がんこ氏の場合⑶

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ブログにふさわしくない話を続けます

がんこ氏は言う
わが国の救急体制と脳の外科医に助けられた
救急病院の外科医は激務だ
入院していた時によくわかった
少しの差であっち側へ転んでいたかもしれない、と思うとぞっとする
それは当直医の差でもある
その怖さが改めて襲ってくるという

わが国で、タイミングよく高度な外科手術や先進医療を受けられる人はどれほどいるのだろうか
医療が高度すぎて、あまりに多くの費用がいる
たとえば保険をしっかりかけておくことはできる
しかし、それだけではダメである
具合悪くなればすぐに有名病院に雲隠れ入院できる政治家以上の力がいる
しかもである、そんな悠長な話ではない
なんぼ救急体制が整っても、なんぼ名医にコネがあっても、倒れた時に家族がそばにいなければ・・と言うこともある
一人で暮らすリスクは限りなく大きい

愚痴っているのではない
日本の医療の水準と日本の健康保険の制度は、もうすでに享受している
現にがんこ氏自身が命拾いをした
ハッキリ言うと普通の人間にはこれ以上の幸運を求められないのではないか
テレビで見た有名外科医の活躍を見てそう思う
日本の名医はこちらがいくら調べても向こうから寄って来てくれないし、来られてもこちらにそれだけの経済力はない
恐らく迷うばかりである

だからこそ平等に得られる医療行為を越えれば自分の力のみで生き延びていくことが大事なのだと
高い志を持っている日本一の医者にかかれば場合によっては治るかもしれない・・という我欲を捨てなければならない
それは不老長寿のような秦の始皇帝的な永遠の欲に近い
仙人にもなれない我々は世の中が平等ではないと知ることが出来るくらいの人生経験はある
だからこそ平均的寿命が絶対的多数の人生なんだと悟らされるという
今は素人間で生き抜かなければならない人ばかりに囲まれていると、がんこ氏は言うのである
あなたはどう感じますか?

この項続く
鯵庵(5.9)


# by ajiankyoto | 2017-05-09 04:00 | 健康保険 | Comments(0)

人生の並木路

人生がもう終わったと思った人でも
そのことを語れるのは1割ほどである
9割の人は何も言わずにそのまま人生が終わってしまう

♪泣くな妹よ 妹よ泣くな
泣けば幼い 二人して
故郷を捨てた かいがない・・(S12)
「阪神タイガースの歌(六甲颪)」の佐藤惣之助の作詞である

それはさておき・・並木路なら道を間違うことが少なかったかもしれないね
鯵庵(5.8)
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# by ajiankyoto | 2017-05-08 07:57 | 翁草 | Comments(0)

がんこ氏の場合⑵


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ブログに向かない話を続ける

実は・・と、がんこ氏語る
車椅子1年ぐらいで奥さんが耳元で囁くようになった
〝別れてくれ、別れてくれ″と
奥さんに甘えてばかりのがんこ氏には最初は何を言われているかも分からなかった
しかし、奥さんの気持ちがそうであるなら仕方ないと思うようになってしまった
男の気持ちである
1年や2年で別れたわけではない
がんこ氏が自分一人でも暮らせるまでの回復を待ってである
病気しなければそう思うことはないけれど、今なら自分も、杖ついても自立できる
長い間こんなわがままを許してくれただけでも感謝する気持ちが先になってしまった
昔は助けたけど、これからも助けられるとは限らない
しかし別れてしまったらこちらは助けない
男としての結論だった

ほぼ、年令並みの健康を取り戻しつつあるがんこ氏、寝たきりになることが一番怖かったという
血管の病気はどちらに転ぶか、だと
がんこ氏はこちら側に転がって今がある
動けることが嬉しい、と言っていた
仮に寿命というものがあっても、戦争(わが国ではあまり現実性はないが)や事故だってあるし、不摂生がなくとも大病を患うこともある
それでいながら、ここまで来られたのは車に例えれば心臓というエンジンがよかったのではないかという意味のことを言った
ならば修理してまだ使えるうちは何度でも修理して使うべきであると・・

人生の終末をどう過ごすか、と言うことを思わせられる日々だという
奥さんの方の寿命が長い
今はよくても離婚の夢も破れやがて齢とって腐ることもある
極端な言い方をすれば、別れてから年をとっても夫婦一緒に年をとっても、どちらか先に死ぬ訳だから結末は同じことだと言える
自分の家で一人で暮らす人もおれば、自宅を空にしてここで暮らす人もいる
この施設にだって・・自宅を売って来た人もいる
生活保護で最後にここで暮らす人もいる
やっと安住の地を得たという人もいるし、何故に自分はこれほど程不幸なのかと毎日心ざわめく人もいる
ここへ来れば過去のことは同じになってしまう、思わせられるとがんこ氏は言う

この項続く
鯵庵(5.6)



# by ajiankyoto | 2017-05-06 06:48 | 健康保険 | Comments(0)

がんこ氏の場合⑴

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ブログにしては少し辛い話になります
恩人である先輩(「がんこ氏」にしました)・・今施設で暮らしている
時たま小生様子を伺いに参上している、今はお元気である
実は10年ほど前に脳の血管が詰まって倒れた
幸いにして・・病院1年、車椅子3年で今は元気である

だがしかし、その後、奥さんと別れて今は一人
しばらくは自宅で一人で暮らしていたが、介護付きの施設に引っ越した
奥さんもいい人だった
献身的な看病・介護だったと思うが、がんこ氏が自分で車椅子に座れるまでに治るのを待って別れた
がんこ氏の話では、家族会議での決定だという
この間(倒れて1年ぐらい?)に夫婦の気持ちの大変化があって、
家族の結論は、結局はがんこ氏の病気が治って一人暮らしが出来るまで離婚を待つ、ということになったようだ

悲しいことではない、そのおかげか、奥さんの介護でがんこ氏は人より早く蘇った
雨の日も風の日も、奥さんに支えられ自分で車椅子を押し、自分で歩いた
家族だけが医者なのである
何よりも物理療法の看護師以上である、熱意でもある
複雑な愛であるが、別れたい一心であったというのはそれだけではないし違うような気がする
同じ齢であっても10年は感性が違うのが男女である。
奥さんに何か夢があったかは小生は知らない
例え、理想的な夫婦であっても・・がんこ氏が病気になって初めて相手を分かったこともあるのではないか

家族で出来る介護にはいずれ限界がある
息子さんは冷静だった、家庭裁判所の判事のようなジャッジだった
父上と母上のそれぞれの最後を看取る(正しく言うと〝見守る″)だけの根性はあったのではないか
がんこ氏は分かった人である
それでなくとも倒れて蘇って本当に人が変わった程の人である
年齢を経て思うことは「今までに想像もしない人生と・・想像もしない人が待っている」と知ったと言う
一人で施設暮らしが不幸だということはがんこ氏の口から聞いたことはない

(この項続く〉
鯵庵(5.4)

# by ajiankyoto | 2017-05-04 07:00 | 健康保険 | Comments(0)

カバンが小さくなった

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カバンを持つほどの写真はやめたので、カメラかばんも要らなくなった
会社も終わって一番要らなくなったのはカバンである
簡単なことであるがビジネスがないのだから
昔のカバンで一番大きな皮のカバンが今は非常持ち出し用になっている
記念に頂戴した上等のアタッシュケースは一度も使っていない
二度と使うことはないだろう

退職後に買ったファッション性の豊かなカバンもこの頃は使う用がない
旅行カバンも型が古い?旅行に行かないのだから使うこともない
カバンを買ってまで旅行に行こうとも思わない
しからばという・・と、実はやはりリュックサックが一番重宝する
オールマイティながら、目的別に用意している
街歩きと、シルバーのパートと別で使っている
忘れ物をしない手でもある

携帯電話は1台しかないので仕方がないが・・
カメラも薬も小銭も鍵も、ICカードやノートも鉛筆もおやつも別々に入れている
リュックさえ持って出れば・・そう迷うことがないし、帰ってこれる
要は、忘れ物がなく帰ってこれるわけである
思えば忘れ物ばかりの人生だった
それでもカバンは人生の友だった
今でもであるが、中身が変わってきた

最初に入れたのは親に作ってもらった弁当だろう
教科書より重かった、会社の書類も入れた
出張の時は書類をほって子供の土産を入れたこともある
カバンに入るだけのものを入れたらカバンを持てなくなったということもある
マイホームを建てたころ、やけにカバンは重かった
人生は重荷を背負って生きるがごとしというのは実感だ
重荷は全てカバンに入っている
リュックに代わったが、ひと頃より軽くなったような気がする
これからは自分が重荷になってくるのだろうか??
鯵庵(5.2)


# by ajiankyoto | 2017-05-02 07:20 | 翁草 | Comments(0)

女紋が似合う女

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その家で定められたもの、これを定紋という
家によっては裏紋とか替紋といってもう一つ二つ持つ家もある
この他にあるのが女紋、家の紋ではなくあくまでも女性が個人で持ち、個人で引き継いでいくもの
女系の名残りかもしれない
このような風習は京都・大坂あるいは近畿地方だけともいう
由緒のありそうな家系育ちの女性にはお持ちの方も多いかもしれない
婚姻の時は実家の家紋であっても構わない
むしろ案内状などではこちらを使う、家の紋だからだが、それでは結婚後は使えないし自分の子にも譲れない
貸衣装の女性の礼服では五三の桐やツタの紋章などで女紋を代用したりしている

何処の家でも家紋があるだけでなく、日本はデザイン性でも奥深い文化を持っているといえる
わが国は長い封建文化により家を継ぐものとして男系で相続していく、その象徴が姓と家紋である
一方、実生活では女系の意識も根強いものがある
娘が嫁に行くときは女紋を持っていくというのが個人のプライドである
祖母の母から祖母に渡り娘である母にも渡りして、今は妹が継いでいる筈だ
が、妹に女子が生まれなかったのでこの筋はそこで終わることになる
姓は継がなかったけど代わりに血とプライドを継いでいるのが女紋である

無くても困らないしものなのだが・・ならば、
貧富にかかわらず・・何処にいても自立できる誇り高き女性なら是非とも定めておくことをお勧めする
あくまでも一個の女性が家と別に持つものだからだ
無ければ作ればいい
重々しくなく自分の好みでのデザインを選べばいい
既成のものから決めても差し支えない
これなら別れても別れなくとも自分の紋であるわけ
ぜいたくを言えば文箱や化粧小物に自分の紋を入れてもらえばいい
将来同じように嫁に行く娘に同じ紋を持っていかせればいい
ひょっとしたら最後は母娘のつながりだけしか信じられないかもしれない

女紋を持てば浮世の風は冷たくも、背筋が伸びてきりきりしゃんと生きていけると信じているからである
女性個人の誇りでもある、が
そのためには女はいつも親を超える女にならなければならない
家が滅びれば家紋は役に立たない、女は女紋を抱いて死ねるって?
それは分かったけどいらぬお節介だって・・鯵庵(5.1)



# by ajiankyoto | 2017-05-01 07:00 | 女紋 | Comments(0)

男らしさ?

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〝男らしさ″というものがあれば〝女らしさ″というものもある
いずれにしろ〝らしさ″という言葉は、定義は曖昧だ
倫理・哲学の一つだと思うが・・あまり学問的ではない

どちらかというとやはりホルモンの影響の方が強い
睾丸(こうがん)で生成・分泌されるテストステロンというものが男子の男性としての機能や〝身体的男らしさ″を作っている
とすれば睾丸が男らしさを作っているという世間の常識を肯定することになる
生理学的に言うとこのテストステロンというホルモンは「闘争心」に一番かかわりが強いとも言われる

そんなことから、〝暴力ホルモン″とか〝浮気ホルモン″とか言われる所以がある
もちろんこの場合の暴力とはDVやストーカーのそれとは逆で強いものと闘ったり家族を守るために闘ったりするその闘争心の表れを言う
弱いもんいじめは男らしさの反対側である

男性のホルモンの作用を見誤ると女性にとっても具合の悪いことにもなる
強いから優しくなれるのが〝男らしさ″である
女性の都合で〝男らしさ″を求められるのも困るが、母親のようにそんな稚気を大事にしてやれるのが女姓である
ひょっとしたら"強いから優しくなれる"・・のが女性
それじゃ同じになってしまう
優しくなれるということはそれほど遠いことなのか
〝聖母たちのララバイ″という歌もあった
女性も半分は男から生まれたものである

写真・・らしさだけで生きているカエル
鯵庵(4.29)



# by ajiankyoto | 2017-04-29 08:00 | 女紋 | Comments(0)

琵琶湖のイサザを食う

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大津の長等商店街でイサザの佃煮を買ってきた
北陸地方などで踊り食いなどで食うイサザと言うと、春が旬のシロウオのこと、それとは違います、念のため・・
ついでながら坂本冬実の「能登はいらんかいね」に出てくるイサザもシロウオのことだと思う
イサザは琵琶湖固有のハゼの仲間、ウキゴリの兄弟にあたる、漢字で書けば魦と書く、5センチを超えるくらいのものだ
イサザは琵琶湖の深いところで獲れる、旬は冬である
京都錦の商店街でも川ごりと言って売っている
家庭料理としてはサイズから言って天ぷらか佃煮が一番旨いようだ
クックパッドにも滋賀県漁連がレシピをのせている

生態の不思議な魚でもあって、3月まだ水が冷たいうちに湖岸の浅瀬の石の下に巣を作る
他の魚たちの動きが活発になる前に産卵をすましてしまう
ほぼ1カ月で夫婦親子ともどもまた数十メートの深い湖底に戻って暮らす
だから、水温む今頃はもう湖底に戻っている頃である
イサザは昼は湖底にへばりついているが夜は水面近くまで泳ぎあがってきて食事をする
そんないかにも用心深い魚であるイサザではあるが、絶滅危惧種でもある
獲れたり獲れなかったりするらしいが、漁獲量はへってきているということだ
もちろん貪欲な外来種の餌食である可能性も大である

獲れなかったりすると心配して、獲れると獲れるだけ獲るのでは減ってくるような気がする
ボテジャコも釣れない琵琶湖も今は稚鮎だろうか鮎はかろうじて養殖で支えられている
イサザに限らない、フナだってウナギだって減ってきている
生態の不可思議なイサザは湖底に棲む魚だから飼うことも出来ないという
そこまで言うと、絶滅危惧種のイサザを味わうのは不謹慎かもしれないが、
この冬の残り最期のイサザも佃煮にまでなってしまったら食ってやることが供養かもしれない
琵琶湖の味は京都の味である
京都人は琵琶湖の恵みで暮らしていることをもっと自覚すべきである
京都生まれはほぼ琵琶湖の水で産湯を使ったのに・・

写真は
仁和寺御室桜の傍で手に入れた愛用の酒器、京焼の「馥郁窯」村上氏の作品、イサザには冷酒があうが、イサザを食うのは今年を最後とするつもりだ
※村上氏、アジサイの頃は三室戸寺の方で即売会をするといっていた

鯵庵(4.27)

# by ajiankyoto | 2017-04-27 21:42 | 京都の水 | Comments(0)


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うちのばあさんがよく使う言葉に"おため"というのがある
平たく言えば贈り物やご祝儀をもらったときのお返しである
国語的には使いの者に駄賃を渡すことも言う
昔・・贈り物のお盆を返すときにその上に半紙を折って乗せてお礼の意味にした
これを"おため紙"というとある

お祝儀を持ってこられたら、まずその場で返すのが"おため"である
内祝いなどの返礼とは別のものである
駄賃以上の駄賃程度であるという
京の街中でもそれも少なくなってきた
形式的に残っているのは結婚祝いぐらいかもしれない
お祝いというのは事前に持参するのが礼である
その時に"とりあえずのお返し"が"おため"なのである、と説明されると分かりやすい
このあたりの話は結納品の店などで知ることが出来るこれを「おため返し」という

困っとことによく似た言葉に「おため倒(ごか)し」と言うのがある
この場合の"おため"も同じおためである
表面上は人のためになるように見せて実は自分の利益を図ることを言う
人々の律儀な暮らしとは反対側にあるようで・・実は日常はこちらが多い
世の中のことはほとんどがこちらである

人は自分のためにしか動かないし働かないのだ
それはいいのだが、今度は仕事だと言えば何でもする
代表的なのが営業マンだと言えば営業マンは怒るだろう
それが異質なのではない、経済活動というのはそう言うものなのだ
はっきりと会社のためにやっていると言った方がいい
自分のためだけにやっていると詐欺になってしまう
少なくともあなたの誠(まこと)度が分かるというものだ
"おため返し"がなくなった分まで"おため倒し"が増えている
しかし・・それでどうだということではない
こちらは自分で考えればいいのだ
写真はカブの花、地域野菜の代表である
ついでながらカブの種からもなたね油が取れるが今は利用されることはない
鯵庵(4.26)

# by ajiankyoto | 2017-04-26 07:08 | 翁草 | Comments(0)

都会の方が住みやすい?


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日本のツバメは日本国籍である
日本で生まれて日本で育った鳥なのだ
早ければサクラの満開前線に少し遅れるぐらいで故郷に帰ってくる
京都地方気象台は市内のツバメの初見日を今年は4月3日だったと観測結果を発表している
うちの里ではまだ去年の巣が空き家のままである
それからまず番になり巣作りをしてヒナを育てる

1年中鳥の写真を撮ってる人でもツバメは撮りにくい
ましてや、ツバメのことを研究している人も少ない
日本野鳥の会ほホームぺージによれば
2000年から10年位で営巣数が3分の1くらいになっている
10年ごとに3分の1を掛けていけば・・
ツバメの餌となる昆虫が少なくなったのが原因だという
そういえば赤とんぼ(アキアカネ)が見られない県が広がっているという話をしたことがある

それは日本の田んぼ作りの構造に深くかかわっている
水田に依存しているのがアキアカネでありツバメである
その里山でもミツバチが大量死しているというニュースがあった
そこにはネオニコチノイド系の農薬が深くかかわっているという話をよく聞く
昔、タバコの葉を水に浸してニコチノイドを抽出し殺虫剤としていた時代がある
戦後はDDTがそれに続いたが、今は使われない
ニコチンは毒性が強く長く農薬として開発されなかったが
これを改良して科学的に合成したのがネオニコチノイド系の成分である
現代の殺虫剤の主成分である
1990年頃から市場に出回った

困ったことに日本はこの農薬に対する認識が低い
昆虫(カメムシなど)には効くが、人(脊椎動物)には害が少ない、というのがその理由だ
が、その頃からミツバチの大量死など、昆虫の異変が続いていると警告する学者が多い
この農薬は水に溶けやすい
土壌から作物への浸透がよく、結果、水にも土壌にも含まれることになる
今は規制も緩いので、ネオニコチノイド製品が家庭菜園や道の駅の野菜にも多く使用されている
人体への害を警告している学者もいる

親が帰ってこなければヒナは死ぬ
そんなことがいっぱい起こっている?
昆虫の激減はトンボにとってもツバメにとっても痛い
昆虫類の激減した田舎ではツバメも生きていけないのだろう
都会の方が住みやすいのならそれは大いなる矛盾である
だが、それはツバメだけではない
写真はハボタンの花
鯵庵(4.24)



# by ajiankyoto | 2017-04-24 07:59 | 都市 | Comments(0)