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「京都で生きる」で書いたMさん、ブログを始めてからしばらくたつ
小生も機会あるごとに目を通している
仕事や暮らしの日常の中に、街や人を見る女性の目が光っていて、参考になる
東京のサラリーマン男性と一緒になって子供と一緒に大阪転勤についてきて、おかげ(?)で大阪で離婚
両親のいる東京に帰るかと思いきや大阪の社宅を出るついでに京都で仕事を見つけた
今は、京都で大学生と高校生の子供二人を育てている
小学校から京都の私立に通っていた長女が気丈にも「お父さんがいなくとも京都でならやっていける」と言った
それなら自分も二人の子供と暮らしていけると思った、と言う

京都人になろうと思ったら思い切れたと言う、不思議な力を持った人だ
自然の黒髪もさることながら、きれいな標準語に周りの誰も気づかない
溶け込むように目立たない
もちろん旅行者みたいな東京育ちのアクも嫌味もない
教養の都で培った教養は腐らない?京都も昔はそんな香り高い人を育てていた町だったんだろうと思った
その一方で都の修羅場を引き受けてくれているのが東京である
元のご亭主はこちらでの仕事も上手く行かずに修羅場の東京へ帰って行った、ということらしい・・

街というのは人を受け入れてくれるところのことである
逆に言えば受け入れの下手なのが田舎だともいえる
人生の節目に住むところを選べるということはそう何度もあることではない
その中で都市の持っているイメージは重要だろう
ただ、自分に本当に自分にあうのだろうか、それは分からない

MさんとMさんの娘さんが京都を選んだのは、京都に通学していただけのことかもしれない
新しい暮らしの場所が必要だっただけのことのかもしれない
そんなときに、東京も大阪も、温かく受け入れてくれるいい街だ
しかし、同じ都市でも京都は京都の方から寄ってきてくれる街だ
街には、向こうから近づいてきてくれる街というのがある
というようなことが書いてあった
人は街をさまよっている
ただ、花を求めてさまよってるのではない
人生の転機にこそあいたいそんな街が沢山ある国が豊かなのだろう
鯵庵(4.8)



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by ajiankyoto | 2017-04-08 08:23 | 都市 | Comments(0)

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12月の上賀茂神社は空が青くても時雨れる、そんなところだ
天秤棒に重しをぶら下げてテコの原理でつける樽が置いてあった
「京の上賀茂すぐき倶楽部」とある、すぐきの株を葉とともに樽に漬けるためだ
その後、室に入れて保温し乳酸発酵(にゅうさんはっこう)させる、独特の色合いと味になる
葉も刻んで食す、カブは半月状に薄めに切って食す
京都の漬物はその野菜の特徴を活かしたこったものが多い
漬物文化の、それがまたお正月前の時期にちょうど出回る訳である

昔は上賀茂の農家の女性が街中に売りに来ていたらしい
トラックで市内に店を出しているのがよくあったが、それも今はないかもしれない
真空パックしたものなら市内の大きな漬物屋でならたいてい手に入る
生の新しい上賀茂のものは意外と高い
大体目方で売っているので注意、100gで400円程度、一つで中ぐらいのものなら大体2000円以上はする、大きなものは高いから半分に切ったものが多い気がする

このすぐき、絵を見ていただいた通り、カブである、カブの変種である
カブは中央アジアから中国を経て我が国に伝わってきたとも言うが、奈良時代にはあったようだ
アブラナ科は交雑が盛んにおこなわれるので、江戸時代には多くの種類のカブが各地で作られた
今は日本列島東西合わせて80数種生産されているようである
滋賀県の日野菜や赤かぶ、京都の聖護院かぶらもその一つである
このスグキナもその一つである、が、ほとんどすぐき漬けに利用される
300年前くらいに上賀茂の社家のみで栽培・加工されていたされたという
近代に入って上賀茂の農家でスグキナの種と乳酸発酵の加工の工夫が引き継がれてきた

11月、12月になると一面スグキの畑であるが、それでも多くのスグキが畑に残される
春になればスグキの菜の花の花盛りでもある、種を取るためである
だから、上賀茂の農家では他のアブラナ科の野菜を育てないという
農家それぞれが自分の家のすぐきの優良な種を守っていっているとあった
それが伝統漬物である所以である
しかも、その上賀茂の漬物の発酵菌からスーパーな乳酸菌が発見された
京都の女性の美しさはこれだったのかと言われた??
たかが漬物と言う勿れ・・
すぐき菜もすぐき漬けも京都生まれ、すぐき発酵の乳酸菌「ラブレ」も京都上賀茂の空気の生まれである
少し昔、健康な京都の女性に代わって吉永小百合がテレビコマーシャルをやっていた筈だが・・
すぐきだけで冷酒2合はいける鯵庵(12.16)

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by ajiankyoto | 2016-12-16 17:49 | Comments(4)

京都の本は京都で売れる

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京都の本屋には京都の本が一杯です
春はお花見特集、夏は祇園祭、初冬の紅葉まで毎月特集です
お寺は時期に合わせて特別公開、神社でもライトアップやコンサートも開かれます
が、雑誌の出版に合わせて予定を決めなければならないのはお寺さんでも手に負えないところもある
この時期になれば、グルメ系も増えてくる
その点、クリスマスやお正月にやってくる女性の観光グループの増を狙った企画に見えます
お正月前にも一度大きな波が来ます、年中行楽シーズン
ところが意外にも京都の本も京都特集も京都で京都の女性に売れるみたいです
キャッチフェーズは京都に浸りたい

実はこの時期京都観光に一番のせられてるのは京都の人みたいです
たとえ、恋人同士でなくとも何かと京都知識は必要
皆が知ってることは知っとかなくちゃ、本を買って何処へ行こうか一夜漬け
何が美味しいのか、並んでる店は何処か
本をもって店に並んだのでは旅行者に間違われるよ
昔から宿題は教科書より虎の巻の方が役に立った・・・

後は本当に京都の女になること
急がなくてもいいです、熟女になるまでになれたらでそれでいいです
それには教科書もないし、虎の巻きもない
京女(きょうおんな)とは京都で働いて京都で暮らしていこうと固く決めた人のことですから
冬の京都は寒いよそれでも一日体験コースでは京女にはなれません
写真は尼の下駄
鯵庵(12.1)

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by ajiankyoto | 2016-12-01 08:12 | Comments(0)


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時代祭の京都の女についてもう一人語りたい
江戸時代婦人列のことだ
この行列で受けるのは幕末14代将軍家茂に嫁いだ考明天皇の異母妹和宮とややこ踊りの出雲の阿国ぐらいである
歴史(政治史)を知る人にとっては知らない方が不思議な女たちだ

この列には往時の都の庶民が出演するのだから、地味である、簡単に言えば良く分からない
京都の人も知る人が少ないのが、お梶(かぢ)と孫の玉蘭(ぎょくらん)である
お梶というのは5代将軍綱吉の元禄の時代に祇園社(八坂神社)の南門近くに茶店を構えていた
恐らくぼちぼち流行り出したお茶屋であろうか、だが、少女の時から歌をよくやるとして名があった

梶も14、15才で江戸に下ったといわれる
旗本某家の養女になったと指摘する研究家もいる
ただ、嫁いだ先を離縁になり、京都に帰ってきてお茶屋の主に戻ったのではないか
お梶の歌才は際立っていた、全国から歌人や風流人がお梶の歌を訪ねてくる
お梶の出自は不明となっているが、先の研究者はお梶の父は公卿の正親町(おうぎまち)家と推測している
お梶の生活と歌の後ろ盾であった可能性がある
それぐらいの血筋と素養と手ほどきとがなければあれほどの才能は発揮できるはずがないと考えるのが自然である
独身の茶屋の主と言うこと自体が仮の姿だったのだろう
それは歌人としての仮の姿であったろうが、死ぬまで京でこの祇園で生き抜くという本物の京女の形が出来つつあるころの話でもある

今はお梶のことだけしか語る間がないが、そのお茶屋を継いだお梶の養女が百合である
百合は母に負けず歌をよくしたが、祇園に隠棲していた徳山某と一緒になり町を産んだ
徳山某が江戸の徳山家を継ぐことになり身を引いてその後一人で娘の町を育てた
町こそ稀代の貧乏画家池の大雅と一緒になった玉蘭(ぎょくらん)のことである
当時の三人の女の生き方を説くには歌や絵画やに知識不足である
女3代これだけの才女が続いたということがテーマである

ただ、それが、時代祭の行列にふさわしいかどうかが小生にもわからない
時代はイコール歴史ではないし、歴史はイコール政治史でもない
身分いやしきと言われた祇園の茶屋の主が皇女和宮と一緒に行列する違和感はどうしてもなくならない
この列の特色でもある、どうしても解説がいる
ひょっとしたら、お茶屋が建ち始めた祇園の界隈にもこれほどの文化人がおったことを言いたいのかもしれない
時代祭は市民奉仕である、もう少し市民に説明しなければ梶や玉蘭を演ずる人はどんな歩き方をしたらいいのだろうか?と戸惑う筈だ
見物する人は、艶やかな巴を探していると行き過ぎる、江戸時代の都の庶民お梶も見て欲しい
時代祭の行列は10月22日だ、あなたがどう楽しもうとあなたの勝手だ
写真はフジバカマ
鯵庵(28.10.20)

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by ajiankyoto | 2016-10-20 07:41 | おなご編 | Comments(0)

「巴は京女」に続く

義仲がいなければ都に来ることもない女だった
戦(いくさ)に連れていくための妾と言われるが、女武者でもある
馬乗りは得意だったかもしれないが、当時武芸というものはまだ出来ていない
闘争心のままに長刀を振り回すだけの女である
庶人が知る歴史は「物語」でしかない
荒削りの男のために精一杯武器を持った一人の女へのはなむけだろうと思う
最期を共にするはずが義仲に見限られた巴は鎧を脱いで落ち延びた
その後の巴のことは物語の外の話である

実はそこらからが能「巴」が始まるが、そのことを語る力は小生にない
亡霊になって義仲を慕うのも巴かもしれない
近江の粟津「義仲寺」にある義仲の墓の傍にある巴塚は見逃す人が多い
でも歴史に現れるのはこの都落ちの瞬間だけだ
平家物語の中でだけ輝く女武者だ
女を通し、かつ、それでも最後一人で戦っても討死しなかった巴の強さゆえの哀しさが京都人の涙を誘う
義仲と最後を一緒しなかったこの女を張った強く誇らしげな姿こそが哀れである
それは誰でも持てるものではない美しさだ
勝ち負けを超えた、善悪を超えた自分をはっきり主張している
それが京女の根性である?

平安時代婦人列ももちろん市民奉仕である
が、市民と言っても京都の花街や地域女性連合会がこれにあたる
行列に続く紫式部や・清少納言・小野小町というのも同じではある
しかしながら、鎧をつけて白馬にまたがって背筋を伸ばすことは気合の入ったプロの芸妓でも難しい
これが出来ると京女の代表と胸をはることができるらしい?
来年の時代祭のポスターになれる
生きるということは芝居気が必要だと思わされるのだが・・
鯵庵(28.10.13)

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by ajiankyoto | 2016-10-13 08:15 | おなご編 | Comments(0)

祭/巴は京女

10月の時代祭りは平安神宮の祭礼である
明治28年に平安遷都1100年を記念して始めた
今は1220年ちょっとだから、120年になるが、まだ120年ともいえる
平安京ゆかりの桓武帝と考明帝の神輿が主役であるが、維新以前の各時代の行列が出る
10月22日が行列の日である、京都観光の目玉にしたいという思惑である
もう一つの特長は市民奉仕である、出演は一般市民である
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一番の見ごたえを言えば、平安時代婦人列の先頭、巴御前である
後白河院政の時代だだから平安時代が終わろうというときである
1184年7月に入京した源氏の棟梁義仲、義仲についてきた巴にとって都で暮らすことはどういうことだったのだろうか
信濃・木曽の山国育ちを卑下することなく、武者として、それでも女としての栄誉もあったろう
都の水で化粧することにも馴染んで行ったろう
だがしかし、都の風に戸惑った義仲は平安朝政界をしくじって、翌年1月に頼朝軍に京を追われ近江で死す
都での羽振りはたった半年のことなのである
巴は、女として京都に残ることなどに何の未練もなく、最後まで将軍だった義仲についていく
「木曽殿(義仲)に最後の軍(いくさ)して見せ奉(たてまつ)らん」というのが平家物語のセリフだ

都を落ちていく武将に戻ったが、その時は既に京女であった
京都で生まれたわけでもない、たった半年で何時の間にか京都の女になっている不思議な女性だ
巴は「色白く髪長く、容顔(ようがん)まことに美麗(びれい)なり」と平家物語にある
なお、それでもその時の巴が一番美しいと京都の人は感じた
華やかな時代祭行列で白馬に乗って胸張った巴御前というのは・・
実はたった数騎で義仲にしたがって都を落ちていく時の姿だと言えば読者の皆様はどう思いますか
歴史というのは男の舞台でもあるが、また女の舞台でもある・・
(この項、続く)
鯵庵(28.10.12)

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by ajiankyoto | 2016-10-12 07:39 | おなご編 | Comments(0)

普通陽性にこだわる

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「酒の飲める女は器量よし」の三条カルチャーのスーパー講師の話の続きである
明るい性格はいいことだろう
陰と陽は半面性を持っている
陽性には「複合陽性」と「単純陽性」がある
明るいだけでは価値がない
努めて明るくするのも意味がない
私は「普通陽性」と言い、それにこだわるとスーパー講師M女史は言う

毎日暮らしているときには感じないが、京都の人はほぼ誤解の中で生きている
昔、都だった(あるいは国際観光文化都市)ことを自慢しているといわれる
京都人なら「そうどすな」と言えと言われる
京都の市民はそんな言葉は使わない
花柳界なら言うかもしれない
「そやね」と言ったら大阪弁やと言われたと、女史は語る
その女史、東山界隈散策で試しに人力車に乗ると
全国を回って来たという精悍真黒な車屋の兄さんに
お客さんはどこからですか?と聞かれたので
”いけず”のつもりで「東京どす」と答えた
「遠くの人で良かった、京都を案内しますね、京都の人はこの辺のことよく知っていて、その上裏表があって嫌いなんです」と
どっちが”いけず”や
その上教えてくれたのはNHK大河ドラマの寄せ集めやったけど
とても歴史ではなく、〔パロディ×漫談÷パロディ〕で面白かったと
ただし、お客は一見(いちげん)さんに限られるやろ

明るさにも暗さにも段階があり方向がある
こんな坂の多い街を大人二人も乗せて自分の足でベンチャラ言いながら走り回ることは客の3倍以上の体力と人格がいる
そんな立派な人が自分の個性は一つも見せず、明るくぺちゃくちゃ喋るのも悪いことではない
そんな明るさを「複合陽性」と言うみたいだ
でも、京都にはすこし静かな話好きの車屋さんでないと似合わないと注文をつけてきたという
やっぱり私は"いけず”な女になってしまう、と講師が語る
いけずついでに
「"皆が京都に憧れていると京都の人は皆思ってる”ということが、世間の誤解のはじまりだ」と言うのだが???
鯵庵(10.11)




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by ajiankyoto | 2016-10-11 08:25 | 女紋 | Comments(0)

娘の書いた絵馬を見たい

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今宮神社によくお参りに行く
門前のあぶり餅の茶店が「鬼平犯科帳」のエンディングに登場する
時々、このあたりや境内で花嫁衣裳の二人が写真撮影していたりする
プロのカメラマンに導かれて様々なポーズをとったりしている
衣装も大変だけど花も紅葉もなければ絵になりにくいのでは?
スタジオと夏らしいスナップで真夏でも大丈夫らしい
神社の神前結婚式でも衣装と写真がパックになった案内も載っている
神社に専属の写真屋さん以外は持ち込み撮影と言うようだ
そのときは持ちこみ料が必要なんて、注釈があったりする
それ以外に写真だけをお願いして記念の証拠にするというのもある
写真婚なんていうのも流行っている
やはり証拠写真は衣装と背景が大事なのである

それでなくとも、この頃は結婚式も質素なのが多くなった
今日は神前で結婚報告の祝詞をあげてもらっている二人に遭遇した
いずれ神様は何処へでも来てくれるし、どんなお願いも聞いてくれるはずだが
こうして神前に二人で報告に来るというのは意味のあることだろう
この神社、またの名を玉の輿(たまのこし)神社と言う
徳川五代将軍綱吉の生母桂昌院(けいしょういん)が復興に力を貸した所以である
桂昌院は京女、このあたりの生まれ、玉という八百屋の娘であったというのが定説である
だから、玉の輿である
それにあやかりたいというのが、庶人の欲ばった気持ちらしい?
”大富豪の素敵な人と娘の〇〇が出会えて結婚できますように・・△△”
こんなジョークみたいな絵馬があるのは今宮神社だからだろうか?
ほほえましいと思う人はよほど能天気な人か神様だけだろう
ただ、ついでながらであるが、大富豪(将軍家なみ)との結婚を夢見るこの母の願いは叶うまい

残念ながら娘の書いた絵馬を小生見つけることは出来なかった
せめて娘の玉の輿を神頼みする母親を超えたいい娘であって欲しい
ひょっとしたら、今日のように二人だけで神前に報告に来るかもしれない
派手な結婚式をあげなくともいい、もともと神様は欲どしい人を応援などしていないのだから
写真は金魚
鯵庵(8.17)


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by ajiankyoto | 2016-08-17 07:25 | Comments(0)