初夢艶福指数続編

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人口動態統計、国の統計である
昨年の結婚(初婚どうし)の平均年齢男性30.7歳、女性29.0歳と発表された
これを40年遡れば男性27歳、女性24歳である
明らかに晩婚化していることがわかる、と新聞にも書いている

だが、この数値は夫婦そろって初婚の場合である
初婚どうしは昨年の結婚の4分の3未満である
4組に1組はどちらかがもしくはどちらも再婚である
それを加えたら何歳になるのか・あるいは再婚の平均年齢は?
ネットで国の統計を覗いたのでは見つけられなかった

初婚の年齢差も縮まっている
正月に初夢艶福(えんぷく)指数(勝手な命名ですよ、お遊びです)というのを載せた
〔相手の年齢=自分の年齢÷2+X〕
で、このXが艶福指数であった
標準的には(少ない方が艶福度が高い)15だった
これを昨年の結婚年齢に当てはめると
29=30÷2+14となり
Xは14で15にニァリーイコールである
小生の式、艶福指数の式(30歳)があっていたことになる

自慢することはない
もともと初婚どうしに艶福は当たり前、小生の指数とは無関係である
歳の差があろうとなかろうと、艶福である
本来、再婚の場合を想定していたものなのである
男性も女性も再婚する勇気をもって下さいと言うものだ
ましては歳の差だってめでたいことですと言いたいわけである
国の統計だってもっと意思を持ってほしい
統計というものはもっと面白いものであってほしい
初婚どうしの平均年齢より再婚の平均年齢の方が国民(個人的)には役に立つような気がする
男性も女性も、再婚にも勇気をもって下さい
今日のブログはただそれだけのことである
鯵庵(2.13)



# by ajiankyoto | 2017-02-13 07:56 | Comments(0)

最初から嘘です



小生の一番最初の嘘は〝私は嘘はつきません″ということだった
だが誰もが最初につく嘘
〝嘘をつかないで生きていける人は一人もいない″というのは昔から不変の社会の定理です
嘘をついたらダメというのは幼児教育的には最大の願望
大きくなれば誰もがそれぞれ嘘つきになってしまうのが分っているためなのだ
ただ大人になっても〝嘘と知らないで生きて行ける人はいる″
自分につく嘘もある、闘うための嘘もある、嘘の方が罪が軽い時もある
最大の嘘は〝嘘を知らないで生きてる様″を装うこと
〝世の中は嘘のカタマリですと教えないのが″のが二番目につく嘘
嘘も方便とばかりは言わないが、嘘を含めてホンマです

嘘にも種類があります
表の話は大体が嘘です
偽装だけでは無い、宣伝したり飾ったりすることは嘘がなくては成り立たないということです
セレモニックなことは演出があってのことです
晴れ着も化粧も大きな偽装です
それほど溢れている分けです
その他にも小生のブログみたいに路地裏の嘘もあります
嘘には高級も低級もあります、天然も養殖もあります、良性も悪性もあります、長期型も短期型もあります、有毒も無毒もあります
そのラベルを偽ったら騙すことになります
騙すことと嘘とは違うと言う訳です
ラベルに騙されたとしたらあなたの失敗です
この話、全て一般論です

♪折れたタバコの吸い殻であなたの嘘が分かるのよ
男はタバコを折って嘘と教えているのですよ
そんなぐらいの嘘なら平左衛門です
絵は小生が初めて作ったプラモデルの雷電・当時30円もした、嘘との付き合いが始まった
鯵庵(2.11)

# by ajiankyoto | 2017-02-11 08:19 | Comments(0)


2月の始めの午(うま)の日は初午(うま)と言う
稲荷信仰ではこの日を大事にしている
初めて稲荷神が稲荷山に降りたのが旧暦2月の午の日(711)であった
古来から人々は神を恐れ敬ってきた
神の前では身を謹み、供物を捧げるものであった
祈りは神に対する詫びである
詫びながら恐る恐るお願いするものである
それが祈りというものである

稲荷神は宇迦御魂(うかのみたま)神を主体とする
古事記でスサノオノミコトの子とされている、伏見稲荷では女神としている
稲荷神は神仏習合の顕著な神で、かっての時代には荼枳尼天(だきにてん)と習合した
ダキニテンは狐に乗って現れる
稲荷神を狐とするのは大いなる民間信仰である
山城の値の稲荷山は山城の古代豪族秦氏の本拠地の氏神である
養蚕・農業の神である

初午は冬から春への季節の変わり目である
今年は2月12日が初午の日に当たる
元来は旧暦の2月の最初の午の日とされていたが・・それでは3月になってしまう
元来の繰り返しだが、元来は立春を過ぎて最初の午の日としていたという記述も多くある
この場合、新暦の2月になる訳である
このあたりの季節感としてはこちらの方があっているように思う・・安心した

農業神稲荷神の祭としては、農作業を始める前の祈りである
"あらかじめの豊作"をお願いするもので農家の実情に合う
天候不順が一番の禍いだからである
日本の信仰の春の行事はそういう性格を持っている
もちろん今は稲荷山の麓も都市化しており、稲荷神も開運の神、商売繁盛の神でもある
その上、グローバル化、外国人のお参りが一番多い神様でもある
世界中の人が稲荷神の福を競って奪いに来ているようにも見えてしまう
鯵庵(2.9)




# by ajiankyoto | 2017-02-09 08:35 | Comments(0)

生活設計に入門もならず

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生命保険会社は商売で色々な研究をしている
ただ、目的ははっきりしている
そんな時にも「生活設計」などと言う単語を使うのが特色だ
そもそも、生活は設計できるもんだろうかというのが素朴な疑問でる
ひどいのになると、65歳以降老後の資金は最低で3千万円いるというのもあった・・
ほとんど脅しである、何をか言わんである

そんな資金持ってる人が何割いるのだろうか
また、そんな暮らしはどんな暮らしなのだろうか
それでも、90歳には貯蓄は0になるという
小生の友人は定年後にファイナンシャルプランナーとかいう仕事を始めた
60歳からほぼ10年で3千万円ぐらいは稼ぐのが目的であると言っていた
年ん百万は稼ぎたいのだけれどと言っていたが、とても計画どりには行ってないようだ
ファイナンシャルプランナーが自分の生活設計も違算だったと笑っていた

小生もリーマンショック以来銀行との付き合いも距離を置いている
30年かけた死亡保険もやめた、もちろん保険金詐欺にも縁はない路地の住人にとっては今更設計のしようがない
子や孫に頼らなくとも何とか自分一人のゴールをめざせるとすればともかくは御の字である
我が国は立派な社会福祉国家だと今のところ認識している
怖いのは、制度の隙間に入ってしまうことである
そんなことがあるならなおさら設計のしようがないという方が当たっている

生活設計は若い時にすべきである
その第一が就職である
その第二が結婚である
誰も一人で生きていく設計をするはずがないし、
誰も自分が早く死ぬ設計をする人はいない
設計というのは作るものがあるからなのだ
何のために勉強してきたのだろうか・・と思ったときに設計が必要なのである
基礎だけでもしっかり設計すべきではある
生命保険会社や銀行などの言う生活設計はそれからのことだ
生活設計と人生設計と同じように思わせるところに特色がある
小生らはいつもつっかい棒の設計ばかりしている
鯵庵(2.7)

# by ajiankyoto | 2017-02-07 20:12 | Comments(0)



〝結い(ゆい)″という
小さな集落単位自治組織で共同作業などを行う相互の扶助組織を言う
厳密には、自分では出来ないことをなすのが目的
「結(けつ)」と言う字は結(むす)ぶ、結(ゆ)う、束ねる、約束する、という意味がある
以下どんこ氏のお母さんから聞いた話も含む
三十数年前にどんこ家の茅葺(かやぶき)の家の解体をした
本来はカヤを葺き替えるのだが、財力がなく解体となった
十数軒の家の男・女たちが手際よく働いてくれた
それが〝結い″である
もちろんこちらも何度も手伝いに行っている
昔は田植えだって多くの人力を必要としたが、トラクターや田植え機の普及で早くから、手助けは要らない
ここらではそれから茅葺の修理をすることもなかったのでどんこ家での解体がほぼ最後であった、という話

茅(かや)の葺(ふ)き替えは準備から入れたら何年もかかる
一世代で一回あるかなしだと言う
山に萱(かや)の場所もあったが今はそれもない
茅葺(かやぶき)は専門職人でないと出来ない作業になってしまっている
三十年前の人はもうほとんどいない
解体の段取りだって今は分かる人はいない
茅葺の上にトタンを巻いた家がまだあるので取り壊しの時には・・・と言うが、
恐らく業者に頼んでクレーンで綺麗にやってしまうことだろう
結いとは〝互いの約束″だけど、長い年月で約束を果たす機会がないと結いは存在しない
山里から沖縄まで我が国は「結い」の集落だった
結いは平等な組織だ

この頃は田んぼも減反も共同作業だ
出なけれは金をとられるし、一方男しか出来ない仕事は大きなトラクターで何人かでやってくれる
特産の黒豆作りの作業にも年寄りはもう参加出来ない
家族で食う2~3人分の米を受け取ったら共同作業の収支は限りなくゼロに近い、と言う
国の金を使って耕地整理した田んぼで農協の指導の下に固まって共同作業をしている
共同作業には必ずいいリーダーが必要だ
都市に近い農村は共同作業から農業法人(株式会社)に変わろうとしている
似てるようだけど、それは〝結い″とは別のものとどんこ氏も言う
立春が過ぎたら、ぼちぼちトラクターの整備が始まる
多くの農家はまだ何もすることはない
どんこ氏とは退職後田舎へ帰ったチームの仲間(友人)である
鯵庵(2.6)




# by ajiankyoto | 2017-02-06 08:33 | Comments(0)

耳のさわり

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陰口たたく人がいる
陰口は悦楽的である
ひどい人は今まで仲良くしていた人が居なくなるのを待って始める
自分が嫌われることはわかっても、ついはまりそうになる
いくつになってもである
いや、齢とともにそうなっていってるのかもしれない

陰口は嫌われますよと言ってくれる人もいない
だから嫌われもん同士の陰口は止まらない
毎日の退屈も、陰口仲間がおれば過ごせるかも
相手に聞こえないところで言うから楽しいのだ
聞こえたらどうしようと思う前に今が楽しいのだ
万が一には本音で言うて何が悪いと言うだろう
が、やはり自分の発言だとだけは知られたくない
陰口はやはり不毛な性根である

だが、陰口たたかれるのも、自分にとって最大の情報である
責任のない発言ゆえである
その効きめはなんとベンチャラの百倍
陰口が聞ける人間にもならなくては・・
自分の陰口は自分の滋養、それも修業
出来れば目の前で優しく言ってよ
それじゃ陰口にならないって、面白くもないって
男と女も老いも若きも
やはり人に嫌われたいなら、陰口たたくのが一番、効果てきめんである
鯵庵(2.4)




# by ajiankyoto | 2017-02-04 10:10 | Comments(0)

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茶釜というのは茶の湯の釜である
茶の湯が盛んになる前からお湯を沸かすために昔から存在していた筈である
節分の行事で賑わうだるま寺は(臨済宗法輪寺)はだるまの寺である
このだるま寺に京都を代表する企業・島津製作所の2代目島津源蔵の住まいにあったという東屋がある
実はこの人、世紀の発明家として名だたる人である
その東屋に源蔵直筆の「分福茶釜について」と題した木板が掲げられていた(過去形)

分福(文福とも書く・ぶんぶくでもぶんぷくでも)茶釜とは昔ばなし、も一つ正確なあらすじを思い出せないが・・
タヌキが茶釜であり茶釜がタヌキであった気がする
それはさておき木板には茶釜を利用していた日本人は1000年も前から茶釜の蒸気の力を見ていたのに・・
ついに170年前(当時から)にワットに発明を持って行かれた
発明のヒントが周囲にありながら、彼と我との違いが唯々残念である・・という意のことを書いてあった
日本人は茶釜を見てタヌキしか思いつかなかったのかと揶揄しているわけではないが、発明家らしい感慨である
今は島津製作所の創業記念館に里帰りしている

ダルマはゆらゆらと楽なようであるが
転ばされば転ぶけど、ダルマが起き上がる力の源は転んだ力の大きさなのである
苦があっての楽である
茶の湯は茶釜という道具一つで達し得る境地かもしれない
が、湯気を見て科学と違うものが見えていることになるのだろう


般若心経が大きな太鼓の音と聞こえてくる
小生、京都で暮らしていて好きなお寺さんでもある
今日は本堂の座敷で唐津焼の南森氏の焼き物があった
南森氏は製薬会社のサラリーマンから陶芸家に転身した
工房は佐賀唐津の龍仁窯ではあるが、実は京都の生まれだ
いい茶碗があった、座りがいいのに底に丸い穴がある
聞いたら、山野草など鉢だった
今ならヤブコウジの赤い実が似合うはずだと言っていた
そうか、器にも穴の開いたのもあるのか・・と思った
例によって、一つ手ごろな実用品を買うのが趣味である
ただ小生は底に穴のないものにした
人によって見え方も違うのだろうね
鯵庵(2.3)

# by ajiankyoto | 2017-02-03 06:00 | Comments(0)

大丈夫ですよ

大丈夫ですよ
だから携帯とったんです
そっちこそ大丈夫ですか
いつもメールで言うてくるのに
電話をくれるなんて
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♪お久しぶりね こんな真夜中に
♪あなたから電話をくれるなんて
♪おかしいくらい 真面目な声で
♪あたしに迫るから 眠気も冷めた

鯵庵(2.2)

# by ajiankyoto | 2017-02-01 20:45 | Comments(0)

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″スミマセン”または"スンマセン”あるいは"スイマセン”という言葉は使いでのある言葉だ
謝る言葉だが・・英訳するとアイムソーリーの″sorry″にあたるんだが・・
語源は”済まない”である
少し心をこめて発声すると〝スマン・スマン″と言うことになる
アクセントしだいで多用できる
あくまでも謝る言葉であって感謝の言葉ではないことがこの言葉の特徴だ
それも少し手間かけさせたなぐらいの意味である
どちらか言うと私のせいだけではないよという反論も含んでいる
店に入って店員がいないので〝すんません″といってる状況を浮かべて欲しい、少し怒ってもいる

前に置いたり謝る必要のないときに言うと、これが命令形にもなる
「歩」が「金」に成るようだ
「金」に変わったら、それで終わらない不気味さを持っているが、
悲しいかなそこまでいくと海外からの旅行者には通じにくい
京都は今そういう街になってきている
旅行者に理解できないことが淘汰されようとしている
小生、英語も中国語もわからない
スミマセンなどと簡単に言ったら嵩(かさ)に懸かって金をとられそうだ

この頃街を歩いていて・・
「俺は絶対にスイマセンと言わないぞ」、と顔に描いたご同輩によく会う
すれ違ってもこんな年寄りに当たるまいぞ
スンマセンと言いたくなかったらありがとうと言えばいいのに・・
感謝の気持ちを伝えたいときは全国共通の〝ありがとう″と言う言葉があるのが救いである
ところが、そんなご同輩に限ってありがとうなど言う筈がない
小生、そうでない場合は「ノー・サンキュー」と言うようにしている
ノーの時ほどサンキュウと言うことにする、それもせめて年寄りの礼儀の一つだ
鯵庵(1.31再携)

# by ajiankyoto | 2017-01-31 09:00 | Comments(0)

祈りなき祭

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巻き寿司や鯖寿司は都会でも田舎でも祭りやハレの日には是非とも欲しいもの
「恵方巻」で、この日あたりはコンビニでも結構凝った美味しい巻き寿司が手に入るメリットはある
全国の消費者にとっては手軽に美味しい巻きずしが手に入る機会でもある
節分用の巻きずしの全国販売はそれぞれのコンビニが活躍してます
コンビニのチエーン力の大きさを見るようです
もちろんそれはコンビニ戦士のしのぎを削る闘いにも見えます

ただ、追儺(ついな)・節分の行事も色々ある中で、巻き寿司の丸かぶりには文化も伝統も感じられない
もともとこちらの方面(関西)のコンビニチェーンが販売促進のため始めたこととも言われる
いわばジョークだと知ってるものと思っていたが、スーパーに限らずこのごろはデパートでも、一丁前の寿司屋も負けずにやっている
巻きずしというのは日本版古典的ファストフードの代表でもあるが・・
一方せめて丸かぶりだけはやめて欲しいと言う運動も起こっている
販売促進なら何でも、ということか?

困ったことに「暦のはっぴを着て」祭りだと騒いでおれば
ジョークでも十年・二十年続くと本当らしくなってきたと言う訳である
この頃はその巻き寿司も並ばなければ買えないし、作るほうも工場でフル生産である
ふた昔以前のクリスマスのデコレーションケーキ以上の緊張感がある
バレンタインデーのチョコレートも似たようなものである
納品に手違いが許されない
しかも、一日遅れたらゴミになってしまう
そのことを嘆く人もいる

巻き寿司は各家の味というものがあったし、町内の仕出し屋でも味にこだわった
その中にささやかながらも家族の祈りがあったのにと思ってしまう
いつもながらコンビニやスーパーのレベルで議論してしまうと、
味は野蛮になり、食べ物に対する感謝や自然に対する信仰などという素朴な思いも文化もなくなってしまう
せめて・・工場で作るものではない。
〝物が足りる世の中を動かしているのは冗談とパロディ、フィクションである
それの作り手はいつでも商業主義と”サラリーマンの論理″だと言っていたコメンテーターがいた
こんなことを言う人はそのうちテレビでは見られなくなるかもしれない
その前にその言葉を紹介させいただいた
鯵庵(1.30)

# by ajiankyoto | 2017-01-30 07:26 | Comments(0)