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小生子供の頃、父親に毎週映画館に連れていかれた
昔、京都に新京極や西陣には何十軒もあったと思う
一番記憶に残っているのは鞍馬天狗シリーズ
あの松島トモ子ってすごかった、今いくつだろう?
知ってる?ライオンかヒョウに襲われる前の方が大女優だったの
娯楽はそれしかなかった、でもみんな繁華街に出ていた
子供の教育上悪いというような繁華街はなかったように思うのだが・・?
庶民の子供は映画と繁華街に育てられた?!
お笑いと映画しかなかったが、映画は途中でフィルムが切れてなおらないことがあった
その時小生の父は悔しがった
自分が言えないことを映画がしていてくれてた・・?

昭和33年子供ながら大人の映画を見た
それが松竹映画「太閤記」、木下藤吉郎は高田浩吉だった、信長は松本幸四郎(初代鬼平)だった
大名になった藤吉郎が母をお城に向かえる場面が記憶に残っている
吉川英治の原作の筈、藤吉郎はこまねずみのように働く明るい青年であった
出世していく藤吉郎の明るさは歌う映画スター高田浩吉と重なる
戦国時代なのに江戸時代のような飾った駕篭が出て来たり、底抜けに明るい映画だった
秀吉は天正元年に信長から浅井長政が支配していた北近江を与えられ長浜に城を築いた
37才で信長配下で約12万石相当の大名になった
天正と言う年号は近畿での信長の覇権が固まった年である
その後の歴史を知っている我らは戦国時代の終わりが明らかに見えた年であると思えばいい

小生、サラリーマンしているとき、仕事と言うものは″こまねずみのように”働くものだと上司に言われた
もちろん、こまねずみのようにとは朝から晩まで休みなく働くということである
この頃、ふと少し気になることがあって調べてみると
コマネズミとはハツカネズミの変種、突然変異で耳の中にある三半規管が働かず平衡感覚が異常になったもの、それを固定したものと言うらしい、マイネズミ(舞うネズミ?)とも言う
自分の尾を追いかけてぐるぐる回る習性がある
皆さんが思っている、垂直の車をよじ登るように一日回して齷齪(あくせく)している状況を言うのではなさそうである
コマネズミは独楽(こま)のように水平にぐるぐる回るからコマネズミと言うらしい

映画の藤吉郎は歌で出世した訳ではないが・・
でも小生・・高田浩吉のように歌もない
その上藤吉郎みたいに母を迎えに行けないような男だったら、ただのコマネズミと言われても仕方がない
ネズミにような体で、猿のような顔をしてても・・男は藤吉郎なのだ
鯵庵(28.7.12①)

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# by ajiankyoto | 2017-12-22 18:29 | おとこ編 | Comments(2)

京都の世界遺産は点在するので、市バスは有効な足である
特に500円の一日乗車券はその点便利である
中学生の修学旅行のシーズンももう終わった
せっかくの京都だから、グループで乗ったり降りたり地図を見たり楽しんでくれたらいい、が、正直、時に行儀の悪いグループがいる
観光シーズンに市バスに乗る市民のストレスは大きい
小さな停留所でも乗ることは出来るが、小さな停留所では降りることが出来ない

降りられないことが恐怖になる
だが、修学旅行生なら通路を開けてくださいと言えば何とか気にしてくれる

ところが困ったことに、それに加えて外国の人が多くなるシーズンがやってくる
去年のシーズンに、回りほとんどが外国の人という満員バスに乗り合わせた
乗降りの度に乗客と大きな荷物が逆流、いつもなら不愛想な運転手が顔を真っ赤にしている
料金をもらうだけではない、乗車中は運転手がキャプテンだ、しかし、言葉が通じないそのストレスである
乗客がてんでにバラバラ、リーダーのいない群れである
旅は勉強なのに、買い物ばかり・・市バスも自分らが買ったつもりなのかもしれない
運転手さん、安全運転はもちろんお願いします

でも、見て見ぬふりはしないでくださいね
せめて、そんな路線にはもう一人(車掌)乗せてくれたらいいのにね
なんだったら、交通局が奥さんをアルバイトに雇ってやれば・・
お父さんの苦労が分かったうえで、息が合うかもしれないね
真面目な提案です?
観光局の偉い人の家族も毎日バスに乗ろう
そうすれば、「観光都市のためにも頑張ってくれてありがとう」と言いたくなるのにね

修学旅行の中学生でも、しっかりしたグループもあった
時に運転手に代わって乗客の面倒を見ることもある
5人・6人というのは小さくも隊である、自分らで隊長を選ぶ
隊長次第だ、運転手さんにありがとうと言ってバスを降りる
いいリーダーがいると一気に行儀良くなるものだ
修学旅行でそれだけでも学んでもらえば、京都市民も甲斐があるというものなんだが・・

仕方ないよなぁ、言葉だけの問題ではないよなぁ、運転手さん
もちろん女性運転手の場合だって同じこと

辛いけどでも、バスに乗ればやっぱりキャプテンだよ
写真は平安神宮大鳥居、バスでしかくぐれない、歩行者はくぐることが出来ない
鯵庵(12.19)

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# by ajiankyoto | 2017-12-22 06:13 | 路線バス | Comments(0)

京野菜になりたい

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ユリの植え付けは晩秋に行われる
ちょうどこの時期ユリ根が出回る
ユリ根はユリの茎、鱗茎である
食用の話をしている
当然ユリの生長エネルギーが詰まっているので栄養豊富だ
冬の間にイノシシが掘って食うのも葛の根やユリ根だ、でんぷん質のご馳走である
炭水化物の他にカリウムを多く含む、滋養強壮・鎮静作用の効果がある
薬用にもなる極めてスーパーな野菜である
色々レシピはあるらしいが、でも小生で言えば茶碗蒸しくらいである

このユリ根、正月には欠かせないが、京料理にはよく用いられるので時々京野菜として紹介されることがある
しかし、食用のユリ根は京都ではごくごくわずかしか栽培生産はされていない
京都の八百屋は何でも京野菜と言いたいらしい、レストランも京野菜レストランと言いたいらしい
ブランド野菜とか伝統野菜とか様々な定義があるが、結構曖昧である
最後は京都近辺で採れさえすれば京野菜というが、それではほぼ京野菜になってしまう

白くてホクホクしたユリ根はコオニユリで、今はほぼ100%北海道産である
全国の美味しいものが手に入るのが都会であるし、都会の楽しみである
しかし、消費はと言うと・・不思議なことにほぼ京都・大阪を中心にした近畿地方が多い

小生、家内に分けてもらってユリ根で自家製京野菜?を作ろうと、我が家の花壇の片隅で育ててみた
夏になったら鬼色の花は楽しめたが、植えっぱなしでいつの間にかユリ根が消えてしまった
オニユリは沢山のむかごが出来るが、コオニユリはむかごがつかないのでなかなか増えない

ある機会に詳しい人に聞いて分かった
ユリ根は出荷できるまで数年かかる、大きくするために毎年秋に掘りあげて、晩秋に植え付けて数回繰り返す、夏の涼しさも大事だ、もちろん花は咲かせないのだそうだ
しかもきつく連作が出来ないそうだ
野菜の仲間に入ろうとするだけで大変な苦労だと知った
そう思えば北海道から京都への直送便でもある
ブランドより作ってくれる人の気持ちをいただくのが野菜である
鯵庵(28.12.21)





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# by ajiankyoto | 2017-12-21 07:45 | 野菜主義 | Comments(3)

東山七条を東山に上がれば豊国廟(とよくにまたはほうこくびょう)・新日吉神宮(いまひえじんぐう)であるが、実は「京都女子大学」の大キャンパスも
京都女子大学はもともとは明治32年(1899)仏教徒のための女学校・顕道女学校に始まる
時は高等女学校令や私立学校令公布の時に始まる
明治5年(1872)の最初の女学校京都女紅場より27年の後である
それでも京都でもっとも歴史ある私立女学校である

明治43年(1910)の京都高等女学校(西本願寺婦人連合経営)に
大正3年(1914)堀川五条にあった学校を現在地(今熊野)に移転
昭和24年(1949)新制の京都女子大学となる
親鸞の体現した〝無我伝承″を言うが、女子大生にもそれは理解できるものではなさそう
京女(きょうおんな)でなく〝きょうじょ″と読まなければならない
ここが女坂といわれるわけ
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七条通の京都国立博物館前を京都女学院に向かって走るバス
女坂を下ったり上ったり七条通から真っ赤なバスが走る
プリンセスというものだから〝京女(きょうじょ)″のスクールバスかと思いきや実は一般路線バス
「プリンセスラインは公共の交通機関です」って書いてあるから市バスの路線かなと思ったが、京都急行バス㈱という大阪に本社のある会社が運営する路線バスであった
京都駅八条口や四条河原町から専ら京都女子大学までの路線を運用している
路線バスながら京女を目指しているので、停留所が少なくゆえに急行路線であるわけ
もちろん路線バスだから誰でも乗れる
と言いながら、おかげで〝京女″はプリンセスの冠をかぶった
鯵庵(29.12.20)

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# by ajiankyoto | 2017-12-20 08:00 | 路線バス | Comments(0)

くくりざる/八坂界隈

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庚申(こうしん)とは60日に一度巡ってくる
「干支」の庚申(かのえさる)の日、1年には6から7日ある訳でこの日を特別な日とする信仰がある
この庚申信仰のご本尊にあたるのが青面金剛(しょうめんこんごう)
実は、小生のブログでも粟田口界隈のところで出てきた、挿絵も書いた
この神様、道教やら密教やら民間信仰やらが集合したご神体である
仏典には見当たらないご神体である
インドの神?仏教では日吉(ひえ)信仰と、また、神道とでは猿田彦神(さるたひこしん)と習合した
ともに猿に縁があり、そこからサルが庚申信仰の使いとなる
・・・と言うのが一般的解説である
と言うことでこの八坂の庚申堂は天台宗、寺名は金剛寺(こんごうじ)、ご本尊は青面金剛像である

庚申の日の行事は今はほとんど知られていない
人の中には三尸(さんし)の神が潜(ひそ)むと言われる
上尸の虫は頭、中尸の虫は胸、下尸の虫は下半身の病を引き起こすとされる
寿命を延ばしたいと思ったらこの神(虫)を追い出さなければならないというのが道教の教えである
これを「三尸(さんし)の虫」という
実はこの虫こそが美食や色情などの欲望に執着する気持ちを起こすという
日本に伝わって庚申の日にはこの日眠ると人間の爪先から体内を抜け出して、
その人の罪悪を天帝(北極星)に告げに行くとする
天帝は鬼籍(きせき)を記す
そのため夜更かしし身を慎んだという
残念ながら性行為は特に禁忌である
眠らないための雑談ばかりで朝を迎える

室町時代に伝わって後、江戸時代には庶民にも夜更かし徹夜する風習(庚申待(こうしんまち)とか庚申講(こうしんこう)とか)が庚申信仰として広がった
三猿は戒めである
奈良の奈良町で見たという人はそれである
因みに、虫の知らせの虫はこの虫である
腹の虫も・・

因みに来年の最初の庚申の日は1月6日である
門前にも案内がかかっている
12月も半ばを過ぎた
薄っぺらい着物を着た外国人がワイワイたむろしてくくりざるのように見えた
このあたりは男性の着物姿も極端に増えた
見よう変えれば、昔のお正月が復元したようであるが・・
庶民の祈りは目に見えないところで次々に破壊されていく
京都のこのあたりは、初庚申を待つこともなく毎日縁日みたいだし、夜更かしぐらいなら毎日している?
鯵庵(29.12.18)


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# by ajiankyoto | 2017-12-18 08:41 | ご利益 | Comments(0)

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鴨川正面橋界隈に続く

このあたり平安時代には河原院のあったところである
河原院と言うと源融(みなもととおる)の屋敷だとされている
源融は嵯峨天皇の皇子であり、源姓を名乗った、
嵯峨源氏融流、摂津(大坂)の大豪族渡辺氏の祖である
全国の渡辺さんのルーツでもある
源氏物語の光源氏のモデルであるという方が分かりやすいかもしれない

今度は、正面通(極めて細い)を高瀬川を渡って細い道をさらに西に進むと、河原町通りに出る
そこが河原町正面で、正面通は早くも一旦はここで行き詰る
それが渉成園(しょうせいえん・枳殻邸(きこくてい)とも言う)、東本願寺の庭園である
だからと言って、入り口があるのではない
渉成園の裏塀(うらべい)にあたる
河原町通りを通っていて、ここはなんだとたずねる人が多い

この渉成園と、いわゆる東本願寺が(元は本願寺と言った、今は真宗本廟が正式な名称)
・・関ヶ原の戦いの後慶長7年(1602)に割り込む形で徳川体制になって建てられた
家康は京都の都市改造などには何も興味なかった
東本願寺に広大な寺所を与えることによって、正面通と本願寺勢力を分断した
政治的・戦略的な価値を京都という都市に感じなかったということだろう
鯵庵(29.12.17)

(鯵庵自註)
高瀬川に沿って少し北へ上がると簾の下がった京都らしい少し懐かしいそうな建物がぽつぽつと建っている
このあたりがかっての五条楽園の中心になる
京都の街のチョットした事情を思ったまま書こうとこのブログを始めているが
その記事の中でなんとなくアクセスが継続しているのが「五条楽園は休業中?」という記事である
五条楽園や風俗という言葉に興味を持つ人がいるとしたら実は予想外のことである
小生にとっては五条楽園もビッグネームの一つである





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# by ajiankyoto | 2017-12-17 08:39 | 都市 | Comments(0)

大仏の正面通

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正面通は東西の通、七条通(しちじょうとおり)の二筋ほど北へ
河原町正面(かわらまちしょうめん)というバス停がある(南行のバス停は六条通より北へ、随分離れているので注意)
例によって京都の街の河原町通と正面通の交わったところです
正面通の正面とは何の正面か?と言うと、豊臣時代に方広寺(方広寺は現存する)にあった大仏の正面と言う意味である
と言ったが、今は豊国(とよくに・ほうこくとも)神社の鳥居が立っている
正面通は豊国神社の前からスタートする
鳥居の前は参道然として広い通りである
正面橋は鴨川にかかる橋としては五条通(国道1号線)の南に架かる

この大仏と言うのが現存していれば話が早いわけであるが、
残念ながら豊臣家に似て数奇な運命を辿る
文禄4年(1593)三十三間堂の北、大和大路に西を向いて大仏殿が完成
大仏は木造漆喰(しっくい)ながら高さ19m、奈良の大仏より大きかったが、
不幸にも完成の翌年の慶長伏見大地震により倒壊した
大仏再興できぬ間に秀吉が没した
関ヶ原の役(1600)により徳川の覇権が成立したのちも
慶長7年(1602)秀頼と豊臣家は銅製の大仏に着手するが、流し込む銅で大仏も大仏殿も焼失
慶長17年(1608)再度再建に着手
ほぼ完成まじかで、徳川家の不興を買う
ご存知の方広寺鐘銘事件(慶長16年・1614)である
大大名豊臣家の財を傾け終わった時期を待って、豊臣家の始末にかかったわけである
約400年前のことである
鯵庵(29.12.15)



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# by ajiankyoto | 2017-12-15 17:43 | 都市 | Comments(0)

何でも聞いてください

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ボランティアで子供たちに環境のことを教えるいわゆる出前講座を担当したことがある
「何を聞いてもいいよ」と言ったら、「一番困った質問ってどんなん」という質問があった
答えられなくって「今みたいな用意してない質問」と答えた
専門用語を使わずに簡単に言うのはそのことを覚える以上に難しい
相手の知識レベルを図らなければならない
先生から、そのことはまだ○年生には教えていませんと、専門的なダメがとんできたりする・・
先生だって分からないこともあるが、ともかく子供たちには嘘を教えてはいけない
どの世界でも期待している質問が飛び出せばあたりである

「何んでも聞いてください」と言う声を傍らで聞いたことがある
若い二人女性の観光客をを乗せた人力車の兄さんだった
ご苦労なことであるが、何でも聞いてくださいとまで言うには・・
少々おこがましいのではないかとと思った
でも京都クイズみたいに何でも答えるというのではないのだそうだ
相手に合わせて答えることが大事だそうな
それが上手な人が人気があるようだ

初めて京都に暮らして、アルバイトで人力車を引く
もちろん京都のことも歴史のことも、旅の雑誌も勉強するが
同じように女性週刊誌のネタも勉強するらしい
お客さんである彼女らに分かり易い話に変えなければならない
硬派はNHKの大河ドラマの本一冊で大抵はクリアーできるという
それが京都土産である

実は喜んでいるお客さんの方が値踏みされているのである
そんな土産でいいならお安いことである
旅というのは学ぶことであった、筈である
昔は命かけてするものであった
今時、大層な土産は要らんようだ
いい土産を持ってかえってください
京都はあなたの旅の舞台装置です

京都には沢山のカモが飛んでくる・・
鯵庵(29.12.14改)




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# by ajiankyoto | 2017-12-14 19:41 | 翁草 | Comments(0)

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秀吉の街づくりで築いたお土居の七口の一つが五条口
伏見街道につながる
伏見街道は京と新しい町伏見をつなぐ街道として整備された
今の五条口、五条通を起点として南へ伸びる道である
本町1丁目から東福寺の前を通って墨染まで道なり、京阪電車が疎水をはさんで並行して進む
京阪電車は粟田口、五条口から伏見の町・大坂天満橋までいわゆる京都・大坂街道に沿って走る電車
五条口から大坂までの最短距離(*京橋駅まで44.7キロメートル)を走っていることになる

この伏見街道、東山区内では〝本町通"という
北行き一方通行の道ながらビッグな名前をもらっている
当時洛外ながら伏見街道であったからか?
五条通の当たる北端が本町1丁目、七条の交差点が6丁目、本町館がある塩小路通が8丁目、JR線をくぐるのが9丁目、東福寺の正面が18丁目というふうに22丁目まである

途中本町5丁目と6丁目の境を東に行くのが正面通
これまたビッグな名前と思えば、正面は当時大仏のあった方広寺の正面のこと
この道は大仏の前を通る
京都と伏見の二大都市を往来する限り秀吉の威勢を見せ付けられる仕組みか
もちろん京都市内で本町通といえばここだけで、本町の地名もここだけのこと
鯵庵(29.12.13)



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# by ajiankyoto | 2017-12-13 10:14 | 都市 | Comments(0)

鴨川正面橋界隈

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豊国神社の鳥居を背にして西へ進むと鴨川を渡る
この通りを正面通と言う
現に鴨川に正面橋と言う橋が架かっている
桃山時代の秀吉の京都政策は鴨川治水と方広寺の大仏が目玉の役割をしている
正面通は大仏門前から本願寺(いわゆる西本願寺・(註)天正11年(1583)秀吉から寺地を与えられる)の門を結ぶ道であったである
その名残のビッグネームがこのあたりに多い

正面橋を渡って暫く進むと、右手(北側)に石造りのモダンな建物が見えてくる
初代の山内氏がこの地において花札やトランプの製造を始めた(明治22年(1889))
看板によると丸福かるた・NAPOLEONトランプの製造元「山内任天堂」とある
ここが京都の企業、「任天堂(にんてんどう)」の発祥の地であるということだ
戦後㈱丸福に山内(山内博)氏が社長に、後、社名を任天堂に変える

平成14年(2002)から岩田氏が社長に、今は本社は南区上鳥羽鉾立町にある
資本金100億円の大企業である
だが、平成27年(2015)任天堂をご存知の大会社にした岩田社長が病死
暫く社長空席であったが、27年9月に常務取締役の君島氏(65)が昇格、5代目社長になった
ゲームや株にも興味がないが、今後の任天堂の行く先は?
鯵庵(29.12.11)



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# by ajiankyoto | 2017-12-11 14:55 | 都市 | Comments(0)