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ゲス不倫という言葉が流行った
不倫好きの人のために弁護すれば、不倫イコールゲスということではないのだ
下種がした不倫でということなのである
下種(げす・下衆・下司とも書く)とは振る舞いなどに品性が感じられないことを言う
そういう振る舞いを言うし、そういう人を言う

昔、職場でこの言葉が好きな上司がいた
仕事の謎が解けないときは、下種の勘繰りこそがが当たるというのが持論だった
こちらが下種になって勘ぐれば、相手の狙いや気持ちや腹の底が手に取るように解るという
下種の勘繰りというのは、ひがんで邪推することなのであるが・・
邪推の方が正しいことが多いというのだ
世間は打算と欲の二つで動いている???
「下種の勘繰りよく当たる」という
サラリーマンの哲学の一つだと小生今でも思っている

下種とは仏教用語である
初めて仏に触れたものに仏が種を下し与えることである
なお、やがてその種は熟し最後に花が咲く
このことを「種熟脱(しゅうじゅくだつ)」という、法華経の教えである

それをあえて下世話に持ってくれば、物を考えるのにまた人と付き合うのに高き清きところでは誤りの元になる
心構えの始まりは下種なのである
世間のほとんどはまだこの段階(下種)なのだ
そう思えば解ける話が多い
暮らしもそうだし、仕事もそうだった
テレビで見てる話題もそれなら分かる
世間の商売もそうだし、官僚でも政治家でも同じことだ
そこらじゅう・・下種っぽいのだ
下種の寄り合い、下種の忖度である
下種っぽい世間なら下種の勘繰りの方が当たるのはあたりまえ・・だ

小生に下種の種を植え付けてくれたおかげでこんなブログを書ける
その上司は田舎へ引っ込んで住職がいなくなった寺の守をしていた
「生活が出来なければ坊主も逃げ出す」と言っていた
が、その上司ももはや音沙汰がない
鯵庵(8.29



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by ajiankyoto | 2017-08-29 08:50 | おとこ編 | Comments(0)

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女は蝶、完全変態
男はトンボ、不完全変態です、幼虫からそのまんま大人になった
その所為かどうかは知らないが、男は思い切りが悪い
いつまでたっても少年だ、大人にもなりきれない、変身も下手だ
それに比べてサナギの時期を乗り越えた女性は思い切りがよい
また、思い切りの良い女性は美しい、だからこそ女性は美しいと言える

例え話ですので許していただきたい
蝶にもトンボにもオスもおればメスもいる、人間ほどあやふやではないと言われそうな気がする
サナギにならなくてもいいものもいるなら何故サナギになるのだろうか??
それはやはり変体の大きさが違うと言うことだろう
幼虫は栄養を吸収するための消火器のお化け、これをイモムシと言う
ある日幼虫から突然サナギ化するが・・
サナギは先に外形が出来るが中はどろどろの状態らしい、それが、中で固まって必要な臓器が新たに作られると言うことだ
サナギを経たあとは子孫を残すための大人の体に劇的に変身するわけである
成長すると言うより変体するというほうがふさわしい
だから変体としてはサナギになるほうが完全変態と言われるわけである

余談ながら、蝶はそれでもまだ不完全な面もある。
裸のままサナギになるが、蛾は繭を作ってその中でサナギになる、これが本当の完全変態だと言われる
それはさておき、アゲハチョウはミカンやサンショ(ミカン科)の木に卵を産む
幼虫は新芽を食い尽くしてある日突然いなくなる
変体が目的である、別のところでサナギになる不思議な習性を持っている
人もイモムシと言われるほども可愛くないが、貪欲に栄養と知識を吸収した結果は、華麗である
蝶としての運命に逆らうことなく華麗な生き様をしているように思わせられる
いろんなことを合わせて考えてもやはり女性を例えるなら、蝶それもアゲハチョウに例えるのが分かりやすく正しいとも思っている
人の生き方はいかな蝶よりも波乱に富んだものだと思う
その波乱のたびごとに成長していく様を期待して述べているのである
蝶は一度きりのサナギだけど、女性は度(たび)ごとにサナギになればいい
それが人の完全変態の目的である
その反対が男です・・

成人の晴れ着や京都へ来てレンタル着物を着せてもらって変身したなど思っている変態(変体)しない女性のことを言ってるのではありません
変態しなければ女性は肉食のまま・・
余分ながら念のために・・
写真はカマキリ(肉食しかしない女性に例えたりする)
鯵庵(29.8.27改)



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by ajiankyoto | 2017-08-27 08:56 | 女紋 | Comments(0)

いいことと悪いこと

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いいことをしながら悪いこともするし
悪いことをしながらいいこともする
いいことをしてるつもりが悪いことだった
悪いことをしているつもりだったが・・・?

思いと行為がずれることもある
好きな人もいるし嫌いな人もいる
それと世間の評価を組み合わせると・・
仏の教えをそこに加えると幾つの組み合わせが出来るのだろうか

善人と悪人と区別がつかないのがドラマであるが
役者はそれではドラマを演じられない
我らが真似をすることではない
善と悪とは決めることではなく悩むことである
鯵庵(8.24)

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by ajiankyoto | 2017-08-24 16:14 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

鞍馬口地蔵の地蔵盆

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鞍馬口地蔵は京都の六地蔵の一つ
鞍馬口は今の出雲路橋の橋詰にあたる
そこから西へまっすぐの道が鞍馬口通りになる
寺町通りと交わるあたりに大きな寺がある、上善寺と言う浄土宗のお寺
そこに件の地蔵が祀られている
ここの地蔵は、平清盛らが木幡(六地蔵)に祀った元六体の地蔵の一つ
街道の出入口と言うことでに深泥池の縁に祀られていたものが明治になって現在地へ移転、鞍馬口地蔵といわれる
前々回訪れた時はちょうど六角の地蔵堂の工事中だった
前回はやはり地蔵堂は完成していた、正面は全面開放地蔵堂である
地蔵菩薩も修理に出ていたものがお帰りになって、鮮やかな彩色であった

地蔵会という地蔵菩薩の縁日は旧暦の7月24日である
今は、月遅れ8月24日に行わる
そのため特に8月の23・24日を地蔵盆という
月遅れで行われている盆の行事に続くことから"あと盆"とも言う
大人は22日からの六地蔵参り・・である
今回、21日に行ったら準備中だった
お寺のご家族や縁日の屋台のという意味である
地蔵菩薩はいつもいつでもお参りは受け付けてくれる
一方、この頃近隣の辻々には子供たちが集まる
今は大人の都合で土日に行われることが多い
いずれにしろ夏休みの仕舞いの子供達の地蔵盆もこの時期にちょうどいい

地蔵は少年の形で現れて人間を救ってくれるいう
それが我が国の地蔵信仰の始まりだった
そこから子供の安全を守ってくれるものとの信仰が地蔵盆の行事に定着してきた
賽の河原で死んだ子を救ってくれるのは地蔵菩薩でもあるが、
子をなくした親にとっては、死んだ子そのものが地蔵の化身だったと思える時もある
地蔵は少年の形で現れるという古い信仰もさもあらんと思う
地蔵は一番身近な、しかもスーパーな佛なのだ
鯵庵(8.23)










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by ajiankyoto | 2017-08-23 07:49 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

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親が本当に子供に望んでいるのは成績じゃない、実は子供の性格なんだ、・・と
子供にとっての環境のほとんどは両親と両親との生活空間である
性格などと言うから、多様性なり個性などと言う言葉が乱入して来て分からなくなってしまう
性根(しょうね)と言いかえて見れば理解しやすい
人から金を巻き上げる子
平気でうそがつける子
親の金を当てにして生きてる子
食生活と味覚が歪(いびつ)な子
幾つになっても勉強しようとしない子
異性に興味を持たない子
自分だけは何をしてもかまわないと思ってる子、などなど・・
こんなことを性格などと言ってたら、大人になっても一生治らないよ
性格(せいかく)は遺伝しないかも、しかし性根(しょうね)は遺伝する
親も注意、何故なら子供は必ず親の真似をして親を超えるよ

女性が一人で一生懸命育てた子なのに・・
大きくなったら別れた昔の夫そのままになってしまったなどと言う話は余りにも辛い
女性は夫も子も一緒に育てていくものなのであるという・・
夫を育てられない女性は子供も育てられないと書いてあった
そこまで言われると女性は辛すぎる
ただ、育て方の問題ではない
親にとってはどうしようもない哀しさなのだ
せめて男の子は父親と女の子は母親と暮らす方がいいと言う
20年以上前、離婚が流行り出した頃の本の一節である
親だけが子供を囲い込んで育てたのでは性根は治らないという説である
子供は社会に育てられるというようなテーマだったと思う
今時、、そんな分かり切ったことを書いた本など売れはしないだろうけどね
写真はカエルの親
鯵庵(29.8.21改)

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by ajiankyoto | 2017-08-21 11:21 | おとこ編 | Comments(1)

終活アドバイザー


お盆のちょっと前のことである、いつものことながら暇つぶしにテレビを見ていた
お盆に家族が寄る機会を互いに大事にして・・就活をしておけというのだ
一は預金のありかと額(遺産のこと)
二は誰が介護をするかということ
三は葬儀の仕方のこと、あえて追加すれば誰まで呼べばいいかということ
自分の仕舞いを子供たちと決めておくことこそトラブルを防ぐ方法だとのたまう訳である
うっとおしいものを見てしまった

そもそもお盆にしか会えないのは家族ではない
こんな話に土俵も行司もない
昔は何かとオジキが出てきてくれて欲に突っ張った奴を叱りながら納めてくれたものだが今時の欲張りはこんな時にも理屈を言って人の話を聞かない
せめて人の話を聞けるならそもそも問題が起きない

子供に預金の話をあからさまに出来る親は今は1割もいないだろう
そんなことをする人は生きてる間に地獄を見る
介護のことを子供や嫁にあらかじめ頼んだとて何の保証もない
それどころかなんやかんや言って前金取られる
葬儀に誰を呼ぶかなんて言ったって、そもそも思惑がずれている
来てほしい人は来てくれないことになる
子供にとっては連絡先もわからなければかえって免罪符になる

誰かが言っていた、今の年寄りは隠居さんではないのである
そもそも、相続とは正に子供らに譲らなかったもののことである
親も子もそれぞれ別々の世帯でまるっきり違う家計を営んでいるのである
たまたま法律は家族や家庭に入ってこない
自分の持っているもので施設でも入ってくれ
そうでなければずっと入院してほしい
そうでなければ元気な時に死んでほしい
そこまで言われれば親としては幸福の部である
隠居どころか息子の扶養家族になるわけにはいかん

自分の仕舞いを自分流に出来たとしたら僥倖だろう
それよりも先に老後破産だってあり得る訳である
僅かな年金を頼りに大人になっても離れない大人子供が沢山いるらしい
さっきの話はそんな人の話ではないかという
ボケてしまいたいという人が多い
なおさら、就活アドバイザーに言われるとけったくそが悪い
やりたい人にやれるのは生命保険だけらしい
生命保険はボケる前に入っとくべきだというのはいいアドバイスだった
やはりスポンサーに保険会社が入っていた
現世(うつしよ)は一人旅である
五山の送り火を遠く眺めながら思ったことである
鯵庵(8.17)


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by ajiankyoto | 2017-08-17 09:00 | 後生 | Comments(4)

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京都の地の人は″おしょうらい(お招霊)”さんと発音のする人が多い
いかに招いた霊であっても所詮一緒に長い間暮らすことは叶わない
16日にはまたあの世に送り返す訳であり、それを精霊送り(しょうりょうおくり)と言う
今は音頭の声が聞こえなくなったけど盆踊りも精霊送りでもある
お供えと一緒に川に流したり、松明の火で現世の穢れを清める行事が行われる
各家庭・各町内やお寺や墓地でも精霊送りの行事が行われる
大量に供物を川に流す精霊流しは問題がありとのことで、代わりに京都市ではお供えの処分もしてくれる
それを大がかりにしたのがおそらく室町時代にはあったとされる「送り火」である
送り火が見えるところでは、も一度各家庭のご精霊さんもまとめて送ってもらえる
その上、旅の人も参加できる観光にも都合のいい送り火である

今は京都のお盆の観光は「五山の送り火」が代表する形になった
午後8時に東山銀閣寺の上の如意が岳の大文字が点火される
「妙法」「船形」「左大文字」続いて、一番西の奥嵯峨野の「鳥居形」が点火されるのが8時20分ごろになる
そのころはもう最初の大文字は消えかかっている
小生が初めて送り火を見たのは、親に手を引かれ田舎から京都駅に帰ってきた列車の中だった
東海道線はその時まだ蒸気機関車だった、列車が鴨川鉄橋を渡るころだったかな
眠たいのに起こされたように記憶している
京都駅のあの辺りからも大文字は見えたように思う
ただ、大文字が見えるのはいつも一瞬なのだ

昔(旧暦の頃)の送り火は天気がよければ必ず満月とセットである
山の陰の黒と群青の空の色は明らかに違う
月と大文字と精霊流しの灯りを一緒に見ることのできた昔の人の感慨は想像できない
月遅れで行われるお盆の行事では毎年8月16日の月齢は変わる
この時間に東山に上手く月がかかることの方が珍しくなった
それでも、鴨川堤防から見る大文字は絵になりやすい
今出川橋や丸太町橋あたりまで行けばよく見えるかもしれないが
わざわざ出かけていく大人は少ない
実は燃えているのは15分にも満たないからだ

この一瞬の静寂ゆえに、俗っぽい京都のお盆もこの日だけは侘しさを感じさせられる
五山の火を全て楽しめるのは難しいが、それでも数十分だ
テレビ中継ではそれぞれの火床の周りの人が映し出される
その人たちにとっては行(ぎょう)なんだと思う
そうなんだ、それもまた精霊を送る送り火なんだと思わされる
全ての火が消えてしまって京都のお盆が終わる
地上には現に生きている人だけのまた迷い多き生活が始まる
これで盆が終わるのかと思いきや、京都の夏は24日の地蔵盆に向けての準備がはじまる
鯵庵(29.8.14改

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by ajiankyoto | 2017-08-14 07:25 | 後生 | Comments(0)

墓掃除する人

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テレビドラマの墓参りのシーンはスマートだ
墓前に花と線香をたむける
人間の善やあるいは後悔を描くいいシチュエーションだ
ドラマだから墓の周りが草ぼうぼうということはない
都会で霊園墓地を買った人はそんな善なる場面に憧れる

小生の大阪郊外の墓地は親が買ったものだ
もう30年になる
あれから長男が死んで親父が死んだ
それぞれの名を刻んである
陽当たりにいい墓である
し、親父も自分でしつらえた墓に入るのだから満足していると思う
その親父の墓を守るために今日は30キロ走ってきて
炎天下、地面をはいつくばって小鎌で草の根を切る
それからやっと墓石を洗って線香に火をつけるころには汗だくだ

帰りに家内が"小生が先に死んだら霊園の墓地の始末をする"と言い出した
一人では墓参りも出来ないし、なおさら墓掃除に30キロも年寄りが走ってくることなど出来る筈がない
我が家は既に、長男も親父も東大谷の御廟に納骨してある
我らもそこであれば困らない
それなら、歩ける限り毎日でもくることは出来る
墓地があるからと言って大阪郊外まで持って行く必要はない

丹波の家内の里では盆前に檀家総出で墓掃除をする
掃除は家を守る婆(ばば)ばかりだ
しかし、お盆には賑やかに家族でお参りする墓であれば報われる
誰も来ない墓が増えている、そんな噂話ばかりだ
うちだって、もうすぐ墓掃除に出る人がいなくなるだろう

テレビドラマとそこが違うのだ
墓掃除する人と墓参りする人とは違うのだ・・?
鯵庵(8.12)




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by ajiankyoto | 2017-08-12 07:20 | 後生 | Comments(0)

閻魔大王と小野篁の地獄


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小野篁(おののたかむら・802-852)は平安時代の初期の公卿、学者・歌人でもある
変に気骨のある人であり野宰相(やさいしょう)とも呼ばれるとある
小野氏は幾筋かあるが、名門武士の祖である
野太とか弥太郎とかいう名は小野氏の長男を言っていた
千本えんま堂や六道珍皇寺の伝によれば小野篁は創建に直接かかわったとされる人物である

盆の精霊迎えを六道参りとも言う、六道とは天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道のこと
餓鬼のくせに″私は人間道にいる”などと勘違いしてはいけない
浮世で生きている限り迷いばかりでぐるぐる輪廻(りんね)している
輪廻転生(りんねてんしょうとは)とはぐるぐる回ることだけを意味している
生まれ変わることとすれば人は一生の内何度も生まれ変わっている
地獄は死者の国であるが、現世とは密接につながっており
佛でなくとも小野篁はこの世と地獄と行き来していたとお寺では言う

閻魔大王が冥界の王である所以は、”真理に忠実なものと偽りを語るものを厳密に区別する”ことにある
死してゆくところは他界であるが、他界とは閻魔大王の世界のことを言う
閻魔大王は自分の世界に到着した人の善悪の行為をはかる裁判長である
それは小生らが子供時分から機会あるごとに教えられた閻魔大王の世界でもある
冥界に一番近いというこの寺も言ってるのである
生きた小野篁がこの世と地獄と行き来できるということは大事なことで、地獄はそう遠い世界ではないように思える
しかも、小野篁は閻魔大王の書記を勤めていたと言う
極めて浮世と似た話である、急に地獄が怖くなる
政治家も弁護士も詐欺師も同じように何十枚もの舌を抜かれるだろう
閻魔大王の前では浮世で堂々とまかり通ってきた嘘や善人面は通らないと言える

あの世が遠いところにあれば閻魔もだましても一度上手く世渡りしてやろうと思う輩もいるだろう
この世の裁きは不条理なものであるが地獄では真実だけが通る
人々はそのことに救いを感じるのである
自分もいいことばかりしてきたとは言えない
しかし、いいことばかりしてきたという人も閻魔の厳しい審理に合えば化けの皮がはがされる
地獄もこの世も同じであるが、地獄には真理がある
そのかわり地獄でも我ら凡夫はまた六道を流転するという
地獄の責め苦は輪廻転生である、業が尽きれば人間道に転生出来るかもしれない
上手くすれば地獄と言う闇の国から極楽と言う光の国へ行けるかもしれない
お盆特集、小生の地獄論の一端である
写真は施餓鬼壇(千本釈迦堂いて)
鯵庵(29.8.11改)


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by ajiankyoto | 2017-08-11 07:47 | 往生 | Comments(0)

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"京都の人が皆、千本えんま堂や六道珍皇寺へこぞって迎え鐘をうちに行くように書く京都案内は大きな誤解の元である
全国それぞれと同じで、それぞれのお寺やお墓があるし、それ以上にそれぞれのお盆の暮らし方がある、ことわっておきたい
それでなくとも日本のお盆はいつも俗っぽく始まると前回も書いた
正月に比べると、お盆は俗っぽさを喜ぶのである
お盆になれば地獄の釜の蓋も開くと言うのだ、ひょっとしたら自分の大切な人が地獄にいるかもしれないと思わせられる
小生はその仕掛けを覗いてみたいのである

そう思えば水子供養も気になる
広く考えれば地球上の子供達の数万倍の水子がいると説く坊さんがいる
そう言われなくとも、特に男性は水子供養と言われて無関係を装うことは出来ない
この世のことで全てのことをなかったことには出来ないのだ
このままの形で許してもらえるならこの際許されたい
と思わされたとて仕方がない
水子地蔵もお参りくださいと坊さんに勧められることになる
青春時代からずっと・・胸に棘さすことばかり・・
知ってしまえば、やはり悪いのは自分であると思う・・

閻魔大王は複雑な神様で、この世でもなしあの世でもなし、冥界(めいかい)を支配する
それでいて、地獄からでも救い上げてくれるという地蔵菩薩の化身ともされる
そんな時にすがれるのは閻魔大王か、それ以上に地獄にも顔の効く地蔵菩薩なのである
宗教は哲学を俗化したものとも言える
哲学だけでは多くの人を救えない
俗っぽくても仕方がないのだ、佛というものはどんな姿にでもなるスーパーな存在でなければならないし、何にもまして何万・何千と言うお寺とお寺の家族も養わなければならないのだから
それがお盆の了解事項なのだ

余談ながら、この閻魔さんの縁日は1月16日と7月16日
今はほぼ死語になりつつあるが、この日は「藪入り」とも言う
お盆の7月16日は昔は嫁や奉公人が実家へ帰ることが許される日
閻魔さんありがとうと心に言いながら奉公にあがった少年・少女が日頃の辛さを忘れて親の顔を見に行ったのもお盆の過ごし方である
それも閻魔さんの功徳である
庶民には佛も俗っぽいほど好かれるような気がする
鯵庵(29.8.10改)


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by ajiankyoto | 2017-08-10 08:00 | 往生 | Comments(0)