山城の国葛野郡松尾大社

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四条通を西に行く、三菱自動車の工場の前を通って桂川まで
ここに架かる松尾橋を渡ると松尾大社(まつのおたいしゃ)の鳥居に達す
極めて古い神社で、このあたり一帯の住民が松尾山を祀ったのが始まりだと、
豪族秦(はた)氏の氏神として社を築造したとある
都が来たのはその後のこと、

桓武天皇の延暦3年(784)長岡京遷都、続いて延暦13年(794)平安京遷都は
この秦氏の開いた土地と富の力によるとされる
秦氏というのは応神天皇(400年頃)の時代に朝鮮半島から海を渡って来た大民族
新羅系の氏族で豊前(ぶぜん)の国から、大和・山城・丹波・河内・摂津などの各地に定着
本拠としたのが山城(当時は山背)の国葛野郡
桂川流域、嵯峨(さが)・太秦(うずまさ)の地
この地に平安京の歴史が始まったわけである

松尾大社(二十二社のうち上七社・旧官幣大社)の祭神大山咋神(おおやまくいのかみ)
古事記によるとスサノオノミコトの子・大年神(としがみ)と天知迦流美豆比売(あめのちかるみづひめ)の子
比叡山の山の神で日吉大社(大津市)やこの松尾大社の祭神である
名前の通り山の神であり、農耕・治水を司る

松尾大社のご神体は神の座る磐座(いわくら)である
磐座とは大岩のことである
日本に古くからある自然崇拝の形を残している
神の居るところを拝み注連縄(しめなわ)で囲い神殿を建てたのが松尾社である
ご神体は松尾の山である
山王(さんのう)と称されるのはこの大山咋神だということだ
鯵庵(29.12.10)



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# by ajiankyoto | 2017-12-10 07:44 | ご利益 | Comments(0)

12月8日は釈迦の日

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紅葉は洛葉になっても京都の街はあいも変わらず喧騒の中にある
観光とは魚市場の如くあると誰かが言っていた
小生は中国語の音符が分からない
JR奈良線も稲荷を過ぎてしまうと単線らしいローカルな落ち着きを取り戻す
黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)は宇治にある、駅は京都からは宇治の一つ手前黄檗駅でおりる

萬福寺は徳川体制になってから中国から招かれた隠元(いんげん)禅師によって開かれた
今でも、中国様式と音を守っている
だが、ここで中国の人に会うことは少ない
独特の装飾もここでは気にならない
12月に入って一層静かだ
実は12月はこの禅宗でも「臘八摂心(ろうはちせっしん)」と言って座禅の時期に入っているのである
しかも、一週間以上も寝ずに座禅の修行をするらしい
12月8日は仏教にとって大切な日である
35歳の釈迦が明けの明星を眺めながら悟りを開いた日とされる
陰暦の12月は臘月(ろうげつ)という、その8日目のことだから臘八(ろうはち)なのである
多くの寺で法要が行われる、暦を見ていただいて成道会(じょうどうえ※〇〇かいとよんではいけない・・やくざの会ではないので注意)というのがこれである
例えば、千本釈迦堂の大根炊き(だいこだきと発音してください)もこの行事である

我々は悟りを開いた釈迦と付き合っている
悟りを開くまでの釈迦はひょっとすれば(×ひょっとすれば)我々と同じかもしれない
人生が苦であるならば、その原因を断たなければならない
が、釈迦にある悟りが我々にはない、ある筈がない
生死事大(しょうじじだい)は中国音では"せんすすーだ"と音するらしい
禅では「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」と堅苦しく始まる

まず考えることは生と死である
どちらを先に考えるべきだろうか?
死んだら考えることは出来ないのだから、生きてるうちの課題であるであることが分かった
ならば死んだ後のことまで考えが及ばないのも無理もない
座禅だけで悟るには相当な修業が必要だろう
あくまでも萬福寺は静かである
せめて座禅を組む間の修業僧にはこの静かさが保たれてほしいと思った
鯵庵(29.12.8)



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# by ajiankyoto | 2017-12-08 17:26 | 往生 | Comments(0)

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京都府立医科大学は上京区の河原町通広小路上ル、この地は今は梶井町と言う
明治4年までここに天台宗の三大門跡寺院の「梶井門跡」があった
由緒ある寺院で江戸期は御所に近いこの地に置かれていた
明治維新の際、当時の法親王が還俗して梨本宮家を興すことになったため、
仏像・仏具類を大原にあった天台宗の政所に移された
梶井門跡は洛北の大原に移転、大原の極楽院と一緒になった
これがこの時から「三千院門跡」となる
明治13年(1880)この梶井門跡の跡地に移ってきたのが京都療病院(京都府立医大)である
このくだりは「僧侶が作る病院」という題で往生のカテゴリの中で書いた

京都から若狭の小浜へぬける道は鯖街道と呼ばれる
市街地から小浜で100キロである
大原までの京都バスがこの道を行く
京都駅から約20キロ、ほぼ1時間かかる
街から大原へ行く人(観光客)はこの三千院へ行く人と寂光院へ行く人とに分かれる
三千院は上に書いた、し、歌謡曲で有名だ
一方、寂光院は平家物語の最後の舞台だ
建礼門院の往生の姿が偲ばれる

寂光院は聖徳太子の時代に遡るという尼寺である
もっとも今も尼寺ゆえにそれほど大きくない
バス停から道を行けば、大原の里は寂光院と一緒にあったことが分かる
柴漬けもそうである
素朴すぎる漬物であるが紫蘇を使うことが特徴である
赤紫蘇の葉と塩だけで1年以上つけて乳酸菌発酵させる
それが本当らしいが、そんなもの食った人は少ないだろう
そんなものも見てみたいという人は早速に大原へ向かうべきである
ただし、紅葉の季節が終わった頃が一番いい
鯵庵(29.12.7)




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# by ajiankyoto | 2017-12-07 10:02 | 路線バス | Comments(0)

新しい野菜/野菜主義

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野菜の料理は鎌倉時代に発展した
それは精進料理であった。
日本の独特な食生活の一面を形成していった。
室町時代には今日の日本料理の味は出来ていたとされる
それは野菜の豊富さと、その料理法の工夫による
食生活の原型となる一汁一菜は味もカロリーも決して貧しものではない
むしろ質素・倹約の中に食事を楽しむ日本の文化形成のエネルギーだったというのが事実だろう
封建性が確立した江戸時代ですら貴族も武士も庶民も身分にかかわらずほぼ同じような料理(食事)をとってきたのは我が国の大きな文化的特徴であった
それはやはり穀物と野菜というものが食生活の基本だったのだろう
もちろん魚も・・無形文化遺産にならなくとも「和食」の原点がそこにあるような気もする
が、「和食」は現在進行形で、間違ってもただの遺産ではない
それは野菜も同じなのである

例えば・・
ほうれん草の原産地はペルシャであるが、日本には16世紀に中国から入ってきた
また、北ヨーロッパ周りのほうれん草が19世紀に入ってきた
昭和になってこれらのほうれん草の交雑種が作られるようになった
今や挿絵にあるような多彩なほうれん草が栽培されるようになった
日本の季節や気候風土に合ったものが作られるようになった
中には一代雑種のほうれん草も種苗会社から多く売られている
それでも、美味しいほうれん草を作る(出荷する)のは難しいといわれる

野菜を工業製品のように職人技で選ぶ人がいる
あるいはまた、伝統ブランドだけにこだわる人もいる
野菜は形や産地にこだわってはいけない
地面の力をどれだけ吸収しているかだ
作る人がどれだけ大事に育てたかだ
地面(土壌と水)が安全でなくてはいいものが出来ない
そのことを守るべきである
鯵庵(29.12.5)

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# by ajiankyoto | 2017-12-05 14:24 | 野菜主義 | Comments(0)

スグキナ/野菜主義

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このすぐき、絵を見ていただいた通り、カブである
カブの変種である
カブは中央アジアから中国を経て我が国に伝わってきたとも言うが、奈良時代にはあったようだ
アブラナ科は交雑が盛んにおこなわれるので、江戸時代には多くの種類のカブが各地で作られた
今は日本列島東西合わせて80数種生産されている

岐阜の赤かぶ、滋賀県の日野菜も京都の聖護院かぶらもその一つである
このスグキナもその一つである、が、ほとんどすぐき漬けに利用される
300年前くらいに上賀茂の社家で栽培・加工されていたされたという
上賀茂の農家でスグキナの種と乳酸発酵の加工の工夫が引き継がれてきた

11月、12月になると一面スグキの畑であるが、
それでも多くのスグキが畑に残され、春になればスグキの菜の花の花盛りでもある
種を取るためである
だから、上賀茂の農家では他のアブラナ科の野菜を育てないという
農家それぞれが自分の家の種を守っていっているとあった
それが伝統野菜である所以なのだろう
鯵庵(29.12.4)


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# by ajiankyoto | 2017-12-04 08:02 | 野菜主義 | Comments(0)

灰色のハート(後)

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誤って削除してしまった項目である
camellia-02氏の絶大なご協力によって奇跡的に復元することが出来たものです

灰色のハート(前)または灰色のハート(中)から続く

人を好きになることこそ人たる美徳であると思う
本来のハートは血の色である
その中で男であったり女であったりするのだから・・
また、その中で人はどうやって生きていけばいいのかを迷うことが倫理である
人の悩みの底は複雑である
だから、人生相談は仮定でなければならない

回答者は迷いに対して諦めの助言は出来ない
そのくせ相談者は自分の答えを先に持っている
しかも答えが載せられない相談はそもそも採用されない
男女の現実はまた違うところにある
自分で苦しめばいいことだろうけど、
実生活の方を仮の姿として世を欺いて生きていくのは苦しいことだろう
真っ赤な血が流れるハートばかりではない

人は引っ張ったってついてこない
せいぜい後ろから押してやることである
ただ、世の中回答者ばかりではない
後ろから押してはやるが、受け方をまち間違えれば下手をすれば堀に落ちる
昔、何か相談すれば「あんさん、別れなはれ」というのがあった
今の世でも・・相談の9割はその答えが一番親切だともいえる
そうでないと相談になど来ない健気(けなげ)に生きている人が割を食うというものだ
きっと、答えはそっちの方にあるのだろう・・な
鯵庵(29.12.2改)




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# by ajiankyoto | 2017-12-02 07:37 | 大人の恋 | Comments(0)

おふくろの味?


有名豆腐屋の店先で豆腐をかじっている旅行者に出くわす
豆腐豆腐というけれど、気の利いた豆腐はあっても特別な豆腐は無い筈
そこまで驚かなくてもいいような気がする
1丁200円もすれば御の字
どこそこに限らず寒くなれば湯豆腐など毎日やし、芋棒もただの家庭料理

家庭では、いい〝出し″と新鮮な野菜、豆、時に海のものや鳥、後は豆腐と油揚げ、みんな近所で手に入るもの
これにちょっとの工夫と作ってくれる人がおれば〝おかず″は出来る
どちらか言えば内陸型食材が特徴である
それを特別に〝京のおばんざい″と丁寧に言うてくれる人もいる
おばんざいとは京都風のいい音ではあるがどちらかと言うと最近の造語である
突っ込んだ研究する人に言わせるとおばんざいの〝ばん″は番茶と同じ番であるという
ストレートに言うと下級と言う意味だとすら言う

京都にないものがある
実は″おふくろの味″である
そういうと驚く人がいるが、実は京都には〝おふくろ"がいないからである
京都や大阪で育った人で母親のことをおふくろと呼ぶ人は今だ知らない
母親は"母"であり"おかー″であり"おかん"、"かかさん″である
それ以外にも色々あるが、たとえば花柳界・路地の家でも全て"おかーちゃん″といえば、
本当に親であろうとなかろうと最高の親愛の情の表現である
繊細(?)なのである、それに対しておふくろは鄙(ひな)の言葉である
都会には、"おふくろ"という言葉が存在しないんだから「おふくろの味」はないわけである
ならば・・、それはただの家庭料理である

世界中の料理は大きく分ければ宮廷料理と家庭料理に区別される
その上であえて細分すると、家庭料理は料亭の料理、仕出し屋の料理、商家の料理、庶民の料理などに細分される
何百年も公家も庶民も日常は家庭料理である
それを表現する適切な言葉が存在しない
だから"おばんざい″や"おまわり″などという言葉を引っ張り出さなければならない
庶民の料理だって、粗末ながら工夫を凝らした数百年のレシピが確立されているわけである
料亭の料理も家庭料理である
神様に供えたり、やんごとなき行事に出される料理以外は皆家庭料理である
鯵庵(29.12.1)

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# by ajiankyoto | 2017-12-01 01:00 | 大衆食堂 | Comments(0)

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京都の12月はすぐきから始まる
京都の伝統野菜の一つである
8月ぐらいから種をまく、約80日で収穫されるとある
特に上賀茂の農家で栽培される
カブを葉で巻いて樽に漬けこむ

紅葉の時期に上賀茂神社にお参りしたとき、
天秤棒に石の重しをぶら下げてテコの原理でつけるすぐきの樽が置いてあった
漬け物である
葉も刻んで食す、カブは半月状に薄めに切って食す

それがまたお正月前の時期にちょうど出回る訳である
昔は上賀茂の農家の女性が街中に売りに来ていたらしい
トラックで店を出しているのがよくあったが、それも今はないかもしれない
生の上賀茂のものは意外と高い
大体目方で売っているので注意
100gで300円程度、一つで中ぐらいのものなら大体千五百円以上はするような気がする
真空パックしたものでいいなら市内の漬物屋でたいてい手に入る

京都の漬物はその野菜の特徴を活かしたこったものが多い
しかも、室に入れて保温し乳酸発酵(にゅうさんはっこう)させる
独特の色合いと味になる
この漬け物の乳酸菌はラブレ菌である

ラブレ菌は塩に生まれ塩に強い植物由来の乳酸菌であるのが特徴である
町内、いや腸内環境に大いに貢献できることが確かめられている
ラブレ菌はこのスグキの漬物から、しかも京都で発見された
上賀茂の地面と空気が持っている菌だともいえる
出来たら本物を扱う店で手に入れてくださいという根拠だ
鯵庵(29.11.29)

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# by ajiankyoto | 2017-11-29 11:00 | 野菜主義 | Comments(0)

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灰色のハート(後)
誤って削除してしまいました
余りに簡単に消えてしまいました
落胆してます
イイネをいただいた30数名の方にお詫びいたします
もう一度書き直しますがしばらく時間を下さい
明日・明後日は京都を離れます
明日の投稿は予約投稿です
ブログは京都から発信します
鯵庵(29.11.28)

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# by ajiankyoto | 2017-11-28 17:36 | 大人の恋 | Comments(4)

毘沙門堂のふるさと


山科にある有名寺院毘沙門堂(びしゃもんどう)へ行くとシーズンにはお寺の案内をしてくれる
この毘沙門堂、天台宗の門跡寺院、奈良時代(703)に行基によって・・といわれる
というだけでなく、このお寺の正式寺号は「出雲寺(いずもじ)」ですと教えてくれる
出雲氏の氏寺下出雲寺だと言う
平安時代の前期に天台宗の伝教大師が作った毘沙門天を本尊とするゆえに毘沙門堂ともよばれていた
平安遷都以前からあるお寺である
その後荒廃していたのを徳川家の援助で江戸時代に山科に再建した出雲寺が毘沙門堂門跡である
と、説明される。

鞍馬口というのは鎌倉時代から室町時代に整理された京の街道の出入り口で、
例の豊臣太閤の街づくりの「京の七口」の一つでもある
少しひねって言うと、このあたり正しくは出雲路(いずもじ)という
鞍馬の先は丹波だけれどその先は山陰道の出雲に通じる、というし
このあたり平安京が出来る前の山城盆地の古代豪族出雲(いずも)氏の本拠地でもある
賀茂川のほとりには鴨氏・出雲氏が定住し開墾していた
ここにある怨念の御霊(上御霊・ごりょう)神社も出雲氏の元は氏神であったとするのも定説である

この鞍馬口通が賀茂川を渡る橋が出雲路橋(いずもじばし)という
賀茂川を昔はトントン跳んで渡れた
それからおおむね北に、深泥池(みどろがいけ)の傍(かたわら)を北上して岩倉を経て京都精華大学から二軒茶屋へと通ずるのが鞍馬街道である
今でも鞍馬への道は花脊から丹波の美山から若狭への道でもあるが、実は静原から分かれて大原へ行く別の道でもある

通りの名としてこの鞍馬口(場合によっては関所)が設置されたところに由来する東西の通りのことでもある
京都の地下鉄は烏丸通を通っているが、それはいいんだけど烏丸通と鞍馬口通の交差点に駅を作ったときに「烏丸通鞍馬口」を略して「鞍馬口」と名付けた
〝何とか口″は〝遠いけれどそこへ行ける″という意味でつける
〝京の七口という歴史的符牒″を知らなければつい鞍馬寺観光にはここから行けば便利だろうと思ってしまう
ここで降りたのでは鞍馬へは行けません(直接の交通手段がない旨を)と地下鉄で案内しなければならないことになる
そういう意地の悪さが京都にはある
歴史(正しくは地史)を知らなければ理解できない
難解地名を楽しむのと同じ感覚である
実はそれは人を煙に巻くのではなく歴史に近づく鍵のつもりである
鯵庵(29.11.26)


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# by ajiankyoto | 2017-11-26 06:00 | 都市 | Comments(0)