべはない
お巡りさんが今はカラスを見張っているが、武器はない
そこまで来たら、人がツバメを守ってやれなくなっているということだ

カラスだって人を恐れていた
悪いことをするとしても人の目を盗んでである
カラスもここで生きてるわけだから・・
人間社会のルールを守れる限りは許される場合もある
生存のための動物の進化は人間の比ではない
世代交代が進めば、やがて人を襲う遺伝子を持ったカラスがはびこるだろう
人の目を盗むのと人を襲うのには大きな隔たりがある
夕方遅くまで鳴いている声は不気味であるが・・
多くの人がその違いに気づくのにはまだ間があるかもしれない
カラスに限らず、必ずこんな風にした人間がいる
京都もやがてカラスの街になろうとしている?
鯵庵(6.20)







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by ajiankyoto | 2017-06-20 06:33 | 都市 | Comments(0)

視角50度の都市

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時代劇の楽しみ方の一つでもある
小生が鬼平や秋山小兵衛を好きなのは読者さんの知るところである
どちらも江戸の文化を表現したものである
田沼意次(たぬまおきつぐ)から松平定信(まつだいらさだのぶ)が幕府政治の首班を勤める時代である
もっとも江戸文化の爛熟期と言える時代である
庶民も生き生きしていた
その気になれば庶民も文明文化というものを享受できるのが平和である
そんな時代だと思って見ている
不思議なことはその撮影が京都の撮影所で行われていることだ
京都は時代劇の装置がたくさん残されている

もちろん明治以降の京都は全国のどこよりも時代を先取りするものが多かった
東京は明治以降、明治以降の新しい文化に覆いつくされたのに比して
京都は政権の名目も失うことによってそこで止まってしまったものがある
それは、やはり古典的江戸時代文化なのである
もっと言えば、江戸時代の京都が最も京都らしい時代だったのではないかと思う
その遺産があちこちに残っている
そう考えるべきではないだろうか

ただし・・それはきわめて断片的である
だから、写真や映画のロケに向いているのだろう
大覚寺での時代劇ロケに出くわしたことがある
人間の目に馴染むような描写をするそのカメラの画角は40度から50度位である
カメラの画角はカメラの映る範囲だけが時代劇であった
その角度に主人公や通行人やバックの建物などが上手くはいればいい映像になる
残りの角度がスタッフや見物人やビルや電柱の生臭い現代である
しかもこま切れ映像を繋げて時の流れまで連続して見せてしまう

しかし、人間の眼は首を回せば最大360度である
この頃そう思って時代劇を見れるようになった
今の、京都観光と同じではないか
現実と実生活の中に点在する非現実的な江戸空間を探しているような気がする
それが京都の魅力だと言ってしまえばそれまでだが・・
たった50度の世界に過ぎないとも言えるのではないか
だが皆が同じ50度を見ていたのではいつか京都も飽きられる
再放送ばかりの京都観光になってしまうとすれば哀しいことである
鯵庵(5.30)



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by ajiankyoto | 2017-05-30 05:30 | 都市 | Comments(0)

都会の方が住みやすい?


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日本のツバメは日本国籍である
日本で生まれて日本で育った鳥なのだ
早ければサクラの満開前線に少し遅れるぐらいで故郷に帰ってくる
京都地方気象台は市内のツバメの初見日を今年は4月3日だったと観測結果を発表している
うちの里ではまだ去年の巣が空き家のままである
それからまず番になり巣作りをしてヒナを育てる

1年中鳥の写真を撮ってる人でもツバメは撮りにくい
ましてや、ツバメのことを研究している人も少ない
日本野鳥の会ほホームぺージによれば
2000年から10年位で営巣数が3分の1くらいになっている
10年ごとに3分の1を掛けていけば・・
ツバメの餌となる昆虫が少なくなったのが原因だという
そういえば赤とんぼ(アキアカネ)が見られない県が広がっているという話をしたことがある

それは日本の田んぼ作りの構造に深くかかわっている
水田に依存しているのがアキアカネでありツバメである
その里山でもミツバチが大量死しているというニュースがあった
そこにはネオニコチノイド系の農薬が深くかかわっているという話をよく聞く
昔、タバコの葉を水に浸してニコチノイドを抽出し殺虫剤としていた時代がある
戦後はDDTがそれに続いたが、今は使われない
ニコチンは毒性が強く長く農薬として開発されなかったが
これを改良して科学的に合成したのがネオニコチノイド系の成分である
現代の殺虫剤の主成分である
1990年頃から市場に出回った

困ったことに日本はこの農薬に対する認識が低い
昆虫(カメムシなど)には効くが、人(脊椎動物)には害が少ない、というのがその理由だ
が、その頃からミツバチの大量死など、昆虫の異変が続いていると警告する学者が多い
この農薬は水に溶けやすい
土壌から作物への浸透がよく、結果、水にも土壌にも含まれることになる
今は規制も緩いので、ネオニコチノイド製品が家庭菜園や道の駅の野菜にも多く使用されている
人体への害を警告している学者もいる

親が帰ってこなければヒナは死ぬ
そんなことがいっぱい起こっている?
昆虫の激減はトンボにとってもツバメにとっても痛い
昆虫類の激減した田舎ではツバメも生きていけないのだろう
都会の方が住みやすいのならそれは大いなる矛盾である
だが、それはツバメだけではない
写真はハボタンの花
鯵庵(4.24)



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by ajiankyoto | 2017-04-24 07:59 | 都市 | Comments(0)

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「京都で生きる」で書いたMさん、ブログを始めてからしばらくたつ
小生も機会あるごとに目を通している
仕事や暮らしの日常の中に、街や人を見る女性の目が光っていて、参考になる
東京のサラリーマン男性と一緒になって子供と一緒に大阪転勤についてきて、おかげ(?)で大阪で離婚
両親のいる東京に帰るかと思いきや大阪の社宅を出るついでに京都で仕事を見つけた
今は、京都で大学生と高校生の子供二人を育てている
小学校から京都の私立に通っていた長女が気丈にも「お父さんがいなくとも京都でならやっていける」と言った
それなら自分も二人の子供と暮らしていけると思った、と言う

京都人になろうと思ったら思い切れたと言う、不思議な力を持った人だ
自然の黒髪もさることながら、きれいな標準語に周りの誰も気づかない
溶け込むように目立たない
もちろん旅行者みたいな東京育ちのアクも嫌味もない
教養の都で培った教養は腐らない?京都も昔はそんな香り高い人を育てていた町だったんだろうと思った
その一方で都の修羅場を引き受けてくれているのが東京である
元のご亭主はこちらでの仕事も上手く行かずに修羅場の東京へ帰って行った、ということらしい・・

街というのは人を受け入れてくれるところのことである
逆に言えば受け入れの下手なのが田舎だともいえる
人生の節目に住むところを選べるということはそう何度もあることではない
その中で都市の持っているイメージは重要だろう
ただ、自分に本当に自分にあうのだろうか、それは分からない

MさんとMさんの娘さんが京都を選んだのは、京都に通学していただけのことかもしれない
新しい暮らしの場所が必要だっただけのことのかもしれない
そんなときに、東京も大阪も、温かく受け入れてくれるいい街だ
しかし、同じ都市でも京都は京都の方から寄ってきてくれる街だ
街には、向こうから近づいてきてくれる街というのがある
というようなことが書いてあった
人は街をさまよっている
ただ、花を求めてさまよってるのではない
人生の転機にこそあいたいそんな街が沢山ある国が豊かなのだろう
鯵庵(4.8)



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by ajiankyoto | 2017-04-08 08:23 | 都市 | Comments(0)

シイタケの春子

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春子というのはシイタケである
今でこそいつでも手に入るようなものであるけれど
ほだ木のシイタケの旬はこの3月・4月と秋である
冬の山の湿りと春になって空気も湿りだすとぼこぼこと出てくる
厚みがある、色つやもいい、触れば肌に水気ある若妻だ、だから春子という
サクラの花が咲く前のこの季節に丹波からのシイタケが届いた
シイタケのレシピはいろいろあるが、
小生は生乾きのままシイタケそのもの焼いて食うのが一番だと思っている

昔、茸源(じょうげん)という健康飲料が薬屋で売っていた
シイタケの根の部分に相当する酵素エキスを培養した栄養飲料である(ごめん上手く説明できない)
友人ががん予防にとよく飲んでいた
Amazonで見れば今でも売っている、やはり少々高い・・
二日酔いにも、と言ってあの茸源を飲んでいた友人どんこ氏は定年後に田舎へ帰った
ひょっとしたらマッタケが届く日も来るのかもしれない
写真は届いた春子
鯵庵(3.28)


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by ajiankyoto | 2017-03-28 08:57 | 都市 | Comments(0)

普通陽性にこだわる

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「酒の飲める女は器量よし」の三条カルチャーのスーパー講師の話の続きである
明るい性格はいいことだろう
陰と陽は半面性を持っている
陽性には「複合陽性」と「単純陽性」がある
明るいだけでは価値がない
努めて明るくするのも意味がない
私は「普通陽性」と言い、それにこだわるとスーパー講師M女史は言う

毎日暮らしているときには感じないが、京都の人はほぼ誤解の中で生きている
昔、都だった(あるいは国際観光文化都市)ことを自慢しているといわれる
京都人なら「そうどすな」と言えと言われる
京都の市民はそんな言葉は使わない
花柳界なら言うかもしれない
「そやね」と言ったら大阪弁やと言われたと、女史は語る
その女史、東山界隈散策で試しに人力車に乗ると
全国を回って来たという精悍真黒な車屋の兄さんに
お客さんはどこからですか?と聞かれたので
”いけず”のつもりで「東京どす」と答えた
「遠くの人で良かった、京都を案内しますね、京都の人はこの辺のことよく知っていて、その上裏表があって嫌いなんです」と
どっちが”いけず”や
その上教えてくれたのはNHK大河ドラマの寄せ集めやったけど
とても歴史ではなく、〔パロディ×漫談÷パロディ〕で面白かったと
ただし、お客は一見(いちげん)さんに限られるやろ

明るさにも暗さにも段階があり方向がある
こんな坂の多い街を大人二人も乗せて自分の足でベンチャラ言いながら走り回ることは客の3倍以上の体力と人格がいる
そんな立派な人が自分の個性は一つも見せず、明るくぺちゃくちゃ喋るのも悪いことではない
そんな明るさを「複合陽性」と言うみたいだ
でも、京都にはすこし静かな話好きの車屋さんでないと似合わないと注文をつけてきたという
やっぱり私は"いけず”な女になってしまう、と講師が語る
いけずついでに
「"皆が京都に憧れていると京都の人は皆思ってる”ということが、世間の誤解のはじまりだ」と言うのだが???
鯵庵(10.11)




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by ajiankyoto | 2016-10-11 08:25 | 都市 | Comments(0)

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もう観光地京都を見てしまって、見るとこがないと堂々と言う人が増えてしまった
京都嫌いは構わないのだけれど、市民にしてみれば見てしまったと言われるのはつらい
大したおもてなしも出来ないけどそれじゃうち(我が家)へ泊まってくださいと言いたくなる(言いたくなるだけ)
見るところがないというけど、見るべきところは何処だったのでしょうね

京都はすでに観光客の数には不自由していません
でも、それだけではやっていけないのがビジネスです
鉄道だってホテルだってレストランだって土産物屋だってそうなんです
失礼ながら観光寺院だってそれが経営の上で効果的なことを知ったわけです
業者が用意してくれるものは言い換えればそれは多数という名の客が教えた答えなんです
京都の観光業者の気質は京都に来る人(もちろん京都の人も含めてです)の一番多い期待を反映したものだと思います

実は業者も学んでいるのです
特に観光業というのは、結局は一番多い悩みを探してその答えを用意するのを業とするものです
読みが当たれば商売が成り立つわけです、毎年その繰り返しで学習した結果なんです
そんな京都が嫌いだという人も増えてきました
この頃やっと旅人の大多数が実は個性的な少数派だとわかってきました
それでも、市役所も観光業者も犬が羊を追うように群れを見てるわけです

そこが落とし穴なんです
観光業は観光客それぞれの期待には永遠に応えられない業種なのです
割り切れない一人一人の割り切りを合算して加重平均したものしか用意してくれないのです
″皆が行きたくて誰もいないところ”を観光業者に探してもらうなんてものは大きな矛盾です
が、結局はあなたの思いとはミスマッチの結果に終わります
それはもはや旅ではありません
人生でも同じようなやってませんか、そっちは精神科の問題ですけど
店や業者は割り切れない多数の一見さんを相手にそれで商売が出来るのですが
市長や市民までが群ばかり見て浮かれてしまっては気付けないことになります
写真は杖と壺、壺が大きくて杖立てに使えない
鯵庵(8.22)


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by ajiankyoto | 2016-08-22 07:41 | 都市 | Comments(2)