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墓守の仕事に興味を持ったのは、第3の仕事を求めての話であった
実はハローワークを通じて初めての面接だった、樹木葬の企画会社だった
面接の後すぐに丁寧に断られた、1年も前の話である
詮無いながらもそういうことにも勉強させていただいた
埋葬(納骨)の形は様々であるが、ここの遺骨はお寺の庭で手厚く祀られる
大きな石の墓標はないが、寺の中である、本物感?はある

一番いいことに、墓の将来(死後の姿)を容易に想像することが出来る
だから、自分用に生前に購入する人が増えている
墓参りもしてもらえない墓が、全国に何十万基いや何百万基とある
今でこれなら、我らの世代の次の世代になれば先祖代々の墓はほぼ無縁仏状態になるかも
ならば、負担にならない墓でないと子孫に恨まれるということになる

本山の塔頭寺院だから、年に何回かは厳かに法要も営んでくれるし、友の会もある
そうでなくとも新しい住人が増えてくることは事実だ
しかも、観光客では入れない・・ブランド志向にも対応できるわけである
それはさておき、もし採用されておれば私の仕事は何だったのかと言うと・・
お客の案内をする運転手と墓掃除である
古風に言うと墓守(はかもり)だった
小生の自分ことは既に心に決めている
だから、自分の墓の守をしようと言うのではない
人の墓を守するというそのことに憧れて応募したのに・・
・・である

採用されることはなかったけど、いい企画だと思っている
京都の寺院型の樹木葬は都市移民の我々の世代にとっていい落ち着きどころになる
どのような状態であっても、骨は自然のバクテリアのおかげで数十年で土と水となる
樹木の栄養となってもいいとさえ思えば、死後落ち着ける環境である
樹木の栄養になってもいいとさえ思えば、死ぬまで落ち着けることもある
小生も落ち着いて営業と墓守をしていれば、いい罪滅ぼしになったのにと、今でも残念に思っている

(この項続く)
鯵庵(29.7.8再携)

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# by ajiankyoto | 2017-07-08 20:08 | 後生 | Comments(0)


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「おとこ編③/おみそ」に続く
でも、よく考えて見れば給料もらいながらの見習い期間は〝おみそ″なんだよな
もっと言うと半人前の人間だって一人前の給料もらいながら皆と同じように仕事している
サラリーマン社会で給料以上に働くことは出来る
しかし給料分だけ働くことは難しい
それでも、ブツブツ言いながら多くが勤まるのは給料をもらっている緊張感なんだよな
働きにあわせて給料を変えるといったとたん実は緊張感がなくなってしまう
平均値を目標に働くくらいが一番楽しいと誰かが言っていた
ゲームに参加させてやることが何よりなんだとも
ゲームに参加したくない奴は最初から入れるべきではない
そんなことも言っていた
あなたはどう生きる?

今のサラリーマン社会、人事評価が絶対評価から相対評価に変わって、必ず順位をつけて〝味噌っかす″を指名しなければならないなどという
〝味噌っかす″に〝味噌っかす″と言ってしまえば〝おみそシステム″は不要である
仲間に入れないのだから
サラリーマンの年季があけた小生も首筋寒い
現代社会は必ずしも平等ではない。
それは分かっているのだけど・・仕事と遊びとは違うというけれど
遊びの工夫を仕事で活かすほうが上手くいくこともあるやろ
一緒に遊びたくない奴と一緒に仕事しているのが〝しんどいこと″なんだよな
そんな気づき方もあるのではないかと青っ洟(あおっぱな)の味を思い出しながら考えた

まだ続く
鯵庵(7.6)


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# by ajiankyoto | 2017-07-06 21:38 | おとこ編 | Comments(0)


明治になって陸上の乗り物の文化が先進諸国から入ってきた
その最たるものが蒸気機関車である
蒸気機関は日本でも明治と言う時代を象徴する文化になる
一方、明治の和風文化は"人力車(じんりきしゃ)"と言う奇態(きたい)な乗り物を発明した
奇態というのは人が動力となって人を乗せて走ることである

こんな発想はヨーロッパやアメリカにもなく、これを見て欧米人は驚いたと言う
本来なら馬車である、が、まさに和風文化である
お抱え駕籠かきの延長である

明治維新は身分制度のご一新でもあった、人力車では揺り戻しでもある
明治も半ばになって学習院小学校の校長をしていた乃木希典が華族の子弟が人力車で学校に通うのを戒めたという

それよりもそれから百数十年たって、観光都市京都にまた人力車が走る
いっそ牛車にすればよかったのにと思ったりする
逆しまなことと、思っていたらテレビでもやっていた

特に苦情もないらしい
グローバルとかインバウンドとかゲストハウスなどなどカタカナで言い出すと奇態な業者が活躍しだす

京都も今、改めて文明開化の時代を迎えている

けったいな街に変貌しようとしている


人力車の原型も牛車にある?・・だが、軌道文化ではない

文明はエンジンというものを開発したのにと思う
それはさておき・・その当時の京都は人力車などに見向きもせず、軌道文化しかも、蒸気を越え一気に電力に走った
それは琵琶湖疏水の賜物であった
公共の事業というものはそういうものであった
そのころの文明というものは、政治家に科学者にもましてや庶民になどとてもやないけど見えるものではなかったのだ


この項続く
鰺庵(7.5)



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# by ajiankyoto | 2017-07-05 11:20 | 都市 | Comments(0)

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織女(しょくじょ)星、七夕の主役は織姫あるいは織女である、中国の神話的伝説の姫神である
天文や星座に詳しい人なら、こと座の中で最も明るいのが織女星ベガである、と言うだろう
牽牛星のわし座のアルタイルと白鳥座のデネブ、ともに明るい星で「夏の大三角」と言う
この頃は小学校の教科書にも載っているらしいので覚えのため記した

7月7日は5節句の一つである、奈良時代から宮中行事であったり神事であったりしたが、近世は7月15日のお盆の行事と関連したものであったと言う
が、明治の太陽暦採用に以来お盆の行事が7月15日の”月遅れ”8月15日に定着したために、新暦(太陽暦)の7月7日では間が空きすぎて関連性を言うことが出来なくなった
七夕の神事は7月6日の夜から行われる
天頂の星が一番きれいなのは7日の夜中1時ごろである
天の川を挟んで伝説の世界へ導いてくれる
ただし、7月は梅雨の時期でもあるし、晴れても星座は地平線から低く見えにくいのだ
8月に入れば梅雨も明けて、かつ高くよく見えるようになってくる

旧暦の7月7日であれば月齢6日の上弦の月でほぼ深夜には西に片付く、明るさもほどほど星座を見るのに邪魔にならない
その意味では旧暦で、星を見るなら・そういう訳であるが
それが今更そうもいかんと言う
5月に閏月が入ったこともある
今年は何と8月29日で世間のお盆の行事も・夏休みも終わってしまう頃となる
星の勉強にはいいタイミングながら・・もはや月が出番を待っている
イベントとして季節感に合わないという商売などがある

有名な仙台の七夕は月遅れ8月7日に定着している
立秋である、しかも、満月の日に重なることも覚悟の上である
織姫もどちらにしても座り心地がよくないと言っている
俳句の季節感では七夕は秋の季語となっている
出囃子は鳴っているが・・いつ出たらいいのでしょうかと聞いている
梅雨の合間だったり、立秋の前だったり後だったり・・(幽霊ではないが)・・せめて夏なのか秋なのか?
写真は北野天満宮にて(日・月・星の神様である北野の七夕祭は8月上旬に行われる)
鯵庵(29.7.4改)


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# by ajiankyoto | 2017-07-04 06:00 | | Comments(2)

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女性の体の美について考えてみると、そのみなもとは二足歩行にあると感じる
人間に最も近いとされる類人猿と遠くの昔に分枝したときから、その隔たりの一番大きな点は、体軸が真直ぐ垂直に伸びた直立二足歩行にある
骨格そのものは、まだ、中途半端な形を残しているともいわれるが・・
二本足で立ってかつ暮らすにはそれを補うための筋肉が必要である
そのため足と上体を支えた機能的な臀部を持つことが不可欠なことである
ここが大事!
それが腰や大腿と独立した部位として人間の尻を形作っているのだから
ついでながら言えば、直立歩行によってなんと乳房の位置が腹から胸に移動したぐらいである

サルは膝を90度に曲げることで立つことは出来るが、長時間続けることが出来ぬばかりか、運動能力には著しく欠ける、歩き走るときは四足に戻る
また座る芸をするサルもいるが、尻の形は座るためには尖っていて不安定である
人間はちゃんと立つことが出来、ちゃんと座ることも出来るのです
だから、人間にとっての正常位は、人間ゆえの正常位なのです
しかし、二足歩行を常態とするためには、立つ座るだけでなく、歩き走るときもその前進(または後退も)のために腰に負担をかけている
その腰を全身機能として支えていくのも臀部の役割である

そこにその骨格と筋肉の二足歩行進化の美の造形と個体差があるというのが小生の論である??(もっと分かりやすく言って欲しい・・自分で考えろ!ちゅうの)
物事を一度裏から見る癖もここにあります
ただ、後ろ姿の美しい人を見つけたら必ず前に回って眺めてみるといい
この件に関しては保証する
写真は臀部風景(大阪新世界にて)
(29.7.2改)

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# by ajiankyoto | 2017-07-02 20:28 | おなご編 | Comments(0)

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7月の2日は半夏生(はんげしょう)である
太陽黄経がちょうど100度の瞬間、の日を言う
国立天文台の「暦要項」にも堂々と載る雑節(ざっせつ)の一つである
季節の移り変わりを知るための暦日である
夏至を過ぎて概ね11日、・・田植えも終わって暫くの頃である
梅雨の最末期で実は毒気の多い時期で、それぞれの地方でそれなりの風習が残っている

昨年のブログでは勧修寺のハンゲショウのことを書いた
困ったことにこの時期が見ごろである
今年は小生の生活の中に半夏(ハンゲ)が入ってきた
体調が悪いわけではないが、何故か舌の付け根に口内炎・舌炎が出来る
口内炎は辛い、しかも舌の付け根に出来ると痛いしうっとおしい
口内炎は診療科目がはっきりしていないが今年は歯科で処方してもらった

やっと処方されたのが
半夏瀉心湯(はんげしゃしんとう)なのである
瀉心とはみぞおちあたりのつかえをとることを言う
この場合の半夏(ハンゲ)とは勧修寺のハンゲショウではなく・・
畑の雑草としてよく見られるカラスビシャクの地中の球茎を乾燥させたものである
半夏の他に黄芩(おうごん)や黄連(おうれん)などなど調合されたものである
もちろん製剤されたものは健康保険が適用される
が、ちょっとの期間飲んだとて効き目の分からない話である

飼い猫が口内炎でやせてしまったという話を聞いたことがある
人間の口内炎の特効薬はない
このあたりになると日本の医学も結構アバウトだなと思う
ただ、国立天文台の暦で言うのはこの生薬になる半夏のことなのである
誤解なく・・と言いながらいつもこの時期この話題が好きである
タイミングがここまであえば、季節感を語る限りどちらでもいいことかもしれない
鯵庵(7.1)


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# by ajiankyoto | 2017-07-01 07:00 | | Comments(4)


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契約中の客に迷惑電話をかける神経が理解できない
家にも、めったにかかってこない小生の携帯にもよくかかってくる電話なのだ
光回線だ・・いつまでたっても客の拡大に明け暮れている
それは仕方ないが、すでに契約済みの人に新しいサービスを勧めているのだ

「既に契約してます」というと「契約者にお得なサービスのご案内をしている」という
「もうそれは結構です」というと、その「不要な理由はどういうことか」と聞き返してくる
(これは迷惑電話ではない、どこで何を聞いたか知らないが、こんないい話に乗らないあなたは馬鹿だ)と言いたげだ
こっちははっきり言って、(いかな大会社でもこれ以上の深い付き合いはしたくない)の一点なのだ
毎回こういうセールスに乗せられてここまできたが、結局乗り替えごとに損をしている
が、契約が長期間になればもっと損をする
日本を代表する大会社にしては、商売の王道から外れている

しかも、新しいサービスというのはマンション暮らしのサービのようだ
通信業の本業から離れてしまっている
たとえ、本当にいいサービスであっても通信会社の思惑は契約者の囲い込みだろう
また、新たな思惑違いのトラブルのネタになるだけだ
世間に苦情が広まらないうちに契約してしまいたいのが本音だろう
通信事業者の契約者に対する一番のサービスは値下げだろう
あれほどの店舗を抱えても多くの会社が空前の利益を上げているのだ
多くの家庭が家計の支出の内、通信費が税金を超えてしまっている
そのことの異常さが今の世の異常さなのだ

毎日休みなく電話をかけるのも仕事だろうけど・・
出来れば、最後まで恨み言も聞けるような仕事をするべきである
そうでなければ自分が何をしてるのか最後まで分からない
その時はまた新しいものを売りこんでいるってというのでは虚職である
通信業は虚業になってはいけない業種だ
ずっと昔の電電公社の民営化の痛いつけを国民が払っているようにも思えたりもする
鯵庵(6.29)

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# by ajiankyoto | 2017-06-29 19:00 | 都市 | Comments(2)

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学校で習ったクラーク博士の〝ボーイズ、ビー、アンビシャス″は「少年よ、大志を抱け」と訳される
アンビシャスとは野心・野望を持つ状態を言う形容詞だ
少年よ成功のためには野心的であれ、と訳されたのでは後世に残らなかった?かも
だがクラーク博士の教えを受けなかった小生は博士の人柄も知らない
そんな私には後の訳のほうが、教訓としては少し具体的である
一般論ではあるが・・人生で成功したと思えることは得がたい経験である
そこには何かしら成功の秘訣がある筈であるが、自分のように上手くやれとはいいづらい
人を踏み台にして手柄を独り占めにしてなおリスクは会社に被ってもらって成功しました、と内心思っている人はたくさんいる
時々聞く〝皆様のお陰です″というのはむしろ正直な話であるとも言える

小生の世代は、子どものときから偉人伝を読んできた
偉人というのはもちろん世のため人のために、且つ傑出した人を言う
それは夢を持つだけでは駄目である
使命感に殉じる努力と精進のみならず、自分の幸運というものを作り出す能力がいる
それこそが野望である
〝恐れずにリスクをとろう″と言った現代の偉人がいる
それもノーベル賞をもらった人には正解だが・・
彼らの中でも、恐れずにリスクをとって成功する人は恐らく100人に1人もいないだろう
ほとんどの人がそれで失敗する
それがリスクというものであり、それこそが野望の果である

何度失敗してもくじけないでやる気持ちを持つためには希望も必要だがもっと必要なのは野望である
現代では大きな野望のみが小さなリスクに勝つというのが正しい
そんな時に現代の政治家を思い浮かべてはならない
大阪や東京の知事くらいはまだまだ野望の途中だ
たとえ総理大臣でも秘めた野望がばれたらおしまいになる
そんな下卑た例ばかりでは若い人への教訓にならないのが困ったことである
偉人伝は昔話になってしまったのか
男たちの時代は終わっているのだろうか?
"少女たちよ、成功のためには野心的であれ”
写真は達磨寺
鯵庵(29.6.28改)


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# by ajiankyoto | 2017-06-28 10:14 | おとこ編 | Comments(0)

愛を手に入れる方法

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愛を手に入れる方法はない?
キレイになることだと思う
キレイになる方法が間違っていると愛を手に入れることはできない
幸せなのか不幸なのか、思い方次第だがやはり不幸は不幸である
キレイにも幸せにも循環というものがある
循環に乗らなければいつまでも幸運や愛を手に入れられないのだ
愛は売っていないがキレイになる方法は売っているのだ
それを宝石だとか化粧だとかと思うと、本物が手に入らないのだ

親からの愛で子供時代を過ごしてきた
青年期になって急に男として女として値踏みされる世界に放り込まれる
愛を得るために何が大事なのかを学習していないのだ
愛は売っていない、そのことに戸惑うのである

キレイになる方法はいろいろあるが
男は自分を洗うことだ
女は自分を磨くことだ
いずれも少し時間がかかる
年をとるとともにキレイになることが出来たとしたら
必ず愛を与えることが出来る

いい人と付き合いたまえ
上手くすれば愛を得ることもある
愛とはそれほどのものだ
急ぐことはないが
方向は間違ってはいけない
鯵庵(29.6.26)





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# by ajiankyoto | 2017-06-26 19:59 | 大人の恋 | Comments(0)

逢坂山の関跡の休憩所で見た車石の図を簡単にスケッチしました
一つの石は30センチ掛ける60セントほどで厚みも20センチ以上
これを車輪の幅に合うよう2列に並べたものである
別の文献によると軌道の幅は4尺5寸(136.3センチ)
溝は半円形に穿ったものや牛車の通行で自然に出来たものもあるらしい
石材の違いによる?
江戸時代中期これを大津から三条大橋まで約10キロ、5、6万個も敷き詰めたものである
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舗道は古代ギリシャやローマでも当然のように文明の象徴でもある
舗道の厚みは日本の現代の車道と同規模だも言われる
ある研究者によると、文明国でありながらわが国の江戸期は舗道の文化が発展しなかった
それは日本人は昔から牛や馬を去勢して使うのを好まなかった
馬は何とか調教によって使いこなせるが、力は強いが牛は使いにくかった
牛車の牛が大暴れするのを平安時代の昔から経験している
だから都市では馬や牛を使う交通手段は危険なものとして禁じられていたことによる、とある
乗り物は駕籠であり、荷物は大八車である
ほぼ人力に頼る交通文化だったといわれる
それが舗道(ペーブメント)が発達しなかった理由だということだ
この項続く
鯵庵(6.25)




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# by ajiankyoto | 2017-06-25 17:23 | 都市 | Comments(0)