生活設計に入門もならず

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生命保険会社は商売で色々な研究をしている
ただ、目的ははっきりしている
そんな時にも「生活設計」などと言う単語を使うのが特色だ
そもそも、生活は設計できるもんだろうかというのが素朴な疑問でる
ひどいのになると、65歳以降老後の資金は最低で3千万円いるというのもあった・・
ほとんど脅しである、何をか言わんである

そんな資金持ってる人が何割いるのだろうか
また、そんな暮らしはどんな暮らしなのだろうか
それでも、90歳には貯蓄は0になるという
小生の友人は定年後にファイナンシャルプランナーとかいう仕事を始めた
60歳からほぼ10年で3千万円ぐらいは稼ぐのが目的であると言っていた
年ん百万は稼ぎたいのだけれどと言っていたが、とても計画どりには行ってないようだ
ファイナンシャルプランナーが自分の生活設計も違算だったと笑っていた

小生もリーマンショック以来銀行との付き合いも距離を置いている
30年かけた死亡保険もやめた、もちろん保険金詐欺にも縁はない路地の住人にとっては今更設計のしようがない
子や孫に頼らなくとも何とか自分一人のゴールをめざせるとすればともかくは御の字である
我が国は立派な社会福祉国家だと今のところ認識している
怖いのは、制度の隙間に入ってしまうことである
そんなことがあるならなおさら設計のしようがないという方が当たっている

生活設計は若い時にすべきである
その第一が就職である
その第二が結婚である
誰も一人で生きていく設計をするはずがないし、
誰も自分が早く死ぬ設計をする人はいない
設計というのは作るものがあるからなのだ
何のために勉強してきたのだろうか・・と思ったときに設計が必要なのである
基礎だけでもしっかり設計すべきではある
生命保険会社や銀行などの言う生活設計はそれからのことだ
生活設計と人生設計と同じように思わせるところに特色がある
小生らはいつもつっかい棒の設計ばかりしている
鯵庵(2.7)

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by ajiankyoto | 2017-02-07 20:12 | Comments(0)

鯵庵は上から目線?

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ブログを始めるにあたってどの目線にするかをまず考えた
日常の実感には日常の目線が必要だが、
それでは歴史の感想を語りたいときは空虚になる
自分の住んでる京都の街のことも語りたい
が、稚拙な観光行政を語るときは市民としての感慨が起きてしまって自然に嫌みなことにもなる
しかしながらどうせ出来ることは、所詮エッセイもどき、駄文にしても浅はかである
ただ、謙遜・卑下ばかりしていたのではブログとしての値打ちもない

長い会社時代には地位に応じた立場があった
定年後嘱託になってただの素人間になった時
大昔の部下たちの語り合いが耳に入ってきた
上司のことを「上から目線」と言う
「部下持つ身なら上から目線は当たり前やんか」とはその時もう言えなかった
そんな生温い会社だからおかげで出来の悪いサラリーマンが勤まったともいえる

本当はサラリーマン時代のことを書きたかった
それしか知らないのだから、それなら書けるから・・・
でも、またもまだまだ、気を使ってまだ上から目線って言われるのだろうな
と言う訳で、半分開き直っている訳である
この頃のサラリーマンはセクハラ・パワハラ・・そうでなくば上から目線と険しい語彙を平気で使う

残念ながらそんな単語は、素人間には関係がなくなってしまった
だから、全編のテーマは「老い」である
人が老いると三つものを失うという
「体力」「仕事」「異性への愛」である
失って初めて気づくことばかりである
自己主張するのに矛盾を気にしては出来ない
”武士も食わねど高楊枝?”
悪いけど「老い」をテーマにする限りここでは堂々と上から目線も続けるつもりである
実生活と同じならブログはやらない
3月に始めたブログも12月に200編になった
上手く撞けないと余韻も残らない

出来れば来年もお付き合いを・・
今年はまだ倒れなかった鯵庵の〆である(12.31)

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by ajiankyoto | 2016-12-31 12:00 | Comments(4)

ほんまかいな?

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サラリーマンの定年というのは苛酷である
競技はそこで終わってしまう
ゴールがあからさまに見えてしまった
人生は50年と言った大昔もあった
それからだったらはるかに寿命が伸びてしまった
悪いことであるはずはない
「人の一生・・、その目的への道中で死ぬべきだ。
生死は自然現象だからそれは計算に入れてはいけない。」
司馬遼太郎は作品の中で語らしている
若い時から多くの本も読んできた
そのせいかも
計算をしないそんな生き方に憧れてきた
しかし、頑張って気がついたら定年のテープが待っていた
やっと仕事が分かってきたのに
本当はこれからなのに
まだ頑張れるのに
サラリーマンの多くの人が目的を奪われ
今度は計算しながら残りを生きていく
おもろうない
その境界線が定年であった気がする
せめて働きながら死にたい・・、ほんまかいな??
鯵庵(11.30)


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by ajiankyoto | 2016-11-30 07:44 | Comments(0)

自分の駅で降りただけ

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小生今はと言うと・・
サラリーマン社会の枠からはみ出してしまって
戻ることの出来ない現役の世界を過去として暮らしはじめている
素人間でもある
社会は席を譲ることで成り立っていたのかもしれない
退職だってそうだが、逆に大昔採用され新入社員にもなれた
その後の昇格・昇任だって枠のある限りまた空いた席のある限りにおいて、譲られてきた
譲られたことに気づかなくとも、譲られたことは一方で同時に譲ることでもあった
特に私たちの世代は、いつも枠の内の数を意識させられてきた

だが、退職してしまってからは少し違う
例えが悪いが、席取りゲームからはみ出したようなもので、取り合いすべき席は無い
そうかと思うと座布団だけを持たされたような世界だ
自分で勝手に枠外の好きなところへ座れと言うことであろう
一つの役割は終えたけれど、その後の役割は全くもって漠然としている
五木寛之は“林住期”とも言っていたが、やはり今まで以上に無常である

電車の席と同じである
空いていている限り自分が座っていい
しかし、降りるときに席に未練を持つ人はいない
乗客にはそれぞれ行く先がある、乗り換えも自由である
が、何を言われなくともそれぞれ自分の駅で降りる
せっかく取った席だからと言って、そのために次の駅や終点まで行く人がいる筈が無い

小生は電車を降りた
これからまだ先に行く人にとっては、それはただの空席に過ぎない
変に礼など言われたら困る、そのかわり降りたからと言っても自分の座布団だけは持っている
どこかに座るところを見つける、さ
それでも、これからも何度も自分の意思で行きたい方の電車にも乗るし、自分の駅で降りる
そうなんだ、全くもって自分の駅で降りただけのことである

写真は「団塊の世代」昭和51年(1976)に発行された、私が読んだのは昭和55年(1980)、その時もう30歳を過ぎていた、そうだそれからだ、死ぬまで競争かもしれない宿命を感じた
鯵庵(11.10)



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by ajiankyoto | 2016-11-10 07:23 | Comments(0)

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サラリーマン諸君へ
定年までは辞めてやると言ってはいけない
退職までに家のローンは済ませておこう
それで退職金が残れば、まあ幸せな部類だ
そこまで行けばどんな仕事でも再任用にも応えよう
貴方がまだ現役なら、仕事のあるうちにいい物を買っておこう
これからは一生使うものばかり、買い替えが一番の無駄遣い
携帯電話が微妙だ、今使えない機能はこれからも使えない
機種変更は仕方ないとしても番号やメールアドレスは一生もん
会社の付き合いだと思わずに人にも付き合っていこう
その代わり退職後は同輩・後輩に期待してはいけない
昔の恨みを思い出されたら困るというものだ
会社人生依怙贔屓(えこひいき)、人の恨みも一生もん

大事なことを忘れてた
ここまでもったなら、絶対別れてはいけない
まとわりついてでも一緒にいよう
今の連れ合いが一生もん、死ぬまで大事にしてもらおう
乗り換え、買い替え高くつく
結局年金こそが一生もん
写真は光るレール、2本あってもどこまで行っても交わらない
鯵庵(10.23)


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by ajiankyoto | 2016-10-23 17:52 | Comments(1)

ジジィのためのLINE

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シイタケの春子を送ってくれる友人と京都で飲んだ
「〝移住″田舎暮らしは持て余す時間との闘い、悠々自適(ゆうゆうじてき)とか晴耕雨読(せいこううどく)などというけれど、悠々自適は本当に退屈だ。〝読″などすぐに飽きた。まだ畑は1年のサイクルであるので3年はもつ。自分が育った田舎に帰って、なお田舎暮らしに慣れるのに年数がかかるというのは予想外のことだった。」
というのが氏の本音

晴耕雨読の〝耕″だって、夏野菜も梅雨の雨で腐ってしまうこともある
虫を追いながら作った野菜もキュウリもナスビもトマトもピーマンも上手く行けば困るほど出来る
折角の農薬節約の栽培、お裾分けに宅急便を活用しても、一時は毎日野菜ばかりの生活になってしまう
〝慣れるのに時間がかかる割に、飽きるのが早い″というのが田舎暮らしだと・・少々ぼやいている
ゴルフとか釣りとか散歩とか一杯あるのではと言えばすかさず答えが帰ってきた
都会に生活していて都会の人の道楽になっても田舎では似合わないと言う
サラリーマン生活からの精神的落差を感じなくなるには数年かかるのではないか

田舎にないのは飲み屋、都会でも田舎でも同じなのがテレビだ
晴れても雨でも朝からニュースショウ見ていれば隠遁生活にもならない
テレビこそ晴耕雨読だとすれば都会も田舎も同じことだという結論に達した訳である
隠棲するのが理想だと言っていたのに・・喋る相手がいないのが一番辛いという
小生もこれからはジジィのメール交換が流行ると思う
ジジィだってパソコンもメールも出来る時代だ

遅ればせながら小生のスマートホンにもLINEが入った
きちっとやれば面倒やろうけど、ごそごそやっていたら・・
件の友達が突然゛なんや?”言うて送ってきた
”どないなってんねん”と送り返したら、”「友達」自動にしてあるからや”と返信してくれた
それはそれでええけど、アドレス帳筒抜けやなー
しかも全国津々浦々だ
なんや先にやってたのかいな、そやね、孫とのメールはこれやないと??という話
大人がLINEを使うのは気はずかしかったけど気楽やね
この際、LINEもジジ・ババ専用版を開発したらどうですか
若返った分・・年寄同士がつながったらオレオレ詐欺の防止にも役立つかも??
写真は田舎のよろずや、閉店してもう20年
鯵庵(10.14)
「シイタケの春子」はここをクリック




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by ajiankyoto | 2016-10-14 07:48 | Comments(2)

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人間と言うのは本来怠け者である
これに仕事をさせるとすれば金で釣るのが一番だ
これも正しいと思う
加えて、多少の能力の差など言ってみても仕方がない、押しなべて時間給で働いてもらおうというのがパートタイマーである
仕事と言うのはいつか習熟できるし、その人の持っている味が出るのだからそれはその時考慮してやればいい、払う賃金は安いにこしたことはない?というのが最低賃金だ
パートの職探ししていた時の実感だ

28年度、最低賃金が改定された
みんなで大声出して少しは上げようという雰囲気はあったけど
結局東京・愛知・大阪など(Aランクというらしい)25円
滋賀・京都・兵庫など(Bランク)24円
奈良・和歌山など(Cランク)22円
Ⅾランクは21円、上げ幅が先に決まって
時間給、全国(加重)平均798円から823円に25円の上げにとどまった
それでも3%も上がったともいう
滋賀県は788円・京都府は831円・大阪府は883円・兵庫県は819円で
大阪と兵庫の差は64円、神崎川をまたいで8%近くの差があることになる
大阪と京都も同じようなもの、京都と滋賀も同じようなもの、奈良県や和歌山県はそもそも浮かばれない

こんなところに意識もしない府県の壁が・・
この差が全ての差を代表していることにこの頃気がついた
神戸・大阪・京都は三都物語だとキャッチフェーズにされたこともある
神戸~大津まで新快速で1時間で行ける、その間で消費税率を超える差があるのは不思議である
小生京都から大阪に出勤していたけど、稼ぐのは大阪だと改めて思った
”大阪は稼ぐところ暮らすのは京都”は、期せずして理にかなっていたことにもなる
しかしそれでは、大阪の人が神戸や京都に働きに来ていたのでは暮らしは消費税の倍ほどのマイナスになる
サラリーマンの水準が違うのだろうか?
それなら同じように成長していったって結局は格差は広がっていく
繁華街のにぎやかさの差だけならいいけれど、暮らしの安全の差でもあるような気がする
為替レート並みに都市の間にも、なんか円高・円安を言ってるようなことと同じことが一杯あるような気がしたきた

写真は兼松のマッチ、マッチがマッチ製造から撤退、全国9割が兵庫県、製造は淡路市から姫路市へ移る
鯵庵(1.10)

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by ajiankyoto | 2016-10-10 06:39 | Comments(0)


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酒を飲むといつも同じ話を繰り返すと言われた
脳の中の海馬(かいば)が司っている短期記憶が働かなくなるらしい
そんな時に限って、前日の晩の記憶がとんでいる
場合によっては記憶を保存していく機能も失われている?
それぐらいのことだけなら、突然に心配することはないかも
しかし、話がかみ合わなくなったり、いつもしていたことをしなくなったり、
相手を傷つけるような気持ちを抑えられなくなったりすることの方が問題だと思う

そこの記憶がないのが怖い
そうなんだ
我儘になる、自分のことだけしか考えない
若い時には気にならなかったエチケットやマナーなど、
歳をとってこそ守るべきものだ
そういう努力が老化防止につながるんだと・・
老化と老人は違うかもしれない
しかし、誰もがいずれ老人社会の老人にならなければならない

尊敬する先輩は脳梗塞で倒れた
今はほぼ普通の生活と会話を出来るけど、昔のことを言ったり書いたりさせんでくれという
脳の海馬がやられたという自覚が怖いらしい
食べるのを忘れてもいい、しかし、食べたことを忘れてはいけない
酒を飲むのを忘れてもいい、しかし、酒を飲んだことを忘れてはいけない
悪いこともせずきちっと退職できた筈だが、自分がどう思って何をしてきたのか?
思い出さなければならないことをきっちり思い出せないと感じたとたん、
公の明るい世界には出られなくなったと言う
制定して50年になる、今になって国や自治体は敬老の日を決めたことが重荷になってきている
世間は50年前の老人のようにこれからの老人を敬うことは出来ないと言う
秋の敬老の日は老人にとってやはり人生の冬の始まりなんだと思う
写真は石仏(元の敬老の日は9月15日だったのに、そのうちになくなる?)
鰺庵(9.15)

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by ajiankyoto | 2016-09-15 07:25 | 翁草 | Comments(0)

桃園に帰った桃太郎


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岡山に帰った元同僚S君から桃が届いた
岡山の「紅清水」と言う品種だった
今年の満開日は4月6日だったと便りにある、ということは満開から3か月ちょっと(100日くらい)で丸丸の桃になることを知った
油断なく桃という商品を育てるのは並みの労力ではないだろう
植物繊維も多く女性の便秘には一つで十分効き目がある
他にカリウムやカテキンも多く、高血圧や糖尿病の予防にもいいとされている・・桃は邪気を払う

三国志は桃園での誓いで始まる
劉備玄徳(りゅうびげんとく)を兄として三人の義兄弟の契りができる
三人寄れば一つの軍であると、三国志は語る
艱難辛苦のはてが蜀の国の皇帝になるまで三人の血盟は続く
悠久の中国を舞台に雄大な男の遊びの印象を受ける
岡山県は桃太郎の伝説の世界だが、三国志に比べると極めて現代的だ
それはそうだ、三国志の方がはるかな昔ばなしだ
桃太郎はイヌ・サル・キジを連れている
親分・子分の間柄であるが、それは黍団子(きびだんご)を与えるということで成り立っている
現代的に言えば見返りが黍団子とは限らない・・それは賃金であったり、褒美であったり、出世であったり、たとえば庇護や保護であったりする
見返りがあれば主人桃太郎の目的に従う・・イヌ・サル・キジには仕事感はあるが血盟もなければ雄大さもはない

彼と一緒のサラリーマン時代を振り返ってみるチャンスになった
たまたまであるが・・サラリーマンでよかったと思っている、本当は我が社にも桃太郎みたいな大小の主はいるのだけれど、そこまで近づけなかった
雇われている我々、本当はイヌ・サル・キジ以下だったのだろうけど、劉備・関羽・張飛で鬼退治しているような錯覚を時に感じられる仕事だった
錯覚はあくまでも錯覚ではあるし、その上経費も使えない出世も出来なかったけれど40年近く勤めて人に罪はしなかった
無能だったかもしれないが無用ではなかった(ほんまかいな?)
人は自分のために働くが、それが人のためになっていると思える仕事は少ない
鬼に雇われたイヌ・サル・キジはかわいそうだ
社会的役割のない会社で歯を食いしばって働いている人の方が多いのだろうと思う

彼は、実家の都合で少し早く辞めた、彼の家族にとっても大変なことだったろう
あれから10年やっと岡山の生産者の一人として名前が出せるようになってきたという
そこまでなれば、桃太郎だろう
サラリーマンをやめて、その後に犬を連れて桃太郎の役が出来ることは幸せなことだと思う
時々猿に桃を食われることがあるのはこの際愛嬌として堪忍したってほしい
我らの世代は体が動くうちは何かしたいと思っているものが多い
土地を持たないサラリーマンなら市民農園での菜園のまねごとが精一杯である、桃太郎型の余生とは言えない
我が家の庭の花桃にも実はついたがやっとピンポン玉ぐらいである
桃を送ってもらったこともあるが、桃太郎じいさんのこれからを祝福したい
写真は岡山の桃
鯵庵(7.19)


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by ajiankyoto | 2016-07-19 07:19 | Comments(0)

トイレには悪魔もいる

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サラリーマン二人がトイレで小用を足しながら上司の悪口を言ってたらその上司が扉の中で聞いていたなんて笑い話がある
就活生二人が会社の面接である会社を訪れたら女性がトイレの掃除をしていた
こんな時、馬鹿が掃除の女性を蔑んだ会話をした、その悪態を後ろから注意した人がいて、「君ら後であおう」と言った
それがこの会社の社長だと知って、嬉しかったと掃除の女性がブログに書いていた
その就活生二人はその後の面接でさぞ驚いただろうというそんな話である
だが、この話は社長が水戸黄門的で悪人がはっきりしすぎて男性作者の教訓風作り話であることは容易に分かる
就活中は最後まで我を出すな、そのために皆と同じスーツを着ているのだ、という程度の教と思えばいい
しかし、よく考えればこの二つの話には共通点がある、そうだ、それぞれ二人の会話だということである、口の軽さのその怖さなのだ、トイレに一緒に入った油断だと思う方が現実的だ
トイレには一人で行こう、そして黙って用を足して出てくればいい
時々トイレであった人に会釈する人がいるが、要らざることだ
小便かけられることもあるぜよ
男は用を足すとき安心感と時に高揚感がある、その後ろ姿は隙だらけである
男性は生理的に・・特に出すときにはそう出来ている?!
だから、掃除中のトイレには入らない方がいい
トイレの掃除は神様に好かれる仕事である、だがトイレ掃除しながら不満と悪態をついているおっさんに水をとばされたことがある
トイレにも恨みがあるのだろう、トイレには必ず悪魔がいると喚いてた
あの二人組のなれの果てだろうか、いや違う、今時そんな小うるさい社長の会社一つしくじったって恨みもあるまい
私が社長なら採用してやって彼ら二人に3年ぐらいトイレ掃除させるのだが・・
それぐらいのことをすればどちらかは出世していずれ小うるさい社長を継いでくれるかもしれない
それをトイレの神様と言う
今日は上手く落とせなかった
写真はツユクサ、最後の一滴が分からない
頻尿鯵庵(6.1)


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by ajiankyoto | 2016-06-01 09:17 | Comments(2)