がんこ氏の場合⑸

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ブログにふさわしくない話続けます
がんこ氏が何とか一人で生活できるまで回復するのを待って奥さんの離婚が叶った
今に限れば奥さんも助けなしで生きていけるだろう
しかし、自分は多少なりとも人の介助の世話にならなくてはならないし、
現に施設以外に身の置き場所がない
孤独に生きていくことなのだ
妻はいなくなったけど、子もいるし孫もいる
この年になっては初めてのことである
病気が再発しなかったとしても、一人で死ぬ覚悟が出来なければ一人で生きていくことも出来ない
これから何があるかもしれないけれど、タイミングよければ死ぬ時も家族に囲まれているかもしれない

しかし、病院のベッドか施設のベッドであることには変わりない
そう思えば、なんとか静かに自分の部屋を持てるだけでも幸せなことかもしれない
あの世に行くのにこの世に未練を残しているようでは、またあの世で失敗するかもしれない
これから考えなければならないことが多すぎると、
がんこ氏は淡々と語るのである

拙者とても有名医にも知り合いもないし、かといって出来る坊さんとも付き合いがない
そうでなくとも、庶民の歴史が示すようにやはり死に方だけは自分で考えなければならない気がする
しかし、なんでこんなことになるのだろうか?
家族・夫婦とはそんなに脆いものだろうか?
本当に必要とするときに人は助けられないものなのか?
尊敬する先輩夫婦だけにそこのところが小生にもまだ理解できない

この項続く
鰺庵(5.28)


by ajiankyoto | 2017-05-28 16:02 | 健康保険 | Comments(0)

小銭入れが邪魔になる


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1円玉がポッケットにあると落ち着かない
時々小銭入れを使うとなおさら1円玉はちょっと邪魔だ
おかげで小銭を小銭入れに入れるのが身につかない
どれぐらいの小銭を持ち歩くのが自分にあっているかを考えたことがありますか

それも、カードの利用で減ってきた
小銭が一番必要な電話やバスや電車など今は小銭の方が使いにくい
小銭を減らすために小銭を使っている時がある
小銭入れを使うために小銭を使ってる人もいる
小銭は邪魔にならないときはあるが、小銭入れは常に邪魔である

立派な財布の中に、小銭が一杯の女性もいる
1円玉ばかりが増えることのないような使い方が必要だ
拙者も1円玉を使おうとしたら1円足らずにまた1円玉が増えた
もちろん1円玉をおろそかにした話ではない
1円を笑うものは1円に泣くと教えられてきた

だがそれは1円玉への愛着を言ったものではない
ともかく格言として説得力が落ちている
それでもキッチリ世の中は1円単位で動いている
1円玉を集めるビジネスがあたれば成功するだろうね
小銭に泣いてた人が小銭に笑うことになるかもしれない

小銭で一杯のバスの車掌のがま口が懐かしい
鯵庵(5.13)

by ajiankyoto | 2017-05-16 07:47 | 翁草 | Comments(0)

がんこ氏の場合⑷


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ブログにふさわしくない話を続けます
人間の想像力には大きな限界がある
立派な子がおってもおらなくても同じことなのだ
も一度話をがんこ氏に戻すと・・自分で決められるものは自分で決められるうちに自分で決めたいと言っていた
壮年期の息子さん家族に自分の最後を相談することは無理だろう
人間の想像力には大きな限界がある
明日起こるかもしれないというだけで、考えたくもないことを考えることは出来ない
思いついたことをそう簡単に口に出すことは出来ない
ましてや奥さん(息子さんにとっては母親)のことも考えなくてはならない立場に追いやった
子供なら自分のことは自分でやれたらそれで十分なんだけど、自分だってやっと自分が見えてきた
自分の死に方は自分で考えるしかない、と言うのが結論だ

親子が別に暮らすことには慣れている
そんな世代でもあった
でも、夫婦が別に暮らすことは今まで考えたことがなかった
結局は奥さんは家を失った
哀しいかな、自分の死のことをゆだねることは出来ない
とりあえずは自分の葬儀ではあるが、がんこ氏にはこだわりはない
遺言(ゆいごん・法律的には〝いごん″と読む、嫌だね)など書く気はさらさらない
財産は死ぬまでに使ってしまうつもりだが、長生きすれば足らないかもしれない
たとえ借金でも相続は発生する、その多くは事務手続きである
それでもめるならもめればいい、そう思うことにした

子供が大人になるまでの親の義務は当然であるが、成人すればそれからも解放される
子供の立場で言えばその逆もまた当然でもある
自分らもそう思ってきた
家の単位は二人、一人では単位に満たない
家を失ったのはがんこ氏も同じことだった
淋しくはあるが、それが一人で暮らすということだと小生も思う
心配してもしなくとも、ほとんどの人がそこへ行くことになる
この項続く・・・
鯵庵(5.13)


by ajiankyoto | 2017-05-13 08:32 | 健康保険 | Comments(0)

がんこ氏の場合⑶

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ブログにふさわしくない話を続けます

がんこ氏は言う
わが国の救急体制と脳の外科医に助けられた
救急病院の外科医は激務だ
入院していた時によくわかった
少しの差であっち側へ転んでいたかもしれない、と思うとぞっとする
それは当直医の差でもある
その怖さが改めて襲ってくるという

わが国で、タイミングよく高度な外科手術や先進医療を受けられる人はどれほどいるのだろうか
医療が高度すぎて、あまりに多くの費用がいる
たとえば保険をしっかりかけておくことはできる
しかし、それだけではダメである
具合悪くなればすぐに有名病院に雲隠れ入院できる政治家以上の力がいる
しかもである、そんな悠長な話ではない
なんぼ救急体制が整っても、なんぼ名医にコネがあっても、倒れた時に家族がそばにいなければ・・と言うこともある
一人で暮らすリスクは限りなく大きい

愚痴っているのではない
日本の医療の水準と日本の健康保険の制度は、もうすでに享受している
現にがんこ氏自身が命拾いをした
ハッキリ言うと普通の人間にはこれ以上の幸運を求められないのではないか
テレビで見た有名外科医の活躍を見てそう思う
日本の名医はこちらがいくら調べても向こうから寄って来てくれないし、来られてもこちらにそれだけの経済力はない
恐らく迷うばかりである

だからこそ平等に得られる医療行為を越えれば自分の力のみで生き延びていくことが大事なのだと
高い志を持っている日本一の医者にかかれば場合によっては治るかもしれない・・という我欲を捨てなければならない
それは不老長寿のような秦の始皇帝的な永遠の欲に近い
仙人にもなれない我々は世の中が平等ではないと知ることが出来るくらいの人生経験はある
だからこそ平均的寿命が絶対的多数の人生なんだと悟らされるという
今は素人間で生き抜かなければならない人ばかりに囲まれていると、がんこ氏は言うのである
あなたはどう感じますか?

この項続く
鯵庵(5.9)


by ajiankyoto | 2017-05-09 04:00 | 健康保険 | Comments(0)

がんこ氏の場合⑵


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ブログに向かない話を続ける

実は・・と、がんこ氏語る
車椅子1年ぐらいで奥さんが耳元で囁くようになった
〝別れてくれ、別れてくれ″と
奥さんに甘えてばかりのがんこ氏には最初は何を言われているかも分からなかった
しかし、奥さんの気持ちがそうであるなら仕方ないと思うようになってしまった
男の気持ちである
1年や2年で別れたわけではない
がんこ氏が自分一人でも暮らせるまでの回復を待ってである
病気しなければそう思うことはないけれど、今なら自分も、杖ついても自立できる
長い間こんなわがままを許してくれただけでも感謝する気持ちが先になってしまった
昔は助けたけど、これからも助けられるとは限らない
しかし別れてしまったらこちらは助けない
男としての結論だった

ほぼ、年令並みの健康を取り戻しつつあるがんこ氏、寝たきりになることが一番怖かったという
血管の病気はどちらに転ぶか、だと
がんこ氏はこちら側に転がって今がある
動けることが嬉しい、と言っていた
仮に寿命というものがあっても、戦争(わが国ではあまり現実性はないが)や事故だってあるし、不摂生がなくとも大病を患うこともある
それでいながら、ここまで来られたのは車に例えれば心臓というエンジンがよかったのではないかという意味のことを言った
ならば修理してまだ使えるうちは何度でも修理して使うべきであると・・

人生の終末をどう過ごすか、と言うことを思わせられる日々だという
奥さんの方の寿命が長い
今はよくても離婚の夢も破れやがて齢とって腐ることもある
極端な言い方をすれば、別れてから年をとっても夫婦一緒に年をとっても、どちらか先に死ぬ訳だから結末は同じことだと言える
自分の家で一人で暮らす人もおれば、自宅を空にしてここで暮らす人もいる
この施設にだって・・自宅を売って来た人もいる
生活保護で最後にここで暮らす人もいる
やっと安住の地を得たという人もいるし、何故に自分はこれほど程不幸なのかと毎日心ざわめく人もいる
ここへ来れば過去のことは同じになってしまう、思わせられるとがんこ氏は言う

この項続く
鯵庵(5.6)



by ajiankyoto | 2017-05-06 06:48 | 健康保険 | Comments(0)

がんこ氏の場合⑴

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ブログにしては少し辛い話になります
恩人である先輩(「がんこ氏」にしました)・・今施設で暮らしている
時たま小生様子を伺いに参上している、今はお元気である
実は10年ほど前に脳の血管が詰まって倒れた
幸いにして・・病院1年、車椅子3年で今は元気である

だがしかし、その後、奥さんと別れて今は一人
しばらくは自宅で一人で暮らしていたが、介護付きの施設に引っ越した
奥さんもいい人だった
献身的な看病・介護だったと思うが、がんこ氏が自分で車椅子に座れるまでに治るのを待って別れた
がんこ氏の話では、家族会議での決定だという
この間(倒れて1年ぐらい?)に夫婦の気持ちの大変化があって、
家族の結論は、結局はがんこ氏の病気が治って一人暮らしが出来るまで離婚を待つ、ということになったようだ

悲しいことではない、そのおかげか、奥さんの介護でがんこ氏は人より早く蘇った
雨の日も風の日も、奥さんに支えられ自分で車椅子を押し、自分で歩いた
家族だけが医者なのである
何よりも物理療法の看護師以上である、熱意でもある
複雑な愛であるが、別れたい一心であったというのはそれだけではないし違うような気がする
同じ齢であっても10年は感性が違うのが男女である。
奥さんに何か夢があったかは小生は知らない
例え、理想的な夫婦であっても・・がんこ氏が病気になって初めて相手を分かったこともあるのではないか

家族で出来る介護にはいずれ限界がある
息子さんは冷静だった、家庭裁判所の判事のようなジャッジだった
父上と母上のそれぞれの最後を看取る(正しく言うと〝見守る″)だけの根性はあったのではないか
がんこ氏は分かった人である
それでなくとも倒れて蘇って本当に人が変わった程の人である
年齢を経て思うことは「今までに想像もしない人生と・・想像もしない人が待っている」と知ったと言う
一人で施設暮らしが不幸だということはがんこ氏の口から聞いたことはない

(この項続く〉
鯵庵(5.4)

by ajiankyoto | 2017-05-04 07:00 | 健康保険 | Comments(0)

ほんまかいな?

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サラリーマンの定年というのは苛酷である
競技はそこで終わってしまう
ゴールがあからさまに見えてしまった
人生は50年と言った大昔もあった
それからだったらはるかに寿命が伸びてしまった
悪いことであるはずはない
「人の一生・・、その目的への道中で死ぬべきだ。
生死は自然現象だからそれは計算に入れてはいけない。」
司馬遼太郎は作品の中で語らしている
若い時から多くの本も読んできた
そのせいかも
計算をしないそんな生き方に憧れてきた
しかし、頑張って気がついたら定年のテープが待っていた
やっと仕事が分かってきたのに
本当はこれからなのに
まだ頑張れるのに
サラリーマンの多くの人が目的を奪われ
今度は計算しながら残りを生きていく
おもろうない
その境界線が定年であった気がする
せめて働きながら死にたい・・、ほんまかいな??
鯵庵(11.30)


by ajiankyoto | 2016-11-30 07:44 | Comments(0)

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京都のある先生の持論だけど、日本の社会制度は女性原理で出来ているという、そもそも、男性的だと思っていたことが実は女性原理の表現だったりするという
その元は・・、先の敗戦の時に日本の家長制度に女性が虐げられていると占領軍が理解していたことが大きな誤解であったと言っている

ここからは小生の論、つまらんたとえ話をする
どこにいても「アカンもんはアカン」と言い切れる男性が何人いるだろうか
外では会社では男らしく立派なんだが、・・という人もいるかもしれない
それが、妻にも、子供にもきちっと言えるだろうか
それより妻や子供を本当に守れているのだろうか?
自分の配偶者を”奥さん”と言う男性が20年前から出てきた
20年前はそれでもジョークとしてもパイオニア的存在だった
密かに出世が出来ない男性の代名詞に使っていた
が、この頃見ているとテレビでも沢山出てきた
ニューファミリーの2乗と我らニューファミリー世代がからかっていたけれど地位が逆転した
そう言われていることに抵抗のない女性が増えたということだろう
女性の賢さはいつも数の問題だ
バカである方が受ける風潮に抵抗するのには女性原理が邪魔をする
無理して損することないやんか、と女性陣が団結する
貰えるものなら貰っとけばいい
男は優しい方がいいやんかとまた団結する
強いゆえに優しかった男は夜も蚊帳の中に入れてもらえない

日本は狩猟民族に戦争で敗けた
狩猟民族が農耕民族の男の立場を正しく理解できなかったのは仕方がない
という話は理解できる
いやむしろ占領政策としては効果的だったと言えるのではないかと思う
ただ、それまでの日本女性の出来の良さを誤解していたというべきではないだろうか
誤解を正さないのはそれが女性原理である
誤解は何時か正さなければならないというのが男性原理なんだけど・・
せっかくの家庭平和、今となっては壊したくないよな・・それを余生原理(小生の造語)と言う?
写真は叶和貴子、小生の好みで本文とは関係ない
鯵庵(11.14)


by ajiankyoto | 2016-11-14 06:11 | Comments(0)