明美はアケビの化身か

b0355451_19370518.jpg
野生ではないが自然のアケビが手に入った
田舎で自生のアケビが結実していたのを見つけた
厳密にいうと樹木等は土地に付属するというから本来持ち主がいるということになる
アケビは蔓で巻きつく植物であるので土地の境界を越えることもある
そんな難しい言い訳をしなくとも問題がない小生の家内の里の話

小生としては種を食いながら種を残して垣根みたいなところに撒いておこうと思っている
アケビの新芽が山菜並みに味わえるということを聞いてから俄然その気になってきた
地方によればアケビの新芽はズバリ「木の芽」というらしい
まだ先のことですがレシピを教えてください

ムベ(郁子)は身が開かないけど、アケビは身が開く
開く実、あけみ(開実)が転訛してアケビになったという話もある
開実がまた転訛して明美になったというのが小生の理論
実が開くということは男にとって嬉しいことだ
「アザミ嬢のグッドバイ」で兎我野町のママの名前が「明美」だったと言った
源氏名で「明美」というのはママになれる名前なのだ?
写真はアケビ
鯵庵(9.7)


[PR]
# by ajiankyoto | 2016-10-07 07:00 | Comments(1)

b0355451_20580952.jpg
〝はやる″とは繁昌するという意味である
『はやらない店』というのは
一番の理由は、○よく休む、客のことを考えてない
二番目は○店や道具や店員が不潔である
三番目は○店員同士が仲が悪い
以降○責任者の心根が不遜である
○勢いがない
○商品に対する知識や愛着がない
○目先のことばかりを考えている
○店員の私語が多い
○愛想が悪い・・・・・
十番目はこれが極め付き
○味が悪い、価格が合わない
なるほど、さすがとも思える
外国人にばかりわさびをサービスするというのもあったけどそれは番外

それでは〝この逆がはやる店になるポイントですね″と聞いたら、
〝はやってる店のはやってる理由は分かりません"との答え
我が友人の経営コンサルタント、はやらない店を選んで良心的な仕事はしてるような気配は感じられたが、
それでは自分がはやらない気もした
”自分の商売はぼちぼち”の意味が何となく分かった
はやる理由は当の経営者にもわからないみたいです
外国人観光客相手の商売には商道は要らないみたいです
何故はやるのか分からないうちにはやらなくなるからです
はやる理由ははやらなくなるまでに気が付かないと危ないですよ

写真は何処で買ったか忘れたけれど、良心のへそ(仮題)
鯵庵(10.6)

[PR]
# by ajiankyoto | 2016-10-06 07:17 | 大衆食堂 | Comments(0)

名水桃の井/京都の酒

b0355451_10015664.jpg


堺町通り二条上るの堀野記念館の続きである
キンシ正宗のキンシとは金鵄勲章の金鵄である
酒屋は名前にこだわるが名前が酒の味を保証するものではない、が、
水は間違いなく酒造りを左右する
この庭には名水〝桃の井″(硬度30度以下、水温16度)といわれる井戸が残されている
今も酒造りに適した水である
酒造りに適した水と言ったって特別な水ではない
この辺りでは隣の家も路地の住民も井戸さえ掘れば桃の井と同じ水を生活に使っていた筈
都の生活は井戸で保たれていた筈だ、名水と言われながら保護が出来てなく枯れかけているのは逆だと思う
都市の名水とは〝ふんだんにありふれた、それでいて安全な水″のことを言うべきものだと思う
丁度ご近所の奥さんが汲みに来られていたが、ペットボトル1~2本なら家族のための美味しいティーに変わるのだろう
ここは友の会を作っている、そうすれば守る気が起こるというもの・・、だからこそ守る必要があるのだと思う

京都の造り酒屋の起源は洛中、特にこの二条の付近にあったとの話である
キンシ正宗も明治の中ごろに伏見に移転した
たまたまここは本家の家屋が残っていて記念館にすることが出来た
今は、桃の井の水を使って地ビールを作っている

キンシ正宗に限らず洛中にルーツを持つ酒蔵も多い
京都の組合の資料によると、組合の最初明治19年には組合員の酒造家は上京と下京で165軒、伏見よりはるかに多かった、と言うことだか、市内での酒造りはこの頃を潮目に伏見に移っていく
実は江戸にかけて伏見の酒造業は極めて低迷するが、鉄道の発達により逆に伏見の酒造業が盛り返す時期でもあった
それで、今はというとなんと市内(洛中)ではたった2軒になってしまったということだ
佐々木蔵之介の、「聚楽第」の佐々木酒造もブログを始めた
洛中最古、「富士千歳」の松井酒造の元気美人若女将の蔵元便りも面白い
また機会があればこの2軒の探訪記も書けたらと思ってるのだが・・
写真は金鵄
鯵庵(9.5)


[PR]
# by ajiankyoto | 2016-10-05 08:20 | Comments(0)

言葉が考えてます

この頃500キロも先の東京問題を毎日テレビで見ている
コメンテーターもあらかじめ各局のニュースワイドを見ておく必要がある
新知事は概ね高得点をとっている、が満点はもらえないみたいだ
それは一般人が知らない横文字が多いことが一つある
こういうのを下世話に玉にキズ、という
首都の知事ってほとんどが地方人なんだが、さりとて今回も地方訛りが強いわけではないのだからそのことはいいよ
いいんだよ
b0355451_08440562.jpg
人は頭でものを考えるのだが、それは言葉で考えることなんだ
自分の持っている言葉でしか考えられないということ
我ら近畿の人間は京都弁や大阪弁などなど、いわゆる関西弁でものを考えている
言葉に似合った考え方をしているという
どうしても関東地方の人と考え方に国境があるのは(?)その所為だ
言葉を直そうとしないのもそれゆえだと思う

東京のことをこんなところで云々するつもりはない、のだがと言いながら言う
横文字が出てくるのは私の考え方は横文字です、と言ってることになる
ビジネス英語の講師なら尊敬してもらえることもあるだろうが、庶民的な目線を強調するには不利である
東京では東京の言葉を使って初めて仲間として認められる
極端な例、訛りが取れないと落語家はあきらめなければならないと聞いた
東京の庶民は東京の言葉が自然に出るようになった人の集まりなのだ
せっかく長年かかって東京人の代表になれたのに、跳びすぎて横文字を多用すると庶民はついていけない?
官僚語でものを考える部下たちを引っ張って、市場を超えてオリンピックまで行くための戦略かもしれない、が失敗しなければいいのだが・・・
先に東京語を覚えた元々の反対者がまた意固地になる時期も来るかもしれない
「元々兵庫○区あたりから東京に鞍替えして来た人、生れも芦屋だ、大阪の隣、東京人でない、代議士の一人ならともかく・・だから、東京人の代表には・・」
なんて、少し歴史を引き戻してやろうという温かい気持ちになるマスコミも想定できる

ものを考えるために言葉が出来てきた
だから言葉が違えば正直に伝わらない
だから言葉を学ぶことによって自分の考えを深めてきた
だから言葉でものを考えるというのは自然なことである
新しい考え方は新しい言葉を作って行くのだが・・
この場合にも言えるかどうか
ニュースワイドを見ながらそっちが気にかかる
そう思うことが関西弁の考え方かもしれないなら、それこそ”京都の余計なお世話”でした
写真は「たった一人の反乱」(昭和47年・1972)の表紙
鯵庵(28.9.4)

[PR]
# by ajiankyoto | 2016-10-04 07:28 | 翁草 | Comments(0)

男の性根は母譲り

b0355451_20071099.jpg
「女紋を持った女たち」で母が嫁ぐときに祖母から譲られたという話を書いた
しかし、今思えば違うような気がする
きっと当地の女学校に通っていた母の思い付きであるような気がする
母の里はそんな由緒の家ではない
でも思い付きであってもそれは当時大陸に行こうと決めた母の気位だろう
女一人で支那や満州に行くということは、それを距離を数十倍する根性と気位が必要だ
真っ白いワンピースにきちっとベルトを締めた当時(18才)の母の写真を見たら
女紋の三つぐらいあっても何のことがないという気がしてくる
凛(りん)としたという言葉の通りである

戦争に敗ける寸前に、満州から夫になる人の家に帰ってきた
我が京都もまだ田園であった
支那で約束した夫が帰ってくるまで、戦争が終わってさえ2年もかかった
誰も知らない他所(よそ)でどこにいるか分からない夫を待ったという
そして、その後生まれた小生を育てるために母として肥桶を担ぎ・・である
その頃、京都の町の半分以上が肥桶の町だったと知ってるだろうか

男の役割は家を守ることだとしても、本当に家を守っているのは女ではないだろうか
いずれにしろその家に気位があるとすればそれはそこの女の持っている気位であるのは間違いがない
小生だけではない戦争後に生まれた団塊世代のスタートは地べたであったのである
女紋は母から娘へ引き継いでいくものと書いた
女紋は形である、形は信仰である
それでもそれしかないときには生きている証になる
男も女も父から命をもらい母から心をもらう
男の性根はほぼ母親から継いでいるのである
もう一度言う・・その家の気位があるとすればそれはそこの女の持っている気位である

気位の証が女紋だ
母が肥桶を担いでいた70年前も今も日本の女が続いていると思える人にはそのことがわかる
写真は赤とんぼ
鯵庵(28.10.1)



[PR]
# by ajiankyoto | 2016-10-01 08:32 | 女紋 | Comments(5)


b0355451_11274390.jpg
余り会話には使われないが曖昧宿(あいまいやど)という言葉がある
表向きは茶屋や料理屋を装い娼婦を置いて客を取らせる店をいうとある
宿の一種だけど、浮世茶屋とか矢場とか置屋とか貸座敷とか言うイメージだ
旅行者の宿泊が主目的ではない、要は都合があって偽装した宿、ホテルだ
また、男女が逢引するための場所だから、偽装が必要な宿と言った方が分かりやすい
追及されたからと言って「偽装と言われても仕方ない」などと謝る必要はない
偽装は客のためにしているので偽装していることが分らないと入りにくい


昔は連れ込みホテルなどと言ったが、それでは偽装にならない
現代用語で言えは、フッションホテルだ
ひと時潰れかけたがこの頃街角にかたまってあるのが繁盛している
侘しさも後ろめたさもカバーしてくれるように偽装している
風俗店も無店舗型でないと許可を貰えないということで??共存共栄しているらしい
曖昧が売りだから夫婦でも入れます
その代り困ったことに外国人旅行者が家族で泊まったりする

二軒茶屋と言う言葉が昔からあって・・
デパートやパチンコ屋ですら二軒並んでいるところが商売になるらしい
ましてやお茶屋やフッションホテルはなお更である
ひっそりでは商売にならない
温泉マークとか逆さクラゲといったのを覚えている人も多いはず
それが今はファッション、この場合のファッションは風俗ということである
風俗とは本来庶民の暮らしそのものを言っていたのに・・


旧都である京都で生まれ、徳川体制の新都である江戸で発展した

もちろんこういうことはすぐに全国に広がる
時代劇では水茶屋とか出会い茶屋とかと言ったりする
その形が発展したのが花街であるが、色事は花街の専売特許ではない
男と女が生きていくことに遠慮は要らないが、今でも仮装は必要である

逆に有名高級ホテルこそ偽装している?そんな意見もある
だから、偽装の必要な金持ちや政治家や歌舞伎役者ら有名人はそちらを使うわけである
読者諸兄はどっち派?

写真は京都府立植物園にて
鯵庵(9.27)


[PR]
# by ajiankyoto | 2016-09-29 11:42 | 大人の恋 | Comments(0)

小生の父親は難病の一つパーキンソン病を患った
発病から15年であったがその後半は色々な症状が出てきた
薬のせいか気分にも波があり、幻覚・妄想が続いた
家族がそれを病気だときちっと認識するのは相当な知識がいる
大学病院に通ったが薬をくれるだけだったし、老人保健施設にも拒否された
時にデーサービスにも行ったが、いわれなくリハビリ体操ばかりさせられた
皆と一緒に笑わない、皆と一緒に手を動かさないと言って嫌われた
悲しいことに父親の尊厳を守り得たかどうか、思えばつらいこと毎日だった

b0355451_20384405.jpg
介護保険の制度は平成12年4月から(2000)始まった
パーキンソン病は難病であったので介護保険では特定疾病として扱われる
だがしかし、介護保険がスタートする前の何年かは夜明け前の暗さだった
多くの病院がフロアー単位で空きベットを作った
3か月以上の入院はさせてもらえず、病院を転々としていた
新しい病院に落ち着いたその日から次の病院を探すのが家族の仕事だった
病院は病状は安定している(治らない病気)と言い、老人保健施設は難病の患者の受け入れ態勢はとれないという
幻聴・妄想は病気なのだ
安定しているなんて知識は家族にある筈がない
認知症と一緒なのだ、そのこと自体が病気なのに・・認知症だって当時はただのボケ老人と言った
病気の治癒ではなく介護の問題に切り替えていく時期だったのだろう

やっとの思いで長期療養型の病院にたどり着いた
病院だから保険も効くけれどホテル並みの入院料を取られた
父は自分の蓄えを全て使うことを納得して、心も穏やかに入院できると久しぶりににこにこしていたけど・・
暫くして院内感染で肺炎を患った
家族と病院あげて敬老の日のお祝い行事、医者も看護婦も一番手薄な日に危篤になって次の日に亡くなった
パーキンソン病で死んだのではない、やはり肺炎であった
家族にとっても息をつく間もなく亡くなった
介護保険制度がスタートする前の年だった

つまらないことを考えた
国が作ってくれる制度というのはいつもよくできている
だがしかし、制度の隙間に入ってしまう悲惨さはいつまでも残っている
病院は回転率を上げることが一番の経営であると今でも信じている筈だ
夜明け前と夜が明けてもそこのところは変わっていない気がする
そしてまだ医療と介護の区別は相変わらず曖昧である

もちろん、ニュースで見た横浜の病院のことを評論しているのではない
老人、病気、貧困、介護にはいつでも悪の論理が入りこんでくる世の中になってきている
病人にとって生きるということは生き抜くということである
そんな分かり切ったことを制度に求めていくことは難しい
これから毎日自分自身で考えておくべきことの一つである
「酒を飲んだことを忘れたらあぶない」はここをクリック
鯵庵(9.28)

[PR]
# by ajiankyoto | 2016-09-28 08:40 | Comments(2)

オリンパスの最後の名機

小生のオリンパスのカメラがついに壊れた
オリンパスの名誉のために言っておくが小生がコンクリートの土間に落とした、それでフイルムの巻き戻し上げが出来なくなった
直らないこともないが、どこかぞんざいに扱っていた自分に気づき戒めとする
デジタルではない、オリンパス最初(で最後)の名機OM-1なのだ、もう40年になる
一眼レフは面倒だったが、面倒ついでに完全にマニュアルでなければならない
それからのカメラの推移を見てもそれは言える
カメラもレンズもマニュアルの名機だけが今も生きている
フィルムも進歩もしたけれど、結局ポジフィルムに限られた
写真にメリハリが出るが、それだけの慎重さは今のデジカメで味あえない緊張感がある
何台かカメラが増えてからは、OM-1は90㎜マクロレンズをつけて愛用してきた
花一つ、地面に寝て息を止めてシャッターを押すのも写真技術の一つだ
が、それだけで上手く取れるものではない

b0355451_07581882.jpg

カメラ会社があれから沢山潰れた
オリンパスも堅実な会社だと思われていたが数年前に不祥事で揺らいだ
カメラ業界は高級デジタル一眼レフ戦線で今しのぎを削っている
カメラが変わってきているのではない、写真が変わってきているのである
OM-1のように男でも女でも、20代にも60代にも大人にこそ似合う・・そんなカメラを作れる会社はない
これから先、二度と40年・50年も使えるカメラが出てくることはないだろう

写真は活躍していた頃のOM-1、花はヒガンバナ
「鵜の目/鵜の目鷹の目」はここをクリック

「鷹の目/鵜の目鷹の目」はここをクリック

鯵庵(9.27)


[PR]
# by ajiankyoto | 2016-09-27 08:15 | Comments(2)

b0355451_07495304.jpg
五条楽園(五条橋下・七条新地)のことを以前に少し書いた
秀吉の時代から続いてきた遊所だったのだが・・
何んと平成22年売春防止法違反で京都府警に主だったお茶屋の経営者が逮捕摘発された
それ以来、ネオンも外して一斉休業のままである
当時大きなお茶屋だけでも十数軒あった、町の人が消え火が消えた
高瀬川も、明らかに二条から五条までの姿とは違う
五条から南、過去の遊所を流れる高瀬川は同じ歴史を持ちながら五条通を境にごろっと変わる
ここは源氏物語の光源氏のモデルだとされる嵯峨源氏の源融(みなもとのとおる)の広大な屋敷河原院の跡である
それでもあれほど観光に手を尽くす京都市の手も入らない

京都の遊郭は明治になって島原が衰退し、売春防止法で五番街が廃業した
時代の中で残った遊所が京都の五花街として芸妓の伝統と京都観光も支えている
だがしかし五条楽園はスマートに変身した五花街にない大正・昭和のロマンを感じさせる遊所独特の建物が今まだ残っている
風呂屋も商店もある、マンションもあれば旅館の営業をしているところもあるし、サラリーマン家庭もあるしもちろん学校に通うこどもたちもいるのは当然である
大きなお茶屋だったところの二階の簾(すだれ)も傷んだままになっているのを除けば一般の住宅街と変わらない

ただ、街そのものは活気もなく閉鎖的な地域として沈んでしまっている
遊郭はずっと職住近接・職住一体の町だったのである
小生風に言えば、職住一体の職をとってしまって住だけになったら暮らしも成り立たないということである
正面通にあった山内任天堂は世界的企業になったが今は十条通りに本社を構えている
五条楽園の歌舞練場だった五条会館は大勢の人が集まることは今となっては消防も許してくれないだろう
五条通近くにあったラーメン屋は今もやっているだろうか
経済活動のない街になってしまうのだろうか
もちろん放蕩や浪費は美徳ではないけれど・・
有形文化財に指定して保存なんてことは所詮他人事だ
お茶屋の建物もそのままだけど、いずれ朽ちていくのを待つだけでは辛い

景観と活性化は二つのキーワードだろう
京都のある大学のチームは真剣になって調査している
生活保護所帯の割合が市内の他の地区に比べて著しく高いということを指摘している
五条楽園は五条楽園でなければ生きていけない街だったのだろうか
休業のままではイメージの改善は難しい
未だ市役所もそれからのビジョンを示すことが出来ない
京都のど真ん中京都駅からすぐの街である
隣の四条河原町や宮川町や祇園は京都一の観光地である
五条楽園だけが過去の罪を背負されたのだろうかと思ってしまう
写真は窓
鰺庵(9.26)

[PR]
# by ajiankyoto | 2016-09-26 07:53 | Comments(0)

b0355451_20580570.jpg
時々昼食にお世話になるのだが・・牛丼は別にしてもここのかつ丼がまずい
昼からちょっと勝負の時は縁起を担いでかつ丼を食ってきた
これじゃ胸につかえて縁起担ぎにもならない
今になってやっと気付いた
かつ丼は2段ステップ、トンカツを上手に作れない調理人にかつ丼を作らすのは無理というもの
その上、炊飯器のメシも美味しく炊けない、実際は3段ステップ
そのくせすぐに結果が出る
メシ屋は論理的かつ科学的なんだよな
メシ屋は現場主義が一番だと言いたい

大学の街京都のさる大学の学部で言い継がれてきたことがある
飯の旨い下宿屋が当たったらそこの娘は絶対貰えと・・!
親の手伝いをしている娘(マドンナ)でなければならない
嗅覚・味覚がきちっとしていることは女の五感が発達していると考えていい(※これは本当なんです)
学生の好きなコロッケやカツが上手く出来れば、下宿屋の娘が一流大学生に一番近い!
本当にそれを果たして大出世した京都の女史がいる、そんな夫ならノーベル賞にも近づける
ノーベル賞は京都だというのはコロッケが美味しかったから?これ本当なんだよ
下宿屋って何、いつの話??そんな昔ばなし教授だって知らない!・・とのお叱りが聞こえる

難しいことではない、商店街の店先で揚げているカツやコロッケ買いに走ったらいい
ついでに近所のおばさん雇って炊飯器で飯を炊きに来てもらったらどうだろうか
美味しいかつ丼やになるよ、メシ屋は自慢できるものだけにしてほしい
すでにコンビニに負けてるよ
特許も、味の試験もないのが料理の世界、料理の世界は工夫と発明の世界だ
名もなきおばちゃんが調理師免許にも負けない料理人であるのがこの世界の特長である
そうかと言って、あの下宿屋の娘みたいなマドンナがアルバイトに来てることはほぼない

学生アルバイトばかりの牛丼屋は美味いものを食わしたろという気がないことが分かった
やっぱりメニューは牛丼だけにしたら・・
牛丼だけなら廃棄処分になった冷凍の横流しカツを食わされる危険は少ないとは思うけれど・・
一方それほどの量を廃棄処分したりするメシ屋こそ、もはやメシ屋稼業ではないと思う
写真はコスモス
鯵庵(9.24)

[PR]
# by ajiankyoto | 2016-09-24 21:40 | Comments(0)