おてしょうの文化

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"てしょう"とは天塩(てしょう)皿のこと、ラーメンのことではない
一部に方言と勘違いされているが、"天塩(てしょう)"が標準日本語である以上"おてしょう"も方言ではない
天塩とは天塩皿(てしおざら)の略、元々は小さな皿に塩を持ったものと辞書にある

そうなんだけど、今で言えばただの小皿、取り皿のこと
京(ここいら)では”おてしょぅ”と発音することが多い
死語になりつつある?・・が、”天塩(てしお)にかける”と言ったらわかる人は多い
かけるのは天塩皿にもられた塩である、愛して自分の手で大事に育てることである
和食がユネスコの無形文化遺産に登録されている
まさに料理人が天塩に掛けて育ててきた和食文化だろう
たしかに懐石料理などは和食を代表するものかもしれない
しかしながら懐石料理には゛てしょう”は不要、出る幕もない
一方、小料理屋や家庭の料理や特におせちなどには大いに出番がある
上品そうに手皿(手を皿のように使っている様)を多用する人が居るが、あれはエチケット違反なんですよ、そういう時こそ〝てしょう″を使うべき

宮廷料理以外全て家庭料理である
10年も修行しなければならない懐石料理も家庭料理なのである
和食の定義には、゛てしょう”の文化が不可欠だと信ずる小生には懐石料理は無縁である(やせ我慢を大いに含む)
むしろ取り皿を使用するエチケットが残っている居酒屋の方に家庭料理を感じる
それでも、取り皿は通じても"てしょう"は通じなくなってしまったのを残念に思っている
写真は和傘(料理屋の看板)
鯵庵(8.29)


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by ajiankyoto | 2016-08-29 07:44 | Comments(0)

京都で生きる

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「自分で決めた規範なりを自分が最後まで守ることは難しいことだと思う。だから別れた後は人より自分を見てます・・」、と言うMさんがブログを始めた
読者の一人になってくれとメールが届いた
自分の昔の苦労を枯れた口調で語れるようになればこその話である
でも言いたいことがある、と言っていた
「家庭人にだって家族・家庭として、男と女にもマナーがある。悪意の多くは本人が気付いてないものだし、意図して隠しおおせばそれを裁いてくれるところはない。」という。
離婚に踏み切った時の気持ちの一端を書いている
恨みではない悔しさだと言っている
一部ブログの本文を引用させてもらった

東京で結婚して暫く大阪で暮らしていたらしい、それが離婚を期に覚悟を決めて京都で仕事を見つけた
落花は枝に還ることはない
東京にも帰らず、娘さんと一緒に京都で暮らし始めた
覚悟した仕事ぶりでそれから数年で大きなレストランのお昼のマネージャを任されるようになった
東京育ちの奥さんだったのも分らないくらいに仕事にも馴染んでいる
京都人に負けない京都人になってしまった
京都人になろうと思ったら思い切れたと言う、不思議な力を持った人だ
もう一つ魅力がある、きれいな標準語なのに周りの誰も気づかない
教養の都で培った教養は腐らない?標準語になり損ねた京都の言葉も本当はそうだったのだろうな
あんなにドスの効いた"・・どす”なんて言葉は東京の嫌みなドラマでしか出てこない
都であった頃はそんな香り高い人を育てていた町だったんだろうと思った
マナーに反することも許さなければならないこともある世間ではあるが、自分はマナーを守りたい・・そんな人の書く日常生活のブログもいいよな
京都の女(ひと)というのは京都の人のために京都で働いて京都で生きて行こうと決めた人のことである
それが都市としての京都の先進性であるというのが小生の論である
ブログのアドレスが違うが何回も「イイネ」の世界である
それにしてもどこのブログもイイネ一つ何でこんな難しいねん
写真は達磨
鯵庵(8.27)



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by ajiankyoto | 2016-08-27 07:11 | 女紋 | Comments(0)

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ぼちぼちホームセンターで家庭菜園用のネギ苗が出てくる
ネギというのは実は冬のものである
秋にタネをまいて次の年の晩秋になる、ネギは時間と手間のかかる野菜でもある
ただ、我々は家庭菜園組は夏に一度掘り上げた乾燥させたネギ苗を植え付ける
新鮮なネギの葉の内部にはぬめりがあるのが特徴でもある
寒さと霜にあたったりしてこのぬめりが多くなり甘さが増す
青ネギでも白ネギでも鍋物にはいいのはこの事情による

薬味に使うネギは青ネギである、
多くは九条ネギと言う品種の仲間である
今が植え付けの時期である位だから、夏にネギの出荷は難しく価格は自然に高くなる
ところがうどん屋やラーメン屋のネギ入れ放題は年中である
これは「きざみ葱」である、カット野菜の一つである
昔から都会のスーパーにはあったが、今は大量のネギを工場できざんで流通に乗せている
しかも、ここ数年、きざみ葱の需要が急上昇である

少しきざみ葱について考えるようになってきた
天かすもきざみ葱も鮮度が命である
そもそも年がら年中ネギが出来てるのだろうか、瑞々しそうに見えるが、よく見るとぬめりがない?
ネギの出荷量が多いのは東京近郊県である
が、九条ネギの本場ということもあってかそれでも京都近郊にもネギ畑が沢山ある

この時期、日照りの中で黄色くなりかけても、ネギ畑も不思議ながら雑草一本生えていない
その隣に、ネギ屋の大型トラックが停まっている
作付け面積が伸びて需要が毎年伸びているのがきざみ葱なのだ
今がネギ屋の売り込みの勝負時かもしれない
讃岐うどん専門店やラーメン屋の繁盛を支えているのはきざみ葱だろう
無料のトッピング、小生もネギ多めとかネギ入れ放題が好きである
精一杯、キムチや天かすやネギをケチってる店に明日はないと予言してやる

ネギは冷凍すると風味が戻らない・・この時期ネギは高い、それなのに、きざんだネギの方が安いのは怪談ものだと思う
京野菜の九条ネギも登録商標ではない、九条ネギの種であればどこで作っても九条ネギである
そんなこんなで、きざみ葱の鮮度(ぬめり)を見ながら店選びをすることにしているのだが・・

写真はネギ苗(※参考)九条太ネギは大阪原種のネギ、冬に美味しい代表的九条ネギ、京都でネギづくりが始まったのは平安遷都の頃と言う
鯵庵(8.25)
「ネギと天かす⑴天かすに化かされたタヌキ」はここをクリック
「ネギと天かす⑵あんかけうどん」はここをクリック
「ラーメンはまだ遺産にならない」はここをクリック



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by ajiankyoto | 2016-08-25 09:08 | Comments(0)

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道祖神(どうそじん)と言うのは民間信仰の神である、賽(さい)の神である
誤って迷い込まないように世界の境を守っている
外部の侵入者を防いで村々の安寧を守るものであった
後に神道の猿田彦(さるたひこ)神に習合(しゅうごう)したり、近世になって仏教の地蔵菩薩と混淆(こんこう)したりと言うのが、小生の理解である
街角や、道端や分かれ道に見る"お地蔵さん”はその習合・混淆したものである
何度も言うが現世と来世にまたがるスーパーな佛が地蔵である
様々な形で祀られているが、伝説では少年の形で現れるとも・・そんなことから子供達を守るためにも素朴な童顔の仏にもなる

地蔵菩薩のいわゆる縁日は毎年24日であるが、7月の縁日は地蔵会(じぞうえ)と呼ばれる
こちらでは月遅れ8月24日になる、同じく月遅れのお盆に近いことから地蔵盆と呼ばれている
この”お地蔵さん”の受難は明治の廃仏稀釈であり、迷信として退けられ多くの地蔵の祠や石仏が壊(こぼ)たれた
それだけでなく、街路拡張のためにも邪魔になったと見えていじめられた
明治も半ばになって、京都の市民も落ち着きを取り戻すようになってきた
それに伴っての各町内での地蔵会が復活されるようになってきた
地蔵に化粧して供物などを供えて、子供たちにお菓子やくじ引きや子供を中心にした祭りである
地蔵盆の終わりに盆踊りをすることもあった
子供にとっては夏休みを締めくくる重要行事である

京都が独自の文化都市として再出発するのは町が中心となった小学校の設立とこの地蔵盆の風習を残してきたことが大きなことである
町内自治の必要性があったから残り、必要性がない地方では廃れていく事例でもあると思う
縦横のつながりは町内を超えて保育園や幼稚園に移行している
幼稚園の夏祭りがテレビで地蔵盆行事として紹介されるようになってきた
(この項続く)
鯵庵(8.23)


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by ajiankyoto | 2016-08-24 06:03 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

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それは駐車監視員というらしい
全国共通のグリーンの制服を着た人が二人連れでタブレットをもって回ってくるのは知っていた
そういえばひと時交通巡視員と言うのがあった、その交通巡視員?かと思いきや、今は交通巡視員は警察官に吸収されている
10年ほど前(2006)の道路交通法の改正で駐車取り締まりが強化された
この駐車監視員と言うのが出来た、民間会社に警察が委託することが出来るようになった
この業務につくためには警察権を行使するための講習を修了しなければならない、みなし公務員だから収賄(しゅうわい)が禁じられているのは警官に同じ

街中ではその二人連れ(駐車監視員)に何組も会う
職員にしたら〝駐車違反を上げてなんぼ″の世界
そういうノルマは設定していないと警察は言っているようだが・・
しかし駐車違反は運転手の顔を見なくていい、運転手が帰ってくるまでに逃げればいい
商売の町では〝車は停まってるときに仕事しているのだ″と力説していた議員さんがいる
ええこと言うと思った、ただ言い続けて欲しかった
取り締まり方に文句言うのも議員の仕事だ、が、解決はしない
議員さん風に小生が言いなおせば
〝走ってるときは車が仕事をし、停まってるときは人が仕事している、人が仕事をしているときに忠実に従う(待っている)のがいい車″だと言える、それが働く車である

チョット離れた自動販売機に缶コーヒーを補充している間に駐車違反の写真を撮って件(くだん)の駐車巡視員二人が自転車で去った
近所で店番していたおばちゃんはドライバーに知らせに走ったようだが遠くて間に合わなかった
それを見ていた客待ちタクシーの運転手が「ベンツも捕まえろや」と巡視員に精一杯応援ブーイングをしていた
病院の前に停めた介護タクシーもやられていた
駐車監視員二人は素知らぬ顔をして自転車をこぐ
明らかに働く車である、よく働くいい車は主(あるじ)を駐車違反の犯罪者にした
それでこそ駐車監視員はノルマを達成できる
お盆の帰省のために減った獲物もやがて帰ってくる
この頃はバイクが狙われているぜ
仕事としては肉食系の仕事だね
写真は黄蜀葵(おうしょっき・オクラの花)
鯵庵(8.23)

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by ajiankyoto | 2016-08-23 08:22 | Comments(0)

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もう観光地京都を見てしまって、見るとこがないと堂々と言う人が増えてしまった
京都嫌いは構わないのだけれど、市民にしてみれば見てしまったと言われるのはつらい
大したおもてなしも出来ないけどそれじゃうち(我が家)へ泊まってくださいと言いたくなる(言いたくなるだけ)
見るところがないというけど、見るべきところは何処だったのでしょうね

京都はすでに観光客の数には不自由していません
でも、それだけではやっていけないのがビジネスです
鉄道だってホテルだってレストランだって土産物屋だってそうなんです
失礼ながら観光寺院だってそれが経営の上で効果的なことを知ったわけです
業者が用意してくれるものは言い換えればそれは多数という名の客が教えた答えなんです
京都の観光業者の気質は京都に来る人(もちろん京都の人も含めてです)の一番多い期待を反映したものだと思います

実は業者も学んでいるのです
特に観光業というのは、結局は一番多い悩みを探してその答えを用意するのを業とするものです
読みが当たれば商売が成り立つわけです、毎年その繰り返しで学習した結果なんです
そんな京都が嫌いだという人も増えてきました
この頃やっと旅人の大多数が実は個性的な少数派だとわかってきました
それでも、市役所も観光業者も犬が羊を追うように群れを見てるわけです

そこが落とし穴なんです
観光業は観光客それぞれの期待には永遠に応えられない業種なのです
割り切れない一人一人の割り切りを合算して加重平均したものしか用意してくれないのです
″皆が行きたくて誰もいないところ”を観光業者に探してもらうなんてものは大きな矛盾です
が、結局はあなたの思いとはミスマッチの結果に終わります
それはもはや旅ではありません
人生でも同じようなやってませんか、そっちは精神科の問題ですけど
店や業者は割り切れない多数の一見さんを相手にそれで商売が出来るのですが
市長や市民までが群ばかり見て浮かれてしまっては気付けないことになります
写真は杖と壺、壺が大きくて杖立てに使えない
鯵庵(8.22)


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by ajiankyoto | 2016-08-22 07:41 | 都市 | Comments(2)

いなせな氷屋はどこへ

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町内の店でなくなったものに氷屋がある
昭和30年代の町の暮らしには冷氷庫(れいひょうこ・本来の冷蔵庫である)があった
冷氷庫はだいたい木製で2段になっていた
前面や扉には銅板をはってそれなりに豪華なもので玄関を入ったところにおいていた
玄関や土間におくのは理由がある、
上段に氷、その冷気で下段の食品を冷やすのである、融けた氷は水になるからである

氷屋がリヤカーに乗せて運んできた氷の塊を1貫目(3.75㌔)とか2貫目とかの大きさに切ってくれるわけである、それぐらいしか入らない
そのうちに八百屋の荷車がきてごつごつしたトマトやとげとげのキュウリなどを入れた
余り甘くないまっかも冷やせば食えた
入れるものは最大一日の食品であった

昭和40年代後半になると裕福な家庭には電気冷蔵庫が流行り出した
電化製品が三種の神器(さんしゅのじんぎ)と言われた
テレビ「サザエさん」に出てくる電気冷蔵庫は昭和50年代の東芝製品である
その時にはもう氷屋さんは急激に減っていた
電気冷蔵庫が氷を作れるようになって、家庭用の氷かき器や水割りウイスキーが流行った
冷凍庫が当たり前になり、ドアの数も増えて、どんどん大きく機能的になっていった
今は1週間以上の食材が入っている

30年代に何千件もあったようなあの時の氷屋さんはその後どこへ行ったのだろうか
朝早くから陽が高くなるまでの仕事である
大きなノコギリでザクザク氷を切る姿は”いなせ”である
氷屋さんはもてそうで、子供心ながら憧れたが、大人になったら氷屋がなくなっていた
それでも今も昔も″男は気で持て”と言われている
写真はキンノカエル
鯵庵(8.20)




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by ajiankyoto | 2016-08-20 06:45 | Comments(0)

小生の趣味の一つにホームページ作りがある
人に頼まれたりもしているが、自分でも京都の歴史を断面的に見ようと試みたサイトを続けている
パソコン教室で、WEB言語であるHTMLやCSSも小学校卒業くらいの知識までなら学んだ
今はWEBの世界でもあるが、それ以上に書籍は内容が信頼できる
実は古本屋によく行く
この前に買った本に
『もっとも分り易き平家物語の解釋(柴田隆著・昭和4年日本出版社発行定価1圓)』がある
それはいいのだが・・
その本の後ろに
『樟蔭女子専門学校福本淑子』(もちろん実名です)ときれいな字で持ち主の署名がある
樟蔭女子専門学校(大阪)は大正15年(昭和元年・1926)の開設である
高等女学校卒業後に入学して3年だから卒業は20才になる
本は昭和10年の10版発行だから、推測するに昭和10年(1935)にはざっと16か17歳くらいかと思われる
仮に大正8年(1919)の生まれだとしたら、今年は97歳になろうかと推察できる
平家物語を学んでいた乙女である
97歳になろうと98歳になろうとしっかりしておられるはずであろうが、そうでなくとも仕方がない
本の持ち主の娘さんあるいは息子さん
小生を含めてあれから何人かの手垢はついたかもしれないが
必要ならばお返しする、と言う連絡である
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一番多感で頭脳がさえた時代に彼女がこの本で勉強したはずであるし、本にもその形跡が残っている
卒業したって女子の生きる道は限られていたはずなのに、平家物語の歴史と解釈を学んでいたことは驚く話である
つくづく、日本の女子の教育レベルが高かったことが分かる
申し訳ないが、現代の樟蔭女子大学の学生たちからは想像すらできない
この学園も学校経営に成功し、今年は創立100周年になるらしい
大阪の名門である、大正・昭和・平成と3代にわたって学んだ人も多いだろう
ただ、女子教育は100年記念と言うより100年の落差を知るべきかもしれない

小生の母親は大正13年の生まれである
事情あって別居しているが、貧しくともしゃきっとしていたそのころの高等女学校時代の写真がある
たかだか高等女学校生であるけれど毅然としている
今も毅然と生きている
母親から受け継ぐものが多いけど真似のできないのも男の特長でもある
鯵庵(8.19)


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by ajiankyoto | 2016-08-19 07:37 | 往生 | Comments(0)

娘の書いた絵馬を見たい

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今宮神社によくお参りに行く
門前のあぶり餅の茶店が「鬼平犯科帳」のエンディングに登場する
時々、このあたりや境内で花嫁衣裳の二人が写真撮影していたりする
プロのカメラマンに導かれて様々なポーズをとったりしている
衣装も大変だけど花も紅葉もなければ絵になりにくいのでは?
スタジオと夏らしいスナップで真夏でも大丈夫らしい
神社の神前結婚式でも衣装と写真がパックになった案内も載っている
神社に専属の写真屋さん以外は持ち込み撮影と言うようだ
そのときは持ちこみ料が必要なんて、注釈があったりする
それ以外に写真だけをお願いして記念の証拠にするというのもある
写真婚なんていうのも流行っている
やはり証拠写真は衣装と背景が大事なのである

それでなくとも、この頃は結婚式も質素なのが多くなった
今日は神前で結婚報告の祝詞をあげてもらっている二人に遭遇した
いずれ神様は何処へでも来てくれるし、どんなお願いも聞いてくれるはずだが
こうして神前に二人で報告に来るというのは意味のあることだろう
この神社、またの名を玉の輿(たまのこし)神社と言う
徳川五代将軍綱吉の生母桂昌院(けいしょういん)が復興に力を貸した所以である
桂昌院は京女、このあたりの生まれ、玉という八百屋の娘であったというのが定説である
だから、玉の輿である
それにあやかりたいというのが、庶人の欲ばった気持ちらしい?
”大富豪の素敵な人と娘の〇〇が出会えて結婚できますように・・△△”
こんなジョークみたいな絵馬があるのは今宮神社だからだろうか?
ほほえましいと思う人はよほど能天気な人か神様だけだろう
ただ、ついでながらであるが、大富豪(将軍家なみ)との結婚を夢見るこの母の願いは叶うまい

残念ながら娘の書いた絵馬を小生見つけることは出来なかった
せめて娘の玉の輿を神頼みする母親を超えたいい娘であって欲しい
ひょっとしたら、今日のように二人だけで神前に報告に来るかもしれない
派手な結婚式をあげなくともいい、もともと神様は欲どしい人を応援などしていないのだから
写真は金魚
鯵庵(8.17)


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by ajiankyoto | 2016-08-17 07:25 | Comments(0)

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京都市の中央斎場は東山にある
10何年か前の地蔵盆の日に小生の息子・21歳をはここで荼毘(火葬)にした
東山のふところ、八坂神社や円山公園・清水寺このあたりを夜遅くまで遊んでいたヤンチャだった
円山公園に隣接した東大谷・大谷祖廟の親鸞聖人の廟所に納骨した
ヤンチャの祖父もいる、一緒に親鸞のおひざ元で土と水になった、それだけを思うようにしているし、それだけの話である

東本願寺は関ヶ原野役(1600)が終わって、家康の後押しで(1602)建立された
真宗大谷派の本山、東本願寺は今は東本願寺と名乗れなくて正しくは真宗本廟と言う
浄土真宗本願寺派(通称西本願寺)に次ぐ歴史ある仏教教団である
お東さんといえば、西(西本願寺のこと)との区別の意味もある
その本山の飛び地境内として宗祖親鸞聖人の墳墓の地が大谷祖廟である
この地は300年前までは隣接する広大な長楽寺の境内であったともきく
大谷一帯は浄土宗(法然)や浄土真宗(親鸞)の聖地である、それゆえここに親鸞の墓所が移された
東大谷とも称する、宗祖親鸞だけでなく門徒宗の納骨場所でもある
隣接する東大谷墓地は個人の墓所である
お盆には萬燈会がおこなわれていつもテレビニュースでも取り上げられる

東大路通り祇園社の正面から円山公園に沿って長い石の参道が続く
正面の門の左手に太鼓堂がある
その傍らにおそらく建立の時には既にあったかと思われる大銀杏の木があった
気がつけばこの一、二年の間にがキレイに切られていた
東大谷のシンボルだと見上げていた門徒宗が多いと思うのだが何故切ってしまったのだろうか
祖廟に詰める若き坊さんの俗っぽさは了解の上であるが、祖廟のシンボル的財産を切ってしまえるほどの力は無いと思う
それとも本山が売り払たのだろうか?
東本願寺は財産について何かともめごとのある宗派である

親鸞の御心に沿っていればいいのだが
御廟にお参りした時、息子のことを頼みながら聖人に大銀杏を切った訳を聞いてみるが、そのことにはお答えがない
おそらくはこの廟所が開かれるとともにはあったろう、それほどの樹齢の木をなぜ??
命ある大木をただ切ることは心に痛いことだ
長い年月はそれだけでも大事にしなければならないのになぜ???
心煩わすようなことは御廟ではしないでほしい
写真はチョウ
鯵庵(8.13)


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by ajiankyoto | 2016-08-13 06:23 | Comments(0)