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悪意の始まり⑵


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やっぱり出てきた
新聞によると・・中国産の青ネギを京都産の「九条ネギ」と偽って首都圏で売りさばいた
九条ネギの本場に会社があって、生産農家と契約し九条ネギなどの京都府産のブランド野菜を商っていたという
小生の見分でも東寺(京都市南区界隈)近隣のネギの生産地は少なくなってきている
九条ネギも府内各地及び府外での生産が拡大している

ネギでも「きざみ葱」は、年間を通じて需要が拡大の一途で、
この頃はJA京都でも大きな加工工場を作ったくらいだ
狙いは首都圏らしい
首都圏では京都産の九条ネギは強力なブランド力がある
それはいいのだが、それではネギが足らなくなるのが目に見えている
ましてやネギは季節ものなのである
今回のように輸入ということになれば名だけのブランドとなる
逮捕された会社社長は産地偽装はしていないと言う
きっと他府県産程度ならばれなかったと思っている
拡大産業だから同じような業者が多くいる
今回の逮捕はその警告だろうと思う

ネギはネギなのである
九条ネギは完成された品種である
日本中で苗が手に入り誰でも作れる
それでも産地偽装は生産者の善良な意欲を極端にそぐ
でも、「キザミ」にすれば分からなくなる?
培ったブランド力は商売にも使える
今のネギ屋さんは加工業者であり生産者ではないところに問題がある

九条ネギというイメージは儲けもんだ
ブランドラーメンに工場で生産されたブランドキザミネギ
ブランドに弱い都会の人の顔を思い浮かべながら商売すると
誰でもつい悪意が始まるというものだ
それでもいいという人も世の中に沢山いる
一方、だから"京都ブランド"は嫌いだという人いる
もちろんネギに限った話ではない
鯵庵(29.10.30)



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by ajiankyoto | 2017-10-30 17:53 | 偽装 | Comments(0)

ゴルフが好きな大阪の友人が飲んで語る
秋は天気がよくて気持ちいい、「赤とんぼ」と一緒にプレイが出来て自然を満喫してきた
そんなこと言うぐらいだからスコアーは悪かったに決まっている
ただ”自然派ゴルファー”を自認してるだけのことはある
ただし、「それは赤とんぼと違うで!」と小生が突っ込んだわけである
それははるか南方で羽化し台風などによって飛んできた「ウスバキトンボ」
ウスバキトンボは進化したトンボで日本でも約1月で羽化する
日本へ来てからも世代を重ねているのだ
そうしながら日本列島をどんどん北上してちょうど秋になれば一番数が増える

赤とんぼイコール「アキアカネ」は秋になれば里に下りてきて田んぼや湿地に産卵する
卵が湿地の土の中で冬を越す、春になって孵化するヤゴは脱皮を繰り返し6月頃に羽化するが、羽化したらすぐに高い山に上って夏を越す
そして秋に交尾して産卵したら冬に死滅する、そんな一生を暮らす
赤とんぼが激減している、という
2000年頃から減りだして今は一時の1000分の1にまでになっている
赤とんぼを見れない地域が増えているのだ
赤とんぼは私たちの祖先が稲作を始める前から日本にいたトンボだけど
稲作とともに生息環境が増えて日本列島に広がっていった
日本は赤とんぼの国だった
しかし、稲作は続いていてもアキアカネが生きていけなくなっている

そもそも播州龍野の”夕焼け小焼けのあかとんぼ・・”(三木露風作詞)もウスバキトンボかもしれないといわれるぐらいなら
ウスバキトンボを赤とんぼといっても差し支えないのではないかと友人の反論である
ごもっともな話ではあるけれど
外国から日本に来た人が見分けがつかないからと言ってどっちでも同じでないかというの?
ウスバキトンボもアキアカネも冬になったら死滅してしまう
ウスバキトンボは南洋の方で暮らしていてまたやってくる
しかし、アキアカネは日本の水田や湿地で卵で暮らしている
日本の水田で子孫を保とうとするものと同じではないかというのは違う
しかも、我々が手を下して激減に追いやっているのである

それ以上のことを知らないのだから、話はそこまでである
もちろん彼と喧嘩した訳ではない
「それらしい景色にウスバキトンボさえおればいいじゃないか言うのは違う」と意見が一致した
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(大阪のカルチャーで話を聞かしていただいた井上先生の本、環境の多様性がトンボにとって自然だと教えられた)

多くの人が殺虫剤だらけのゴルフ場をウスバキトンボが飛び回るのが日本の自然だと感心している
日本の街や里の文化だけでなく、至るところでたった数十年前の自然すら激減しているのを見ないようにしている人が多くなった
鯵庵(28.11.4)

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by ajiankyoto | 2017-10-30 07:52 | 自然 | Comments(0)

悪意の始まり

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世界的な大会社の社長が「現場には・・悪意がなかった」という
検査書類に、自分の印ではなく正規の検査員の印鑑を押しながら・・である
社長が言ったのである
経営者に問題があることをこの社長は気づいていない

品質に問題はないと言いたいのだろう
会社が考える「品質」と消費者の求める「品質」とは違うことを白状した
「検査」が「品質」だとすら理解していない
様々な偽装事件が暴露される
多くの場合、品質や味に個別の問題がないという

昔、但馬牛を佐賀牛だと偽って、「佐賀牛で何が悪い」と言った人もいる
佐賀牛でも"遜色"ないと、品質論で言い訳した
偽装に悪意がないと言いたかったのだろう
今度は佐賀牛が「佐賀牛でも遜色ない」というのは何事かと怒った
客の食い残しを別の客に出していることもばれて店を閉めた
いつまでたっても同じ話である
会社の方の理屈である

有名になったり、大きな会社だったりすると、それだけで弱点があるのだ
社長や部長が何をしなければならないかを理解していない人が多い
会社でもそういう人の方が出世の機会が多いからだ
消費者我々は日本の工業製品の高品質に慣れている
そのことを知ったうえで品質に手を抜く
それが悪意でなくてなんだろうか

そもそも悪意がなかったと言い訳することが
善意も良心もなかったと言ってるに過ぎない
まだ、そのことに気づかない
鯵庵(10.28)

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by ajiankyoto | 2017-10-28 09:26 | 偽装 | Comments(0)

(尊勝院/粟田口界隈に続く)
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元三大師と言うのは慈恵大師(じえだいし)とも言われる
18代の天台座主良源(りょうげん)、天台宗中興の祖とも言われる
ここは元三大師をお祀りしているお堂でもある
応仁の乱の後秀吉によって再建されたとある
徳川期は住職が多賀大社の別当を務めるなど
青蓮院門跡の有力な塔頭であった

が、ここで述べたいのは平安時代の良源のことである
僧兵を多く抱えた比叡山であったが、
良源(985没)や源信(1017没)は天台本覚思想と言う教義を体系化していく
これは平たく言うと信仰中心主義であった
その後200年やがて、法然(1212没)や親鸞(1263没)、道元(1253没)、日蓮(1282没)などの僧はこの思想を超えて鎌倉時代の新しい教義を開いていく

その根元にあるのが、良源である
良源は観音の化身とも言われたりする
角大師(つのだいし)はこの良源の姿厄除けの護符である
近江の坂本や大原や京都市中の民家に見られる
この項、その護符の謂れの一端である
鯵庵(10.26)




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by ajiankyoto | 2017-10-26 09:27 | 往生 | Comments(0)

検事とその妹

誰がそんなこと言ってるのか知らない
民主党が政権を担っていた時に言われた
民主党の最大の弱点は高学歴だということだ
それ以外のものを排除する精神構造しかもっていない
寄り合い所帯だから上手く行かないのではない
学歴偏重で何もかもうまくいかないのだ
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それはさておき、我が国で司法試験に合格するということは古き中国のあの公務員試験科挙と同じことなのだ
合格さえすれば支配階級になれる
今の日本にも司法試験合格者だけの言葉と世界があるのである
弁護士が政治家になって政治家を辞めても弁護士になる
政治が出来るのは司法試験合格者でなければならないと思ってる人たちの集団がいる

鯵庵は勝手に今、愛唱歌「検事とその妹」の歌を思いだしている
♫泣くな妹よ妹よ泣くな・・
♫泣けば幼い二人して故郷を捨てた甲斐がない・・
歯を食いしばってせめて兄だけでも世に出ていってほしい
でも、あれから数十年、その人たちの成れの果てを見ているようで寂しい

同じ司法試験合格でも、検事をしていた方が政治家に向いているらしい?
国家試験を通った弁護士が悪徳弁護士で金儲けする構造もおかしい
法律は自分たちのためにあると思って勉強してきた人ばかりでは困る
改めて、正しく生きる人のために仕事してもらうためには・・更新試験も必要?・・・弁護士がこの国を食ってしまう
鯵庵(9.26)



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by ajiankyoto | 2017-10-26 09:13 | 翁草 | Comments(0)

尊勝院/粟田口界隈

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粟田口(あわたぐち)と言うのは、秀吉の京の七口の一つ
三条口とも言う
東海道や中山道へ繋がる街道の口である
秀吉の時代には三条大橋の西側、今の河原町三条の交差点に近いと言われている
その後は東海道の上りとして都への入り口としての役割を果たす
蹴上(けあげ)から西へ三条大橋の方へ進むと粟田(あわた)神社がある

通りから南へ参道がある
しばらく進むと旧東海道に出る
粟田神社の参道に少し西へずれて並行してあるのが、京都一周トレイルの東山コースである
このまま登っていくと将軍塚に至る筈だが、その途中にあるのが尊勝院(そんしょういん)である
そこまで登ると、ここから京都の北山方面が望まれる
真下が粟田神社だけど、直に行けない
隣が青蓮院だけどこれも直に行けない

実はこのお寺、隣接する青蓮院(しょうれんいん)に属す、住職は青蓮院門跡とある
青面金剛(しょうめんこんごう)を祀る京都の三庚申(さんこうしん)の一つと言うことで時に見学させていただくわけである
地図では上手く見つけられない、観光から外れてしまうとこれほどのものかと思う
本当に60歳以上にはしんどい、その静すぎる尊勝院
元三大師(がんざんだいし)良源のお堂である
近江坂本の西教寺の時にも名が出てきたあの元三大師のことである

この項続く
鯵庵(10.22)



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by ajiankyoto | 2017-10-25 09:45 | 往生 | Comments(0)

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元弁護士が火薬に火をつける役までした
早く切れと世間が言ってくれてたのに・・
詐欺師に騙された、その後も続く
妻の代わりに謝ってるつもりです
つもりなのですが伝わらない
謝らない妻を守るのが男です、と勘違いしている
あの時謝らない妻を謝らせらせればも少し長続きしたかもしれないのに・・
と気付くには今回まだ少し時間がかかることになった

女を謝らせるような男になってはいけません
これが親の遺言だった?
それ字が違うのちゃう
女を誤らせない男にならなければなりません

謝るということは心をともなった礼儀であるはずだ
惻隠の情とは親が子を思う時の気持ちである
時に武士の情けとも言い、時に忖度とも言う
たとえご政道だって同じである・・
平たく言えば謝ってすむことがないわけではない
日本には謹慎という温かい言葉もある
それも礼儀の一つである
日本で長いこと暮らすイギリス老人が言っていた

始めは何のこと言ってるのか分からなかった
選挙も台風も一過、小生の話し相手が今日も公園に来た
日本語が上手だ、この頃分かりかけてきた
騎士道・武士道ともに廃れて、今や日本の婦人道も腐ると言っていた
鯵庵(10.23)



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by ajiankyoto | 2017-10-23 21:32 | 翁草 | Comments(1)

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「がんもどき」は「雁擬き」と書くが、あまりしっくりこない
近畿地方では”ひろうす”と言うとあるが、これも同じである、インパクトがない
何んとしても語源の意味を説明したいようだが、何を聞いてもしっくりこない
嵯峨の釈迦堂近くの有名豆腐屋は観光の客も多い
店前で豆腐を手で食っていた食通も時々見られるが、それならがんもどきの方がいい
「油はいいのを使ってます」とちゃんと広告している
一つ200円(スーパーの倍ぐらい)ほどで買える、京都豆腐の″がんも″ならいい土産になるのと違ぃまっか
京都は粗食文化の町である、歴史的にも公家も武家も商家も庶人もずっと食事は粗末だった
精進料理も懐石料理も粗食文化である、その粗食の味を古い京都の人は知っていた

一方、実は日本全国、豆腐の国であった
そんな中で考え出されたものが、がんもどきでもある
豆腐に・・人参・牛蒡・木耳・かじめ・山芋・百合根・銀杏などが入っている
全て、主要食材である、それを油で揚げる、それをまた煮て食えばまさに一等賞である
粗食と言えば貧しいと思うのは貧しさしか知らない心である

粗食でいいんだと思えば、料理は工夫次第なのだ
そうして発展したのが料理文化なのだ
がんもどきは粗食の中でもぜいたく品であるのかもしれない
京都の人はだから”がんも”と言った方に愛着を感じている

豆腐やがんもどきを買いに嵯峨まで行く人はいない、町内の豆腐屋のが一番旨い
世の中”もどき”ばかりのこの世の中で裏切らない”もどき”が”がんもどき”である
がんもどきの”もどき”は謙遜語の”もどき”である、これがもどきの擬きたるゆえんである
と言うのが小生の論である
これとは反対に、選挙が終わっても世の中の"もどき"はまだ続く
鯵庵(10.22)


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by ajiankyoto | 2017-10-22 09:58 | 京都の水 | Comments(0)

誤算なのか違算なのか

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実は集団行動が苦手な人ほど集団行動が好きなのだ
小さい時から勝手な行動をし学校にも行かず、
それが個性だと言っておだてられたけど、
だからと言って個性で飯を食うほどにはなれなかった
気がつけばそんな群れから離れ、離れまいとしている
小さい時に大きかった集団はいつかいくつかの群れになって、
下級の自分の群れからも置いていかれる
集団行動についていけないのだ

集団行動こそがメンドクサイ
群れることとは違う
30歳・40歳になってさえもまだおみそに気づかない
人生は誤算だらけであるが・・違算ばかりではいつか生きていけなくなるよと
気がつけばそんな群れから離れ、離れまいとしている

子供のおみそはガキ大将の群れについていけばいい
大人のおみそはガキ大将がいない
おみそが群れている
でも伝染病にでもかかれば、自分の群れからも置いていかれる
今こそ個性的に生きはじめるときになって今度は一人が怖い
モラルの群れからも置いて行かれる
それもおみそという

いいんだよ、いいんだよ、幾つになってもおみそはおみそなのだ
小生だっては言わざるを得ない
人生は誤算だらけであるが・・違算ばかりではいつか生きていけなくなるよと・・・
鯵庵(10.20)

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by ajiankyoto | 2017-10-20 21:41 | おとこ編 | Comments(0)

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つい、「面倒くさい」と言ってしまった
年令的にぼちぼちそんな表現も許されるかなと思った次第である
この面倒くさいという言葉、なんとも便利な言葉である
いい職業を持つ30代の女性、〝仕事をしたいときに恋愛をすると煩わしいことが多い、恋愛も結婚も結局は面倒くさい″と
一番面倒くさいは仕事だと思うのだが、そうでもないらしい
仕事にかまけて家庭を顧みもしないという企業戦士が活躍した時代はずっと前に過ぎてしまったと思っていたら、そうでもないみたいである

男性A君が同じようなことを言っている
大学を上手く卒業して、上手く就職も出来たとして、
"家庭を持つだけの力を得るのにこれからでも10年はかかりそうだ、だから今は恋人も面倒くさい"と言う
自分のペースに合わせてくれるならばいいがそうでないなら一人でいる方がいいと言う
小生、茶化すのではないがそれも真理だと思う
ただし、友人や人生の伴侶を得るのに計算は不要である
公式と言うものがないのだから・・自分都合の計算式なら計算しない方がましである
加減のいい人との付き合いというものは存在しない

都合通りでないのが人生だと思う
それは本当に面倒なことなのである
都合通りでないということが面倒くさいというのだが、
都合通りでないということが得難いものなのだ
"一人でいる楽しさ″を味あうのには彼女も彼はまだ若すぎる
今はメンドクサさを味わうのもメンドクサイ
気持ちが分かるような気もするが
鯵庵(10.19)



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by ajiankyoto | 2017-10-19 07:47 | おなご編 | Comments(1)