祇王と仏御前(後)

b0355451_17114074.jpg
祇王、仏御前のこの話はたとえ再現フィルム風に作っても下手な役者が演じたのでは駄目である
現代を生きる人は仏の前でも差別されてきた女性ということを体現しないからである
平安時代の宗教観は貴族による貴族のものである
現代人の知らない宗教観だと思う
清盛は天下の貴族であるが祇王も仏御前も庶人である
貴族社会の庭から自ら逃れて祇王らが隠れ住んだというのは寺ではない
隠れ住むのである
しかしながら、いずれにしろはるかなる嵯峨野の山奥である
祇王寺そのものは明治になって謂れにより再建されたものである
今であっても、物見遊山だけでは足が届かない地である

論調を変えます
平家物語というのは、源氏が天下を取り戻す物語なのであるが
珍しく敗者の平家に目を向けたものなのである
二十歳そこそこの白拍子が芸能人として女として最大の評価を得て
権力者の気ままゆえの浮き沈みをまた二十歳そこそこで感じる
その逃げ道が貴族社会から逃れることであり出家であり念仏を一念とする世界である
今まで以上の長き人生を念仏だけで生きていくのと決めることなのだ
それでも往生は唯一の求める道なのだ

それが物語である
それでも何でそんな祇王の話が平家物語の冒頭に出てくるのかと言えば、女人も往生出来るという概念を訴えたいからである
この時期になって法然上人が古い殻を破って唱えた念仏往生を表しているという
祇王も仏御前もさりとて善人でもない、ましてや悪人というまでのこともない
善行・悪行よほどのこともないまでも、ただただ、往生するためには念仏一途の姿なのである
それが、既存の天台や真言の教義から超えてでてくる法然(1133-1212)の念仏思想である
平安時代に天台教義の根元である良源(元三大師912-985)や源信(恵心僧都942-1017)らが往生のあり方を唱えた
鎌倉時代に入ってより明確に庶民の宗教としての存在を明確にしてくる
それが念仏であり阿弥陀如来の力をすがる思想である
阿弥陀如来信仰はやがて親鸞によって体系化されることになる

平家物語は善人悪人平等の法然の新しい浄土思想が背景にあるというのが、我がスーパー講師の力説するところである
祇王寺は苔の色
鯵庵(9.25)





[PR]
# by ajiankyoto | 2017-09-25 07:53 | 往生 | Comments(0)

b0355451_20293950.jpg
あなたの家に、この頃1円玉増えてませんか?と問われた
あとしばらく8%のややこしい数字で行くのだから急に減ることはないやろ
消費税の話かと思ったら、違った
専門医が極端に少ないもんだから、認知症の発見が一番の課題だという
講師曰く、認知症になると、家の中に1円玉が増えるという
認知症になると片づけや掃除が出来なくなる、また食べることが唯一の楽しみになるということらしい
その辺はなんとなく分かるような気がする
でもちょっと待って、それが診断なの??認知症ってそんなもんなの??

講師いわく、お金を正確に払えなくて大きな札でお釣りをもらうようになるからだという
小生、使うよりたまる、1円玉を毎日持ってかえってくる、毎日増える・・
もっぺん待ってよ、それが認知症?!
小生の部屋は足の踏みどころない、昼飯と晩酌が楽しみで生きている
その上、1円玉はめんどくさいから持ち歩かない、家に貯まってる
これみな認知症の症状だったの・・????
これから先は民間療法??

優しくしてくれる人は気が弱い、おとなしくしてる人は後ろめたいことがあると決めてるような話だ
レジで並んでる後ろの人のことも考えずに1円玉を一つずつ出してる老熟女も認知症診断からいえば逆に大丈夫かもしれない
いつでもポケットに1円玉を持って出るなら、30円分くらい必要だ
それが出来なければ小生これから、コンビニやスーパーでは「釣りはいらないよ」言うことにしようかな
鯵庵(29.9.25改)

[PR]
# by ajiankyoto | 2017-09-25 06:40 | 往生 | Comments(2)

祇王と仏御前(前)

b0355451_20394007.jpg
平家物語巻第一「祇王」による
「萌え出ずるも枯るるも同じ野辺の草 いずれか秋にあわで果つべき」
祇王(ぎおう)が西八条の清盛の館を下がる(去る)時の歌である
正直なところと言えば新しく自分代わって寵を受けることになった佛御前(ほとけごぜ)への妬みだと思う
「佛もむかしは凡夫なり 我らもついに佛なり いずれも佛性具せる身を へだつるのみこそかなしけれ」
と清盛と佛御前の前で舞った
強烈な嫌みだったけど、結果は二度目の憂き恥(うきはじ)だった
祇王二十一歳尼になる、妹妓女十九歳、母四十五歳ともに髪を剃り、
"一向専修(いっこうせんじゅう)に念仏(ねんぶつ)して後世(ごせ)を願うこと哀れなり"とある
栄華を手に入れた人ゆえの恥である、憂き恥だった

ところが
「娑婆(しゃば)の栄華(えいが)は夢の夢、楽しみ栄えて何かせん・・、」
仏御前は語る
この度、地獄に沈んだら、輪廻転生とは言えど未来永劫浮かび上がる事難かるべし、一旦の栄華を誇って後生のことを忘れた生き方の哀しさに気づいて・・哀しくてと
既に尼の姿になって自分が蹴落とした祇王の前に現れた
ともに念仏して、一つ蓮の上の身となりたい・・苔の上にても念仏し往生(おうじょう)の素懐(そかい)を遂げたいと思う
それを祇王が受け入れるわけである
・・
大河ドラマ的ではなく歴史は再現フィルム的に見るべきである
大事件なのである
時の太政大臣清盛の寵愛の白拍子が、栄華の頂点にある芸能人が、一瞬にして何もかもほって蹴落とした女とともに念仏一途の生き方に帰依するのである
僧(ほぼ公務員)の修行をしなくとも、髪を落として念仏三昧の人生はおくれるのである
往時、女人は宗教の埒外であった
だから、女人でも往生できるというもう一つ大事なことを物語の最初に言ったのである
かくして、平家物語は「往生」という当時(鎌倉時代)最新の宗教観によって構成されることになる
写真は祇王寺にて
(この項続く)
鯵庵(9.23)



[PR]
# by ajiankyoto | 2017-09-23 20:45 | 往生 | Comments(0)

豆腐と油揚げ

b0355451_08385430.jpg

豆腐は日本に伝わって後、室町時代の後半に広まったものと思われる
江戸時代に入って凍り豆腐(高野豆腐)なども現れる
江戸時代豆腐屋は職人分類では豆腐師と呼ばれた
作り置きに向かないので、種々職人の中でも朝が早いのがこの仕事である
それだけでなく庶民の日常に欠かせない栄養源でもある
江戸では豆腐は統制価格であったともある

もちろん現代も日本中で欠かせない食材であるが、遠くまで食いに行くほどのものではない
日本全国美味しい豆腐が存在する
町内の豆腐屋さんの応援をする方が文化的だ
京の町でも豆腐屋が町に売りに出るのももちろん残っている
種々の豆腐料理が普及した、もちろんおからも油揚げも豆腐である
小生はは少し肉厚の油揚げを炙ったものが大好物である
がんもどきのことは以前にも書いた

湯葉やおからの料理も京・大坂で栄えた
豆腐類は精進料理には不可欠なものである
寺院だけでなく公家や武士も必要な栄養を確保するものであったが、やがて庶民にまで広がって行ったのが懐石料理であるといわれる
昔から京都の寺院の中には参拝者を宿坊に泊める、この時寺院料理が提供される
寺院と料理屋(仕出し屋)との結びつきは歴史が古く、そんな謂れが豆腐料理店となった
それがまた観光と結びついたのが現代の現状である
紅葉のシーズンに向けて湯豆腐屋が手ぐすねを引いている
湯豆腐は茶店の始まりでもあった

今は、家で食うのが一番である
余談ながら、京阪地区の豆腐屋は〝とーふー″のラッパは使わなかった、鐘である
が、その区別も滅びつつあるように思う
鯵庵(29.9.23改)


[PR]
# by ajiankyoto | 2017-09-23 13:55 | 京都の水 | Comments(0)

衣笠丼の行くえ

b0355451_17435617.jpg
京都の大衆食堂では衣笠丼(きぬがさどん)という
衣笠とは京都の地の名である
金閣寺のある山や左大文字の山のあたりだと思えばいい
衣が笠にように山にかぶっているという意味である
その山にちなんだ地域メニューが衣笠丼である
甘く炊いた油揚げと青ネギを卵でとじたものだ
卵でとじるところがキツネ丼との一番の区別だと思えば間違いがない
山椒で食す
そもそも廉価にして味のよい・・丼である
油揚げと九条ネギと卵と言えば京都食品の王道である

ある店で通ぶって衣笠丼を頼んだついでに、
「京都も衣笠丼を出す店も少なくなったね」とお追従を言ってみた
給仕取締役のおかみさんから「そうでもないですよ、どこでもやってますよ」という返事が返ってきた
たしかに大衆食堂なら昔は何処でもやっていた
もともと材料はどの店にもあるもの
特に油揚げの味に左右されるが、京都は豆腐屋の街なのである
油揚げの素朴なおいしさの中に暮らしがあるくらいだ
食堂の腕が発揮できるのは出しと炊き加減だけのことである

そこら中定食屋がはびこって、そんな衣笠丼をメニューに出さない食堂が多くなったのが不思議だったのだろう
その言葉の裏こそ、京都のおなご、おかあちゃんの京都風の自慢だったのだろう
昭和の時代、京都の職人が昼に、しかも仕事の手を休めて食うのにふさわしいランチである
と、すれば今はそれが廃っていくのも当たり前かもしれない
京都の庶民の味を守りたいおかあちゃんの言葉に聞こえた
それが証拠に料理係の息子さんも衣笠丼と聞いたとたん一言いいたくてうずうずしていた・・
ようにも見えた
鯵庵(9.21)



[PR]
# by ajiankyoto | 2017-09-21 17:48 | 大衆食堂 | Comments(0)

人間は、特に庶民は統計の上でなど生きていない
この老後というカテゴリーでくくっても、中には別荘を買った人もおれば、それでなくとも500万円の車を買った人も、1000万払って世界一周の旅をした人も含まれる
いいんだよ・・ただはっきり言って統計の中に入ってほしくないのだ
月25万円という夫婦所帯の平均支出と言ったってところで、平均とは何の意味もないのである

小生の先輩は1戸建て自慢の家を処分して、介護付きの養護施設に入所した
一生そこで暮らせるかもしれないが、帰るとところがなくなった
それは離婚した奥さんも同じことだろう
結果として介護を社会に頼むことによって家族は大きな資産を失った
都市住民の唯一最後の財産は家だし、最後の買い物は老後施設だろう
やっと自分の家を売って施設に入らねばならなくなってもったとしてもだ
それでも国の統計では支出も収入も平均をはるかに超える幸せかもしれない
老人の不動産処分にひょっとしたらバブルの再来を期待する不動産屋だっているかもしれない??
ただ、くどく言えば都市と田舎では大きな差がある
老後破産や、生活保護という反対因子も浮上してきている
人生はここにきてセーフかアウトの二つしかなくなる
離婚や病気はセーフからアウトへ変わるきっかけにもなる
それでも基本的な医療や介護制度は円熟してきている
ただ、介護を受けるための単価は今後も少し進めば暴騰するだろう

老後に収入を超える生活は出来ないのは当たり前だ
年金生活をするということはそれぞれの隠遁生活をするということなのだ
娑婆(しゃば)にありながら娑婆の消費生活から離脱することだ・・
それでないと暮らしていけなくなると気付くべきだ
隠居だと思っていたら隠遁だった
なまじ予定より長生きすればなおリスクが増大する
アウトかセーフか毎回ベースを踏みながら生きていけと言う警告だと思うべきではないか
鯵庵(9.20)

[PR]
# by ajiankyoto | 2017-09-20 11:33 | 往生 | Comments(0)

統計というものは右・左に山があって真ん中がへこんでいても平均値というものがある
60歳で定年を迎えて夫婦二人が死ぬまで(いわゆる老後)どれだけの金が要るだろうかという話題だ
将来の平均余命を勘案してかつ平均して夫婦で30年間暮らすという仮定だ
月の消費支出は2人で月25万円(60才以上の平均的生活)
年に300万円、30年間で300×30年で9000万円にもなる
夫婦の年金は月に20万円、30年間の年金額は7200万円になる
月に5万円は不足するわけだから、90までも生きてしまえば不足額が1800万円になる
b0355451_11393856.jpg
もちろんいくら平均だと言って、各家庭が月に5万円ずつ借金しているわけでない
この1800万円をどうして埋めるかというとサラリーマンでも幸せな人は退職金がある
企業年金も少しは上乗せできるかもしれない・・
しかしこれはもらった人の話である
すでに統計に何の意味もないのが分かってもらえるだろうか
もしもまだ統計を大事にするなら国民は60歳からまだ1800万円近くの収入を得なければ平均も維持できないことになる

退職金どころか、実際は年金額が10万円に満たない人も多い
いい仕事があって働ける人もいるし
そうかと思えば働きたくても働けない人もいる
仮にハローワークの紹介パートなら月に100時間も働いて9万円ほどである
その計算では約200か月働いてやっと1800万円・・
60歳から76とか77歳まで働いてやっとの世界なのだ
子供からの仕送りがある人ないこともないだろう、その他にも不動産を活用するとか、究極は自分に掛ける生命保険もある
一人一人の気持ちではせめて平均までは行きたいと思うだろう

それにしてもただ二人で生きていく(老後)だけで9000万円も支出しなければならないという方に改めて驚く
そんなところに世間の業者が群がってくるのがこれからの図式だろう
(この項続く)
鯵庵

[PR]
# by ajiankyoto | 2017-09-18 09:24 | 往生 | Comments(0)

老人化が始まる日

小生の親父は今年で100年になる
親父が70歳の頃、小生が40歳ぐらいの時である
親父がパーキンソン病を宣告された
その時まで意識していなかった親の老後を感じた
一気に我が家族も老人化に巻き込まれたという気がした
82歳で亡くなった、今日は親父の命日だ

誰かが言っていた
老人化と我々が言う場合には3っつのパターンがあると
一つ、自分が年とること
二つ、連れ合いが年とること
そして三つ、親が年とること
親が年をとった時に老人化のすべの課題が身近になってくる

あれから30年、一世代進んで今度は私が老人になった
当時老人化はまだ家族にとっての問題だった
その間にゴールドプラン(1989年)や公的介護保険制度(1997年)がスタートした
今は、社会全体での問題となりつつある
それは子供や家族に頼らなくてもやっていける
本人の心がけ次第の老後となったというわけなのだ
ところがである、いずれ老人のための施設にも限りある
ピークに合わせた施設整備は必ず過剰なものとしてあとに負債が残る
老人世代がヘルパー世代より人口が多いということになれば
結局は家庭での自力介護に戻らなければならなくなっているようだ

戻るべき家庭があればいいが、配偶者すでになく・・子供とはなにかと疎遠では・・
自分の老人化を子や孫の老人化にすることが出来ない
いずれどこかの大部屋で一人寂しく生きていくしかなくなってしまう
もうそれは始まっている
マイホーム主義の我らの世代だった
それが最後の矜持かもしれないが・・
それがマイホーム主義のつけ払いだと気付くのはこれからだと思う
鯵庵(9.16)



[PR]
# by ajiankyoto | 2017-09-16 17:42 | 往生 | Comments(0)

b0355451_07051851.jpg
東山安井の金比羅さんはもっぱら“悪縁切り”を売りにしていた
アベックが知らずに参ったあとすぐに別れることになったと言う苦情が来る(?)くらいの効き目あり、なんてなことが京都案内の本の定番フレーズ
訪れてみるとこのごろは「悪縁を切り良縁を結ぶ」とも書いてある
せっかくのご利益、「悪縁切り」パワー一本で行ったほうがいいような気がする
良縁を結ぶくらいの平凡なご利益なら昔は町内のおばさんでも出来た
それでなくとも隣は京都市中の唯一の昔からのホテル街、京都の人はたいてい一度や二度はお世話になっている
良縁結びのご利益はそちらで、切れなくなったら隣の安井の金比羅さんへという設定です

悪縁は良縁の成れの果て、良縁を結ぶということは悪縁の種を作っていることになる
神様に代わって言うと、縁は早い目に「結ぶ」ということ、「結ぶ」ということはほどきやすくということだ
そういうことか、ほどけなくなったものが悪縁、ほどけなくなったら切るしかないという訳です
そんなこと小生の野良作業用ロープワークの本には当たり前のように書いてある、ただ切ればそのロープは二度と使えません
二度と使えなくてもいいから切ってしまってくれと言うのが願いなら聞いてやってほしい
神社の元の祭神は崇徳上皇(崇徳院)、怨念の神様です
崇徳上皇を怨念の別格本山とするのは京都の人の気持ち、この神社にすがる人も多い
神仏分離後安井神社と言う、昔から金比羅権現を祀ってきたので安井の金毘羅さんという

悪縁は男と女だけでない、上司と部下、経営者と雇い人様々である
親と子もだろうか?
″結婚するまで私を苦しめた母親〇〇〇子を絶対に許さない、死ぬまで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんでください、今日で親子関係は終わりです、もう二度と来世も出会いたくない、私を苦しめた分以上に苦しい人生を送ってください、さようなら(原文のママ”)
親子は自分で結んだ縁ではない、でも親子の縁が切れたらと思う人も多い
悲しいけどこれは切ってやってほしい、と思わせられる絵馬があった
こんな親をやっていませんか、そんな人が来るべきです
写真は祇園安井の曖昧宿
鯵庵(29.9.15改)


[PR]
# by ajiankyoto | 2017-09-15 22:10 | 崇徳院 | Comments(0)


b0355451_22032861.jpg
ラーメンが庶民の口に入ったのは明治時代に入って浅草の〇〇軒だという
日本で最初にラーメンを食べたのはあの水戸の黄門様光圀公だというのも定説になっていた
料理というものは実はすべてが創作なのだ
そんな中でラーメンの発明なりを話題にしたって仕方がない
せいぜい本家や元祖の話に使うだけだ
・・といいつつも・・
室町時代の京都、三代将軍義満の時代にの麺類「経帯麺」というのが出てくる、らしい
麺にかん水を用いてるので、明らかにうどんと違って、あの中華麺独特の黄色味かかったものである
スープではなくかけ汁だったと思われる
ラーメンが室町時代に都で食されたことは事実である
黄門さんには申し訳ないが、200年以上も時代が遡ったのでは勝負にならなくなってしまった

京都駅近くで2軒のラーメン屋が覇を競っている
不思議なことにここまできた客は行列の長い方に並ぶらしい
この頃は行列が逆転したというもっぱらの噂である
京都市民はそれより昔ながらの大衆食堂の中華そばの方が好だという人が多い
いずれにしろ日本のラーメンは中国から来た人にも異国の味である
もはや明らかな日本食である

経帯麺が室町時代の庶民に受けた形跡はない
文化が継続していないが、だが、日本のラーメンの記録としてはっきりしている
料理には発明はあっても特許はない
現に日本の料理になってラーメンが庶民の味になった
この際、大衆食堂の中華そば、「室町ラーメン」の名で行くか!
鳴かず飛ばずの京都ラーメンも場合によっては入れてやったらいい
京都の人誰か早く登録商標取ってくれ
ラーメンだけに本家?中国にやられる可能性が強い
鯵庵(9.14)


[PR]
# by ajiankyoto | 2017-09-14 08:27 | 大衆食堂 | Comments(0)