本当にもてたいのなら

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鞍馬天狗は大仏次郎の幕末小説のヒーローである
劇画とインチキ大河ドラマになれた我々には少し少年ポイところがあるような気がするが、極めてリベラルな侍である
京都の映画は鞍馬天狗と他にも丹下左膳が爽快である
ともに目元清(すず)しき・・侍である
30~40代の男を見るときは目元を見ればわかるという例えでもある

異性、特に男は女にモテたいのは動物としての悲しい性
工夫はするがモテたことのないのも厳しい現実
モテない男がこの社会で男を張っていくのは〝しんどく″なったのではないかと思っている
芸能人か金持ちにしか男を感じられない女性にも困る
男性も女性も〝自分の人生″に興味を持たなくなっている
特に仕事を持っている男にとっては毎日が違う舞台だから・・
出来れば舞台の上の男も見てやって下さい、お姫様・・?
それより、まず、下手な芝居も出来ないようでは、早く舞台から降りた方がいいと言う人もいる

そこで、女性にモテる男性になるための講義を受けてきた
一に芝居気があること
その上で大事なのが「知」と「稚」と「痴」の三つのチという
知的であること、夢を持っていること、したたかなこと、「この三つの成分が適当に配分されると男の匂いを感じる」・・と言った女史がいる
確かに歴史小説の英雄的主人公は大体このセオリーにあっています
ブツブツ言いながら何もしない脂ぎった顔をした老人の反対だと思えばいい??
ごもっとも、しかし今更どちらにもなれそうにないのが小生

鞍馬天狗を思い出した
しかしいくら憧れていたとて今からでは鞍馬天狗は出来ない
残念ながら20年は遅かったですね、と慰められた
ともかく、自分を演じられないようではダメ
男は40代になるときが境目だね、それからもてるのが本当
子供のままではもてないよ、これからも男を磨くなら"三つのチ”試してみたら・・
写真はコガネグモ(※「昆虫エクスプローラー」で調べさせてもらいました)
鯵庵(29.7.23改)

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# by ajiankyoto | 2017-07-23 05:27 | おとこ編 | Comments(0)

マスオさんは男である

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町内のマンション住民の人には親子でマンションを持っている人がいる
同じマンションだったり、となりのマンションだったりする
祭の時にそんな話になりかかった
我ら路地の住人だって子や孫が近所にいる場合もある訳だからべつにおかしくない
そもそも子供に残してやれるものが古家一軒あるかないかだから

費用の出し方で、二世帯住宅ということもあり得るが、マンションの方が安くすむこともある
いや違うんだと役員をしているA氏が言う
娘の夫婦のためにマンションを買ってやれる人がいるんだと言い出した
もちろん恨みでも僻(ひがみ)みでない、暮らし方の問題だという
娘しか頼りにならないと決まった時の投資だという
何の投資?、自分の老後に対しての投資だという

そんな投資が必要なのか、あるいは有効なのだろうか
独立して生計を営んでいる限り、アニメ「サザエさん」のマスオさんとも少しだけ違う
娘が親の面倒を見るというのは打算とは違う
爺さん婆さんだって娘の孫の方が触りやすいというのも自然である
生命保険の受取人に娘の子(孫)を指定する
しかし、娘さんのご亭主はどう考えているのだろうか

A氏も小生も娘がいない
今更何を言っても仕方がないがたしかに娘がいないと孫がいないにもつながる
娘がいない不安に今襲われているわけである
息子も嫁も孫もおって何が不安であるのか
それは他人には分からないことである
という話になった訳である
7月24日は後祭(あとのまつりとも言う)
昔に戻して前祭と後祭にわけた先の長老の決断に敬意を表したい
鯵庵(7.21)





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# by ajiankyoto | 2017-07-21 07:00 | | Comments(0)

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一番暑い時に熱い話をする
近畿にいるとどうしてもお好み焼きというのが捨てがたい
子供の頃駄菓子屋でちょぼ焼きやらべた焼きやらを食った記憶がある
水で溶いたメリケン粉を鉄板の上で薄くのばしてこんにゃくとか紅しょうがねぎなどをを入れて焼く
どうもそれがべた焼きのルーツみたいな気がする
下手(べた)でも焼ける?要は子供のおやつだ、だが駄菓子屋のおばちゃんがわざわざ自分のために焼いてくれる
小さい子にはなかなか高価なもので、記憶では小遣い2日分ぐらいだった気がする
小生の外食始めだった

べた焼きは安土桃山時代にルーツがあるという、しかし誰にでも思いつくほど普遍的で、原型としては素朴すぎるものである、いずれにしろ入れる具によって分化、進化してきた
大阪では生地にキャベツを混ぜて焼くお好み焼き、関東ではもんじゃ焼き、広島では広島焼き、これは生地を薄く延ばした上にキャベツなどの具を乗せる
入れる具は豚肉、スジ肉、天かす、キムチ、魚介類など自然に進化発展してきているのも共通だ
京都で食うネギ焼きもべた焼き、キャベツの代わりにきざみ葱を入れる
京都は九条ネギの流通が盛んであるため結構好まれる
スジやこんにゃくなど素朴なの風味が、醤油によく合うのが特色である
余談ながら、大阪名物″イカ焼き”も京都の〝一銭洋食″のルーツもあのむかし食ったべた焼きである

ちょこっとウキペディアで見れば・・
ネギ焼きというのは大阪・十三のお好み焼き屋が始めた(?)ということで、この店のなんと登録商標になっているとのこと・・
そんなことで京都独特の味と言うのを遠慮した次第である
お好み焼きではどうも大阪に勝てそうにない、京都のお好み焼き屋世界も大阪型の店が増えてきている
そのせいか?お好み焼きにマヨネーズをかける人が多くなった
大阪はお好み焼きソースそのものが研究され美味しいはずなのにと、不思議に思う
料理は足せば足すほど美味しくなると信じるタイプの人だと思う
マヨネーズがけは、勢いのいい大阪の屋台でソースの味を補うために始まったという人がいるがどうだろうか
ただ、小生はお好み焼きにマヨネーズをかけない、店で”結構です”と言うとけげんな顔をされることもある

お好み焼きは庶民の外食のエースだ、どんどん進化するも仕方がない
しかし・・京都のネギ焼きは素朴な醤油の味が生きるべた焼きの遺産である
ネギ焼きでのマヨネーズかけ、せめて京都では流行らさないでほしいと願っている
ビールがまずくなる、と言うものだ
夏にはやるお好み焼き屋が本物に近い
写真はハスの花
鯵庵(7.20)


素うどんの会

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# by ajiankyoto | 2017-07-20 09:31 | 大衆食堂 | Comments(0)

妄想

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ねずみ男の不幸はねずみ男でない男を理解できなかったことだ
それが不幸だと最後まで分からなかったことが本当の不幸だった
男の99%はねずみ男と同じ性格である

妄想しているだけのことだったらただの怠け者
それを整理して自分のものに出来るようになれば人生にとって大きな宝物になるはずだ
だから、最初は妄想・・

一方、年寄にとっては、妄想も健康にはいい
ただ、薬が上手く合わなくて妄想が生じるのは悲劇だ
本人の罪ではないが、医学的には大きな治験を得られる
せめて幻覚や妄想を制御できる医学であってほしいと思ったりする


(それにしてもこのエキサイトブログ簡素でいいのだが、
システム設計が悪いのか容量が足らないのか
いつまでたっても何度改良しなおしても不都合だね・・)
とアンケートに応えました
最終不調だと言う仲間が多い、ストレスの少ないブログサイトがありましたら教えてください
鯵庵(7.18)

素うどんの会

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# by ajiankyoto | 2017-07-19 06:00 | おとこ編 | Comments(0)

墓の行方/樹木葬⑤

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あくまでも彼の研究の範囲ではあるが、
今、家に墓あり80%、が自分の墓無し15%、残り5%がその他・・らしい
その他には墓に興味がないということも含まれる、30%くらいはそうだという
合計したら125%になる変な100分率であるが・・
小生の友人が言うのは間違いなくこの10~20年で〝その他″が5%から30%になるという
何故なら墓を持っている人もさることながら、墓に興味のなかった人も参入して来る
これからは自分で自分の(死後の)形を決めることになってくると言うのがその根拠である
しかも、これから10年20年は団塊の世代の動向に左右される

これからは何々家の墓と墓名が書いてあるのが虚しくなる
〝自分の墓を守りしてくれる人がいないことの方が本当にはかない″ことだと言うのが、彼の話である
彼とは、京都市内のお寺の副住職をしながら教団関係の寺務所にも詰めている
若手の僧侶たちにはこれからの葬儀と経営のあり方が一番の関心事であるのは当然だ

"仏事とは本当は辛いことなのだ、もっと言えば心の痛みを伴うものなのだ、僧侶はそのことを前提に檀家と付き合う修業をしてきた"と親は(現住職)はいまでもそう言う、と言っていた
彼はしてみれば、それならなお、これからの檀家の変化について行けるか不安である、とも言う
自分の骨の行くへが見えることが大事だということらしい
そのためには今以上にしっかりお寺とつながっておくことは大事なことだと言うのが論である
言い換えれば・・・現況でも30%は浮動票で、「家に墓あり」の70%に食い込んできて・・・
今までの墓を引き続き守れる保守派が過半数を割り込むようになれば死活問題らしい
まるで選挙みたいな話である

"死に方は自分で決められないけど、自分の骨が納まる形を決めておく必要はある、そうでなければそれまでの生き方も決まらない、自分の残された生き方を決めるのが終活だ"と言う
それでも、将来住職を継ぐまでの説教には使えそうな話やなぁとは言うておいた
墓もさることながら今生きている人を大事にできる住職にはなれそうな気はする
鯵庵(7.17)

素うどんの会
この項、一応終わる




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# by ajiankyoto | 2017-07-17 17:02 | 後生 | Comments(0)


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ある墓地の宣伝で、〝自分のお墓のないことははかないことです″と言うのがあった
ジョークにしてはインパクトがある名文句だと思う
また、一方ある宗教グループは「お墓は無くてもいい」という運動をしたりしている

肉体は火葬したら、それで終わる
各地の自治体の条例では、もちろん火葬後すぐに遺骨は引き取られるものとなっている
前回に述べたが、わが京都市も慣習は部分収骨である
実際、火葬場に残された灰は丁寧に処理される
そのことではなく、全ての遺骨を受け取らないという運動だ
形としては火葬場で遺骨を受け取らない・・ということになる

その実現にはおそらく遺家族で大きな悶着となる
それが故人の明確な哲学であったとしても、それを実行する遺族には多大な負担がかかる
だが、世間は広い、一方でお骨を引き取った人がそれで困るというのもの現実である
所によっては大きな骨壺にすべての骨を引き取らされることもある

ずっと骨壺と一緒に暮らしているというのも心なき行為と言われる
遺骨でお地蔵さんやアクセサリーにしてくれる業者もいる
ここで言いたいのは、遺骨はそれぞれのお墓におさめられなければならないということになればである
行くべきところに行かない遺骨こそ成仏できない遺骨となる
だから、石屋が言うように「墓がないとはかない」ということにもなるのだが、
しかし、墓がなければその悩ましき束縛から逃れられるというのも本当だと思う

たしかに「墓がなくても」人間の生存の証に不足はないという考え方もあってもいい
人間が死を前にして生きる苦しさを救うのも宗教だろうし、
そのために形式を決め淡々と儀式を行うのも宗教である
一昼夜休むことなく多くの人が薪をくべながら荼毘に付した時代もある
50年前は土葬だったのが、貴賤の区別なく焼却炉で火葬という埋葬方法がやっと定着したのである
数十分で苦しむことなく、肉体(有機物)が灰(無機物)になるということを受け入れられるのなら・・
灰は既に土と同じである
既に成仏していると考える方が自然である

肉体と灰の間に自分を
置いてこそ、魂のことを考えられるかもしれない
最後に残された儀式の場が墓である
それがただの儀式なのかどうかはあなた自身が考えればいいことだと思う
この項続く
鯵庵(7.15)



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# by ajiankyoto | 2017-07-15 08:00 | 後生 | Comments(0)

祭/鉾建てか鉾立てか

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先日前祭りの鉾建てに遭遇した、せっかくのことなので見学させていただいた
もちろん祇園祭の山鉾、大きな鉾は重さ12トン、高さは25メートルもある
山鉾はほとんどの部分を毎年組み立て、終われば分解するわけである
従って大小さまざまな部材を釘を使わず荒縄だけで縛って組み立てるのが特徴である
この人たちを建て方と呼ぶが、親方他、数十名での作業である
20数メートルの真木(しんぎ)を取り付けるのは本体も真木も横向き(水平な状態)で作業する
親方どなる、「こら、頭(あたま)、頭もっと右、頭上げて、ぼさっとしてんと頭の下に頭入れてつっかいを入れんかい・・」と言うような指示
頭(あたま)とは一番先を担当する人のことと真木の先端を言ってるようだ
その度に、真木の先を支えてる若手が真木の右に行ったり左に行ったりうろうろしている
多くの見物の前で割の悪い三枚目である

この作業、梁の片方を橋脚に埋め込む片持ち梁と同じことである
真木はしなりながら途中に何カ所か支保工で支えている
真木の太いところを本体にわら縄で縛っていくのは伝統技法であり、数人のベテランが手際よく作業している
でも周りで真木を支えたり、交通整理したり、クレーンやウィンチで引っ張ったりしているのはどうも親方と一緒に仕事しているメンバーとは違うようだった
初めて鉾建てに参加したりすれば、”あたま、あたま”と言われたって何のことか分からなかったはずだ
支える道具もやり方も鉾によって違う
傍で見ていると、自分の頭(あたま)で真木の頭(あたま)を支えろと言うようにも聞こえた
それを親方である大工方の頭(かしら)が言うのだから頭(あたま)だらけの話に聞こえた

工事中の高速道路で架設作業中の橋げたが崩れ落ちるような事故が相次いだ
ダジャレではない、大工事になればなるほどは仮設工事が出来と安全を左右する
鉾建ては練習も出来ない、そのくせ失敗も許されない作業なのだ、なんぼベテランと言ったって1年に一遍だけのことなのだ
おそらくその親方は、ただその真木の先を担当する若い人の名を知らなかったのだと思う
明確な指示こそ作業の安全につながると言う言葉を思い出した
しかも支保の設置が作業の成果と精度にすこぶる影響がある
伝統技法に目が行きすぎて仮設の安全性ががおざなりにならないことを祈る
平たく言えばここも安全第一なのだ

その日のうちにウインチやクレーン車を使って横になっていた鉾が立った
夕方になる前には四条通りや室町通りには数基の鉾が立っっていた
一日だけのことであるが骨格だけの山鉾は一度見学しておく価値はある
小生、この日の作業は”鉾建て”と言うより、”鉾立て”という方がしっくりくるように思った
水平の鉾を垂直にすることがこの日の祭りであり神事でもある
山鉾の美しさはまっすぐ立って揺れる真木にあり、その高さにある
写真はヒオウギ、祇園祭の花である
鯵庵(29.7.13改)


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# by ajiankyoto | 2017-07-13 20:25 | | Comments(0)



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庶民が立派な石の墓を持てるというのはそんなに古い話ではない
土葬から火葬への変化と重なる
それなのに今度は田舎の墓を打ち捨てて都会に新しい墓を建てだした
こちらの寺とつながらないから霊園墓地(れいえんぼち)などが売れ出した
それは今でも続いている
墓参りはしたいが田舎に帰るのは嫌な人もいる
自分の代の墓が欲しいという人もいる
田舎から都市への人口の移動に伴ってのものである
新たな都市住民(移民)としての証(あかし)を求めているようでもある
墓のあるところが故郷だというのも分かる
しかしながら、これからの家の寿命は墓石の寿命に比べて短すぎる
しかも、成功の証にしても立派すぎる

京都市が中央斎場の火葬件数の予想を立てている
市民のほぼ100%が火葬だから、市民の死者の数だと思えばいい
平成43年から47年の5年間ぐらいがピークになる
1日の火葬件数は(最大)138件になる、としている
中央斎場の1日の処理能力は120件(24基ある)程度らしい
やがて減少していくことが見えているので増設はしないということだ
平たく言うと、団塊の世代が85歳前後となる時期が死者のピークということだ
この間毎日18件分、1年で約6500件が生焼けになる(?)という計算だ

団塊の世代は最後の最後まで生きる競争だ、それどころか死ぬタイミングも・・
"阪神淡路"の時に経験したことであるが、焼き場を求めて役場と遺族がさまようこともあり得るわけである
立派な墓を用意して準備したからとて優先してくれるわけではない
だが、他人の墓に居候は出来ないのも事実だ
もう一つ京都市中央斎場が困ってることがあるという噂だ
京都(近畿圏)は部分収骨である
残りは火葬場で処理してくれる
灰の大部分を土に帰えすのであるが、果たして生焼け(?)ではうまく処理出来るかだ
当事者になればジョークでなくなる可能性はある
やはり、遺骨(焼却灰)は土に返すことが本当だと思う
その処理槽を丁寧に「聖土槽」と言ったりする
それがそのころには満杯になっている?
気にせず東山の樹林の土にしてもらっていい、と市民は思った
それが樹木葬に関心を持った小生の動機でもある
と言えば、くそ生意気かな

この項まだ続く
鯵庵(7.12)


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# by ajiankyoto | 2017-07-12 06:46 | 後生 | Comments(0)

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往古、京都に都が出来たころ庶民の多くは自然葬(風葬)であった
京都に火葬場が運営されたのは明治になってからで東西両本願寺の運営であった
それが市営の火葬場の前身である
現代は都市では人の屍(しかばね)は焼却しなければならない
従って、焼却してからの措置を埋葬(まいそう)と言う、埋葬は墓地でなくてはならない
今の自然葬(しぜんそう)と言えば散骨(さんこつ)のことを言うのが多い
墓地以外のところへの埋葬(散骨)することも、秩序的・衛生的であれば宗教的儀式として許される
ただし、遺骨を細かく砕くなどの配慮が必要である
何よりも、散骨には明確な動機がなければ後ろめたいことになる
そんなことから、自然葬としては散骨より樹木葬(じゅもくそう)が増えそうだ
お寺が墓地として許可を得る、墓石の代わりに樹木をシンボルとする、土中に埋葬するのだから、そのまま現代の法体系に合う方法でもある

小生の長男は東山花山で灰になり、そのふもと、いつもたむろしていた円山公園に隣する東大谷で、親鸞の廟の土の一部になった
世に何もなさぬままの命を石碑に名を刻むまでのことはない
が、その代わり毎日、全国から墓参りに来た人が息子の分も祈ってくれる
長男のいない辛さは齢とともに深まってくるが、哀しむのは我々夫婦だけのことだ
立派な御廟の樹林の土の一部であればむしろ永遠だと思える
小生らには樹木葬も今始まった話ではない

いかな京都でも観光寺院としてやっていける寺院は少ない
土地を売ったり、幼稚園を経営したり、墓地や駐車場の経営をしている
新たに納骨堂を建てて墓地のマンションと言うのもあるが、
インターネットで墓参りが出来るなんてついつい世間と同じで無機化しすぎてしまう
それほどの土地も持たない寺院も樹木葬なら墓地の経営は出来る
樹木葬と言うのは合同墓地だから、庭の一角を整備すれば出来る
お寺の庭を墓地として樹木葬を進めていこうというのは有効な戦略だと思う
これからは大きな霊園を作って、これ以上石屋ばかりに儲けさせることはない
その気になればお寺そのものが経営出来る手法なのだ

本来は経営の問題と捕らまえるものではない
しかし、各宗派の本山は京都に集中している
拝観謝絶ながらある寺院では既にペットの霊園を営んだりしている
本山であってもそれぞれの塔頭寺院や寺内寺は独自の宗教経営をしていかなければならない
合同墓地や樹木葬と言うことになれば新しい檀家(固定客のこと)を持つことと同じである
しかも、拝観謝絶(拝観すべきものもない?)の寺院で(合同)法要に参加できるなら、京都観光に優越感を感じることも出来る
それなら息子も娘も孫も来てくれるかもしれないと思えば自分の墓作りに希望が出る
なんたって京都(みやこ)ブランドは有利でもある
京都ブランドが現代の都市移民である世代の役に立つかもしれない言う訳である
写真はシオカラトンボ


(場合によっては続く)
鯵庵(29.7.10再掲)




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# by ajiankyoto | 2017-07-10 18:32 | 後生 | Comments(0)

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墓守の仕事に興味を持ったのは、第3の仕事を求めての話であった
実はハローワークを通じて初めての面接だった、樹木葬の企画会社だった
面接の後すぐに丁寧に断られた、1年も前の話である
詮無いながらもそういうことにも勉強させていただいた
埋葬(納骨)の形は様々であるが、ここの遺骨はお寺の庭で手厚く祀られる
大きな石の墓標はないが、寺の中である、本物感?はある

一番いいことに、墓の将来(死後の姿)を容易に想像することが出来る
だから、自分用に生前に購入する人が増えている
墓参りもしてもらえない墓が、全国に何十万基いや何百万基とある
今でこれなら、我らの世代の次の世代になれば先祖代々の墓はほぼ無縁仏状態になるかも
ならば、負担にならない墓でないと子孫に恨まれるということになる

本山の塔頭寺院だから、年に何回かは厳かに法要も営んでくれるし、友の会もある
そうでなくとも新しい住人が増えてくることは事実だ
しかも、観光客では入れない・・ブランド志向にも対応できるわけである
それはさておき、もし採用されておれば私の仕事は何だったのかと言うと・・
お客の案内をする運転手と墓掃除である
古風に言うと墓守(はかもり)だった
小生の自分ことは既に心に決めている
だから、自分の墓の守をしようと言うのではない
人の墓を守するというそのことに憧れて応募したのに・・
・・である

採用されることはなかったけど、いい企画だと思っている
京都の寺院型の樹木葬は都市移民の我々の世代にとっていい落ち着きどころになる
どのような状態であっても、骨は自然のバクテリアのおかげで数十年で土と水となる
樹木の栄養となってもいいとさえ思えば、死後落ち着ける環境である
樹木の栄養になってもいいとさえ思えば、死ぬまで落ち着けることもある
小生も落ち着いて営業と墓守をしていれば、いい罪滅ぼしになったのにと、今でも残念に思っている

(この項続く)
鯵庵(29.7.8再携)

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# by ajiankyoto | 2017-07-08 20:08 | 後生 | Comments(0)