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余り会話には使われないが曖昧宿(あいまいやど)という言葉がある
表向きは茶屋や料理屋を装い娼婦を置いて客を取らせる店をいうとある
宿の一種だけど、浮世茶屋とか矢場とか置屋とか貸座敷とか言うイメージだ
旅行者の宿泊が主目的ではない、要は都合があって偽装した宿、ホテルだ
また、男女が逢引するための場所だから、偽装が必要な宿と言った方が分かりやすい
追及されたからと言って「偽装と言われても仕方ない」などと謝る必要はない
偽装は客のためにしているので偽装していることが分らないと入りにくい


昔は連れ込みホテルなどと言ったが、それでは偽装にならない
現代用語で言えは、フッションホテルだ
ひと時潰れかけたがこの頃街角にかたまってあるのが繁盛している
侘しさも後ろめたさもカバーしてくれるように偽装している
風俗店も無店舗型でないと許可を貰えないということで??共存共栄しているらしい
曖昧が売りだから夫婦でも入れます
その代り困ったことに外国人旅行者が家族で泊まったりする

二軒茶屋と言う言葉が昔からあって・・
デパートやパチンコ屋ですら二軒並んでいるところが商売になるらしい
ましてやお茶屋やフッションホテルはなお更である
ひっそりでは商売にならない
温泉マークとか逆さクラゲといったのを覚えている人も多いはず
それが今はファッション、この場合のファッションは風俗ということである
風俗とは本来庶民の暮らしそのものを言っていたのに・・


旧都である京都で生まれ、徳川体制の新都である江戸で発展した

もちろんこういうことはすぐに全国に広がる
時代劇では水茶屋とか出会い茶屋とかと言ったりする
その形が発展したのが花街であるが、色事は花街の専売特許ではない
男と女が生きていくことに遠慮は要らないが、今でも仮装は必要である

逆に有名高級ホテルこそ偽装している?そんな意見もある
だから、偽装の必要な金持ちや政治家や歌舞伎役者ら有名人はそちらを使うわけである
読者諸兄はどっち派?

写真は京都府立植物園にて
鯵庵(9.27)


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by ajiankyoto | 2016-09-29 11:42 | 大人の恋 | Comments(0)

小生の父親は難病の一つパーキンソン病を患った
発病から15年であったがその後半は色々な症状が出てきた
薬のせいか気分にも波があり、幻覚・妄想が続いた
家族がそれを病気だときちっと認識するのは相当な知識がいる
大学病院に通ったが薬をくれるだけだったし、老人保健施設にも拒否された
時にデーサービスにも行ったが、いわれなくリハビリ体操ばかりさせられた
皆と一緒に笑わない、皆と一緒に手を動かさないと言って嫌われた
悲しいことに父親の尊厳を守り得たかどうか、思えばつらいこと毎日だった

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介護保険の制度は平成12年4月から(2000)始まった
パーキンソン病は難病であったので介護保険では特定疾病として扱われる
だがしかし、介護保険がスタートする前の何年かは夜明け前の暗さだった
多くの病院がフロアー単位で空きベットを作った
3か月以上の入院はさせてもらえず、病院を転々としていた
新しい病院に落ち着いたその日から次の病院を探すのが家族の仕事だった
病院は病状は安定している(治らない病気)と言い、老人保健施設は難病の患者の受け入れ態勢はとれないという
幻聴・妄想は病気なのだ
安定しているなんて知識は家族にある筈がない
認知症と一緒なのだ、そのこと自体が病気なのに・・認知症だって当時はただのボケ老人と言った
病気の治癒ではなく介護の問題に切り替えていく時期だったのだろう

やっとの思いで長期療養型の病院にたどり着いた
病院だから保険も効くけれどホテル並みの入院料を取られた
父は自分の蓄えを全て使うことを納得して、心も穏やかに入院できると久しぶりににこにこしていたけど・・
暫くして院内感染で肺炎を患った
家族と病院あげて敬老の日のお祝い行事、医者も看護婦も一番手薄な日に危篤になって次の日に亡くなった
パーキンソン病で死んだのではない、やはり肺炎であった
家族にとっても息をつく間もなく亡くなった
介護保険制度がスタートする前の年だった

つまらないことを考えた
国が作ってくれる制度というのはいつもよくできている
だがしかし、制度の隙間に入ってしまう悲惨さはいつまでも残っている
病院は回転率を上げることが一番の経営であると今でも信じている筈だ
夜明け前と夜が明けてもそこのところは変わっていない気がする
そしてまだ医療と介護の区別は相変わらず曖昧である

もちろん、ニュースで見た横浜の病院のことを評論しているのではない
老人、病気、貧困、介護にはいつでも悪の論理が入りこんでくる世の中になってきている
病人にとって生きるということは生き抜くということである
そんな分かり切ったことを制度に求めていくことは難しい
これから毎日自分自身で考えておくべきことの一つである
「酒を飲んだことを忘れたらあぶない」はここをクリック
鯵庵(9.28)

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by ajiankyoto | 2016-09-28 08:40 | Comments(2)

オリンパスの最後の名機

小生のオリンパスのカメラがついに壊れた
オリンパスの名誉のために言っておくが小生がコンクリートの土間に落とした、それでフイルムの巻き戻し上げが出来なくなった
直らないこともないが、どこかぞんざいに扱っていた自分に気づき戒めとする
デジタルではない、オリンパス最初(で最後)の名機OM-1なのだ、もう40年になる
一眼レフは面倒だったが、面倒ついでに完全にマニュアルでなければならない
それからのカメラの推移を見てもそれは言える
カメラもレンズもマニュアルの名機だけが今も生きている
フィルムも進歩もしたけれど、結局ポジフィルムに限られた
写真にメリハリが出るが、それだけの慎重さは今のデジカメで味あえない緊張感がある
何台かカメラが増えてからは、OM-1は90㎜マクロレンズをつけて愛用してきた
花一つ、地面に寝て息を止めてシャッターを押すのも写真技術の一つだ
が、それだけで上手く取れるものではない

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カメラ会社があれから沢山潰れた
オリンパスも堅実な会社だと思われていたが数年前に不祥事で揺らいだ
カメラ業界は高級デジタル一眼レフ戦線で今しのぎを削っている
カメラが変わってきているのではない、写真が変わってきているのである
OM-1のように男でも女でも、20代にも60代にも大人にこそ似合う・・そんなカメラを作れる会社はない
これから先、二度と40年・50年も使えるカメラが出てくることはないだろう

写真は活躍していた頃のOM-1、花はヒガンバナ
「鵜の目/鵜の目鷹の目」はここをクリック

「鷹の目/鵜の目鷹の目」はここをクリック

鯵庵(9.27)


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by ajiankyoto | 2016-09-27 08:15 | Comments(2)

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五条楽園(五条橋下・七条新地)のことを以前に少し書いた
秀吉の時代から続いてきた遊所だったのだが・・
何んと平成22年売春防止法違反で京都府警に主だったお茶屋の経営者が逮捕摘発された
それ以来、ネオンも外して一斉休業のままである
当時大きなお茶屋だけでも十数軒あった、町の人が消え火が消えた
高瀬川も、明らかに二条から五条までの姿とは違う
五条から南、過去の遊所を流れる高瀬川は同じ歴史を持ちながら五条通を境にごろっと変わる
ここは源氏物語の光源氏のモデルだとされる嵯峨源氏の源融(みなもとのとおる)の広大な屋敷河原院の跡である
それでもあれほど観光に手を尽くす京都市の手も入らない

京都の遊郭は明治になって島原が衰退し、売春防止法で五番街が廃業した
時代の中で残った遊所が京都の五花街として芸妓の伝統と京都観光も支えている
だがしかし五条楽園はスマートに変身した五花街にない大正・昭和のロマンを感じさせる遊所独特の建物が今まだ残っている
風呂屋も商店もある、マンションもあれば旅館の営業をしているところもあるし、サラリーマン家庭もあるしもちろん学校に通うこどもたちもいるのは当然である
大きなお茶屋だったところの二階の簾(すだれ)も傷んだままになっているのを除けば一般の住宅街と変わらない

ただ、街そのものは活気もなく閉鎖的な地域として沈んでしまっている
遊郭はずっと職住近接・職住一体の町だったのである
小生風に言えば、職住一体の職をとってしまって住だけになったら暮らしも成り立たないということである
正面通にあった山内任天堂は世界的企業になったが今は十条通りに本社を構えている
五条楽園の歌舞練場だった五条会館は大勢の人が集まることは今となっては消防も許してくれないだろう
五条通近くにあったラーメン屋は今もやっているだろうか
経済活動のない街になってしまうのだろうか
もちろん放蕩や浪費は美徳ではないけれど・・
有形文化財に指定して保存なんてことは所詮他人事だ
お茶屋の建物もそのままだけど、いずれ朽ちていくのを待つだけでは辛い

景観と活性化は二つのキーワードだろう
京都のある大学のチームは真剣になって調査している
生活保護所帯の割合が市内の他の地区に比べて著しく高いということを指摘している
五条楽園は五条楽園でなければ生きていけない街だったのだろうか
休業のままではイメージの改善は難しい
未だ市役所もそれからのビジョンを示すことが出来ない
京都のど真ん中京都駅からすぐの街である
隣の四条河原町や宮川町や祇園は京都一の観光地である
五条楽園だけが過去の罪を背負されたのだろうかと思ってしまう
写真は窓
鰺庵(9.26)

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by ajiankyoto | 2016-09-26 07:53 | Comments(0)

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時々昼食にお世話になるのだが・・牛丼は別にしてもここのかつ丼がまずい
昼からちょっと勝負の時は縁起を担いでかつ丼を食ってきた
これじゃ胸につかえて縁起担ぎにもならない
今になってやっと気付いた
かつ丼は2段ステップ、トンカツを上手に作れない調理人にかつ丼を作らすのは無理というもの
その上、炊飯器のメシも美味しく炊けない、実際は3段ステップ
そのくせすぐに結果が出る
メシ屋は論理的かつ科学的なんだよな
メシ屋は現場主義が一番だと言いたい

大学の街京都のさる大学の学部で言い継がれてきたことがある
飯の旨い下宿屋が当たったらそこの娘は絶対貰えと・・!
親の手伝いをしている娘(マドンナ)でなければならない
嗅覚・味覚がきちっとしていることは女の五感が発達していると考えていい(※これは本当なんです)
学生の好きなコロッケやカツが上手く出来れば、下宿屋の娘が一流大学生に一番近い!
本当にそれを果たして大出世した京都の女史がいる、そんな夫ならノーベル賞にも近づける
ノーベル賞は京都だというのはコロッケが美味しかったから?これ本当なんだよ
下宿屋って何、いつの話??そんな昔ばなし教授だって知らない!・・とのお叱りが聞こえる

難しいことではない、商店街の店先で揚げているカツやコロッケ買いに走ったらいい
ついでに近所のおばさん雇って炊飯器で飯を炊きに来てもらったらどうだろうか
美味しいかつ丼やになるよ、メシ屋は自慢できるものだけにしてほしい
すでにコンビニに負けてるよ
特許も、味の試験もないのが料理の世界、料理の世界は工夫と発明の世界だ
名もなきおばちゃんが調理師免許にも負けない料理人であるのがこの世界の特長である
そうかと言って、あの下宿屋の娘みたいなマドンナがアルバイトに来てることはほぼない

学生アルバイトばかりの牛丼屋は美味いものを食わしたろという気がないことが分かった
やっぱりメニューは牛丼だけにしたら・・
牛丼だけなら廃棄処分になった冷凍の横流しカツを食わされる危険は少ないとは思うけれど・・
一方それほどの量を廃棄処分したりするメシ屋こそ、もはやメシ屋稼業ではないと思う
写真はコスモス
鯵庵(9.24)

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by ajiankyoto | 2016-09-24 21:40 | Comments(0)

波平さんの迷文句


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波平さんの自慢出来ない息子カツオのこと
友達の多いことはいいとして、成績が悪いことを人に言われた時、波平さん「成績が悪いのはかつおはまだ勉強する気になってないだけ」と言い返す
名文句でそれを聞いたかつおが「お父さん・・・(涙)」と言う
だが残念ながら、そのことで心を入れ替えるわけではない
子どもが成長しないことは親にとって一番辛いこと
〝勉強が出来る″より先に〝勉強する気を持ってほしい″という方が親の本来の心情に近いのではないか

勉強する気にいつなるかである
勉強は話を聞くことに始まる
多くの子どもたちは仕方なしに学ぶ
だが、学ぶことは苦しい、それはスポーツだって音楽だって同じだ
勉強は苦しいが、楽しいことでもあることに気付かせなければならない、それが学ぶということ、それが成長だ
幼少期から少年期に、思春期を越えて青年期、成人しても勉強する気を持たない人を沢山知っている
そんな人はこれから恐らく老人になっても勉強する気が起こらないだろう
波平さんは勉強してきて東京まで出てこれた人である
だからこそ気づきさえすればいいと言えるのかもしれないが、現実ではあのカツオが最後まで勉強しない大人になる可能性の方が高い

遊びのほうが楽しいに決まっている
勉強する気にならないうちに同じような勉強しない友達が多いということを想像して見ると、ぞっとすることである
あくまでも「子どもはいつまでも子どものままで」と思いたいマンガである
日本を支えてくれるはずだったスポンサー東芝らしい番組でもある
写真はヒョウモンチョウ
鯵庵(9.22)

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by ajiankyoto | 2016-09-22 06:24 | Comments(1)

墓との距離が問題だ

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田舎にある先祖の墓を何とか自分の近くに持って来たい
ところが墓を移転(※改葬)するということは結構大変なことである
親がいて正月や盆あるいは彼岸に帰省するところがあればありがたい
しかし、自分が田舎を捨てて親もいないとなれば田舎へ帰るのは墓参りと言えど辛いことである
先祖の墓と自宅との距離が問題になる
それゆえか無縁仏が増えている、墓参りしなくとも墓の所有者がはっきりしていれば無縁仏ではない
墓地の運営者が正式に無縁仏とするには改葬の公告をしなければならない
それも手間のかかることである

国の調査では出生地に住み続けてるいる人の割合は2割以下に減少している
もうこれ以上に下がらないかもしれないが、その大きな原因が都市移住と人口減少である
その残りの7割・8割の人の中で新しい墓を持つことがここ数十年続いてきた
墓地を分譲(土地は所有しない)する形の霊園が今までの主流であった
今でも条件のいい霊園墓地の競争率は高いけど、一方でそこでも無縁仏が増えている
評論家は都市移住の問題より今は未婚化の方が影響しているという
人間、子が出来て孫が出来てはじめて先祖のことに思いが至る訳である
でも残念ながらその子に墓参りする姿を見せていない
生きてるうちに自分の墓を作ったって同じである、そんな墓に参るのを子供に見せても感動はないだろう
人間の終わりは骨である
石の墓を持てる限りは生きた記念碑が欲しいというのが信仰になっている

田舎へ行って菩提寺にええかっこして墓地の改葬をしたい、と言ったら何百万も要求されることもある
何百年の清算と縁切り料である
そうでないと墓地管理者としての改葬の承認状を発行してくれない
改葬は法律に基づく手続きであるからだ
それならどうすればいいか?新しく自分の墓を作るのが手だろう
ただしそれは永久に改葬の必要のないところに・・
樹木葬については以前に何度か書いた参考にされたし

先祖の墓も守しないで自分の墓を持つのは先祖や親に大不孝だと思う人はやめたがいい、納得ができなければいくら作っても記念碑にならない
だから今あなたの心の隙間を埋めるように多くの自治体やお寺が合同葬を進めている
都市で子供のない人や未婚の人たちをターゲットにした営業戦略に変更をしている
自分の墓を守してくれるのは自分の子供達だという一番大きな信念が崩れつつある
そのことを知って選ぶべきである
守をしてもらうのでなく孫にも会いに来てもらえる墓を選ぶべきであると思うのだが・・
これからは結婚しない人にも優しい墓でないと流行らないと思う
いずれ魂は気化して残るのは土と水だ、都会の人は都会が墓場だ
写真はキク
鯵庵(9.18)

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by ajiankyoto | 2016-09-18 18:00 | 後生 | Comments(2)

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テレビ「鬼平犯科帳」のエンディングにインスピレーションの曲にのせて風鈴売りが歩く江戸の夏のシーン
確かにまともな茶店の作りである
江戸という新しい都は世界有数の大都市、鬼平が活躍するのは松平定信の寛政の改革の時期である
ドラマにも生き生きした江戸文化が表現されている
中央集権国家(武家政治の)の首都として爛熟期(らんじゅくき)を迎えている様のその映像が、京都の街で作られている
さすがの松竹でも東京のスタジオでは〝江戸文化の池波時代劇″が撮れないという
当時の江戸は水の都、その江戸の季節風景は京都にしかないというその矛盾は、京都の街が今でも持っている不思議な力の一つである

ここは今宮神社の参道である、両側には同じような茶店が一軒ずつあって、本家争い?の元祖だ
何しろ平安時代からあるという話だから、茶店と言っても時代劇にもってこいの風情、なかなかのものである
どちらもあぶり餅、一方は「一文字屋和助」1000年〝血續・二十五代″Hさん、

一方は「かざりや」創業400年〝本家・根元″Oさん
血續対根元、ともに言葉と宣伝では一歩も引かぬ勢いが京都らしい
メニューはあぶり餅のみにしてともに一人前500円、定休日はともに水曜日、客引きのために通りの真ん中の石畳みは踏まない、共栄繁盛の見事な調和である
歴史京都らしいと言えばそうかも、どっちの贔屓しようとここまでくれば楽しい本家争いのルーツであるが、2代3代では真似が出来ないはず
喧嘩していればともに終わっていたはず、やはり京都の町人は喧嘩しない?ひょっとしたら、そんな家訓があるのかもしれない
そうでなくってもつぶれることもなく、さりとて大きくもならず、茶店が茶店のまま1000年も続けられたとしたら、善と悪では解けないものがある

「何百年も向かい合わせで店やってて娘も息子もおったやろうに、間違い(恋)の一つもなかったんかいな?」とこんな微妙な関係が何百年もバランスよくは続かんはず、絶対に喧嘩してるはず・・・と素朴な質問を店の人にぶつけた女傑がいる
こんな質問に答える京都人はいない・・今宮神社の信仰が続いたということだろう
ただ、そこまでの歴史があれば、大体権利を振りかざして商売の拡張を図るのがふつうである
現に京都のお茶屋は北野のみたらし団子屋から始まって、遊郭から今は花街上七軒として格式高く?生き残っている
団子や餅を食わすということは相当なサービス精神が必要である、それが水商売である
あぶり餅しかないということがよかったのかもしれないと思う
しかも二軒というのが味噌かもしれない・・と、その女史の論である<
写真はあぶり餅”いちわ”の暖簾
鯵庵(9.16)

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by ajiankyoto | 2016-09-16 07:41 | Comments(2)


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酒を飲むといつも同じ話を繰り返すと言われた
脳の中の海馬(かいば)が司っている短期記憶が働かなくなるらしい
そんな時に限って、前日の晩の記憶がとんでいる
場合によっては記憶を保存していく機能も失われている?
それぐらいのことだけなら、突然に心配することはないかも
しかし、話がかみ合わなくなったり、いつもしていたことをしなくなったり、
相手を傷つけるような気持ちを抑えられなくなったりすることの方が問題だと思う

そこの記憶がないのが怖い
そうなんだ
我儘になる、自分のことだけしか考えない
若い時には気にならなかったエチケットやマナーなど、
歳をとってこそ守るべきものだ
そういう努力が老化防止につながるんだと・・
老化と老人は違うかもしれない
しかし、誰もがいずれ老人社会の老人にならなければならない

尊敬する先輩は脳梗塞で倒れた
今はほぼ普通の生活と会話を出来るけど、昔のことを言ったり書いたりさせんでくれという
脳の海馬がやられたという自覚が怖いらしい
食べるのを忘れてもいい、しかし、食べたことを忘れてはいけない
酒を飲むのを忘れてもいい、しかし、酒を飲んだことを忘れてはいけない
悪いこともせずきちっと退職できた筈だが、自分がどう思って何をしてきたのか?
思い出さなければならないことをきっちり思い出せないと感じたとたん、
公の明るい世界には出られなくなったと言う
制定して50年になる、今になって国や自治体は敬老の日を決めたことが重荷になってきている
世間は50年前の老人のようにこれからの老人を敬うことは出来ないと言う
秋の敬老の日は老人にとってやはり人生の冬の始まりなんだと思う
写真は石仏(元の敬老の日は9月15日だったのに、そのうちになくなる?)
鰺庵(9.15)

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by ajiankyoto | 2016-09-15 07:25 | 翁草 | Comments(0)

JR奈良線のルート


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JR奈良線の複線化プロジェクトが動き出したようだ
このたびの計画では京都から約20キロ(城陽駅まで)区間の複線化工事にかかる
京都駅から宇治駅まで14.9キロm、狭軌である、それがやっと(平成35年完成予定)複線で運行できるようになるようだ
京都・奈良間には近鉄京都線も走っている、近鉄は標準軌・複線である
近鉄は伊勢志摩まで特急も走っており、奈良までもはるかに便利である
今頃の複線化ではJRは相当に出遅れている
この便利な近鉄電車がJRに勝てないのが二つある
以前記事にした伏見稲荷大社ともう一つ宇治の観光だ
京都観光の二つの大きなスポットに駅がない、ルートの都合である

奈良時代からの東海道・北陸道・山陰道に出るための道はかならずこの宇治の地を通らなければならない
この街道が奈良街道(京街道)であり、JR奈良線がほぼ並行して走っている
宇治市は今の行政区域では京都市の伏見区の南に隣接する
宇治の地は平安時代早くから藤原家や貴族の別荘地
平安時代後期(1052)には関白藤原頼道が平等院を建立する

瀬田川沿いの道で滋賀県大津市にも隣接する
そもそもこの宇治川は近江一国の水を集めた琵琶湖の唯一の出口
山間を浸食して流れてきた川が山城盆地にはじめて出てきたところが宇治である
しかもここより下流は山城湖の名残、道も無き大沼沢巨椋池(おぐらいけ)であった
現在の宇治市の行政区域の西半分は巨椋池と言うことになる
風光明媚ということは水の世界、川と湖の世界

末法思想時代には特に極楽も水があっての世界
平等院は必然的に川と湖の境に設けられたのである
明治になって巨椋池の干拓が進み新しい町が出来ていく
それより先に巨椋池を避けて往古の街道沿いに線路が建設された
奈良線は奈良鉄道会社によって建設され、関西鉄道会社を経て明治40年国有化された
もちろん最初から蒸気機関車の走る鉄道であり、特長は狭軌(1067ミリ)である
ただ、近鉄や京阪と違って日本の鉄道軸(JR)につながっている
写真はコスモス
鯵庵(9.14)

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by ajiankyoto | 2016-09-14 08:21 | Comments(0)