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4.雪椿

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♬やさしさとかいしょのなさが裏と表についてくる

ユキツバキの花は赤い
北陸や東北の積雪のあるとことで冬をよく耐える
樹高はあまり高くならない
一説によるとその地方の積雪量を越えないと言われる

気の利いた女性と結婚したとたん
箸の持ち方から、日常の暮らし方まで
細かく指図してきて決して許さない
こう書けば、いかにも気の強そうな女性を
思い浮かべるかもしれないが・・
気の弱い男にはこれでもまだ足らない
これで外へ出ていけるのだろうか
と、気を病むのはまるで小学生の親みたいなものである
心配することはない、そう・・やっぱり心配した通りだ

この場合はかいしょがないから優しいのである
やさしい男は本来強いものだ
子供のころから親の目の届くところでしか遊んでこなかった
金づちものこぎりもまともに使えない
箸の持ち方なんてあるのを知らなかった
ハサミなど目的外に使えば切れ味はすぐに鈍る

結婚してから気づくことが多いのはお互い様だ
だけど、弱い男をほって逃げ出す女は少ない
仕事さえきちっとやってくれておれば・・
と思ってしまう

殴り返してきた、夫の反抗期だね
ただ、その男が賭け事や遊びを覚えてしまうと
その時はきっぱりと別れてしまう
鯵庵流にいえばそれが大人の女性のきっぷと言うものだろう
でも、それから本当の苦労が始まる
一緒にいるも苦労、別れるのも苦労
親にまで苦労を掛ける
どちらも雪椿の歌の通りである

♬雪の谷間に紅さす母の愛は越後の雪椿
小林幸子(星野哲郎作詞)

鯵庵(R5.5.30)


# by ajiankyoto | 2023-05-30 08:58 | 歌謡曲 | Comments(0)

3.三下り半

3.三下り半_b0355451_08545560.jpg

市川雷蔵演じる仁吉
今回の歌謡曲テーマは三下り半、離縁状のこと
三行半と書くこともある
中味は決まり文句である
封建時代の法慣習である
主に仕える武士は別ではあるが
庶民は相手に離縁状を渡すことで離婚できる
夫から妻の一方的なものではある
が、そうでない時もあったと言う
しかも、離縁状を書いてくれと言われても書かない男は
男の風上には立てなくなる
男に書かせるのが離縁状だったとも言う
離縁状を書いてくれと迫るのはいつも女性である

三下り半と言う言葉は浪曲によく合う
「吉良の仁吉」と言う演目が女流浪曲師の国本はる乃にある
この若さで上手い浪曲を久しぶりに聞く気がする
兄弟分の義理のために愛妻を離縁してまで喧嘩に助太刀する
喧嘩の相手の桑名の貸元穴太(あのう)の徳次郎が愛妻の兄であるという設定である
愛妻を兄のもとに返すその書状が実は見下り半だったと言うわけである
その45文字をさらさらと書くのは余程の教養がいるはずだ

浪曲に乗って少し穿って考えれば
そんな事態に至れば当然愛妻を現場から避難させておかねばならないだろう
いかに無政府状態でも当時もヤクザの喧嘩は重大犯罪であった
兄が勝つか夫が勝つか・・結果次第で必要なら使えばいい
愛妻の安全のためには担保であり、保険である
結婚したまま仁吉が死ねば未亡人として生きていかねばならない
荒神山のこの集団決闘は慶応2年、仁吉この時28歳で鉄砲で撃たれた
だが残念ながら仁吉には結婚歴はなかった
三下り半についてはほとんどが創作なのである

その創作を前提に話せば三下り半は女性のためのものである
”以後、勝手たるべし”という一札である
不倫という言葉は今とは似ても非なる
女性の不倫は死に値する罪科だからである
それさえあれば晴れて男と付き合えるし、再婚も出来るのである
三下り半をせがんでも書いてくれなければ縁切寺へ駆け込むしか
手段がなかったことは前項で書いた

講釈、講談、浪花節ときて事実が混とんとしている
仁吉もあと1年生きたら明治元年になる
次郎長の弟分であったのは間違いないので次郎長への義理が重かったのかもしれない

♬時世(ときよ)時節は変わろとままよ吉良の仁吉は男じゃないか
♬俺も行きたや仁吉のように義理と人情のその世界

人生劇場の主人公になって村田英雄(佐藤惣之助作詞)をはそう歌う
それが三下り半のことを言っているのかどうかは歌詞だけではつかめない
今回は浪曲に偏った話になった
鯵庵(R5.5.29)

# by ajiankyoto | 2023-05-29 09:55 | 歌謡曲 | Comments(1)

2.離婚の歌

2.離婚の歌_b0355451_08310514.jpg

♬くやしくてくやしくてあーくやしくて
♬思い出すのもたまらなく辛いから
♬故郷に帰りますたったひとことさようなら

ズバリ「離婚」という歌がある
勝手に想像するにこの主人公はまだ30代後半から40歳代前半ぐらいか?
まだやりなおせる年代と見たからである

離婚のことを世間ではバツイチという
仮に二度も離婚すればバツニで小さくも勲章ものだ
もともと”おんな三界に家無し”というぐらいだから
家を出たらまず住むところに困る
私はバツは2回までにしておけという意味だよと駄洒落にしている
歌謡曲では帰るところは故郷にというのが無難なところだろうね
実家と言ってしまうと生々しいし、
迎えに来てもらうのを待つようで独り立ちを目指す女子の沽券にかかわる

だが、本当に辛いのは子供や親の目であろう
孫もいる私の妹はある日突然別れたと報告に来た
私の近所の爺さんは嫁に行った娘が孫を連れて帰って来たと喜んでいる
それでいいのだが、経済的援助ができるからそれが言えるのである
爺さん、それでも孫の父親の代わりは出来ない
が、”死後のことまで心配する必要はないのでは”と私はアドバイス?している

バツイチのバツは除籍のことだ
戸籍の名前を消すのではない、バツをつけるとことが所以である
だから初めての離婚でも除籍は2度目の経験になる
結婚したときと離婚したとき、2度バツが付く、実は”バツニ”などである
屁理屈は別にしても
結婚しても離婚しても、同時に新しい戸籍ができる
しかも離婚は戸籍筆頭人となる
祝福すべきはこっちの方である、その方が意義がある
自慢する気があるなら自立した女性として胸を張るべきだろう

ただ、家賃も税金も年金も健康保険も自分の力で払っていかなければならない
子供連れなら、何かと臨時費用もいることだろう
新しく仕事を見つけるとしたも1年2年はかかる
2年や3年は食いつなげるほどの預金通帳は持ち出すべきである
互いに悔しさだけが残るのは引っ付くより離れる方が手続きが多いからだ
せめて、話し合いの前に現金(預金通帳)だけは確保しておけば
男と言うものは金は返せとは言わないものだ?

どうせ理不尽なことばかりだ
♬つきぬ想いを胸に秘め
♬離婚する身のやるせなさ

歌はロス・プリモス(1991/作詞三浦弘氏)
くやしいが別れた方がまだましだと信じて歌う歌である
鯵庵(R5.5.27)


ブログテーマ:【今年は5月8日】母の日
# by ajiankyoto | 2023-05-27 08:48 | 歌謡曲 | Comments(0)

1.思い出草


1.思い出草_b0355451_10492824.jpg

♬駅で手紙を出したあと思い切るよに行く旅は京都北嵯峨別れ寺・・・
この歌謡曲のいう寺は二番の”思い出草”という歌詞でわかる
大覚寺を古い住宅の間を北の方に狭い道を進んでいく
行きつくところが直指庵(じきしあん)である
観光地嵐山のあの喧騒とは打って変わった風情が北嵯峨である
ここまで来ると車では不都合である
その所為かこの歌の風情が残っている

だがこの寺決して「別れ寺」ではない
別れ寺という定義があるとすれば夫との離縁を求めて駆け込む寺のことである
寺は妻を庇護し調停してくれる
夫が離縁を承知しなければ足掛け3年を寺で暮らすことによって離縁が成立する
封建時代に幕府によって認められた寺がある
そのためには寺の権威がいる
幕府公認の寺は家康の孫の千姫(上野新田郷「満徳寺」)と
秀頼の娘(千姫の養女・天秀尼・鎌倉の「東慶寺」)が住職を勤めた二つの寺だ
家康の権威によって縁切りが担保されたのである
それを縁切寺、駆け込み寺という

現代に至ってこれらの権威は無用なものになった?
民法は両性の合意なくば婚姻は成立しない建前になっている
離婚の調停(世話)は家庭裁判所がしてくれる
ただ、そうはいかないのが男女の思惑である
離婚は結婚の十倍は難しい
現代でも逃げ込み寺は必要かもしれない
だが、2年も寺から出られないなどと言ったら逃げ出し寺になるかもしれない

もともとも今も、直指庵は縁切寺でも駆け込み寺でもない
この寺を再建したのは幕末近衛家の老女村岡の局だと言われている
明治にかけて付近の婦女子の教育に力を入れたとある
だからと言って尼寺ではない、とお寺がしきりに言っている
再建の建物も焼けたのち再建された
それでも小さな寺だが少し前に門のあたりも整備されたようだ
大きくても直指庵というし小さくも直指庵という
本堂は庵(いおり)というにふさわしい

逃げ込んでも助けてはもらえないだろう
縁を切ることは難しい
けれど失恋や離婚の傷を癒すのにはいい趣かもしれない
こういうムードはアベックには受ける
別れたらまた来たる、その時には歌の気分に浸れるかもしれない
そんな予感を感じさせてくれる

歌は「京都北嵯峨別れ寺」島倉千代子、作詞は西沢爽氏、京都を歌う歌謡曲事情
鯵庵(R5.5.25)

# by ajiankyoto | 2023-05-25 10:40 | 歌謡曲 | Comments(0)

(35)墓があっても


(35)墓があっても_b0355451_08091236.jpg
ある墓地の宣伝で、〝自分のお墓のないことははかないことです″と言うのが昔あった
ジョークにしてはインパクトがある名文句だと思う
肉体は火葬したら、それで終わる
各地の自治体の条例では、もちろん火葬後すぐに遺骨は引き取られるものとなっている
わが京都市も慣習は部分収骨である
そのことではない

火葬は法律に基づくが・・・火葬場で遺骨を受け取らない
そんなこともあり得る
仮に明確な哲学であったとしても、それを実行するのは無理がある
だが、世間は広い、一方でお骨を引き取った人がそれで困るというのもの現実である

ずっと骨壺と一緒に暮らしているというのも多くあるが、今はまだ心なき行為と言われる
と言うことで、遺骨でお地蔵さんやアクセサリーにしてくれる業者もいる
遺骨は墓におさめられなければならない
としたら、確かに行くべきところに行かないのは成仏できないことになる
だから、石屋が言うように「墓がないとはかない」ということにもなる
しかし、墓がなければその悩ましき束縛から逃れられるというのも本当だと思う

「墓がなくても」人間の生存の証に不足はないという考え方もあってもいい
人間が死を前にして生きる苦しさを救うのも宗教だろうし、
そのために形式を決め粛々と儀式を行うのも宗教である
一昼夜休むことなく多くの人が薪をくべながら荼毘に付した時代もある
三代前は土葬だったのが、貴賤の区別なく焼却炉で火葬という埋葬方法がやっと定着したのである
数十分で苦しむことなく、肉体(有機物)が灰(無機物)になる
ということを受け入れられるのなら・・肉体は気体となり宙に帰っている
遺骨は灰であり既に成仏していると考える方が自然である
私はこの方が自然であると考える
今の葬儀の宗教感はまだ庶民の土葬の域を出ていない
肉体と灰の間に自分を置いてこそ、存在を考えられるかもしれない
有機物から無機物になる、個体から気体になるというほうが魂のことを考えやすい
魂を見つけられなくなった時の儀式の場が墓である
それがただの儀式なのかどうかはあなた自身が考えればいいことだと思う
鯵庵(R5.5.14)

# by ajiankyoto | 2023-05-14 11:32 | 昼寝の夢占い | Comments(0)