b0355451_16431309.jpg
「日本の暦(2)」に続く
むしろ旧暦時代に太陽暦を学んでいた天文家は占い師以上の仕事が出来た
日食の日を間違ったということで改暦になるぐらいだ
二十四節気もそうである
太陽が一番南下する冬至の日を基準に1年を時間的に24等分したものが二十四節気であり、太陽の位置(地球の傾き)を示すものでもある
二十四節気の1年は太陽暦の1年そのものである

ただ旧暦で言えばは毎年違う日になる
旧暦をたたえるために「二十四節気は旧暦の賜物、旧暦は季節感があっていい・・」などと言い出す
確かに二十四節気(立春・雨水・啓蟄・春分・・・・)は旧暦時代からある
それこそが旧暦が太陽太陰暦と言われる所以である
当初から太陽暦のみであれば、二十四節気は不要だった
月日だけで行けば旧暦では季節感が毎年ずれるから、二十四節気を使って季節感を補っているわけである
そんなものだからなおさら二十四節気(太陽暦)が必要だった
太陰太陽暦(旧暦)を太陽暦で暮らす工夫だったのだから当たり前のことなのだけど・・

この項続く
鯵庵(3.22)




by ajiankyoto | 2017-03-22 09:24 | Comments(0)

b0355451_07481102.jpg
「日本の暦」から続く

暦は科学であり、正しく知ることが生活を楽しむことにつながる
太陽暦は太陽に対する地球の傾きが基本、だから季節を反映できる
旧暦は残念ながら季節や天候を表すのに不都合な暦なのである
が旧暦も、ん千年の科学です
旧暦も太陽を見ている、正しい暦である
それゆえに便利な面もあったのは当然
庶民がいちいち宇宙の真理を知らなくとも暮らせるようにするのが暦である
迷信も一緒に書いてあるのが暦である
だからこそ暦は絶対の権力者のなせるもので、科学そのものでなければならないものだ


ただ占い師でもないのに時々旧暦を引っ張り出してくる人がいる
暦で天候予測は出来ない
が、小生が読んだ本もいきなり「天候不順は閏月(うるうつき)で説明がつく」と始まって、一気に幻滅した
今年は閏月が入るので夏が長いとか、旧暦を知れば3か月予報よりも先が見通せて商売に活かせるなんて話が何となくまかり通ったりする
もう一度言う、1年は365日を基準にする
ただし、400年に97回の閏年(366日)を置く
そうすると400年間の1年は平均365.2425日に極めて近いことが分かる

太陽太陰暦も同じことなのである
19年に7回の閏月を入れながらいつもこの太陽暦に合わせて補正をしているのが太陽太陰暦なのである
ほんわかとした暮らしに旧暦の知識があることは意味のあることだけど・・
旧暦活用の啓蒙を目指すとする一部の本は季節や天候が旧暦なら素直に表せるというどうしようもない勘違いに基づいている
暦には旧暦も載ってはいる
その程度に活用すればいい・・
今日は春分の日だ
春分・秋分に限り「彼岸」という哲学が入ってくる
(この項続く)
鯵庵(3.20)

by ajiankyoto | 2017-03-20 06:00 | Comments(0)

日本の暦

我が国最初の暦は宋(そう)の時代の中国から伝わった
持統天皇(41代・690)の時代である
その後陰陽頭(おんようのかみ)の手により何度も改暦が行われた
初めて日本独自の暦が採用されたのは江戸時代になってからだという
幕府の天文方の手による天保13年(1842)にそれまでの微妙な狂いを訂正した極めて精緻なものであった
それでも改暦のためには朝廷の陰陽頭(おんようのかみ)の土御門家(つちみかどけ)を通してのものだった
これが太陽太陰暦(たいようたいいんれき)の最後になった
それを今、世間では旧暦という

明治5年(1872)になって、新政府は欧米先進国で採用している太陽暦(グレゴリオ暦)を取り入れることを決めた
明治5年12月3日になるべき日が明治6年に1月1日になった
現行の暦である、旧暦に対して新暦と言ったりもする

地球上の人は裏におろうと南におろうと、表の人と同じ月を見ている
月の姿は公平に明確にしかも毎日違う姿を見せてくれる
約29日と12時間で地球と月は同じ関係に戻る
太古の地球人は間違いなく月を見て暦のある暮らしを始めたことは想像できる
同じように太陽と地球の関係も365日と約6時間で同じ位置関係に戻ることを発見した

しかし、残念ながら太陽と月は衛星関係にない
月の周期(29.5)と太陽の周期(365.25)とは約12倍と11日である
ずれてはいるが適当なずれである
月の満ち欠け12回チョットとで季節がきちっと戻ってくる
太陽と地球との関係を基準にすれば文明を暮らしやすいということに(古代人が)気づいたのが暦である
そのことを分かった上で月を中心でも太陽が中心でも自分たちにとって共通に都合がよいのがいいわけである

言われなくとも日本国民全員が暦を知っている
暦は一番の科学なのだ
実生活の中で、今日が何月何日かを知れば暦の9割は知ったことになる
残りの1割は好みでもいい
しかも季節の移ろいもこの暦で十分だ
今年のサクラの開花は3月30日、そうか平年並みなんて台詞は何の換算もなしに十分理解できる
だから星座だって、暦どおりに現れる
あまり上手く行きすぎるので、味がないと言って、そこから始まる神秘性が占いとか迷信の世界だと言う
・・この項続く
鯵庵(3.18)

by ajiankyoto | 2017-03-18 07:08 | Comments(0)

「おさん茂兵衛」落語編

江戸期天和年間(1683)、京都四条烏丸(しじょうからすま)にあった大経師(だいきょうじ)家
そこの嫁・おさんが手代の茂兵衛と不義密通(ふぎみっつう)
丹波への逃避行の末見つかって京で磔(はりつけ)にされた事件のこと
大経師家はその後、幕府によって取り潰しになった
井原西鶴が「好色五人女」に「中段に見る暦や物語」で書いた
それを、近松門左衛門が浄瑠璃の戯曲に書いたのが「大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)」
暦の名ではない、おさん茂兵衛の話である
映画では「近松物語」(川口松太郎作)というのがそれである
b0355451_09383641.jpg
話は脇にそれるのでお許しあれ
この事件を揶揄した艶笑噺を桂米朝がしていたのをネットで見つけた
ただこの話はおさん茂兵衛の事件とは直接の関係はない
この話のおさんはただの表具師茂兵衛の妻だ
壁越しで隣の男と付き合っている
ひょんなことから隣の男の物が亭主茂兵衛の鼻にくっついてしまった
世間にも出られないし、医者に頼んでも取れない
ということで京都の奥鞍馬の大天狗に頼みに行くわけであるが・・
一心に祈る茂兵衛の物がいいので天狗もひれ伏すというたわいのない話である
落ちは「わいのは素惚けや」という天狗の言葉である
小生が言ってるのでない米朝が言ってる

もう一度話が飛躍するが・・
1月中旬の大雪で市内でも14センチの雪が積もった
奥深い鞍馬線の鞍馬駅から見える天狗の鼻が雪の重みでとれたという
そんなニュースを聞いてこんな話を思い出した
張りぼての天狗の鼻では大雪の重みで折れることがある
芯を入れとかんといかんかったんではないだろうかという話である
この落語の落ちで使われた「素惚け」という言葉がなんとも柔らかくていい言葉だ
ボケには「呆け」もあれば「惚け」もある、
人を型にはめて医者の言うまま「〇〇性認知症」だとか言う風潮に比べれば人格が残っているではないか

暦の話や「おさん茂兵衛」の事件のことについてのコメントは改めてします
絵はお土産にもらった鞍馬の佃煮店「京くらま林」の包装紙をうつしました
鯵庵(1.19)

by ajiankyoto | 2017-01-19 08:20 | Comments(0)

昔、招福巻で出てました


b0355451_16492377.jpg
文化には香りが必要だと思う
節分と言うのは新しい年に向けて邪気を払うという素朴な信仰を基にしている。
邪気は鬼であり、福を招くというのは当たり前の気持ちである
節分の行事の基本は豆まきであり、柊(ひいらぎ)の枝と鰯(いわし)の頭は厄(やく)払いである
室町時代から続く風習である
長く続くといえ基本は素朴な庶民の生活感がそこにある
ご馳走は巻きずしでも十分であり、それでもハレの気分を感じる人は多い
昭和の時代になって巻きずし業者は、同じ巻きずしでも節分のそれを〝幸運巻きずし″として広めていた
このあたりから文化の味わいが変わってくる

「招福巻(しょうふくまき)」と言う言葉なら、こちらの人なら記憶に新しいかもしれない
大阪の老舗のすし屋が節分の縁起を担いで考え出した巻きずしである
これに「招福巻」と名をつけ昭和63年(1988)商標登録した
節分とセットで招福巻と言う言葉は近辺のスーパーでもなじめる言葉になっていった
スーパー大手のジャスコが「十二単衣(じゅうにひとえ)の招福巻」と言うのを節分用の巻きずしとして売り出した
平成20年(2008)商標の侵害に関わる訴訟となった
結局、ジャスコ「十二単衣の招福巻」側が勝った
商標権の侵害にあたらないとの裁判所の判断だった
ジャスコが売り出したころには招福巻として既に普通名詞化している・・ということで登録商標であっても商標権の効力が及ばないという判断だった(2010確定)

登録商標は登録者が守らねばならないとされる
〝登録商標って何なのだろうか″と大阪の鮨屋はとっては結構やるせない思いだろう
たとえ普通名詞化されたとしても売り上げが上がればいい
またそうでなければジャスコも招福巻の名前を使わなかったろう
しかし、裁判で勝ったジャスコもその後もう招福巻は使ってない
登録商標を所有してても普通名詞並みであると公に認められたのではゴミ同様である
こちらも使わない
結局、「招福巻」は普通名詞になり損ねたまま、辞書にも載ることはない
一方「恵方巻」は、グーグル検索でも溢れているし、辞書にも載っている
これこそもっと早い目に商標登録しておけば今頃面白かったのにと思ったりする
(この項続く・・かも)
鯵庵(1.18)



by ajiankyoto | 2017-01-18 06:58 | Comments(0)

b0355451_16393175.jpg
暦を開くと、一番先に出てくるのが女神である
名を歳徳神(としとくじん)という、牛頭天王(ごずてんのう)の后とも言われたりする
この女神の居ます方角を恵方(えほう)という
今年、「何人にも吉」の方位はこの歳徳神のいる方向だと言う
江戸時代からある恵方詣で(えほうもうで)というのは、毎年この恵方の方角の寺社をお参りすることを言う
正月の民間信仰の一つであるが、この神様歳によって移動する
今年は丁酉(ひのととり)で、丁(ひのと)の歳の方角は壬(みずのえまたはじん)と定まっている
暦では十干、十二支などを用い、二十四の方向を表す、北が子(ね)、南が午(うま)になる
壬はその23番目で方位で言えば「北北西微北」になる、360度で表現すると345度になる

その方向というのはその年の干支(かんし)の十干(じっかん/甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)によって定まっている
恵方は4方向が5年周期で回っている・・だけのことである
ところがどっこい、この恵方と言う言葉をパクったのが恵方巻(えほうまき)である
節分は暦の上での大晦日である
大晦日に厄払いして正月に恵方参りをする・・その祈りの気持ちを表現したい?ことはなんとなくわからないでもないが・・
どうにも分からないのがその方角を向いて巻きずしを"まるかぶり”するという・・その風習だ
もう一つ分からないのがその恵方の方角のことである
すし商組合や大手コンビニのパンフレットなどにはいずれも大きく「北北西」と書いてある
残念ながら微妙に(7.5度も)ずれている

正しい恵方ではない、方角にも幅があり許容の範囲とは言えるが・・
この場合の方角という観念を16等分の東西南北の表現をしたことが誤り
暦で言う方位は24等分であることを理解していない
陰陽道や日本の暦では方角を大きく12分・24分している
最小単位は360÷24で、だから1単位が15度になる。
むかし、日本の時刻も同じ単位で表していた、24時間で一周した
・・今の時計は12時間で一周するわけだから、時計の短針を30分単位で表現すればいいのだ
だから345度とは11時半のこと、こちらの方が、陰陽道の正確な方位の表現になる

芸術も文化も歴史もいつか大きくデフォルメされていく
コンビニの販売促進というのは所詮熾烈なサラリーマン世界の産物である
ただ、新しいものを生み出す強引さの中にも簡素であっても正しさは大事にしたかった
そうでないと恵方神(歳徳神)も迷惑である
元来、「今年は11時半の方角です」としてた方がコンビ二客向きの表現だったような気がする
世に罪をしないということは大事なことなのだ
方位盤、この間に一つずつ入る、イノシシ(亥)とネズミ(子)の間が今年の恵方になる
鯵庵(1.17)



by ajiankyoto | 2017-01-17 07:40 | Comments(0)

正月と立春


b0355451_10275968.jpg
太陽暦では一番寒い時期に向かって正月が来る
冬至が過ぎた途端に正月である
日本人の潜在的暦では正月と立春が重なるのがちょうどいい
正月を「新春」ということに抵抗は感じてないのに春の気配が無くても平気なのは少し不思議である
それなら太陰暦(旧暦)の方がいいかというと必ずしもそうではない
農耕生活は旧暦の方がいいと今でもいう人がいるがそれはむしろ生活のなれという方がいいように思う

正月は立春から始まるようにしたいのだが・・
立春が含まれる月を1月に定めたのでは、正月そのものが幅が大きすぎる
だから旧暦では立春のほぼ15日の後の雨水が含まれる月を1月としてその朔日を正月とした
雨水は太陽暦では2月19日ごろに当たるので
旧暦の月の真ん中に雨水が来れば、それより15日先の立春が1月の初めに限りなく近づくのである
少なくとも半月ほどの幅でしか動かないことになる

平成29年の立春は2月4日、雨水は18日である
これは太陽と地球の関係だけで決まるものである
その時、月はどこにいるかというと(その月の月が)新月になるのが1月28日(太陽暦)である
だから、太陽暦の1月28日が旧暦の1月1日、正月なのである
しかし、月の満ち欠けで決めた旧暦の朔日である
1日ではあるが立春とは違う

ただ、立春と正月は相思相愛の間柄である
そういうことだから、約30年に一度は立春が朔日になる
それを縁起を担いで朔旦立春(さくたんりっしゅん)という
平成4年(1992)がそうだった、次はなんと2038年になる
なかなかこない・・
太陽暦(日本)では、春は3月~5月に区分される
3月に立春や旧正月が来ることはない
この気候感のズレを楽しむというのが文学である
写真はセツブンソウ(今年はまだ咲いてない)
鯵庵(1.14)

by ajiankyoto | 2017-01-14 12:41 | Comments(1)

中秋の名月(2016)

b0355451_20341765.jpg
今年の中秋の名月は9月15日である
旧暦では7月・8月・9月を秋と、8月15日を中秋とした
月の周期は平均29.53・・日である、もちろん整数ではない
月の初めは朔日(ついたち)である
新月である、その日に月齢0を含む日である
それから14日たったのが15日であるが・・
正しくは14.76日で満ちるわけであり、0.76日分は遅れることになる
その上、月の軌道は正しい円ではないためになおずれることもある

今年の9月1日の月齢は29.7(その日のうちに0になる)、2日は0.7で、15日中秋の名月は13.7となる
16日は14.7で17日は15.7である
月齢とは月齢0(黄経差0度)の瞬間からその日正午までの日数を月齢と言っている
満月は月と太陽の関係(黄経の差が180度)で決まる、その時に日本から月が見えるとは限らない
今年は満月は17日ということになって、満月が中秋の名月から2日遅れてやってくると言うことだが・・実際はそんなこと気にしなくとも遜色はない
そのころはどうせ昼間は月は地球の反対側にあるのだから・・
中秋の名月とは、秋分を含む月(旧暦)の15日(旧暦)に出る月のことである
秋分は9月の22.23.24日のいずれかであるから、その計算で行くと早ければ新暦(太陽暦)の9月7日から遅ければ10月8日の間にくる
秋分の日が旧暦の1日になるか30日になるかで幅は決まる
今年の秋分は9月22日で旧暦8月22日に当たるので旧暦8月の15日がそのまま9月15日となった訳である

地球にとって月は無くてはならぬものである
同じ満月でもこの頃の月の角度と高さが月見にはいいのだろう
あの大きさと明るさに感じるところは多いが、月の引力が人間に影響を及ぼすほどのものではない
しかし、女性には月の引力がまか不思議に働くと信じている人も多い
同じ日でも地球の裏側で見た月より膨らんでくる
そう思えば月の姿は神秘的で、日本全国離れても同じ姿を見れることがロマンチックなのである

旧暦は基本的に月の満ち欠け(月齢)を基本として組み立てられたのもである
ロマンティストには悪いけどついでだから言うが中秋の名月の日は必ず「仏滅」である
何故かって旧暦の8月は前日に関わらず「友引」から始まると決めているのが六曜である
16日は「大安」である、ただ順番に回ってくるだけである
だから旧暦で暮らしていると六曜というのは固定的で神秘性が何もない
明治に暦が太陽暦に変わった時からズレを楽しむために流行り出したものなのだ
主役でなくなった月にあやかろうとしているようなところがある
六曜は単にそういものだということも・・
時に斜め目線の悪態が趣味である小生としては言っとかないといけないと思って言うときます
写真はヒガンバナ
鯵庵(9.13)

by ajiankyoto | 2016-09-13 09:52 | Comments(4)

b0355451_13593802.jpg
京都の地の人は″おしょうらい(お招霊)”さんと発音のする人が多い
いかに招いた霊であっても所詮一緒に長い間暮らすことは叶わない
16日にはまたあの世に送り返す訳であり、それを精霊送り(しょうりょうおくり)と言う
今は音頭の声が聞こえなくなったけど盆踊りも精霊送りでもある
お供えと一緒に川に流したり、松明の火で現世の穢れを清める行事が行われる
各家庭・各町内やお寺や墓地でも精霊送りの行事が行われる
大量に供物を川に流す精霊流しは問題がありとのことで、代わりに京都市ではお供えの処分もしてくれる
もちろん仏事であるのでお寺も引き受けてくれる
それを大がかりにしたのがおそらく室町時代にはあったとされる「送り火」である
送り火が見えるところでは、も一度各家庭のご精霊さんもまとめて送ってもらえる
その上、旅行者も参加できる旅の人にも都合のいい送り火である

今は京都のお盆の観光は「五山の送り火」が代表する形になった
午後8時に東山銀閣寺の上の如意が岳の大文字が点火される
「妙法」「船形」「左大文字」続いて、一番西の奥嵯峨野の「鳥居形」が点火されるのが8時20分ごろになる
そのころはもう最初の大文字は消えかかっている
小生が初めて送り火を見たのは、親に手を引かれ田舎から京都駅に帰ってきた列車の中だった
東海道線はその時まだ蒸気機関車だった、列車が賀茂川鉄橋を渡るころだったかな
眠たいのに起こされたように記憶している
京都駅のあの辺りからも大文字は見えたように思う
ただ、大文字が見えるのはいつも一瞬なのだ

昔(旧暦の頃)の送り火は天気がよければ必ず満月とセットである
山の陰の黒と群青の空の色は明らかに違う
月と大文字と精霊流しの灯りを一緒に見ることのできた昔の人の感慨は想像できない
月遅れで行われるお盆の行事では毎年8月16日の月齢は変わる
この時間に東山に上手く月がかかることの方が珍しくなった
今年の月はほぼ南である
それでも、鴨川堤防から見る大文字は絵になりやすい
今出川橋や丸太町橋あたりまで行けばよく見えるかもしれないが
わざわざ出かけていく大人は少ない
実は燃えているのは15分にも満たないからだ

この一瞬の静寂ゆえに、俗っぽい京都のお盆もこの日だけは侘しさを感じさせられる
五山の火を全て楽しめるのは難しいが、それでも数十分だ
テレビ中継ではそれぞれの火床の周りの人が映し出される
その人たちにとっては行なんだと思う
そうなんだ、それもまた精霊を送る送り火なんだと思わされる
全ての火が消えてしまって京都のお盆が終わる
地上には現に生きている人だけのまた迷い多き生活が始まる
これで盆が終わるのかと思いきや、京都の夏は24日の地蔵盆に向けての準備がはじまる
鯵庵(8.15)

「五条坂の陶器祭り(京都の盆の暮らし方①)」はここをクリック
「京の七夕(京都の盆の暮らし方②)」はここをクリック
「京都の盆は俗っぽい(京都の盆の暮らし方③)」ほここをクリック
「閻魔さんの縁日(京都の盆の暮らし方④)」ほここをクリック


by ajiankyoto | 2016-08-15 15:06 | Comments(0)

b0355451_10313903.jpg

現代の京都の行事に「京の七夕」と言うのがある
有名な仙台の七夕を模しているようでもあるが、この場合の根拠は月遅れ(8月7日)で七夕を楽しもうと言うことになる
祇園祭の行事が終わってお盆の行事が始まるまでの間を狙っている
市はしきりにPRしているが、観光局が主体であるだけに目的が見えているようでもある
数カ所を会場にしているため近所の人やアベックの夕涼みをにはいい
市民にとっては祇園祭も終わり、後はお盆の行事や帰省と言うこと時である
しかしながら、いにしえは七夕も祇園祭もお盆も同時進行の一連の行事だったのだ
そう言われればこちらの方が古式に則っていると言える

お盆に関してはここ京阪地区では月遅れ(8月15日・旧暦ではない))で行う
お盆の行事は13日から16日に行われる、13日夕刻に先祖の霊を迎えて14・15・16日と死者の霊と一緒に暮らす、16日にその霊を送り返すというのが基本的日程になる
この間、殺生や生臭いものを避け仏前に夏野菜を備えたりするのはその気持ちの表現である
ただ、家族の夏休みでもある

明治5年(1872)太陽暦の採用で少しながら混乱が生じた
そのまま新暦(太陽暦)で7月15日をお盆とするところもある
「新暦」で、「旧暦」で、「月遅れ」でと選択肢がある
不思議なことに正月は「新暦派」であり盆は「月遅れ派」となった
お盆は「国民の休日」ではないからだ?
「7月7日の七夕」は新暦派であり、「京の七夕」は月遅れ派であり、「伝統的七夕」は旧暦派である
「祇園祭り」は新暦派であり、「中秋の名月」は旧暦派であり、その中でお盆の行事だけが月遅れ派である
人によっては季節感にずれを感じる人もいるが、それしか知らない人が増えればすぐに定着するものだ

今は企業の夏休みや終戦記念日などの年中行事が密接に重なって帰省ラッシュになるくらい、ほぼ全国的に月遅れのお盆が定着している
お墓や家族が郷里にあればもちろん京都を留守にするのも京都人のお盆である
家族一緒に暮らしたい日本の年中行事であるのも京都も同じである
墓参りを名目にした家族の夏休みであればこそ、どこにいてもお盆が最も仏に近い時期となる
親(先祖)の顔を見に行くのも仏事なのである
写真はほうずき、今年はいい色がついた
鯵庵(8.10)


by ajiankyoto | 2016-08-10 07:20 | Comments(0)