黄檗山萬福寺・無常迅速

京都からこの頃外国人で混むJR奈良線に乗る
伏見稲荷が人気らしい、多くの人が降りる
幸運なことに黄檗(おうばく)まで行く人は少ない、黄檗には萬福寺がある
江戸時代に中国から来た隠元が開いた禅宗寺院である
建築だけでなく今も修行や読経には中国風を残しているといわれる
回廊に掲げられた大きな魚板が看板である、開ばんと言う(ばんの字は木偏に邦と言う字を書く)
その他にも数か所巡照板が下げられていた、これも寺での日常の合図に使う、
説明書きには朝夕起床・就寝の合図にこれを打って一山の僧が唱えるとある
謹んで大衆に白す
生死事大にして
無常は迅速なり
各々宜しく覚醒すべし
謹んで放逸する事勿れ

これが5行で書かれているので板の真ん中が窪んですり減っている
その字こそ「無常迅速」(うーじゃんしんそ)である
人生は短く、思いがけずに早くに死が訪れるかもしれない・・と言うことだろう
しかし、どうすればいいのだろうか
無常迅速、時、人を待たず・・と言うのも禅語にはある
早く言ってほしかったナァ、今になって、そう言われても小生も困っている
今日は、数十人の一団が作務衣を着せられ修行に取り組んでいた
黒い靴が下駄箱に並べられていた、会社の研修だろう、今なら真冬よりは楽かもしれない
萬福寺では修行僧は通路の真ん中を歩くことは出来ないと聞いた、両側をきちっと並んで歩く
真ん中や先頭を歩くことが出来なければ、
せめて、道を歩くときは人の邪魔をしないように教えてやってほしい、と思った
この内何人今日の道を歩いて行けるのだろうか?
セミの声も無常迅速と聞こえたら研修の成果あり?
もちろんこの時期研修中のサラリーマン諸君に応援している
写真は件の巡照板
鯵庵(7.31)
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by ajiankyoto | 2016-07-31 08:15 | Comments(2)

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京都の餃子が売りの中華屋でラーメンセットを頼むと、ラーメンに焼き飯と餃子がついてくる
焼き飯が来てラーメンが来る、しばらくして餃子が来ることが多い
調理時間の差だろう、だけど時たま餃子が先に来る
どちらにしても大した時間差がなければ味わえる

少し前にA市で「ラーメン餃子事件」というのがあった
餃子を先にと注文したのに、ラーメン食い終わるまで餃子が出てこない
ということで店に絡んで居座った、警察が出てくる騒動となった
やはりラーメンと餃子だけなら餃子が先だろうと小生も思う
当たり前なんだがラーメンは注文ごとに一杯ずつ作る
餃子の遅い〇〇では勢いがないが、作り置きはほどほどにしなければならない
この業界の常識としては同時に提供するのが本来であるとも言うが・・
だから定食と言わなくてセットと言うと友人が語っていたのを思い出した
そんな場合、餃子を先に頼んで頃合いを見てラーメンを頼むのが客の作法だとも言う
だから、餃子を先にと言ったと言うが、店は聞いてないという
おそらくこの店ではそういう注文には応じないつもりなんだろう
ビールを飲むような人は心得ているとも言う
大層に言えば順番にこだわるのもアイデンティティ?だと思う

餃子を焼くことはそう難しいことではないが、タイミングよく提供するにはそれなりの知恵がいる
この頃は若手が任されていたりする
注文の予見が出来ないし、出来ても勝手が出来ない
せかすとあわてて生焼けが来たりする
早めに仰山焼いて怒られた経験があるのだろう、注文がある程度揃うまで焼き始めない奴がいる
そんなことを見ると、餃子の管理は店長がするべきものだと思った
従業員としての心理を考えれば、これからも早くなることはない
この頃、餃子を頼むと「出来た順番にお出ししていいですか」とすかさず有無を言わさず断るようになっている
それは違うと思うのだが・・そもそも出来るんじゃなくて作るんじゃろが
店で出来ることは焼き加減とタイミングだけである
店長さん、私の店じゃないですよ、あなたの店ですよ
写真はオニユリと私
鯵庵(7.30)


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by ajiankyoto | 2016-07-30 06:59 | Comments(0)

あおっぱな物語

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子供の頃の遊びは色々あった、単純だけど知恵はあった
皆が貧しい時代だった、教育も満足ではなかったが、何より食べるものも豊かではなかった
青い塩辛い鼻汁を覚えてる?透明な水っぽい鼻水ではない、味のある“はな”なんです
親が編んでくれた毛糸のセーターの袖がはなをこすり付けてテカテカだった
″あおっぱな”は栄養に問題があったなどという学者がいるが、学者でなくともそんなことわかってる
当時栄養に問題のない子など我々の近くにはいなかった

子供の遊びに関しては貧乏も栄養も関係ない
要は遊びにも飢えていた
後は知恵とリーダーの存在だった
今と違うのは仲間に飢えていた、独り遊びでは、限界がある
そもそも独りではリーダーになれない、三人寄れば一つの軍であると、三国志でも言っている
子供の頃、体は大きいが同じく〝あおっぱな″を垂れた餓鬼大将がいた
遊ぶことを真剣に考えた結果、自ずとそのガキ大将にみなついていったのである
遊ぶという同じ目的の元に集合して、より楽しくするための仕掛けである
それがガキ仲間のリーダーだった
ついていったからとて不足はないし、工夫次第ではいつでもリーダーにはなれる・・わけである
それは、遊びだからでもある。

蛇足ながら、そう思えば「リーダーシップ」という言葉も曖昧だ
時々事業に成功したカリスマ風経営者にリーダーシップが云々などというが・・
成功とは不遜にして強引な力技であり、かつ強運を持ち合わせて始めて叶うものであろう
リーダーとして仲間を楽しませてやる豊かな精神性とは少し方向が違う
カリスマ性は認めるが必ずしもいいリーダーだったとは限らない
あおっぱなガキ大将とは違うものだと思う
何処へ行った!!あおっぱなガキ大将!
我らの子の頃には間に合わなかった、せめて孫のためにも一度登場してくれないか!
写真はあおっぱな地蔵?
鯵庵(7.25)

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by ajiankyoto | 2016-07-25 06:53 | おとこ編 | Comments(0)

桃園に帰った桃太郎


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岡山に帰った元同僚S君から桃が届いた
岡山の「紅清水」と言う品種だった
今年の満開日は4月6日だったと便りにある、ということは満開から3か月ちょっと(100日くらい)で丸丸の桃になることを知った
油断なく桃という商品を育てるのは並みの労力ではないだろう
植物繊維も多く女性の便秘には一つで十分効き目がある
他にカリウムやカテキンも多く、高血圧や糖尿病の予防にもいいとされている・・桃は邪気を払う

三国志は桃園での誓いで始まる
劉備玄徳(りゅうびげんとく)を兄として三人の義兄弟の契りができる
三人寄れば一つの軍であると、三国志は語る
艱難辛苦のはてが蜀の国の皇帝になるまで三人の血盟は続く
悠久の中国を舞台に雄大な男の遊びの印象を受ける
岡山県は桃太郎の伝説の世界だが、三国志に比べると極めて現代的だ
それはそうだ、三国志の方がはるかな昔ばなしだ
桃太郎はイヌ・サル・キジを連れている
親分・子分の間柄であるが、それは黍団子(きびだんご)を与えるということで成り立っている
現代的に言えば見返りが黍団子とは限らない・・それは賃金であったり、褒美であったり、出世であったり、たとえば庇護や保護であったりする
見返りがあれば主人桃太郎の目的に従う・・イヌ・サル・キジには仕事感はあるが血盟もなければ雄大さもはない

彼と一緒のサラリーマン時代を振り返ってみるチャンスになった
たまたまであるが・・サラリーマンでよかったと思っている、本当は我が社にも桃太郎みたいな大小の主はいるのだけれど、そこまで近づけなかった
雇われている我々、本当はイヌ・サル・キジ以下だったのだろうけど、劉備・関羽・張飛で鬼退治しているような錯覚を時に感じられる仕事だった
錯覚はあくまでも錯覚ではあるし、その上経費も使えない出世も出来なかったけれど40年近く勤めて人に罪はしなかった
無能だったかもしれないが無用ではなかった(ほんまかいな?)
人は自分のために働くが、それが人のためになっていると思える仕事は少ない
鬼に雇われたイヌ・サル・キジはかわいそうだ
社会的役割のない会社で歯を食いしばって働いている人の方が多いのだろうと思う

彼は、実家の都合で少し早く辞めた、彼の家族にとっても大変なことだったろう
あれから10年やっと岡山の生産者の一人として名前が出せるようになってきたという
そこまでなれば、桃太郎だろう
サラリーマンをやめて、その後に犬を連れて桃太郎の役が出来ることは幸せなことだと思う
時々猿に桃を食われることがあるのはこの際愛嬌として堪忍したってほしい
我らの世代は体が動くうちは何かしたいと思っているものが多い
土地を持たないサラリーマンなら市民農園での菜園のまねごとが精一杯である、桃太郎型の余生とは言えない
我が家の庭の花桃にも実はついたがやっとピンポン玉ぐらいである
桃を送ってもらったこともあるが、桃太郎じいさんのこれからを祝福したい
写真は岡山の桃
鯵庵(7.19)


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by ajiankyoto | 2016-07-19 07:19 | Comments(0)

青春からずっと忘れ物


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この頃家を出る時の忘れ物が多くなった
二度も取りに帰ったこともある
忘れ物をしないようにと思うと、他のものを忘れたりする
財布や携帯電話や鍵など忘れなければ何とかその日は過ぎる
それと忘れ物に気づかなければその日は過ぎる
忘れ物でも帰ってくるまで気付かなかったらそれは要らなかったものに近いのだが・・
と言うことでリュックにしたら、リュックが一杯になってしまった
それでも今までも忘れ物ばかり
忘れ物があると思って家を出るようにしている
♪青春は忘れ物、過ぎてから気がつく・・と言う歌があった
長い人生ならもっとあっても不思議ではない
余韻も足跡も残せないかもしれない人生、取りに帰ってくるほどのものはないか
写真は青春の忘れ物
鯵庵(28.7.18)

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by ajiankyoto | 2016-07-18 06:51 | 翁草 | Comments(0)

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1年間ハローワークに通って12か所紹介をしてもらった
その内面接に至ったのが4か所だった
7か所はすぐに履歴書が送り返されてきた
書類選考はいたしませんと言うところも数カ所含まれている
パートながらもそれなりの人生経験を買ってもらえるかと期待したところほど厳しかった
最後(最初の採用)のところは15人の募集だった
当然期待していたが、ここは人事の責任者もいなかった
面接もほどほどに明日から来ると言うのが普通だと言われた
それでも採用されたことに違いはない

結局、40代・50代・60代、3人の男がハローワークの紹介で来て、ほぼ10日で皆辞めた
「軽作業」でなかったのは仕方がない・・
しかし、ここで1か月も勤めることが出来たとしても、勤めれば勤めるほど失うものが大きすぎる
せめて早く辞めて出直すしかないと先のない小生でも思った
募集の数も異様であるけど、定着率も異様である
会社から言えば、ハローワークの世話で来る人は定着率が悪いというかもしれない
ひょっとしたら先にハローワークにそんな苦情が入るかもしれない
パートの人は既に悲しい覚悟をしている、定着率は労働環境によるのは当然のことだ

「したい仕事が出来るわけはない、パート勤務と言ったって厳しさは一緒だ、金をもらうということはそういうことだ、最低賃金で守ってやっている、みんなそれに耐えて頑張っているんだ」と会社の声とも世間の声とも分からない冷たい叱咤が聞こえてくる
”意欲のない奴”と思われると、どんどん労働環境の悪い職場に追い込まれてくる可能性が高い
小生も、結局やっと紹介してもらったパートの尻(けつ)を割った、次回からハローワークには行きづらい

民間のネットの求人情報ではここの会社は定着率の良さが自慢だと書いてあった
会社が言うのは勝手だけど、異様な募集の数や定着率だけでもハローワークが気をつけてくれれば少しは良くなるかもしれない、と思っている
まだまだ求人ばかりが増えて有効求人倍率が大きくなっていくかもしれない
役所は、それでもこの頃大阪・京都の求人が増えているのは外国人観光客(インバウンドと言うらしい)の増加のおかげだと分析して得意になっている
なら、いっぺん0にしてみたら・・
もう別の統計手法が必要かもしれないと小生でも気づく
パート勤務体験記はこれで終わることにする
山を目の前にして登山口で引き返してきた小生が大きなことを語ることは出来ないのかも
こちらではそれを゛ケツワリ”と言う
今月から月4万円の国民健康保険料、絶対に銀行引き落としにはしないぞ
写真は猿3匹落とす(家内の作)
鯵庵(7.17)


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by ajiankyoto | 2016-07-17 07:31 | Comments(0)

羅城門から東寺へ

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今回は京都の入り口の案内です
都の入り口、朱雀大路の南には羅城門があった
羅生門(芥川龍之介原作・大映京都1950)と言う古い映画が有名で羅生門と思ってる人も多い
平安京の堂々たる楼門ではあるが早くに荒れて倒壊した
内裏に一番遠いところにあるのが羅城門だから都が荒れれば門も荒れる
しかも、平安京は都に壁がないのだからこの門も交通上の役割としては少ない
この羅城門の上にあってこの門と都を守っていたのが兜跋(とばつ)毘沙門天
毘沙門天は、仏法を守護する四天王の一つである武神で多聞天のことである、が独尊としては毘沙門天と言われる
兜跋と言うのは中央アジアにかってあった兜跋国(とばつこく)のことらしい
羅城門の東・西に作られたのが東寺・西寺、平安京の官寺である
西寺は古くに廃寺になったので残っているのが東寺と言うことになる
東寺は空海が入って(823)栄えてきた

作家司馬遼太郎は京都の寺々を歩くときここ東寺の御影堂(みえどう)で待ち合わせ、ここを出発点にするのがふさわしいと書いている
ここは空海が住まいとしていたところである
今でも空海に毎朝食事を差し上げている
羅城門の上にあった毘沙門天はこの御影堂に隣接した毘沙門堂に祀られている
足利尊氏が西国から戻って来た時、この東寺に入って京都を料理した
秀吉の都市計画では、京都の街のお土居はこの東寺を南端にしている
羅城門跡や西寺跡はお土居の外であった
当然、東寺は西国やなにわへの街道の出発点でもある
国道171号線や1号線を走ってくると東寺に達し、京都の街に入ったことになる
京都駅が隣だ
テレビドラマで東寺の塔と駅前の京都タワーを写せば京都が舞台だという合図になるという根拠の一つです
写真はロームのビルと京都タワー
鯵庵(7.15)



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by ajiankyoto | 2016-07-16 07:31 | Comments(0)

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日本全国津々浦々、そこの食文化があるわけである
たしかに京都に住まう人が〝今晩のおかず″を考えることは、大げさに言えば京都の文化でもある
京都という町は海産物に限らず野菜だとて100%の消費都市である
ただのおかずなのだけど・・
〝おばんざい″と言えば、造語ながら〝野菜ひとつ無駄にしない″という意味を込めてあると言うことも出来る
なおもその中で突出したいと思えば、謂れや言葉の装飾も必要である
〝おばんざい″も〝おまわり″もそういうものだが、ただ足が地面につかない言葉の代表である
しかもその線に乗れば、延長線上に”京料理”とついてくる
”京料理”は和食であると連想ゲームが進めば”料亭の京料理″が我が物顔で出てくる
古都京都ででいい掛け軸の前で京料理を食ったら一味も二味違うかもしれないが、それは現代生活ではギャップが大きすぎる
「和食(文化)」と言うのが無形文化遺産になった
日本人のつつましやかな日々の暮らしが誉めていただけたと思ってもいい
京都の庶人も毎日衣食住の暮らしの中で生きている
そのとたんに京都の料亭の主人や花柳界やらがしゃしゃり出て遺産や文化を独占するのはルール違反である
いつも京都の料理屋が前に出すぎるとそれも観光業になってしまう
美味しいんだろうけれど料亭の主人たちの客を選ぶあの高慢さが鼻につきだした
何の個性もない回転寿司屋に庶人の食文化を奪われそうだ
写真は旅先で気に入って買ってきた花差し
鯵庵(7.15)
おてしょうの文化
日本にいて和食を食ったことがない

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by ajiankyoto | 2016-07-15 07:35 | Comments(0)

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小生子供の頃、父親に毎週映画館に連れていかれた、昔、京都に新京極や西陣には何十軒もあったと思う
一番記憶に残っているのは鞍馬天狗シリーズ
あの松島トモ子ってすごかった、今いくつだろう?
知ってる?ライオンかヒョウに襲われる前の方が大女優だったの
娯楽はそれしかなかった、でもみんな繁華街に出ていた
子供の教育上悪いというような繁華街はなかったように思うのだが・・?
庶民の子供は映画と繁華街に育てられた?!
お笑いと映画しかなかったが、映画は途中でフィルムが切れてなおらないことがあった
その時小生の父は悔しがった
自分が言えないことを映画がしていてくれてた・・?

昭和33年子供ながら大人の映画を見た
それが松竹映画「太閤記」、木下藤吉郎は高田浩吉だった、信長は松本幸四郎(初代鬼平)だった
大名になった藤吉郎が母をお城に向かえる場面が記憶に残っている
吉川英治の原作の筈、藤吉郎はこまねずみのように働く明るい青年であった
出世していく藤吉郎の明るさは歌う映画スター高田浩吉と重なる
戦国時代なのに江戸時代のような飾った駕篭が出て来たり、底抜けに明るい映画だった
秀吉は天正元年に信長から浅井長政が支配していた北近江を与えられ長浜に城を築いた
37才で信長配下で約12万石相当の大名になった
天正と言う年号は近畿での信長の覇権が固まった年である
その後の歴史を知っている我らは戦国時代の終わりが明らかに見えた年であると思えばいい

小生、サラリーマンしているとき、仕事と言うものは″こまねずみのように”働くものだと上司に言われた
もちろん、こまねずみのようにとは朝から晩まで休みなく働くということである
この頃、ふと少し気になることがあって調べてみると
コマネズミとはハツカネズミの変種、突然変異で耳の中にある三半規管が働かず平衡感覚が異常になったもの、それを固定したものと言うらしい、マイネズミ(舞うネズミ?)とも言う
自分の尾を追いかけてぐるぐる回る習性がある
皆さんが思っている、垂直の車をよじ登るように一日回して齷齪(あくせく)している状況を言うのではなさそうである
コマネズミは独楽(こま)のように水平にぐるぐる回るからコマネズミと言うらしい

映画の藤吉郎は歌で出世した訳ではないが・・
でも小生・・高田浩吉のように歌もない
その上藤吉郎みたいに母を迎えに行けないような男だったら、ただのコマネズミと言われても仕方がない
写真は独楽、自分で漆を塗ってやろうと試みたが・・
鯵庵(7.12)

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by ajiankyoto | 2016-07-12 07:06 | Comments(0)

アニメ「サザエさん」の主役はマスオさんである、と言うと一応異論が出る
いや波平だという人もいるし、やっぱりカツオだという人もいる
サザエは所詮狂言回しである、だから、そんなに大した女には作っていない
新しい家族のあり方として”妻の家族と同居する”というパターンを作った
妻の家族との距離感が異様に接近している風潮を先取りしたのがアニメ番組としての成功の基だと思っている
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大阪育ちのマスオさんが一度も大阪弁を語らない
もちろん、博多育ちの波平さんやサザエも博多弁を語らない
東京に出てきた途端に東京に帰化している
徹底的に家族平和を求める家族を描くようになったのはスポンサー東芝の戦略である
数十年も前に始った長谷川町子女史の「サザエさん」という風俗(風刺も)漫画は朝日新聞の販売促進であった
女性原理で家庭を作っていくとこうなりますということが受けた訳である

〝アカンもんはアカン″のやけど、
だからと言ってほとんどの人は、家で言えないようなことを会社でも社会でも言えるはずがないのではないだろうか
家でも会社でも戦わない論理は平和主義の女性原理から来たものである
日本の女性は昔からそんなこと折込済みだったのだ
男どもは甘えて威張ってればいいのに、急に理解のあるようなことを言う
そんな男の相手をすることは日本女性にとって物足らないことなのに、気の利いた女性は決して言わない
今のアニメの脚本では、その役をしているのがマスオさんでありその反対をしているんが波平さんであると思わそうとしている
ただ、マスオさんは磯野家ではない、磯野家の平和には貢献するが、それでは大阪人フグ田家の明日が見えない
せいぜいカツオへの影響力だけだ、その点は波平さんよりは強いだろう
ただ、家でもう一人の母親みたいな男の背中ばかり見せられたタラちゃんは不幸である
かくして男性原理は廃れ、男も女も女性原理的平和主義と平等主義で生きていくことになる

ならばと言うことで波平さんを前時代のがんこ親父に作ろうとしている
が、作中、波平さん自体が出来が悪く軟弱である
小生の友人、口の悪さで有名であったが、口癖が”軟弱やな”であった
小生もやっとわかってきた
会社でやったことのない頑固おやじを家族にやらしてもらうことは軟弱の極まりである
これも女性原理である
フネさんは絶対に主役にならないことを信条としている
だから、家庭調和と言うのです
そのかわり日本女性はこんなものでいいのです、とばかり言っているのです
それでは新しい親を超えるいい女性が育たないのだ
親を超える子供に育たないことを心配している

言いかえれば白物家電の世界です
日本の技術史では、洗濯機も冷蔵庫も必要に応じて出来て来たことを強調しているが、電化製品を家庭に普及させるのは別の戦略がいる
家族は家電製品の進歩に合わせてのみ進化していきましょうねと言っている
原作の持っている風刺と言うものが一切消えてしまった
これが白物家電主義かと思いながら毎日曜見ている
写真は野菜
鯵庵(7.11)


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by ajiankyoto | 2016-07-11 07:48 | おなご編 | Comments(0)