波平さんの迷文句


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波平さんの自慢出来ない息子カツオのこと
友達の多いことはいいとして、成績が悪いことを人に言われた時、波平さん「成績が悪いのはかつおはまだ勉強する気になってないだけ」と言い返す
名文句でそれを聞いたかつおが「お父さん・・・(涙)」と言う
だが残念ながら、そのことで心を入れ替えるわけではない
子どもが成長しないことは親にとって一番辛いこと
〝勉強が出来る″より先に〝勉強する気を持ってほしい″という方が親の本来の心情に近いのではないか

勉強する気にいつなるかである
勉強は話を聞くことに始まる
多くの子どもたちは仕方なしに学ぶ
だが、学ぶことは苦しい、それはスポーツだって音楽だって同じだ
勉強は苦しいが、楽しいことでもあることに気付かせなければならない、それが学ぶということ、それが成長だ
幼少期から少年期に、思春期を越えて青年期、成人しても勉強する気を持たない人を沢山知っている
そんな人はこれから恐らく老人になっても勉強する気が起こらないだろう
波平さんは勉強してきて東京まで出てこれた人である
だからこそ気づきさえすればいいと言えるのかもしれないが、現実ではあのカツオが最後まで勉強しない大人になる可能性の方が高い

遊びのほうが楽しいに決まっている
勉強する気にならないうちに同じような勉強しない友達が多いということを想像して見ると、ぞっとすることである
あくまでも「子どもはいつまでも子どものままで」と思いたいマンガである
日本を支えてくれるはずだったスポンサー東芝らしい番組でもある
写真はヒョウモンチョウ
鯵庵(9.22)

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# by ajiankyoto | 2016-09-22 06:24 | Comments(1)

墓との距離が問題だ

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田舎にある先祖の墓を何とか自分の近くに持って来たい
ところが墓を移転(※改葬)するということは結構大変なことである
親がいて正月や盆あるいは彼岸に帰省するところがあればありがたい
しかし、自分が田舎を捨てて親もいないとなれば田舎へ帰るのは墓参りと言えど辛いことである
先祖の墓と自宅との距離が問題になる
それゆえか無縁仏が増えている、墓参りしなくとも墓の所有者がはっきりしていれば無縁仏ではない
墓地の運営者が正式に無縁仏とするには改葬の公告をしなければならない
それも手間のかかることである

国の調査では出生地に住み続けてるいる人の割合は2割以下に減少している
もうこれ以上に下がらないかもしれないが、その大きな原因が都市移住と人口減少である
その残りの7割・8割の人の中で新しい墓を持つことがここ数十年続いてきた
墓地を分譲(土地は所有しない)する形の霊園が今までの主流であった
今でも条件のいい霊園墓地の競争率は高いけど、一方でそこでも無縁仏が増えている
評論家は都市移住の問題より今は未婚化の方が影響しているという
人間、子が出来て孫が出来てはじめて先祖のことに思いが至る訳である
でも残念ながらその子に墓参りする姿を見せていない
生きてるうちに自分の墓を作ったって同じである、そんな墓に参るのを子供に見せても感動はないだろう
人間の終わりは骨である
石の墓を持てる限りは生きた記念碑が欲しいというのが信仰になっている

田舎へ行って菩提寺にええかっこして墓地の改葬をしたい、と言ったら何百万も要求されることもある
何百年の清算と縁切り料である
そうでないと墓地管理者としての改葬の承認状を発行してくれない
改葬は法律に基づく手続きであるからだ
それならどうすればいいか?新しく自分の墓を作るのが手だろう
ただしそれは永久に改葬の必要のないところに・・
樹木葬については以前に何度か書いた参考にされたし

先祖の墓も守しないで自分の墓を持つのは先祖や親に大不孝だと思う人はやめたがいい、納得ができなければいくら作っても記念碑にならない
だから今あなたの心の隙間を埋めるように多くの自治体やお寺が合同葬を進めている
都市で子供のない人や未婚の人たちをターゲットにした営業戦略に変更をしている
自分の墓を守してくれるのは自分の子供達だという一番大きな信念が崩れつつある
そのことを知って選ぶべきである
守をしてもらうのでなく孫にも会いに来てもらえる墓を選ぶべきであると思うのだが・・
これからは結婚しない人にも優しい墓でないと流行らないと思う
いずれ魂は気化して残るのは土と水だ、都会の人は都会が墓場だ
写真はキク
鯵庵(9.18)

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# by ajiankyoto | 2016-09-18 18:00 | 後生 | Comments(2)

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テレビ「鬼平犯科帳」のエンディングにインスピレーションの曲にのせて風鈴売りが歩く江戸の夏のシーン
確かにまともな茶店の作りである
江戸という新しい都は世界有数の大都市、鬼平が活躍するのは松平定信の寛政の改革の時期である
ドラマにも生き生きした江戸文化が表現されている
中央集権国家(武家政治の)の首都として爛熟期(らんじゅくき)を迎えている様のその映像が、京都の街で作られている
さすがの松竹でも東京のスタジオでは〝江戸文化の池波時代劇″が撮れないという
当時の江戸は水の都、その江戸の季節風景は京都にしかないというその矛盾は、京都の街が今でも持っている不思議な力の一つである

ここは今宮神社の参道である、両側には同じような茶店が一軒ずつあって、本家争い?の元祖だ
何しろ平安時代からあるという話だから、茶店と言っても時代劇にもってこいの風情、なかなかのものである
どちらもあぶり餅、一方は「一文字屋和助」1000年〝血續・二十五代″Hさん、

一方は「かざりや」創業400年〝本家・根元″Oさん
血續対根元、ともに言葉と宣伝では一歩も引かぬ勢いが京都らしい
メニューはあぶり餅のみにしてともに一人前500円、定休日はともに水曜日、客引きのために通りの真ん中の石畳みは踏まない、共栄繁盛の見事な調和である
歴史京都らしいと言えばそうかも、どっちの贔屓しようとここまでくれば楽しい本家争いのルーツであるが、2代3代では真似が出来ないはず
喧嘩していればともに終わっていたはず、やはり京都の町人は喧嘩しない?ひょっとしたら、そんな家訓があるのかもしれない
そうでなくってもつぶれることもなく、さりとて大きくもならず、茶店が茶店のまま1000年も続けられたとしたら、善と悪では解けないものがある

「何百年も向かい合わせで店やってて娘も息子もおったやろうに、間違い(恋)の一つもなかったんかいな?」とこんな微妙な関係が何百年もバランスよくは続かんはず、絶対に喧嘩してるはず・・・と素朴な質問を店の人にぶつけた女傑がいる
こんな質問に答える京都人はいない・・今宮神社の信仰が続いたということだろう
ただ、そこまでの歴史があれば、大体権利を振りかざして商売の拡張を図るのがふつうである
現に京都のお茶屋は北野のみたらし団子屋から始まって、遊郭から今は花街上七軒として格式高く?生き残っている
団子や餅を食わすということは相当なサービス精神が必要である、それが水商売である
あぶり餅しかないということがよかったのかもしれないと思う
しかも二軒というのが味噌かもしれない・・と、その女史の論である<
写真はあぶり餅”いちわ”の暖簾
鯵庵(9.16)

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# by ajiankyoto | 2016-09-16 07:41 | Comments(2)


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酒を飲むといつも同じ話を繰り返すと言われた
脳の中の海馬(かいば)が司っている短期記憶が働かなくなるらしい
そんな時に限って、前日の晩の記憶がとんでいる
場合によっては記憶を保存していく機能も失われている?
それぐらいのことだけなら、突然に心配することはないかも
しかし、話がかみ合わなくなったり、いつもしていたことをしなくなったり、
相手を傷つけるような気持ちを抑えられなくなったりすることの方が問題だと思う

そこの記憶がないのが怖い
そうなんだ
我儘になる、自分のことだけしか考えない
若い時には気にならなかったエチケットやマナーなど、
歳をとってこそ守るべきものだ
そういう努力が老化防止につながるんだと・・
老化と老人は違うかもしれない
しかし、誰もがいずれ老人社会の老人にならなければならない

尊敬する先輩は脳梗塞で倒れた
今はほぼ普通の生活と会話を出来るけど、昔のことを言ったり書いたりさせんでくれという
脳の海馬がやられたという自覚が怖いらしい
食べるのを忘れてもいい、しかし、食べたことを忘れてはいけない
酒を飲むのを忘れてもいい、しかし、酒を飲んだことを忘れてはいけない
悪いこともせずきちっと退職できた筈だが、自分がどう思って何をしてきたのか?
思い出さなければならないことをきっちり思い出せないと感じたとたん、
公の明るい世界には出られなくなったと言う
制定して50年になる、今になって国や自治体は敬老の日を決めたことが重荷になってきている
世間は50年前の老人のようにこれからの老人を敬うことは出来ないと言う
秋の敬老の日は老人にとってやはり人生の冬の始まりなんだと思う
写真は石仏(元の敬老の日は9月15日だったのに、そのうちになくなる?)
鰺庵(9.15)

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# by ajiankyoto | 2016-09-15 07:25 | 翁草 | Comments(0)

JR奈良線のルート


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JR奈良線の複線化プロジェクトが動き出したようだ
このたびの計画では京都から約20キロ(城陽駅まで)区間の複線化工事にかかる
京都駅から宇治駅まで14.9キロm、狭軌である、それがやっと(平成35年完成予定)複線で運行できるようになるようだ
京都・奈良間には近鉄京都線も走っている、近鉄は標準軌・複線である
近鉄は伊勢志摩まで特急も走っており、奈良までもはるかに便利である
今頃の複線化ではJRは相当に出遅れている
この便利な近鉄電車がJRに勝てないのが二つある
以前記事にした伏見稲荷大社ともう一つ宇治の観光だ
京都観光の二つの大きなスポットに駅がない、ルートの都合である

奈良時代からの東海道・北陸道・山陰道に出るための道はかならずこの宇治の地を通らなければならない
この街道が奈良街道(京街道)であり、JR奈良線がほぼ並行して走っている
宇治市は今の行政区域では京都市の伏見区の南に隣接する
宇治の地は平安時代早くから藤原家や貴族の別荘地
平安時代後期(1052)には関白藤原頼道が平等院を建立する

瀬田川沿いの道で滋賀県大津市にも隣接する
そもそもこの宇治川は近江一国の水を集めた琵琶湖の唯一の出口
山間を浸食して流れてきた川が山城盆地にはじめて出てきたところが宇治である
しかもここより下流は山城湖の名残、道も無き大沼沢巨椋池(おぐらいけ)であった
現在の宇治市の行政区域の西半分は巨椋池と言うことになる
風光明媚ということは水の世界、川と湖の世界

末法思想時代には特に極楽も水があっての世界
平等院は必然的に川と湖の境に設けられたのである
明治になって巨椋池の干拓が進み新しい町が出来ていく
それより先に巨椋池を避けて往古の街道沿いに線路が建設された
奈良線は奈良鉄道会社によって建設され、関西鉄道会社を経て明治40年国有化された
もちろん最初から蒸気機関車の走る鉄道であり、特長は狭軌(1067ミリ)である
ただ、近鉄や京阪と違って日本の鉄道軸(JR)につながっている
写真はコスモス
鯵庵(9.14)

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# by ajiankyoto | 2016-09-14 08:21 | Comments(0)

中秋の名月(2016)

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今年の中秋の名月は9月15日である
旧暦では7月・8月・9月を秋と、8月15日を中秋とした
月の周期は平均29.53・・日である、もちろん整数ではない
月の初めは朔日(ついたち)である
新月である、その日に月齢0を含む日である
それから14日たったのが15日であるが・・
正しくは14.76日で満ちるわけであり、0.76日分は遅れることになる
その上、月の軌道は正しい円ではないためになおずれることもある

今年の9月1日の月齢は29.7(その日のうちに0になる)、2日は0.7で、15日中秋の名月は13.7となる
16日は14.7で17日は15.7である
月齢とは月齢0(黄経差0度)の瞬間からその日正午までの日数を月齢と言っている
満月は月と太陽の関係(黄経の差が180度)で決まる、その時に日本から月が見えるとは限らない
今年は満月は17日ということになって、満月が中秋の名月から2日遅れてやってくると言うことだが・・実際はそんなこと気にしなくとも遜色はない
そのころはどうせ昼間は月は地球の反対側にあるのだから・・
中秋の名月とは、秋分を含む月(旧暦)の15日(旧暦)に出る月のことである
秋分は9月の22.23.24日のいずれかであるから、その計算で行くと早ければ新暦(太陽暦)の9月7日から遅ければ10月8日の間にくる
秋分の日が旧暦の1日になるか30日になるかで幅は決まる
今年の秋分は9月22日で旧暦8月22日に当たるので旧暦8月の15日がそのまま9月15日となった訳である

地球にとって月は無くてはならぬものである
同じ満月でもこの頃の月の角度と高さが月見にはいいのだろう
あの大きさと明るさに感じるところは多いが、月の引力が人間に影響を及ぼすほどのものではない
しかし、女性には月の引力がまか不思議に働くと信じている人も多い
同じ日でも地球の裏側で見た月より膨らんでくる
そう思えば月の姿は神秘的で、日本全国離れても同じ姿を見れることがロマンチックなのである

旧暦は基本的に月の満ち欠け(月齢)を基本として組み立てられたのもである
ロマンティストには悪いけどついでだから言うが中秋の名月の日は必ず「仏滅」である
何故かって旧暦の8月は前日に関わらず「友引」から始まると決めているのが六曜である
16日は「大安」である、ただ順番に回ってくるだけである
だから旧暦で暮らしていると六曜というのは固定的で神秘性が何もない
明治に暦が太陽暦に変わった時からズレを楽しむために流行り出したものなのだ
主役でなくなった月にあやかろうとしているようなところがある
六曜は単にそういものだということも・・
時に斜め目線の悪態が趣味である小生としては言っとかないといけないと思って言うときます
写真はヒガンバナ
鯵庵(9.13)

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# by ajiankyoto | 2016-09-13 09:52 | Comments(4)

最初は嵯峨の奥の広沢の池のほとりにセットが建っていたらしい
そこから少し奥へ進むと大覚寺がある
この大覚寺の大沢の池に百姓家が建つと撮影が始まる
池波正太郎のもう一つのシリーズが「剣客商売」である
鬼平にしろ剣客商売にしろあの江戸情緒が京都でしか撮れないのも不思議なものである

剣客商売は愛読書でもあるが、テレビも好きである
主人公は秋山小兵衛という小柄な老人
特に二代目又五郎(1914-2009)の演じる秋山小兵衛(昭57年(1982)放送)が好きである
脇役ながらも鬼平シリーズでもいい役をしている
二面性のある悪役をさせればきっちりはまる
秋山小兵衛は見るからに弱弱しい外見の老剣客である
この時代(設定は田沼時代)に剣客であるだけを売りにしているわけである
この秋山小兵衛、枯れた風貌ながら、憎いことにおはると言う若い百姓娘を可愛がって隠居暮らしをしている、その味がこのドラマのポイントである

読者は、北大路欣也やあるいは藤田まことをイメージするかもしれない
それはそれで味がある配役であるが、原作とのギャップが大きい
北大路欣也や藤田まことでは大柄すぎるし、いかにも強そうだ、しかも精力絶倫と言うイメージが拭えない、豪傑なってしまう
特に北大路の風貌はいまや父親市川歌右衛門である、貫禄がありすぎて(肥えすぎて)役の幅を超えている、いいものを食いすぎたイメージは小兵衛とは逆である
小説ながら秋山小兵衛は生死の境を越えてきた、清濁などいとも容易く併せ呑める器量である、それが枯れかけた小柄な体の中に凝縮された剣客でなければならない
作者は二代目又五郎のイメージをモデルに凄い技を持った人間が枯れると言う到達点を書きたかった
剣客商売と言うテレビ時代劇は、二代目中村又五郎という旨(うま)みで食するものである、そうでないと池波小説でなくなる
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写真は鬼平犯科帳「寒月六間堀」の市口瀬兵衛役の又五郎、平成9年頃鬼平最後の出演か?*テレビ再放送画面から
歌舞伎役者二代目中村又五郎は吉右衛門と同じ播磨屋一門、テレビで初めて秋山小兵衛を演じた時は60代後半の頃、数年前に94歳で亡くなられた
昭和の役者でもある、生前は人間国宝でもあった
再放送でもビデオでも二代目又五郎の秋山小兵衛は見れないのが残念だ
鯵庵(8.9)

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# by ajiankyoto | 2016-09-09 08:28 | 翁草 | Comments(0)

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「がんもどき」は「雁擬き」と書くが、あまりしっくりこない
近畿地方では”ひろうす”と言うとあるが、これも同じである、インパクトがない
何んとしても語源の意味を説明したいようだが、何を聞いてもしっくりこない
嵯峨の釈迦堂近くの有名豆腐屋は観光の客も多い
店前で豆腐を手で食っていた食通も時々見られるが、それならがんもどきの方がいい
「油はいいのを使ってます」とちゃんと広告している
一つ200円(スーパーの倍ぐらい)ほどで買える、京都豆腐の″がんも″ならいい土産になるのと違ぃまっか
京都は粗食文化の町である、歴史的にも公家も武家も商家も庶人もずっと食事は粗末だった
精進料理も懐石料理も粗食文化である、その粗食の味を古い京都の人は知っていた

一方、実は日本全国、豆腐の国であった
そんな中で考え出されたものが、がんもどきでもある
豆腐に・・人参・牛蒡・木耳・かじめ・山芋・百合根・銀杏などが入っている
全て、主要食材である、それを油で揚げる、それをまた煮て食えばまさに一等賞である
粗食と言えば貧しいと思うのは貧しさしか知らない心である

粗食でいいんだと思えば、料理は工夫次第なのだ
そうして発展したのが料理文化なのだ
がんもどきは粗食の中でもぜいたく品であるのかもしれない
京都の人はだから”もどき”と言った方に愛着を感じている

豆腐やがんもどきを買いに嵯峨まで行く人はいない、町内の豆腐屋のが一番旨い
世の中”もどき”ばかりのこの世の中で裏切らない”もどき”が”がんもどき”である
がんもどきの”もどき”は謙遜語の”もどき”である、これがもどきの擬きたるゆえんである
と言うのが小生の論である
白露(今年は9月7日)の頃を境に小生の肴は、冷ややっこからがんもどきにかわる

写真はタマスダレ
鯵庵(9.8)


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# by ajiankyoto | 2016-09-08 07:58 | 京都の水 | Comments(2)

鷹の目/鵜の目鷹の目

カメラは2台入れてほしい
組み合わせの例である①フィルムカメラとデジカメ②ポジフィルムとネガフイルム③標準とマクロ③標準と望遠④クラシックカメラと新型⑤一眼レフとコンパクトカメラ⑥単焦点と高倍率ズーム⑦ストロボ、つきやナシやなどなど、あなたの都合と、その日の都合でスタイルを決めるのがいい
一眼レフを買って、ボディ1台に必要なレンズを買い足していくというのは昔からの王道だけれど、いいレンズは高いし、重い
その内ミラーレス一眼を買ったりしているのが実態だ
一眼レフに高倍率ズームをつけてレンズ一本ですまそうと言うなら一眼レフを購入した値打ちはない
いつもながらカメラが一台では不自由なので、“二台を組み合わせて自分の写真スタイルを作る”というのが小生の昔からのスタイルであった
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今日のカメラ取材行、きっちり目標があればそれでいい
が、そうでなければ家を出る前に今日の被写体を考えよということだ
それがスタート、本日の成果はここで決まる
旅・スポーツ・恋人・孫・女・自然・花・昆虫・街角・社会・ブログ・祭りや行事・・・などなど、あるが今日の切り口というか、あなたの今日の“目”をあらかじめ選ぶべきである
カメラは本来の単純な道具であって欲しかった
我々側も誤解しているかもしれないけどメーカーはもっと誤解している
誰にでも写真が撮れるようにと研究し開発したメーカーに敬意は払うけど、個性のないカメラばっかし作って写真好きの楽しみを半減させたのもメーカーだと思う
現にその結果メーカーも半減してしまった
オールマイティであってはいけない、せめてシンプルにあって欲しい
だから片側に強いシンプルなカメラを2台でというのが小生の論なのである
5台持ってる人は2台づつ使ってやろう
また、今は1台しか持ってない人も次の1台を買うときの選ぶ楽しみが残っている

例えて言うと今日の私の眼は右目が90ミリマクロ、左目が単焦点35ミリということ・・なんだ
明日は別の目で行こう
人間の眼は優秀すぎる
カメラは究極の道具である、道具として愚直であって欲しい
カメラを持っている人は極端に増えたけど写真を愛する人は極端に減った
オールマイティというのはアマチュアカメラマン自身が意識して排除すべきであると思うのだけど・・
イラストは愛器ペンタックスLX(60年記念の旭光学は今はない)
鯵庵(9.7)
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# by ajiankyoto | 2016-09-07 07:09 | Comments(0)

鵜の目/鵜の目鷹の目

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趣味とはいえ写真をする人はたとえ会社に行く時でも常にカメラを潜ませておくべきである
今はカバンの中に入る優秀なデジカメがいっぱい出ているわけだから問題はない
電池寿命も延びたし記録カードの容量も昔の比ではない
今の小型のコンパクトデジカメ一台で往時の一眼レフカメラにレンズ三本くらいを持って歩いているほどのことは軽くある、ポケットに入る大きさのもので十分である

取材行の時も同じようなものである
いずれにしたって荷物は軽い方がいいし、、、三脚は本当は持って行きたいが、都会や観光地では使用できない所が多く極めて扱いにくい
通常はストロボまでは要らない
もしもプロのカメラマンなら愛用ジープに器材専用の荷台を設けて持って行かねば悔いを残すようなこともあるかも知れないが、アマチュアはむしろ戦場カメラマン張りに軽めの装備で行動できるところを開拓する方が合理的である

カメラかばんやリュックの大きさが証(あかし)になる時代は過ぎた
昔もそうだった
自分のカメラスタイルを通していくためには一周も二周もしてこなければならない
カメラは250年の技術なのである
もう何周も回っている
デジカメも今ほぼ一周目の第3コーナーにかかっている

道具は使うものである
せめて・・
長く培ってきた写真感性はコンパクトなデジカメでも発揮されることを実証しなければならないし、自ら信じることだ
まず心構えとしてはカメラを忘れてはいけない
カメラ個人的感想編、鵜の目である
イラストはキャノンG1(平成12年、使えるデジカメが始まったがバッテリーが持たなかった、SDカードが数十メガで8000円ほどした)
(鷹の目に続く)
鯵庵(9.5)
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# by ajiankyoto | 2016-09-05 07:22 | Comments(4)