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「日本の暦」から続く

暦は科学であり、正しく知ることが生活を楽しむことにつながる
太陽暦は太陽に対する地球の傾きが基本、だから季節を反映できる
旧暦は残念ながら季節や天候を表すのに不都合な暦なのである
が旧暦も、ん千年の科学です
旧暦も太陽を見ている、正しい暦である
それゆえに便利な面もあったのは当然
庶民がいちいち宇宙の真理を知らなくとも暮らせるようにするのが暦である
迷信も一緒に書いてあるのが暦である
だからこそ暦は絶対の権力者のなせるもので、科学そのものでなければならないものだ


ただ占い師でもないのに時々旧暦を引っ張り出してくる人がいる
暦で天候予測は出来ない
が、小生が読んだ本もいきなり「天候不順は閏月(うるうつき)で説明がつく」と始まって、一気に幻滅した
今年は閏月が入るので夏が長いとか、旧暦を知れば3か月予報よりも先が見通せて商売に活かせるなんて話が何となくまかり通ったりする
もう一度言う、1年は365日を基準にする
ただし、400年に97回の閏年(366日)を置く
そうすると400年間の1年は平均365.2425日に極めて近いことが分かる

太陽太陰暦も同じことなのである
19年に7回の閏月を入れながらいつもこの太陽暦に合わせて補正をしているのが太陽太陰暦なのである
ほんわかとした暮らしに旧暦の知識があることは意味のあることだけど・・
旧暦活用の啓蒙を目指すとする一部の本は季節や天候が旧暦なら素直に表せるというどうしようもない勘違いに基づいている
暦には旧暦も載ってはいる
その程度に活用すればいい・・
今日は春分の日だ
春分・秋分に限り「彼岸」という哲学が入ってくる
(この項続く)
鯵庵(3.20)

# by ajiankyoto | 2017-03-20 06:00 | Comments(1)

日本の暦

我が国最初の暦は宋(そう)の時代の中国から伝わった
持統天皇(41代・690)の時代である
その後陰陽頭(おんようのかみ)の手により何度も改暦が行われた
初めて日本独自の暦が採用されたのは江戸時代になってからだという
幕府の天文方の手による天保13年(1842)にそれまでの微妙な狂いを訂正した極めて精緻なものであった
それでも改暦のためには朝廷の陰陽頭(おんようのかみ)の土御門家(つちみかどけ)を通してのものだった
これが太陽太陰暦(たいようたいいんれき)の最後になった
それを今、世間では旧暦という

明治5年(1872)になって、新政府は欧米先進国で採用している太陽暦(グレゴリオ暦)を取り入れることを決めた
明治5年12月3日になるべき日が明治6年に1月1日になった
現行の暦である、旧暦に対して新暦と言ったりもする

地球上の人は裏におろうと南におろうと、表の人と同じ月を見ている
月の姿は公平に明確にしかも毎日違う姿を見せてくれる
約29日と12時間で地球と月は同じ関係に戻る
太古の地球人は間違いなく月を見て暦のある暮らしを始めたことは想像できる
同じように太陽と地球の関係も365日と約6時間で同じ位置関係に戻ることを発見した

しかし、残念ながら太陽と月は衛星関係にない
月の周期(29.5)と太陽の周期(365.25)とは約12倍と11日である
ずれてはいるが適当なずれである
月の満ち欠け12回チョットとで季節がきちっと戻ってくる
太陽と地球との関係を基準にすれば文明を暮らしやすいということに(古代人が)気づいたのが暦である
そのことを分かった上で月を中心でも太陽が中心でも自分たちにとって共通に都合がよいのがいいわけである

言われなくとも日本国民全員が暦を知っている
暦は一番の科学なのだ
実生活の中で、今日が何月何日かを知れば暦の9割は知ったことになる
残りの1割は好みでもいい
しかも季節の移ろいもこの暦で十分だ
今年のサクラの開花は3月30日、そうか平年並みなんて台詞は何の換算もなしに十分理解できる
だから星座だって、暦どおりに現れる
あまり上手く行きすぎるので、味がないと言って、そこから始まる神秘性が占いとか迷信の世界だと言う
・・この項続く
鯵庵(3.18)

# by ajiankyoto | 2017-03-18 07:08 | Comments(0)

淳和院と賽の河原


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西院の話の続きである
第53代淳和帝は桓武帝の皇子、第52代嵯峨天皇の弟
譲位の後、離宮淳和院(じゅんないん)で生涯を終えた
現在の西大路四条の交差点の北側一帯にあたる
この淳和院は右京の四条にあったことから西院と呼ぶ
この場合は西院(さいいん)ということでいい
また、このあたりは平安京の道祖大路が通るところでもあった
この場合は道祖(さい)ということになる

平安京は左京が中国の洛陽、右京が長安を模している
桓武帝の世紀の街づくりであったけれど、右京は低地のため早くから衰退した
だから、都のことを左京の洛陽城に例えて洛中と言い、都の外を洛外という
洛という言葉だけが残った
京都の中心は朱雀大路であり、右京も西院(いわゆる道祖大路)あたりまで来ると都城の面影はない
桂川の河原が迫っていたとも言われる
大河は昔から葬送の地である
言い換えれば冥土との境である
三途の川と言ったり、賽(さい)の河原と言ったりする
この場合は賽(さい)である

三途の川とは、悪業をなしてきた人、地獄・餓鬼・畜生という三悪道で苦しむ人が渡る川である
まだ、善も悪も無しえない子供たちもここでも責め苦にさいなまれる
これらを救えるのは地蔵菩薩だけである
地蔵菩薩は右手に錫杖を持ち左手に玉を乗せ三悪道に落ちた救済のために出現する
それが賽(さい)の河原である

長い間の地蔵信仰が京都の街を作っている
都市は、疫病や災害でいつでも地獄に変わる
地獄は見世物ではないし、極楽はこの世にはない
淳和院の後に、春日神社も建っているし、賽の河原の名残の高山寺も建っている
道祖大路の名残を今でも佐井(さい)通りと言う
どうしても「さい」という音が捨てがたい土地でもある
鯵庵


# by ajiankyoto | 2017-03-17 07:14 | Comments(1)

強くなければ女でない

化粧せんでもええ人も化粧する
化粧したらええ人も化粧する
化粧しても仕方ない人も化粧する
みんなが化粧したら
化粧で順位は変わらない
化粧せんでもええと思う人からやめてやらんとね
でも化粧の下は仮面だって・・

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女性の敵は女性
長い間男の敵は男だったのだから当たり前だ
女性がが男性を敵として戦うなら
先ず女を倒してからでないと危ないよ
女性は強くなければ生き残れない
写真はただのデコポン
鯵庵(3.15


# by ajiankyoto | 2017-03-15 07:48 | Comments(0)

雪に変わりがあるのだ

♪富士の高嶺に降る雪も
京都先斗町に降る雪も
雪に変わりがないじゃなし
とけて流れりゃ皆同じ

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日本語の表現の難しさかもしれない
先斗町(ぽんとちょう)に降る雪も富士の高嶺に降る雪も雪に”変わりがあるじゃなし”
では、同じ雪だと言うてるわけである
冒頭の歌詞は間違いだとされながら訂正されることなく続いている
雪に”変わりがないじゃなし”は
”変わりがないわけではない"と意訳すれば、これも同じ雪だと言ってるように聞こえる

でも、雪に変わりは・・間違いなくある
なのに、変わりがないと主張している
・・溶けて流ればみな同じ
こちらが主題なのだ
雪は降ったところでまるっきり違うけれど・・雪は雪だ、とけたらみな同じ水になるのである
水には、雪ほどの差はなく皆同じである・・と言ってるわけである
"雪に変わりがあるじゃなし”では文法はあってても、文学ではなくなる

京都の雪は2センチや5センチでも雪である
それが今年は15センチも積もった
我々が住んでいる都会が、一気に鄙(ひな)になる
鄙になるけど都会の雪は多少美しい
交通も支障が出たり生活は確かにしにくくなるが、はしゃぐ気持ちもある

朝早くから子供たちは雪だるまを作っていた
例年より大きいし、雪がきれいだ
これから先のことは分からないが、鄙の雪は京都の子には一生の思い出になる
やはり、京都先斗町の雪と苛酷な雪国の雪は違うのである
たとえ雪質が違っても、溶ければ同じだという
ほぼ100%がH2Oという化学物質である
姿が違っても違わなくとも水になれば同じだと歌ってると考えればいい
歌詞に関していえばその内どちらでも本当にいいように思えてくる
雪に違いがないというのは明らかに間違いである
今年も冬が去ろうとしている
鯵庵(3.13)

# by ajiankyoto | 2017-03-13 05:00 | Comments(0)

啓蟄の頃

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啓蟄(けいちつ)というのは、難しい字を書く
二十四節気の一つで春分の前約2週間を言う
毎年で言えば3月6日くらいだが、今年は5日だった
”陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴を開き出ればなり”と啓蟄の意味を紹介している

田舎暮らし家庭菜園のどんこ氏は、ミニ耕運機を使い始める日としているとのこと
この菜園を耕すに天気がよければ半日の作業である
ただ、土は温まっていなく、冬眠の蛙がコロコロ出てくる
眠りが覚めず上手く逃げられないという

光が先である
・・が
気温→地温→水温→ 体温の順に春が感じられるということだった
写真はシナマンサクの花
鯵庵(3.11)

# by ajiankyoto | 2017-03-11 07:16 | Comments(0)

ミカンとキンカンの皮

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ミカンを食って皮が残る
その皮を干しているのを見る人も多い
お風呂に入れるという人もいるだろう
昔はこうして入浴剤を作っていた
有用である
「おばあちゃんの知恵袋」と済ましてはいけない

漢方では、ミカンの皮を干したもの、これを陳皮(ちんぴ)という
ミカンの皮には、ポリフェノールの一種、「ヘスペリジン」や「ルチン」が含まれている
ミカンの皮、そのものをジャムにしたりというのもありである
が、若干そのまま食うのは不都合が多い
そこで、この成分を直に吸収できるのが、皮ごと生食することの出来るキンカンなのだ

キンカンは今が旬、梅の花の時期はキンカンが実る時期でもある
一般に出回るキンカンはニンポウキンカン(寧波金柑)という種類である
キンカンは中国原産であるが、日本へ入って来たのは意外と新しく江戸時代文政年間(1826)のことらしい
今は宮崎、鹿児島が主な産地である
特長は、皮に渋みが少なく生でも皮ごと食えることである
のどによいというのは知られるところだが・・
「ペスペリジン」というのは、ビタミンPとも言われる
主に、毛細血管の強化作用が認めれれている
血流改善、中性脂肪の低下、コレステロール値の改善、抗アレルギー作用・・・・云々の効用
メタボ系には懐かしい単語が続く

クックパッドにもキンカンの利用法はたくさん載っている
沢山手に入れば、色々工夫するのがいいが
生食向きの熟した大粒キンカンはやはり生で味あうのが一番いい
皮を食う果物である
小生(メタボ系)は生で食っている
何故か俳句ではキンカンが秋でミカンが冬の季語になっている
鯵庵(3.10)

# by ajiankyoto | 2017-03-10 09:34 | Comments(0)

パソコン出来ますか?



パソコン出来ますか?と問われたのが辛い
答えの難しい問いだ
大体のことを言えば小生らの世代が会社などでパソコンに慣らされた最初の世代だ
その前にワープロというものもあった
古い世代にはワープロ活用世代と言った方が分かりやすいかもしれない
定年前にはデスクの上のパソコンで様々な事務処理を行った
例えば、パソコンを触れますかと問われたのなら、触っていますと答えることが出来る
だから、出来ますかと問われたら、出来るんだけれど・・・?
困っているわけである

小生はと言えば・・
ワードやエクセルだって使っているけれど正しく使っているとは限らない
写真の取り込みも印刷も出来るけど画像の処理まではぼつぼつである
しかし、ホームページは自分で作れる、HTMLやCSSも小学生程度は習った
ただ、そんなこと人にも言えないし今回の役に立たない
いずれにしたって誰もが自分の出来ることだけが出来るのある
答えを迷っていると・・
誰にでも出来るようになってますので心配は要りませんと言う
それぐらいなら出来ると言ってもいい、だから、出来ますかという問いに戸惑う訳である
シルバー(シルバー人材センター)での話である

パソコンで処理しなければならないならやるしかないだろうけど、
システムは(どうせ)いつも未熟なものである
周りを見渡せば余りにも技量の差が大きすぎる
資格は要らないけど、しなければいけないことは範囲は限られる
だから、それに対しては皆、同じスタートだ
理屈と体、理屈より体、この二つで付き合っていくしかない
パソコンという同僚なのだと思うしかない

暫くたって、今度は「もう慣れましたか?」と問われる
「人には慣れました」と答えるようにしている
その中に、パソコンも入っているのである
ビルもキーボードに見える?
鯵庵(3.9)



# by ajiankyoto | 2017-03-08 17:21 | Comments(2)

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西院と書いてなんて読むのだ
という会話が時にある
京都で暮らし始めた人にとってはいきなりの疑問だ
阪急電車で京都へ入ると「さいいん」と読む
嵐電に乗り換えると「さい」と読むのが原因だ

阪急の西院駅とこの嵐電の駅を上下でつなげようという計画が進んでいる
「西院駅周辺地域公共交通総合連携計画」というらしい
阪急の西院駅は昭和6年に開設された(新京阪電鉄)地下駅で、今となっては構造上の課題が多い
一方、京福の西院駅は明治43年の開設でもっと古いが幸いにして路面型である
結果として、阪急西院駅東端の北と南に出入り口が新設され嵐電のホームと上下が結ばれるようになる
阪急は乗客の安全性、嵐電は阪急から嵐山への乗り換え客を大幅に増やすことが出来ると見込まれる
ただ、この計画の中に駅名(読み方)を統一しようなどとは書かれていないことを期待する
やはり「さいいん」であり「さい」である

市バスに乗って阪急電車に乗り換えるのは「西大路四条」である
四条通と西大路通の交差点にあたる
市バスには西院という地名のバス停はない
西大路通は市電道である
四条通の市電は四条大宮から北上する
因みに四条大宮から松尾橋までは無軌条線(トロリーバス)だった
そんなことで市電線の名前を引き継いでいるように思う
もしくは、そういうややこしさを避けて中立を保ったような気がする
いずれにしても駅名だけでも100年近い謂れがある訳で、疑問提供として今のままでいい
地名(住居表示)は一方的に西院(さいいん)である・・
なお、その西院の歴史を遡ったコメントは次回以降にします
鯵庵(3.7)



# by ajiankyoto | 2017-03-07 08:03 | Comments(0)

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ありえないことの例えである
磯野家の脇をがっちり固めているマスオさんが・・
ひょんなことから里へ帰ることになった
もちろん仮定の話である
磯野家は福岡から来た
フグ田家は大阪である
一度も舅や嫁の前で大阪弁も語らなかったマスオさんが??
ついに「里へ帰らせてもらいます」と言った
たとえそうでなかっても、大阪転勤もあり得る訳である
も一度言うが仮定の話である

サザエはどうするのだろうか
大阪へタラオをつれてついて行ける女ではない
タラオはまだ小さい、それでも単身赴任ならあり得るかもしれない
サザエは言うだろう、せめて福岡ならついていくかも
小生の昔の会社では大阪支社勤務になるくらいなら、九州もしくは北海道まで行った方がましだという
ましてや京都などと言ったら、もう、帰り道が遠すぎる、という
送別会では「はよ帰ってこい」と皆が言う送られたものも最後まで大阪弁を通すものだから意外と早く帰れる
もう一つは、悲しいかな奥さんがもたないだから、結局早い目に引き上げてくることになる

家庭がもたなければ仕事する意味がない
波平さんはマスオさんと絶対喧嘩しない
何十年たっても喧嘩したのを見たことがない
それはマスオさんの覚悟である
サザエの覚悟だとみている人がいるがいるが、それは違う
「サザエさん」でマスオさんが主役だといった意味がそこにある
本当に世の中はマスオさんみたいな人が主役である

仕事で失敗でもしたら、いつか「里(大阪)へ帰ります」と言い出すドラマを期待している
マスオさんだって、いつか噴火するというのは当たり前だと思うのだが
東芝がスポンサーを止める時が始まりである
鯵庵(3.5)



# by ajiankyoto | 2017-03-05 21:25 | Comments(0)