おとこ編③/おみそ

蛇足ながら、そう思えば「リーダーシップ」という言葉も曖昧だ
時々事業に成功したカリスマ風経営者にリーダーシップが云々などというが
成功とはある意味では不遜にして強引な力技であり
強運を持ち合わせて始めて叶うものである
ガキ大将のリーダーとして仲間を楽しませてやる豊かな精神性とは少し距離があるような気がする
成功者がのカリスマ性は認めるが必ずしもいいリーダーだったとは限らない


国語辞典には載ってないが〝おみそシステム″という言葉がある
〝味噌っかす″ともいう
こちらは辞典に載っている
子供でもまだ半人前の子供を言う
鬼ごっこをして遊ぶとすると、その子を鬼にしないように遊ぶわけである
その子を鬼にしたのでは鬼ごっこが永遠に終わらない
誰もつかまらなくって鬼ごっこにならないわけである
それでも仲間には入れてやる
子供は仲間を拒まない、みんなが遊べるように考えるわけである
それを〝おみそシステム″という

大人の世界に置き換えることが出来ない
味噌っかすと言われて喜ぶ人はこの世の中には居ない
大人の世界では、本人に気づかせてはならないことの一つだ
が、本人が気づかなければならないことの一つでもある
子供の"おみそ"は、群れることや、つるむこととは違うのです
相手の立場を理解した関係なんです

男の子を育てるお母さん、ご主人ばかり見ていると分からないことが多いですね
余計なことを言いました
鯵庵(6.24)




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by ajiankyoto | 2017-06-24 07:00 | おとこ編 | Comments(0)

おとこ編②/桃太郎

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何が日本の少年たちの願いだったのだろうか

今と違うのは仲間と遊ぶことに飢えていたことだと思う
だから、次々に知恵が湧いて出てくるわけである
独り遊びでは、限界がある
そもそも独りではリーダーになれない
二人でも三人でもいい、三人寄れば一つの軍であると、三国志は語る
劉備を兄として三人の義兄弟の契りができる
艱難辛苦のはて劉備玄徳が蜀の国の皇帝になるまで三人の血盟は続く
悠久の中国を舞台に雄大な遊びの物語が完結したような印象を受ける

子供の頃、体は大きいが同じく〝あおっぱな″を垂れた餓鬼大将がいたが、それでも同じことである
遊ぶことを真剣に考えた結果、自ずとそのガキ大将にみなついていったのである
遊ぶという同じ目的の元に集合して、より楽しくするための仕掛けである
それがガキ仲間のリーダーだった
ついていったからとて不足はないし、工夫次第ではいつでもリーダーにはなれる・・わけである
それは、遊びだからでもある
小生は言う、その時に訓練しておかねばならなかった

三国志と比するのはおかしいけど、桃太郎はイヌ・サル・キジを連れている
明らかに親分・子分の間柄である
それは黍団子(きびだんご)を与えるということで、鬼退治は主人(?)桃太郎の目的である
見返りが黍団子とは限らない・・それは金銭であったり、出世であったり、たとえば庇護や保護であったり・・自分が必要とするものを得るために結んだ関係といえる
あるいは昔のやくざの関係かもしれない
イヌ・サル・キジにだって明らかに遊び以上の仕事感が存在する
実はこちらのほうが表社会でも裏社会でも、実生活の9割を占める関係だと拙者も思う
結局こちらのほうを大事にしなければほとんどの人が生きてゆけない

男社会ってアナゴみたい?
鯵庵(6.11)


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by ajiankyoto | 2017-06-11 09:00 | おとこ編 | Comments(0)