鯵庵は上から目線?

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ブログを始めるにあたってどの目線にするかをまず考えた
日常の実感には日常の目線が必要だが、
それでは歴史の感想を語りたいときは空虚になる
自分の住んでる京都の街のことも語りたい
が、稚拙な観光行政を語るときは市民としての感慨が起きてしまって自然に嫌みなことにもなる
しかしながらどうせ出来ることは、所詮エッセイもどき、駄文にしても浅はかである
ただ、謙遜・卑下ばかりしていたのではブログとしての値打ちもない

長い会社時代には地位に応じた立場があった
定年後嘱託になってただの素人間になった時
大昔の部下たちの語り合いが耳に入ってきた
上司のことを「上から目線」と言う
「部下持つ身なら上から目線は当たり前やんか」とはその時もう言えなかった
そんな生温い会社だからおかげで出来の悪いサラリーマンが勤まったともいえる

本当はサラリーマン時代のことを書きたかった
それしか知らないのだから、それなら書けるから・・・
でも、またもまだまだ、気を使ってまだ上から目線って言われるのだろうな
と言う訳で、半分開き直っている訳である
この頃のサラリーマンはセクハラ・パワハラ・・そうでなくば上から目線と険しい語彙を平気で使う

残念ながらそんな単語は、素人間には関係がなくなってしまった
だから、全編のテーマは「老い」である
人が老いると三つものを失うという
「体力」「仕事」「異性への愛」である
失って初めて気づくことばかりである
自己主張するのに矛盾を気にしては出来ない
”武士も食わねど高楊枝?”
悪いけど「老い」をテーマにする限りここでは堂々と上から目線も続けるつもりである
実生活と同じならブログはやらない
3月に始めたブログも12月に200編になった
上手く撞けないと余韻も残らない

出来れば来年もお付き合いを・・
今年はまだ倒れなかった鯵庵の〆である(12.31)

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by ajiankyoto | 2016-12-31 12:00 | Comments(4)

市電のあと・・がなァ

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「3条のレールは交わらない」に続く
三条通りと言うのは今、不思議な通りだと言える
蹴上から京阪三条までは京阪京津線が通っていた、路面電車のタイプだった
今は、地下鉄東西線となっている
三条大橋から堀川通りまでの三条通りは人通りが絶えない街並みが続く
明治の頃には一番の繁華街であった、今も明治の香りを残している
過去には祇園祭の山や鉾の巡行も行われた
堀川通りから千本通りまでは市内一の商店街である
京都人の暮らしぶりの生が分かると思う
西大路からは、件の嵐電(らんでん)が嵐山に向かって走っていく
しかも、へばりつくように歴史が絡んでいる
太秦(うずまさ)あたりは日本の映画の都だ、各社の撮影所があった
聖徳太子の広隆寺もある、奈良時代には国府のあったところだ
ただ、びっくりするぐらい狭い道が続く

明治以降、特に大正・昭和の京都の都市計画は市電を通すことで出来てきた
現代の京都の町筋が概ね碁盤の目のようになっていると感じられるのは実は市電道なのだ
市電の通る道だけが大正・昭和の大路(広小路)とも言える
結局、三条大橋から西へ西大路通りまでの三条通りは市電道ではなかったことが特徴である
三条通りは北隣の最も新しい御池通(おいけどおり)がその役割をしている
そこは地下鉄が作った道だともいえる

全面市営化後約60年後(1978)、京電の路線も市電の路線も全て廃線となってバスにとってかわられるようになった
電車を走らすための街路整備は京都をほぼ今の形にした功績は大きい
でも、車に邪魔にされた市電がバスになっても、バスもまた車に邪魔にされている
繁華街にしてしまった四条通りはバスも車もどちらも通れない
四条大宮~嵐山の嵐電は市電とは別の経営を維持できたために、今も路面電車が走っている
東京・大阪に習って「大都市なら誰が考えても地下鉄しかない」というのが最大の誤解だろう
市電の全廃は観光行政としても大失策だろう、と思う
市電が観光客を呼んでくれることも想定できたはずなのだ
街の発展に合わせたふりをしているが、廃止したものを戻すことは難しい
地下鉄で赤字になるなら、いっそのこと環境の街として市電の復活ぐらい考えてもよさそうな気がする
観光客の数だけを声高に叫ぶ観光行政は、必ず市民の遺産である京都を壊していく

明治以降の新しい近代都市としての京都も日本の国の遺産である
東京型の街は兄貴分の大阪に任せればいいのだ
それが戦国時代にも生き残って何百年続いてきた京都という都市のスタンスだった
都が江戸へ行っても滅ぶことのなかった街である、それを都市と言う
自然遺産になったら自然が壊れ、文化遺産になったら文化が壊れるような失敗が怖い
京都という都市の歴史的研究がおろそかになった分だけ都市としての個性が減っていく
都市としての魅力が一番の観光資源であった筈だ
鯵庵(12.29)



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by ajiankyoto | 2016-12-29 12:40 | Comments(7)

正月を前にして干し柿が美味しくなってきた
11月に皮をむいて熱湯で消毒し吊るしておいた
風がよければいい干し柿が出来る
当方(うち)の家内が得意にしている
家内の里にも大きな渋柿があるのに、干し柿をしない
寒いけど空気が湿ってるようだ、カビてしまうという
実は京都のマンションの上の階の風がいいようだ

柿は日本固有の果物である
甘柿と渋柿の厳然たる区別はない
渋みが早く抜けるか、なかなか抜けないかである
なかなか抜けないなら抜いてやろうというのが渋柿対策である
干し柿もその一つである
それならそれなりに利用したろうと考えた結果である
干し柿は飛鳥・奈良の日本の歴史とともにあるようだ
柿の種類は数千あるようだが特定できない
自然にできたものらしい
甘い柿のなる木が発見されたら主に接ぎ木でそれを増やしてきた
奇特な人がいて生涯かけて交配で品種改良に取り組んだなどとの話は柿の木には無いのである

里の親戚に自慢の柿の木があって大きくて甘いという
富有や次郎とは形が違う、名前が分らない
農協の人が教えてくれるには百匁柿(ひゃくめかき)らしい?
匁(もんめ)というのは重さである
百匁なら375グラムに相当する
大きな柿である、甘柿でも渋柿でもない?デリケート?らしい
色はいいけど条件によって渋みが抜けきらないことがあるようだ
この柿はもらって帰って焼酎で渋を抜くことにしている
甘柿なのに渋抜きが必要?
だから店では扱いにくい柿らしい
甲州地方ではこの大きな百匁柿を干し柿にして産物にしている
それぞれの土地に合った柿があるということだろう

その農協の人が語るには
品種など知らなくても宅地内にあるのは甘柿で、庭のはずれや畑に植えてるのは渋柿だという
そんな区別法で今のところ外れたことがないということだ
この里の人は柿を売ることなど考えたことなかった
でも、今は道の駅に出している人もいる
もちろん柿を買う人は里にはいない・・のである
昔から柿というのはそれなり(?)の付き合いの果物である
鯵庵(12.27)

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by ajiankyoto | 2016-12-27 19:28 | Comments(4)

何でも聞いてください

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ボランティアで子供たちに環境のことを教えるいわゆる出前講座を担当したことがある
「何を聞いてもいいよ」と言ったら、「一番困った質問ってどんなん」という質問があった
答えられなくって「今みたいな用意してない質問」と答えた
専門用語を使わずに簡単に言うのはそのことを覚える以上に難しい
相手の知識レベルを図らなければならない
先生から、そのことはまだ○年生には教えていませんと、専門的なダメがとんできたりする・・
先生だって分からないこともあるが、ともかく子供たちには嘘を教えてはいけない
どの世界でも期待している質問が飛び出せばあたりである

「何んでも聞いてください」と言う声を傍らで聞いたことがある
若い二人女性の観光客をを乗せた人力車の兄さんだった
ご苦労なことであるが、何でも聞いてくださいとまで言うには・・
少々おこがましいのではないかとと思った
でも京都クイズみたいに何でも答えるというのではないのだそうだ
相手に合わせて答えることが大事だそうな
それが上手な人が人気があるようだ

初めて京都に暮らして、アルバイトで人力車を引く
もちろん京都のことも歴史のことも、旅の雑誌も勉強するが
同じように女性週刊誌のネタも勉強するらしい
お客さんである彼女らに分かり易い話に変えなければならない
硬派はNHKの大河ドラマの本一冊で大抵はクリアーできるという
それが京都土産である

実は喜んでいるお客さんの方が値踏みされているのである
そんな土産でいいならお安いことである
旅というのは学ぶことであった、筈である
昔は命かけてするものであった
今時、大層な土産は要らんようだ
いい土産を持ってかえってください
京都はあなたの旅の舞台装置です

京都には沢山のカモが飛んでくる・・
鯵庵(12.26)




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by ajiankyoto | 2016-12-26 12:00 | Comments(0)

家庭菜園が農業に戻る時

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当方(うち)の家内も田舎のばっさんに手伝って野菜作りに精を出している
おかげで野菜を買うことがない
夏は夏、冬は冬、野菜に合わせて食う訳だから野菜型の献立に飽きることがある
ここ何十年、米は共同だから田んぼづくりを触ったこともない
でも、米や野菜に恨みを持ったことがない

家庭菜園は人生の菜園でもある
時に、サラリーマン定年退職型の家庭菜園は生きがいにもなり得る
傍から見たら趣味か道楽である、採算も合わない
そんなのはもちろん農業ではない
都会ではそれも難しい
だから、都会の人が田舎へ畑付きの古家を買って農家のまねごとをする
田舎の人が田舎に暮らしていても言わないけれど、町の人が田舎へ行って暮らすとそれを「田舎暮らし」という

当方は、土日型である、家内の里に帰れば畑ぐらいはある、そんな我らも時に田舎暮らしの仲間である
農作物の自給率と言うその算式を小生は知らない
うちの田舎の近辺では米以外の野菜はほぼ自家消費である
米や野菜の自給率は高いはずだが、ただどう思ってもそんなのが国の統計に組み込まれているとは思えない
じいさんばあさんが道の駅に持っていってる野菜はどちらに入るのだろうか
生産も消費も把握されているとは思えない

「あそこは夫婦そろって働き者やから・・」と近所のみんなが誉めている
田舎の人は「働き者」という言葉に弱い、論理が止まってしまう
しかも夫婦揃ってという働き者は珍しい
近所の働き者の夫婦は共同作業に参加して、ん00万円と、
道の駅へ毎日野菜を持って行って、ん00万円稼ぎがあるとの噂だ
その代り二人で休まず365日である、そう思えば大したこともないともいえる
だが、昔会社勤めしていた年金が他に、ん00万円ほどはある筈だ、と口さがない
年金を分けてくれとは言えないけれど、困ったことに仲間の誰も仕事を分けてもらえない

そこまで行くと道の駅へ出すのには農薬も使わなければならない
その家だけが家庭菜園から農業にいつの間にか戻ってしまっている
みんなさわることも売ることのできない田んぼを持っている、それで集まっている
どこまでいってもそこで生まれてそこで住んで来た歴史の中で優先順位が決まっていく
都会から来た人が田舎で生きようとしても誰も参加させてもらえない
田舎は遊びに行くところで暮らすところではない
「働き者」でなければ暮らせないのが田舎なのである
何故ならば都会のサラリーマンしかしたことのない人間は道楽者にしか見えない
と・・当たってはいるが・・
どんこ氏の愚痴の話である

ほうれん草は寒さにあってはじめて美味しくなる
鯵庵(12.25)




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by ajiankyoto | 2016-12-25 06:00 | Comments(0)

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ホームページなどでもよく見かけるのが〝よくある質問″
分からないことをこの〝よくある質問″を見ればとて見るんだか、滅多と解決したことが無い
私の質問はレベルが低いのか高いのか?
Q(スイッチが入らない)A(コンセントはちゃんと差し込まれてますか)というようなのが多い
そんな質問はないやろ、と思うことが多い
見れば、マニュアルと同じようなことしか書いてない
マニュアルを作ってる人が書いてるわけだから、ここに気合が入ってないのは当たり前
世の中のQアンドAというのは、Aを先に作ってるもの
だから、Aの無いQは載せない
困ったことに都合の悪い質問は採用できないのだ
困ったことに困ってることはいつも解決しない
この場合Qが無いということはひょっとしたら〝よくある質問だから″かも
かくして、QらしいQが沈んでいく
写真はよくある病気
鯵庵(12.23)

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by ajiankyoto | 2016-12-23 18:31 | Comments(0)

僧侶が作る病院


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紅葉シーズンが終わった頃を狙って友人の京都案内に永観堂に行ってきた
永観堂は東山にある壮大な寺院である聖衆来迎山(しょうじゅうらいごうざん)禅林寺と言う
12世のご住職が法然上人に帰依して後浄土宗のお寺である、ということでご本尊は阿弥陀如来である
紅葉で有名であるが、周知なのでそんなことは書かない
阿弥陀如来の念仏の道場としてのことの方が大事である
が、それも書かない・・もう一つが明治の初めの歴史である

明治の始め三条通りの東、粟田口村の天台宗の寺院「青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)」に「京都療病院(りょうびょういん)」が開設された
なんと明治5年のことである
元処刑場のあったのが三条河原である
そんなことからか医学研究に解剖場も併設
この療病院の設立は実は当時京都の実力寺院(観光ではなく)の僧侶たちの社会運動だった

明治元年に神仏分離令、
それにより廃仏稀釈の波が全国に広がった
明治5年政府は僧侶の肉食妻帯蓄髪を許す布告を出した
何ら俗人と変わらない状態だった
それでも廃仏毀釈運動の風潮に危機感を感じた岡崎願成寺与謝野師・永観堂東山天華師・銀閣寺佐々間師・金閣寺伊藤師の住職たちが京都府の青年蘭方医明石博高(あかしひろあきら)などと語らって、僧侶たちが発起人となり京都府に病院設置を出願した訳である
仏教界の他、一般府民や医師、薬種商なども出資、花街(かがい)の冥加金(みょうがきん)まで多くの資金が集まったという
京都における近代医療の始りであり、首都でない都市としては早かった
梅毒退治や精神医学の魁となっていった以後京都は近代医学の先進都市となった
が、その時の経緯は余り知られていない
維新政府の意味のない施策であった神仏分離令のために廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた頃の話である

病院・医学校ともに明治12年に梶井門跡(梶井門跡は京都大原に本拠を戻して三千院となる)の跡へ移転
これが梶井町にある今の京都府立医科大学となる
この永観堂にも癲病院が設置されていた時期もある
廃仏稀釈は大寺院も土地をとられ、らしからぬ僧侶は還俗、そんな時期だからこそ仏教界や市民・府民が一緒になって作ったことの意義が大きい
病院は宗教の最も明確な救済活動だとするヨーロッパのキリスト教の影響も大きかったと言える

聖徳太子は日本仏教の最大の祖である
この療病院というのも聖徳太子の創設したものに習ったという宗教家の存在は大きかった
でも廃仏稀釈運動の危機感と言うものは本当にその時だけだったのだろうか
現代の京都の僧侶の職にあるものは市民の救済のために何を訴えられるのか?
浮世の観光行政に便乗したり翻弄されたり・・している様だけ見れば・・である

これも歴史
写真はニシキギ
鯵庵(12.22)

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by ajiankyoto | 2016-12-22 07:07 | 往生 | Comments(0)

京野菜になりたい

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ユリの植え付けは晩秋に行われる
ちょうどこの時期ユリ根が出回る
ユリ根はユリの茎、鱗茎である
食用の話をしている
当然ユリの生長エネルギーが詰まっているので栄養豊富だ
冬の間にイノシシが掘って食うのも葛の根やユリ根だ、でんぷん質のご馳走である
炭水化物の他にカリウムを多く含む、滋養強壮・鎮静作用の効果がある
薬用にもなる極めてスーパーな野菜である
色々レシピはあるらしいが、でも小生で言えば茶碗蒸しくらいである

このユリ根、正月には欠かせないが、京料理にはよく用いられるので時々京野菜として紹介されることがある
しかし、食用のユリ根は京都ではごくごくわずかしか栽培生産はされていない
京都の八百屋は何でも京野菜と言いたいらしい、レストランも京野菜レストランと言いたいらしい
ブランド野菜とか伝統野菜とか様々な定義があるが、結構曖昧である
最後は京都近辺で採れさえすれば京野菜というが、それではほぼ京野菜になってしまう

白くてホクホクしたユリ根はコオニユリで、今はほぼ100%北海道産である
全国の美味しいものが手に入るのが都会であるし、都会の楽しみである
しかし、消費はと言うと・・不思議なことにほぼ京都・大阪を中心にした近畿地方が多い

小生、家内に分けてもらってユリ根で自家製京野菜?を作ろうと、我が家の花壇の片隅で育ててみた
夏になったら鬼色の花は楽しめたが、植えっぱなしでいつの間にかユリ根が消えてしまった
オニユリは沢山のむかごが出来るが、コオニユリはむかごがつかないのでなかなか増えない

ある機会に詳しい人に聞いて分かった
ユリ根は出荷できるまで数年かかる、大きくするために毎年秋に掘りあげて、晩秋に植え付けて数回繰り返す、夏の涼しさも大事だ、もちろん花は咲かせないのだそうだ
しかもきつく連作が出来ないそうだ
野菜の仲間に入ろうとするだけで大変な苦労だと知った
そう思えば北海道から京都への直送便でもある
ブランドより作ってくれる人の気持ちをいただくのが野菜である
写真は正月準備その1年賀状用折り紙の鶏
鯵庵(12.21)





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by ajiankyoto | 2016-12-21 06:00 | Comments(3)

京都の世界遺産は点在するので、市バスは有効な足である
特に500円の一日乗車券はその点便利である
中学生の修学旅行のシーズンももう終わった
せっかくの京都だから、グループで乗ったり降りたり地図を見たり楽しんでくれたらいい、が、正直、時に行儀の悪いグループがいる
観光シーズンに市バスに乗る市民のストレスは大きい
小さな停留所でも乗ることは出来るが、小さな停留所では降りることが出来ない

降りられないことが恐怖になる
だが、修学旅行生なら通路を開けてくださいと言えば何とか気にしてくれる

ところが困ったことに、それに加えて外国の人が多くなるシーズンがやってくる
去年のシーズンに、回りほとんどが外国の人という満員バスに乗り合わせた
乗降りの度に乗客と大きな荷物が逆流、いつもなら不愛想な運転手が顔を真っ赤にしている
料金をもらうだけではない、乗車中は運転手がキャプテンだ、しかし、言葉が通じないそのストレスである
乗客がてんでにバラバラ、リーダーのいない群れである
旅は勉強なのに、買い物ばかり・・市バスも自分らが買ったつもりなのかもしれない
運転手さん、安全運転はもちろんお願いします

でも、見て見ぬふりはしないでくださいね
せめて、そんな路線にはもう一人(車掌)乗せてくれたらいいのにね
なんだったら、交通局が奥さんをアルバイトに雇ってやれば・・
お父さんの苦労が分かったうえで、息が合うかもしれないね
真面目な提案です?
観光局の偉い人の家族も毎日バスに乗ろう
そうすれば、「観光都市のためにも頑張ってくれてありがとう」と言いたくなるのにね

修学旅行の中学生でも、しっかりしたグループもあった
時に運転手に代わって乗客の面倒を見ることもある
5人・6人というのは小さくも隊である、自分らで隊長を選ぶ
隊長次第だ、運転手さんにありがとうと言ってバスを降りる
いいリーダーがいると一気に行儀良くなるものだ
修学旅行でそれだけでも学んでもらえば、京都市民も甲斐があるというものなんだが・・

仕方ないよなぁ、言葉だけの問題ではないよなぁ、運転手さん
もちろん女性運転手の場合だって同じこと

辛いけどでも、バスに乗ればやっぱりキャプテンだよ
写真は平安神宮大鳥居、バスでしかくぐれない、歩行者はくぐることが出来ない
鯵庵(12.19)

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by ajiankyoto | 2016-12-19 20:14 | Comments(0)

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日本で使用されてきたレール幅には狭軌と標準軌がある
鉄道は明治の文明開化の時に入って来たものだからサイズが日本式ではない
困ったことにメートル法でもなくフィートである
機関車を輸入しなければならず、当時の国鉄が採用したのが狭軌だった
それからずっと日本全国の国有鉄道(JR)線の線路幅である
それが3フィート6インチ(1067㎜)だった
それと違う4フィート8.5インチ(1435㎜)も世界に普及していた

京都電気鉄道会社(京電)は日本で最初の営業電車を走らせた
電気は琵琶湖疏水の水力発電で出来る
明治28年(1895)京都(東洞院塩小路)~伏見(下油掛)間を開通させた
その後順次路線を延ばしていった
北野へ行く線・出町へ行く線・蹴上へ行く線などなど
この電車は国鉄と同じレール幅であった
狭軌である、1067㎜である、鉄道趣味の人にはナローゲージとか言われたりする

京都電気鉄道会社路線は京都市民と経済を支えた
2代目京都市長西郷菊次郎の時に京都の将来を考えて市営の路面電車の整備に着手した
市電は京電に十数年遅れて明治45年(1912)から運行が開始された
その後、京都市によって京電の統合、買収交渉が進められた
大正7年(1918)京電の軌道21キロ、車両136両は京都市電に引き継がれた
京都市電は路面電車としての規格を先取りして標準軌を採用していた
標準軌は1435㎜、30数センチも広い
スチーブンソンの蒸気機関車の幅である
ヨーロッパやアメリカ大陸では多く採用された軌間だった
スタンダードゲージと言われる

一部区間では京電と市電とそれぞれの電車を走らせる必要があった
そのため、競合区間などでは3条のレールが使用されていた
それが挿絵のコメントである
市電化に伴って多くは標準軌に整備されていった
が、北野線のように市電廃線まで狭軌のままでの運転が続けられた路線もあった
北野(千本中立売)は千本京極と言われて京電・市電で栄えた町ではある
同じ市電でも挿絵のような京電タイプの電車が走っていたため他の街より市電への愛着が強いようだ
鯵庵(12.18)
北野線の様子は北野商店街のHPで

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by ajiankyoto | 2016-12-18 21:13 | Comments(0)