b0355451_08031004.jpg
京都の街中の小さな商店街で魚屋をしている淀屋(仮称)さん夫婦
朝早くから中央市場での買い出しに始る
もちろん三枚にも下ろしてもくれるし刺身もある
ある時から唯一の従業員が辞めて、そのかわり奥さんが店に出ることになった
しぶしぶのところもあったが土地柄奥さんの方が受けがいい
おかみさんぶりで商いも上手い
そのうちお客さんの希望を聞いて魚を煮たり焼いたり、ウナギもアユも仕入れてきたり
ちょっとしたことは仕出し屋みたいに適宜やってくれることようになった
正月前など大忙し、場所柄もあるがそんなこんなで他の店をよそ目に今も繁盛している

魚屋は新鮮さが命、そればかりで商売していたおやっさんの時代は利幅が薄い
おかみさんが加わってから、売り物が増えて客が増えてロスが少なくなった
それだけで商売が上手く行くとは限らないが、おやっさんはますますいい魚を選んで買ってこれるようになった
刺し身の活きがいい、直前にさばいて、しかも欲しい時にバイクで配達してくれる
あそこの魚はいいという評価を落とさなくて続けられたわけである
おやっさんは、活きのいい品物を提供したいという論理、おかみさんはみんなに喜んでもらえるものを提供したいという論理

あくまでも商売の上ではあるが、おやっさんの論理は良いものと悪いものを区別したい男性原理
一方おかみさんは何でも受け入れることのできる女性原理、だが、その特徴はおやっさんの論理を抱擁しているところにある
許容力の論理と言ってもいいのではないか
男性だから男性原理、女性だから女性原理という訳ではない
世の中はまま反対のこともある。

たとえば、おやっさんがそのまま続けていたら・・
イイものはいいダメなものはダメという論理を持ちこたえられなくなった時
結局はあそこの魚は鮮度が落ちたなあ・・と言われるようになったかもしれない
鮮度と美味しさは比例するとも限らない、料理人並みの理屈を言うのは魚屋の堕落だ
女性原理のまねをしても上手く行くということでもない
ならば、ということで・・そこはおかみさんの仕事
だからと言っておかみさんが仕切っているのでもない
淀屋はおやっさんとおかみさんがいて成り立つ訳である

そういえばいかにも無難な結論・・?
実は包容力だけでなく知恵や力のない論理は女性原理でもないのである
今回はそれを言いたかった
鯵庵(4.5)

by ajiankyoto | 2017-04-06 08:00 | 男と女 | Comments(0)

母親みたいな男

〝アカンもんはアカン″のやけど、だからと言ってほとんどの人は、家で言えないようなことを会社でも社会でも言えるはずがないのではないだろうか
会社の延長が家ではなく家の延長が会社になっているのではないか
家でも会社でも戦わない論理は元来平和主義の女性原理から来たものである
日本の女性は昔からそんなこと折込済みだったのだ
男どもは甘えて威張ってればいいのに、急に理解のあるようなことを言う
b0355451_20181072.jpg
そんな男の相手をすることは日本女性にとって物足らないことなのに、気の利いた女性は決して言わない
家でもう一人の母親みたいな男の背中ばかり見せられた子供たちこそ不幸であり、かくして男性原理は廃れ、男も女も女性原理的平和主義と平等主義で生きていくことになる
それが不幸だと言っているのではない
ただ、それでは新しいいい女性が育たないのだ

写真はだるま寺(京都)にて
鯵庵(4.4)



by ajiankyoto | 2017-04-04 07:29 | 男と女 | Comments(0)