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ありえないことの例えである
磯野家の脇をがっちり固めているマスオさんが・・
ひょんなことから里へ帰ることになった
もちろん仮定の話である
磯野家は福岡から来た
フグ田家は大阪である
一度も舅や嫁の前で大阪弁も語らなかったマスオさんが??
ついに「里へ帰らせてもらいます」と言った
たとえそうでなかっても、大阪転勤もあり得る訳である
も一度言うが仮定の話である

サザエはどうするのだろうか
大阪へタラオをつれてついて行ける女ではない
タラオはまだ小さい、それでも単身赴任ならあり得るかもしれない
サザエは言うだろう、せめて福岡ならついていくかも
小生の昔の会社では大阪支社勤務になるくらいなら、九州もしくは北海道まで行った方がましだという
ましてや京都などと言ったら、もう、帰り道が遠すぎる、という
送別会では「はよ帰ってこい」と皆が言う送られたものも最後まで大阪弁を通すものだから意外と早く帰れる
もう一つは、悲しいかな奥さんがもたないだから、結局早い目に引き上げてくることになる

家庭がもたなければ仕事する意味がない
波平さんはマスオさんと絶対喧嘩しない
何十年たっても喧嘩したのを見たことがない
それはマスオさんの覚悟である
サザエの覚悟だとみている人がいるがいるが、それは違う
「サザエさん」でマスオさんが主役だといった意味がそこにある
本当に世の中はマスオさんみたいな人が主役である

仕事で失敗でもしたら、いつか「里(大阪)へ帰ります」と言い出すドラマを期待している
マスオさんだって、いつか噴火するというのは当たり前だと思うのだが
東芝がスポンサーを止める時が始まりである
鯵庵(3.5)



by ajiankyoto | 2017-03-05 21:25 | Comments(0)

看取り率?

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どこで死にたいかって?
そんなこと聞かんといてーや
病院が8割、自宅や老人施設が約2割である
自宅や施設で死にたいと希望している人は6~7割であるのに・・
国の統計である

現在の状況でこれぐらいだとすればあと10~20年後を予定している我らの時代はどうなっているのだろうか
不安になるのは当然である
国は何とか20年後には現在の2割を4割ぐらいに引き上げたいと目標を定めている
だがこれは場合によってはあきらめる他ないような数値だ
もう数年でやってくる団塊世代の後期高齢化
在宅医療体制や老々介護の実態がここ数年で解決できるとは思えない
何よりも余りに多くの老人に対して病床や介護人員の不足がやってくる
20年後なら達成できるかもしれないとしたら
・・それは団塊の波が行ってしまってからのことであろう

そんなことより、在宅での看取り経験が日本でなくなっていると専門家は指摘する
病院であろうと自宅であろうと老人用の施設であっても、家族があって初めて出来る相談である
これまでは"自宅や施設で"というのがキーであるが、これからは"家族の介護"がキーだろう
介護が出来なければ、病院が施設になり、自宅が施設になってくる
結局は施設で・・寂しくということになる
どこで死にたいかと言われても
既に住んでいるところの地域差の方が大きくて、結局は自分で選ぶことは出来ないのだ
統計結果はそんなことも示している

夫婦でこの問題を考えると
後になるか先になるか
それによって違ってくるのではないかと実感している
先に死にたいとは必ずしも思わないが・・、後になってしまえば多くのことをあきらめざるを得ない
自宅で看取られて死ねるなんて幸せは僥倖と言うに等しい
いずれにしても自分のことである
率とか割合ではない
地域差も他人のことも関係ない
はっきり言えば0か100かの世界である
看取り率は一度限りなく0に近づくと考えていた方がいい
鯵庵(2.14)

by ajiankyoto | 2017-02-14 17:32 | Comments(0)

家族は大きい方がいい

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新しい家族を作ろうとした我ら世代は結局は家族を壊してしまったのではないだろうか
家族は本来の最小単位だが
家族は最大の群れだった
家族が皆一緒に暮らせることが一番の幸せである
原始の時代からの本能の一つだろう
だが実際はそうでなかったこともまた多い
社会生活を行うにつれ家族の単位は小さくなっていく

人間に仕事の歴史はもはや3千年になる
家族を守っていくのは男の仕事だった
守るために戦う為に仕方なく離れ離れになったことの大きな不安も
やがて繰り返し学習で克服できる社会になってきた
人間という動物にはそれが一番の苦労だったのに
家族は肉体の痛みを共有するものだ
しかし離れたとたんに痛みは半減する

我ら家族に助けられなかった世代は家族として助ける方法を学習していない
家族を壊す仕組みばかりを作ってしまってために
今度は家族を離れたゆえに生きていけない多くの人たちを作ってしまった
家族の単位は限りなく小さくなってやがて個になっていく
ふがいなく、なさけなく・・
まだ小さい方が暮らしやすかったと誤解している
社会は家族の代わりはしてくれない
しかしもう、戻ることはないだろう
鯵庵(1.5)

by ajiankyoto | 2017-01-05 07:15 | Comments(0)

住職は何をすればいい?

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お寺には住職やその家族がいる
大きなお寺になれば僧職にも階層があるし、職員もいる
その職員の中でも様々な雑用を行うものを寺男と言う
戒律が厳しいところでは多くの雑用を修行としてやる場合もあり得る
歴史的には平安時代の僧兵も僧ではなく寺男だという

封建制度の身分制度の時代であれば明確に下男・下女の身分である
現代のお寺であれば拝観の受付や庭の手入れや掃除などのや事務がある
墓地があれば墓地の清掃などもその業務である、雑務に従事する
宗教心が必要な訳ではないが、宗教心がないというのは違う気がする
名のある庭園も数ある花の寺も実は仏の心なのである
花を育てるというのは仏の道なのである
お寺がそれを忘れかけているだけである
ひょとしたら本堂なみに仏に近い場所なのかもしれない

ケチなところでは檀家に奉仕させることを当たり前としている
檀家に植木屋でもおればそれは助かるが、商売でやっている人はただではやらない
そんな庭仕事をまとめて造園業者や派遣業者に頼っている
それでもそんなことできるのは観光寺院だけである
多くはそんな面倒をやめて全部駐車場にするところもある
無粋な看板の中に土塀すら邪魔にするほど車が止まっている佛のいない敷地空間が増えている
檀家もなくかつ布教などに携わったことのない宗教関係者がたくさんいるのが京都である
なまじっか本山の大学を出て世間と交わってるものだからすっかりミーハーである

観光寺は宝物殿で学芸員にご本尊の守をさせたりしている
ならば同じように花の世話は寺男にさせればいい
住職は何をすればいいって・・
そら家族を大事に幸せに暮らせばいい
そのためにお寺を継いだのだから
せめて花一杯の寺にするのもいい方法だと思うのだが
鯵庵(11.3)

by ajiankyoto | 2016-11-03 07:39 | Comments(0)


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日本のカレーライスが美味しくなくなった
この頃は全国共通で〇〇屋が幅を利かしている
しゃぶしゃぶカレーで、まずい・・うすい・・味がない、そんな言葉が次々に浮かんでくる
冷凍のカツやメンチを揚げてるだけである
数十年前店を起こした経営者も何でこんなに大きくなったのか分からないと言う
食い物屋とはそんなもんだから、それはいいのだが、おかげで美味しいところが激減した

喫茶店のカレーライスも美味しかった(とこがある)
そば屋のカレーライスも美味しかった(とこがある)
大衆食堂のカレーライスも美味しかった(ところがある)
牛肉屋のカレーライスもあった
カツが美味しい店のカツカレーは美味しかった
昔のデパートの食堂も美味しかった、ハヤシも美味しいものだ

友人はらっきょを食いたくなったらカレーライスを食いたくなるという
しかし、トッピングばかりでらっきょも真っ赤な福神漬けもない
トッピングにしゃぶカレーをかけたらドンブリだ
そうか、だから牛丼屋でカレーライスがあるのか良く分かったと一人うなづく
例えば洋食屋と言ってる店の洋食と言うのは実は和食なのである
ご飯に合うということが和食の条件だ
だからカレーライスは和食であってほしい、ご飯を美味しく食うための料理である

やはりカレーライスは家で食うものだ
美味しいカレーライスが作れたら、それだけで料理の腕は自慢できる
ジャガイモがそのまま入っていても、人参が大きくてもいいではないか
肉だって所詮ダシである、ルーを入れる前の緊張感は愛情深い人の特技である
小生らの小学校家庭科実習では女子と一緒にカレーライスを作った
何故かグリーンピースを買うのが小生の役だった
何でエンドウ豆と言わないのだろうか
買い物係の小生、グリーンピースがどこに売ってるのか分からなかった
今でも子供にはグリーンピースを入れてやるみたいだ
子供や孫と一緒に美味しいカレーライスが家で食べられるのが家族だと思ってください
そうですよ、お母さん
写真はドングリ
鯵庵(10.19)




by ajiankyoto | 2016-10-19 08:26 | Comments(3)

波平さんの迷文句


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波平さんの自慢出来ない息子カツオのこと
友達の多いことはいいとして、成績が悪いことを人に言われた時、波平さん「成績が悪いのはかつおはまだ勉強する気になってないだけ」と言い返す
名文句でそれを聞いたかつおが「お父さん・・・(涙)」と言う
だが残念ながら、そのことで心を入れ替えるわけではない
子どもが成長しないことは親にとって一番辛いこと
〝勉強が出来る″より先に〝勉強する気を持ってほしい″という方が親の本来の心情に近いのではないか

勉強する気にいつなるかである
勉強は話を聞くことに始まる
多くの子どもたちは仕方なしに学ぶ
だが、学ぶことは苦しい、それはスポーツだって音楽だって同じだ
勉強は苦しいが、楽しいことでもあることに気付かせなければならない、それが学ぶということ、それが成長だ
幼少期から少年期に、思春期を越えて青年期、成人しても勉強する気を持たない人を沢山知っている
そんな人はこれから恐らく老人になっても勉強する気が起こらないだろう
波平さんは勉強してきて東京まで出てこれた人である
だからこそ気づきさえすればいいと言えるのかもしれないが、現実ではあのカツオが最後まで勉強しない大人になる可能性の方が高い

遊びのほうが楽しいに決まっている
勉強する気にならないうちに同じような勉強しない友達が多いということを想像して見ると、ぞっとすることである
あくまでも「子どもはいつまでも子どものままで」と思いたいマンガである
日本を支えてくれるはずだったスポンサー東芝らしい番組でもある
写真はヒョウモンチョウ
鯵庵(9.22)

by ajiankyoto | 2016-09-22 06:24 | Comments(1)

アニメ「サザエさん」の主役はマスオさんである、と言うと一応異論が出る
いや波平だという人もいるし、やっぱりカツオだという人もいる
サザエは所詮狂言回しである、だから、そんなに大した女には作っていない
新しい家族のあり方として”妻の家族と同居する”というパターンを作った
妻の家族との距離感が異様に接近している風潮を先取りしたのがアニメ番組としての成功の基だと思っている
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大阪育ちのマスオさんが一度も大阪弁を語らない
もちろん、博多育ちの波平さんやサザエも博多弁を語らない
東京に出てきた途端に東京に帰化している
徹底的に家族平和を求める家族を描くようになったのはスポンサー東芝の戦略である
数十年も前に始った長谷川町子女史の「サザエさん」という風俗(風刺も)漫画は朝日新聞の販売促進であった
女性原理で家庭を作っていくとこうなりますということが受けた訳である

〝アカンもんはアカン″のやけど、
だからと言ってほとんどの人は、家で言えないようなことを会社でも社会でも言えるはずがないのではないだろうか
家でも会社でも戦わない論理は平和主義の女性原理から来たものである
日本の女性は昔からそんなこと折込済みだったのだ
男どもは甘えて威張ってればいいのに、急に理解のあるようなことを言う
そんな男の相手をすることは日本女性にとって物足らないことなのに、気の利いた女性は決して言わない
今のアニメの脚本では、その役をしているのがマスオさんでありその反対をしているんが波平さんであると思わそうとしている
ただ、マスオさんは磯野家ではない、磯野家の平和には貢献するが、それでは大阪人フグ田家の明日が見えない
せいぜいカツオへの影響力だけだ、その点は波平さんよりは強いだろう
ただ、家でもう一人の母親みたいな男の背中ばかり見せられたタラちゃんは不幸である
かくして男性原理は廃れ、男も女も女性原理的平和主義と平等主義で生きていくことになる

ならばと言うことで波平さんを前時代のがんこ親父に作ろうとしている
が、作中、波平さん自体が出来が悪く軟弱である
小生の友人、口の悪さで有名であったが、口癖が”軟弱やな”であった
小生もやっとわかってきた
会社でやったことのない頑固おやじを家族にやらしてもらうことは軟弱の極まりである
これも女性原理である
フネさんは絶対に主役にならないことを信条としている
だから、家庭調和と言うのです
そのかわり日本女性はこんなものでいいのです、とばかり言っているのです
それでは新しい親を超えるいい女性が育たないのだ
親を超える子供に育たないことを心配している

言いかえれば白物家電の世界です
日本の技術史では、洗濯機も冷蔵庫も必要に応じて出来て来たことを強調しているが、電化製品を家庭に普及させるのは別の戦略がいる
家族は家電製品の進歩に合わせてのみ進化していきましょうねと言っている
原作の持っている風刺と言うものが一切消えてしまった
これが白物家電主義かと思いながら毎日曜見ている
写真は野菜
鯵庵(7.11)


by ajiankyoto | 2016-07-11 07:48 | Comments(0)

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家の中に1円玉が増えると認知症の疑いがあると・・という話をする人の話を前にした
日常生活の中にそれらしき症状が現れるものだから、家族の早期発見が大事なことは確かである
件の講師も、80歳前半の人(もちろん生存者)の大体5人に1人だと言っていた
それでも年齢が上がれば割合は進むことになる
他の手引き書でも、認知症の発症は80才以降の年齢で急に上昇し95才以上までなると大体5人に4人にもなる
深刻な数字である
もちろん、認知症と言っても色々な種類があり、どこまでのことを言ってるのか分からない場合もある
現実に、アルツハイマー型の認知症は認知症全体の半分に過ぎない
その他のものについてはあなたも名前も知らないというのが現実だろう
早期に適切な診断がなされないと適切な対処が出来ないのは当たり前である
気になることの一つに、医療体制の都市と田舎の差である
また、治療法が少ないこともこの病気への理解を浅はかなものにしているのではないか
そんな正確な知識は家族にだって求めるのはほぼ無理である
認知症のことも知りたいし語りたいのも事実だが、この件については明らかに経験不足である
ともかく、こんな深刻なこと、風評だけはやめようと思う
この講師の話で納得できたことも沢山ある
ボケと認知症の最大の違い
認知症の人の最大の特長は「自分に不利なことは一切認めない」ということだった
この言葉が今、小生の中で尾を引いている
本当にただのボケだったらいいのだが・・
余禄だが、講師の話は時節柄テレビで見た東京の政治家のことを予見していたような気もしてる
一気に病気が進んでるが、そちらの方ははたしてどういう診断が下るのだろうか?
写真は愛宕念仏寺の羅漢、ボケないぞと祈っている
鯵庵(6.8)


by ajiankyoto | 2016-06-08 08:16 | Comments(0)

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京都市の「市民しんぶん」に認知症の記事があった
”10年後には65才以上の5人に1人は認知症になると予想されています”とあった
話が始まる
物忘れや散歩で道に迷ったりしただけで、娘が病院に行こうと言いだした
「普通に生活できているのにそんな筈はない」とつい怒鳴ってしまった
病院へ行けばやはり認知症だった、と言う話である

ついでに怒りやすいのもアルツハイマー型認知症の初期症状だとある
「年取ったら誰でも簡単に認知症になるんだから、家族に早く見つけてもらいや」
それだけでいいという気がするのだが、
もう一度同じことを言うが
10年後には65才以上の5人に1人は認知症になると予想されています”というフレーズの根拠が書いてない
5人に1人なら病気として未だかって経験したことのない高率と言える
何故10年後なのか、今55才の人も5人に1人と言うことか?
そもそも、認知症を患う率が5人に1人なのか?
・・・分からなくなってきた
統計と言うものを装っているキャッチフレーズは市民はいただけない
認知症が増えるのは独身が増えてるからではないかと思ったりする
いやいや長生きする人の割合が増えているだけのことではないのだろうか
それなら、(生きている限り)年齢とともに発症率(もしくわ発見率)が高くなりますというだけのことだろう
早期発見が認知症の治癒につながるなら市の健康診断でやってほしい
ひょっとしたら、これから認知症の診断ができるお医者さんを増やしていきますということなのかもしれない
それならそれでいい、その方が大事だ
それほど多い病気なのにしっかり検診出来る専門医は限られる
老人性と病気とは違うはずだ
いくらありふれた病気でも誤診では年寄りは浮かばれない
この頃まるっきりテレビが面白ろなくなった、などとぶったら認知症を疑われるかもしれない
それでも、すぐに病院へ行こうと言うてくれるような家族がいるのは幸せだ
特に、市民しんぶんみたいに気の利いた娘がいればなあ
やっぱり娘だけやなー・・うちの”かかあ”や”あの嫁”では無理やなーと思った人の方が多い気がした
小生のことではないので念のため
写真は新緑、いきいきしてたのは全て昔のことです
鯵庵(6.6)


by ajiankyoto | 2016-06-06 07:20 | Comments(0)