相手が嫌がらない程度に

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コンビニに長く勤めている彼女、漆教室ではもっと長いらしい、漆で絵が描ける
始めて登場いただいたが、若くして賢明なる京女、小生にとっては大先輩、師範代格である、仮名をキク子さん
小生は欠け茶碗の金継(きんつぎ)初級、あだ名は「使えば金が剥げる」
そのキクさんからのネタである
今回は漆ではなく、コンビニのお釣りの渡し方の話になった
この頃、コンビニ店員のお釣り(コイン)の渡し方がやけに丁寧になったと思いませんかと言う
そういえば、両手でしかも場合によっては手を添えてくれることが多くなった
両手で包み込むように手を添えるようにするのだけど、中にはべったりという店員もいる
一般的にはレシートを客の手の上に乗せてその上にともかく釣銭を落とさないように下に手を添える

そうすると客の方もべったりということも稀にあるようです
時々触れることもあるので、手を握りながら渡してくれる・・と、
勘違いするのは年寄りに多いみたいです
男性店員が意識過剰の女性にそれをするとセクハラまがいで気持ち悪がられます
それでも、ともかく釣銭を落とさないようにします
特にレシートが長くなった時が危ないです
でも手を添えるということは接客として自然だと思います、と言う

「相手が嫌がらない程度に手を添える」というのが基本マニュアルらしい
マニュアルとしては不完全であるが、その店ではそれ以上の定めは特にないらしい
勘違いのネタを作ってるようでもある??
漆を扱うキク女史の手は手入れが行き届いてかつ艶々している
・・しかも黄金の手さばきを持つ、その彼女が言うのである
相手が嫌がらない程度に・・ということはこれは難しい

世の中には男と女もいる、老いも若きもである、その組み合わせだけで幾通りになるのだろうか
善人・悪人そんなことも考えなければならない
しかも、外国からの人も今は多く働いている
都市生活ということはそういうことですと、言いたげな彼女ではある
コンビニやスーパーのシステムが新しい文化を作っていくのも事実だろう
釣銭渡しといえど、・・これももてなし道?
でもこんなけ多くの関わりを持ちながら暮らしていて、まだまだ未熟なエチケットばかりである
ああ、こんなふうに暮らし方の文化は出来ていくのだな・・とは思った
それでも未熟であることはこれからも続くのだろう、と思う
鯵庵(1.20)


# by ajiankyoto | 2017-01-20 18:13 | Comments(0)

「おさん茂兵衛」落語編

江戸期天和年間(1683)、京都四条烏丸(しじょうからすま)にあった大経師(だいきょうじ)家
そこの嫁・おさんが手代の茂兵衛と不義密通(ふぎみっつう)
丹波への逃避行の末見つかって京で磔(はりつけ)にされた事件のこと
大経師家はその後、幕府によって取り潰しになった
井原西鶴が「好色五人女」に「中段に見る暦や物語」で書いた
それを、近松門左衛門が浄瑠璃の戯曲に書いたのが「大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)」
暦の名ではない、おさん茂兵衛の話である
映画では「近松物語」(川口松太郎作)というのがそれである
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話は脇にそれるのでお許しあれ
この事件を揶揄した艶笑噺を桂米朝がしていたのをネットで見つけた
ただこの話はおさん茂兵衛の事件とは直接の関係はない
この話のおさんはただの表具師茂兵衛の妻だ
壁越しで隣の男と付き合っている
ひょんなことから隣の男の物が亭主茂兵衛の鼻にくっついてしまった
世間にも出られないし、医者に頼んでも取れない
ということで京都の奥鞍馬の大天狗に頼みに行くわけであるが・・
一心に祈る茂兵衛の物がいいので天狗もひれ伏すというたわいのない話である
落ちは「わいのは素惚けや」という天狗の言葉である
小生が言ってるのでない米朝が言ってる

もう一度話が飛躍するが・・
1月中旬の大雪で市内でも14センチの雪が積もった
奥深い鞍馬線の鞍馬駅から見える天狗の鼻が雪の重みでとれたという
そんなニュースを聞いてこんな話を思い出した
張りぼての天狗の鼻では大雪の重みで折れることがある
芯を入れとかんといかんかったんではないだろうかという話である
この落語の落ちで使われた「素惚け」という言葉がなんとも柔らかくていい言葉だ
ボケには「呆け」もあれば「惚け」もある、
人を型にはめて医者の言うまま「〇〇性認知症」だとか言う風潮に比べれば人格が残っているではないか

暦の話や「おさん茂兵衛」の事件のことについてのコメントは改めてします
絵はお土産にもらった鞍馬の佃煮店「京くらま林」の包装紙をうつしました
鯵庵(1.19)

# by ajiankyoto | 2017-01-19 08:20 | Comments(0)

昔、招福巻で出てました


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文化には香りが必要だと思う
節分と言うのは新しい年に向けて邪気を払うという素朴な信仰を基にしている。
邪気は鬼であり、福を招くというのは当たり前の気持ちである
節分の行事の基本は豆まきであり、柊(ひいらぎ)の枝と鰯(いわし)の頭は厄(やく)払いである
室町時代から続く風習である
長く続くといえ基本は素朴な庶民の生活感がそこにある
ご馳走は巻きずしでも十分であり、それでもハレの気分を感じる人は多い
昭和の時代になって巻きずし業者は、同じ巻きずしでも節分のそれを〝幸運巻きずし″として広めていた
このあたりから文化の味わいが変わってくる

「招福巻(しょうふくまき)」と言う言葉なら、こちらの人なら記憶に新しいかもしれない
大阪の老舗のすし屋が節分の縁起を担いで考え出した巻きずしである
これに「招福巻」と名をつけ昭和63年(1988)商標登録した
節分とセットで招福巻と言う言葉は近辺のスーパーでもなじめる言葉になっていった
スーパー大手のジャスコが「十二単衣(じゅうにひとえ)の招福巻」と言うのを節分用の巻きずしとして売り出した
平成20年(2008)商標の侵害に関わる訴訟となった
結局、ジャスコ「十二単衣の招福巻」側が勝った
商標権の侵害にあたらないとの裁判所の判断だった
ジャスコが売り出したころには招福巻として既に普通名詞化している・・ということで登録商標であっても商標権の効力が及ばないという判断だった(2010確定)

登録商標は登録者が守らねばならないとされる
〝登録商標って何なのだろうか″と大阪の鮨屋はとっては結構やるせない思いだろう
たとえ普通名詞化されたとしても売り上げが上がればいい
またそうでなければジャスコも招福巻の名前を使わなかったろう
しかし、裁判で勝ったジャスコもその後もう招福巻は使ってない
登録商標を所有してても普通名詞並みであると公に認められたのではゴミ同様である
こちらも使わない
結局、「招福巻」は普通名詞になり損ねたまま、辞書にも載ることはない
一方「恵方巻」は、グーグル検索でも溢れているし、辞書にも載っている
これこそもっと早い目に商標登録しておけば今頃面白かったのにと思ったりする
(この項続く・・かも)
鯵庵(1.18)



# by ajiankyoto | 2017-01-18 06:58 | Comments(0)

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暦を開くと、一番先に出てくるのが女神である
名を歳徳神(としとくじん)という、牛頭天王(ごずてんのう)の后とも言われたりする
この女神の居ます方角を恵方(えほう)という
今年、「何人にも吉」の方位はこの歳徳神のいる方向だと言う
江戸時代からある恵方詣で(えほうもうで)というのは、毎年この恵方の方角の寺社をお参りすることを言う
正月の民間信仰の一つであるが、この神様歳によって移動する
今年は丁酉(ひのととり)で、丁(ひのと)の歳の方角は壬(みずのえまたはじん)と定まっている
暦では十干、十二支などを用い、二十四の方向を表す、北が子(ね)、南が午(うま)になる
壬はその23番目で方位で言えば「北北西微北」になる、360度で表現すると345度になる

その方向というのはその年の干支(かんし)の十干(じっかん/甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)によって定まっている
恵方は4方向が5年周期で回っている・・だけのことである
ところがどっこい、この恵方と言う言葉をパクったのが恵方巻(えほうまき)である
節分は暦の上での大晦日である
大晦日に厄払いして正月に恵方参りをする・・その祈りの気持ちを表現したい?ことはなんとなくわからないでもないが・・
どうにも分からないのがその方角を向いて巻きずしを"まるかぶり”するという・・その風習だ
もう一つ分からないのがその恵方の方角のことである
すし商組合や大手コンビニのパンフレットなどにはいずれも大きく「北北西」と書いてある
残念ながら微妙に(7.5度も)ずれている

正しい恵方ではない、方角にも幅があり許容の範囲とは言えるが・・
この場合の方角という観念を16等分の東西南北の表現をしたことが誤り
暦で言う方位は24等分であることを理解していない
陰陽道や日本の暦では方角を大きく12分・24分している
最小単位は360÷24で、だから1単位が15度になる。
むかし、日本の時刻も同じ単位で表していた、24時間で一周した
・・今の時計は12時間で一周するわけだから、時計の短針を30分単位で表現すればいいのだ
だから345度とは11時半のこと、こちらの方が、陰陽道の正確な方位の表現になる

芸術も文化も歴史もいつか大きくデフォルメされていく
コンビニの販売促進というのは所詮熾烈なサラリーマン世界の産物である
ただ、新しいものを生み出す強引さの中にも簡素であっても正しさは大事にしたかった
そうでないと恵方神(歳徳神)も迷惑である
元来、「今年は11時半の方角です」としてた方がコンビ二客向きの表現だったような気がする
世に罪をしないということは大事なことなのだ
方位盤、この間に一つずつ入る、イノシシ(亥)とネズミ(子)の間が今年の恵方になる
鯵庵(1.17)



# by ajiankyoto | 2017-01-17 07:40 | Comments(0)

愛を手に入れる方法

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愛を手に入れる方法はない?
キレイになることだと思う
キレイになる方法が間違っていると愛を手に入れることはできない
幸せなのか不幸なのか、思い方次第だがやはり不幸は不幸である
キレイにも幸せにも循環というものがある
循環に乗らなければいつまでも幸運や愛を手に入れられないのだ
愛は売っていないがキレイになる方法は売っているのだ
それを宝石だとか化粧だとかと思うと、本物が手に入らないのだ

親からの愛で子供時代を過ごしてきた
青年期になって急に男として女として値踏みされる世界に放り込まれる
愛を得るために何が大事なのかを学習していないのだ
愛は売っていない、そのことに戸惑うのである

キレイになる方法はいろいろあるが
男は自分を洗うことだ
女は自分を磨くことだ
いずれも少し時間がかかる
年をとるとともにキレイになることが出来たとしたら
必ず愛を与えることが出来る

いい人と付き合いたまえ
上手くすれば愛を得ることもある
愛とはそれほどのものだ
急ぐことはないが
方向は間違ってはいけない
鯵庵(1.15)





# by ajiankyoto | 2017-01-15 12:20 | Comments(0)

正月と立春


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太陽暦では一番寒い時期に向かって正月が来る
冬至が過ぎた途端に正月である
日本人の潜在的暦では正月と立春が重なるのがちょうどいい
正月を「新春」ということに抵抗は感じてないのに春の気配が無くても平気なのは少し不思議である
それなら太陰暦(旧暦)の方がいいかというと必ずしもそうではない
農耕生活は旧暦の方がいいと今でもいう人がいるがそれはむしろ生活のなれという方がいいように思う

正月は立春から始まるようにしたいのだが・・
立春が含まれる月を1月に定めたのでは、正月そのものが幅が大きすぎる
だから旧暦では立春のほぼ15日の後の雨水が含まれる月を1月としてその朔日を正月とした
雨水は太陽暦では2月19日ごろに当たるので
旧暦の月の真ん中に雨水が来れば、それより15日先の立春が1月の初めに限りなく近づくのである
少なくとも半月ほどの幅でしか動かないことになる

平成29年の立春は2月4日、雨水は18日である
これは太陽と地球の関係だけで決まるものである
その時、月はどこにいるかというと(その月の月が)新月になるのが1月28日(太陽暦)である
だから、太陽暦の1月28日が旧暦の1月1日、正月なのである
しかし、月の満ち欠けで決めた旧暦の朔日である
1日ではあるが立春とは違う

ただ、立春と正月は相思相愛の間柄である
そういうことだから、約30年に一度は立春が朔日になる
それを縁起を担いで朔旦立春(さくたんりっしゅん)という
平成4年(1992)がそうだった、次はなんと2038年になる
なかなかこない・・
太陽暦(日本)では、春は3月~5月に区分される
3月に立春や旧正月が来ることはない
この気候感のズレを楽しむというのが文学である
写真はセツブンソウ(今年はまだ咲いてない)
鯵庵(1.14)

# by ajiankyoto | 2017-01-14 12:41 | Comments(1)

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求人用の〝年齢不問″には泣かされる。これが初期老人には痛い
仕事は時間をかけてこそ覚えらるもんだから若い人の方がいいのは決まってる
〝年齢不問″の順番は年寄りからか若い人からか?!などと言われれば困る
ハローワークには若い人がもっと多い、若い人の職を奪ってまでという気はさらさらない
パートの〝年齢不問は年齢不問″ということではないのか、と突っ込んでみたが、やはり違うらしい
それなのに、傍から見ててもその年齢不問に応募しなければならない若い人の方の苦しさの方が辛い

雇う方にはそれなりの理屈はある
若い人をパートで採用したいのに、「法律で年齢制限は禁止されてます」と指導される
だから「年齢不問」ということにしなければ求人できない
法律は必ずしも親切でないのは分かっていたつもりだが・・
「新卒以外は年齢不問」では若い人も浮かばれない
どちらも、履歴書の年令だけで決まってしまう
小生、今までそんなことも知らなかった
ハローワークに行くたびに、そんなことも知らない〝幸せな人だったんですね″と言われてる気がした
ハローワーク12回戦に挑戦、結局1年が過ぎた
銀行が金を借りてくれる人しか見てないようにハローワークは求人の方に目が行っている?
それなら雇用の指導もしっかりしてほしい
政府の統計で有効求人倍率が1.3まで超えて求職より求人の方が多くなったと言う
しかし、ほとんどが派遣と最低賃金になってしまった
しかも、求人数には未だ大きな膨らまし粉が効いている
相手にするのが失業者なのだから・・失業者就職率みたいな統計が必要だ
掘り出し物狙いの世界になってしまっている

勝手な思いで70歳までは働くべきと思っている
やっと拾ってくれた先は履歴書も見てくれなかった
年齢も経験も性別すら要らなかった代わりに人格も要らなかった
応募した3人が採用されたが3人ともが10日も勤めきれなかった
みんなはどうしたのだろう?
仕事探しををあきらめる人が増えてる

求人倍率が増えることを行政関係者は自慢している
実態と逆の統計結果が進んでいく、そうでなかったらいいのだけど
仕事にあたった人もあたらなかった人も自分の仕事を得られない
その中で65歳を超えている小生は遅ればせながらシルバー人材センターに登録に行った
シルバーのライバルもまたシルバーだろうけれど・・
同じ戦場に出てもライバルを互いに労(いた)わることのできる戦士であるのが救いである
写真はホウズキ、実もしぼんでしまった
鯵庵(1.12)





# by ajiankyoto | 2017-01-13 19:24 | Comments(2)


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年賀状が毎年減ってきている
友人から年賀状交換の中止を宣言する年賀状が届いたりする
それでも正月1日には返事を書くのが忙しい
ただ、相手からの年賀状がないときは書きようがないので・・まーそういうような形で結局は減っていくという結果である
ことしから2日の配達がなくなって、一気にモチベーションがしぼんだ
正月が一日で終わってしまうという感覚だ

そういえば、もうここ数年暑中見舞いはがきももらっていない
年賀状を買いに行ったとき、お客さん、今は「官製はがき」とは言いませんと言われた
くじがついて切手を貼らなくていいから「完成はがき」と言うのと違うの?
”年賀状も出すが暑中見舞いも出す”から”年賀状だけ”になり、その年賀状も"年賀状をいただける人だけ”になってしまった
もちろん相手のご家族の幸運・幸福は祈りはするが取り立てて長々挨拶は要らない
「謹賀新年」だけで十分に通じる
年賀状が情報源(もしくわ情報発信)である時代も超えてしまったのかもしれない

いつも付き合いが絶えない友人とは「今年からは年賀状出さないよ」とあらかじめ言い合ったりしている
そのくせ、暮れに長い電話をくれたり、メールで思うところを送ってきたりする
考えてみれば忘年会をやる前に書いた年賀状が正月に来るというのもおかしな話である
孫が拙い字で書いた年賀状が届いてお年玉をやるような「年賀状の技」は必要なくなっている
そんな素朴な技よりもっと、もっと手っ取り早い効果的な技が満ち溢れている
年が明けてこそお年賀だという本来の風習を壊したのも年賀はがきかもしれない

日本郵便は毎年減っていく年賀状の売り上げを若手グループにたいまいをはたいて宣伝に使って盛り返そうと試みたみたが・・
いくら頑張っても彼らの世代の年賀状が伸びるわけではない
むしろ、高齢者の年賀状しらけに拍車をかけている
どんどんマイナス連鎖で年賀状に頼っていた郵便事業の経営も悪くなっていく気がする
年賀状文化を作ってきたのが郵便事業である
それを文化として大事に育てていくという基本か努力を忘れたのだろう
それともそれが郵政民営化の効果なのかもしれない

年賀状だけで付き合ってる友人がいっぱいいる
それまでなくしてしまうべきではないと思っている
いずれ「友あり遠方より来る・・」である
今は年賀状だけだが、いつでもこちらに旅すれば寄ってもらえるだろう
その時こそ観光客でない京都の旅をおもてなし出来るわけである
かくして、この歳になってこそ年賀状だけで済む付き合いのありがたさを感じている
鯵庵(1.10)

# by ajiankyoto | 2017-01-10 20:40 | Comments(1)

水仙の香り

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水仙の花言葉は〝うむぼれ″とか〝自己愛″とかである
水仙にとってはそれは単に名前である
語源はギリシャ語のナルキッソス、学名はナルシサスという、英名でもナーシサスという
ギリシャ神話の美しい青年が自分に恋してスイセンの花になってしまったという話に基づく
日本人には遠い話であるが、それゆえにナルシスト(またはナルシシスト)、ナルシズムという皆さんが知っている言葉になる

そこで自己愛と訳される訳である、・・性的なことも含めて自分を対象とすることも言います
〝高慢″であったり〝うぬぼれ″というのも似たようなものですが、すこし違うような気がします
多くの園芸品種もあるスイセンには迷惑かもしれない・・
「愛」とは執着する心を言い、近世までの日本文化には愛と言う言葉はあまり普及していません
執着する心とは、どちらかと言うと負の心理です
むしろ日本人の宗教は執着する心から逃れる修行をしてきました

愛という言葉は小生みたいなエッセイもどきにはそれなりに研究のテーマになります
ただ、言葉としてメジャーになりすぎたのではないのかと思ったりします
なおさら、自己愛と言われると難しいテーマです
日本人には日本水仙です、花の名としては中国由来の仙人の仙の方がしっくりきます
寒い時しかもお正月に似合う花です、花言葉に関わらず多く人に愛されています
京都でもいつもの年よりは少し早く正月には満開状態でした
花の少ない時のいい花ですが、花言葉など知らずに見てやる方がいいと思います
自己愛などと言われるとスイセンは照れたり、、ひょっとしたら迷惑してるでしょうね
鯵庵(1.9)

# by ajiankyoto | 2017-01-09 14:16 | Comments(2)

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相手の年令=自分の年令÷2+7(式-1)

(ここから後編)

55歳で10歳下の再婚相手を得た友人は今、幸せである
彼の艶福指数は22.5ということになる
一般人ならそれでも艶福(えんぷく)の部に入る
奥さん55歳で孫を持つ立場になったわけである
45歳で年上の彼と一緒になって10年かかって落ち着いた
娘さんは今35歳になっている
家族という単位はすべからく女性が核である
主婦という言葉はその全てを表現している
憧れる値打ちのある言葉である
長い人生の半ばで孫が出来て、自分の娘や孫のように思える
その今、家族の操縦桿は彼女が握っているのである

前編に戻る・・夢とは言えど50歳で18歳の歳の差は(式-1)は一般人には現実的ではない
目が覚めて改めて彼の年賀状を斜めに見ながら式を補正した
相手の年令=(自分の年令÷2+15)(式-2)にした
これなら20歳で相手の年令25歳、歳の差マイナス5歳
30歳なら30歳、歳の差0歳
40歳なら35歳、歳の差5歳
50歳なら40歳、歳の差10歳
60歳なら45歳、歳の差15歳
男性に当てはめると20歳代には年上の女性に憧れる現実にも整合する
男勝手の理想的(標準的)艶福指数は15くらいにあるのではないか

夢の話でこんなとこで不吉にして真面目なことを言ってはいけないけれど
このくらいの歳の差あれば・・、世の女性も、夫の遺産(ほぼ年金のこと)で残った人生を少し長く楽しめるかもしれない
男がいくら強がっても妻を守ってやれるのは自分が生きているときだけである
年金はいくらもらえても子供には残せない・・のだから妻の座は大きい
番(つがい)になってしまえばなんぼ年月が経っても年の差は変わることはない
やはり再婚だけにしか使えそうにない式だ
それなら最初の式(式-1)は何か?
これはギリギリ話の通じる(遊べる)歳の差ということにしたい

既婚者女性読者の声が怖い、鯵庵さん何を言ってるの?
ごもっともです、だから初夢なんです
もちろん小生にも「再婚」も「艶福」も無関係な単語である
しかも、小生のデーターは昭和の時代のものです
ただ・・・女性の人生は長い、人生を二度楽しめるかもしれない
一度や二度の失敗でくじけることはない、と言ってるつもりなのだ
そう思っていただければ、平成時代にも使える?
写真は貴船菊(秋明菊)、種は風で散るだけ
鯵庵(1.7)




# by ajiankyoto | 2017-01-07 19:09 | Comments(0)