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「おとこ編③/おみそ」に続く
でも、よく考えて見れば給料もらいながらの見習い期間は〝おみそ″なんだよな
もっと言うと半人前の人間だって一人前の給料もらいながら皆と同じように仕事している
サラリーマン社会で給料以上に働くことは出来る
しかし給料分だけ働くことは難しい
それでも、ブツブツ言いながら多くが勤まるのは給料をもらっている緊張感なんだよな
働きにあわせて給料を変えるといったとたん実は緊張感がなくなってしまう
平均値を目標に働くくらいが一番楽しいと誰かが言っていた
ゲームに参加させてやることが何よりなんだとも
ゲームに参加したくない奴は最初から入れるべきではない
そんなことも言っていた
あなたはどう生きる?

今のサラリーマン社会、人事評価が絶対評価から相対評価に変わって、必ず順位をつけて〝味噌っかす″を指名しなければならないなどという
〝味噌っかす″に〝味噌っかす″と言ってしまえば〝おみそシステム″は不要である
仲間に入れないのだから
サラリーマンの年季があけた小生も首筋寒い
現代社会は必ずしも平等ではない。
それは分かっているのだけど・・仕事と遊びとは違うというけれど
遊びの工夫を仕事で活かすほうが上手くいくこともあるやろ
一緒に遊びたくない奴と一緒に仕事しているのが〝しんどいこと″なんだよな
そんな気づき方もあるのではないかと青っ洟(あおっぱな)の味を思い出しながら考えた

まだ続く
鯵庵(7.6)


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by ajiankyoto | 2017-07-06 21:38 | おとこ編 | Comments(0)

通知簿はいやだ

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小生の時の小学校の通知簿は5段階評価だった
1クラスに50人(本当は60人だった)だったから、最高の5を貰えるものは3人くらいだった、4は12~13人くらい、3は20人で残りの15~16人が2の評価だった
教育的お情けで登校拒否しない限り1は2にしてくれていた
それでも相対評価である
3だったら親に怒られることはなかったが、4をもらえたら褒められた
4が複数あれば明らかに平均より上にいることの証明になった
音楽と体育はいつも2だったけど、それは別だった
ただ、先生のコメントに落ち着きがないとか、〝ちょか(?)″とか書かれた
明朗とか活気があるという明るい言葉はなかった
それでせっかくの複数個の4を上手く打ち消していた
社会へ出て社員5人おればそのうち仕事しているのは1人であることに気づいた
あとの3人はその1人に引っ張られて仕事している
それでも、最後の1人は仕事はしない
この1人に邪魔をさせないようにさえすればチームは仕事をしていることになる
これが現実だと

サラリーマン生活の最後の頃人事評価が流行った
会社での評価もA・B・C・D・Eの5段階だった
絶対評価だったから最初はD・Eをつけなかった
評価者自身も評価されるのが怖かったこともある
やがてそれが昔の小学校のように相対評価でなければならないと言われだした
評価制度のメリハリが必要になってきたわけである
どうしても一定の割合でD・E評価を指定せよという
小学校の時と違うのはEは落第(整理対象)なのだ
しかも本人に告知せよという

AやBは好き嫌いで選んだ、そのかわり誰にもEをつけなかった
それでもDの人からはちゃんと見てくれていないという不信感ばかりだった
上からも下からも評価をちゃんとしない管理職として評価された
C評価の上司がC評価をくれたら世間がC評価をくれたようなものだ
仕事をしたいサラリーマンにとっては、それが一番の安堵だ
逆にE評価の上司がEをつけた部下はひょっとしたらまれにみる逸材ではないだろうか?
例え本当に仕事をしているのは5人に1人であってもチームと言うのは全員が仕事をしているという錯覚で成り立っているのだ
毎年こね返されているのが評価制度だ
会社にとって要らないと言うなら、そんなめんどくさいことせんでも社長が一人で決めればいい
理由は規則違反でいい
自分のつけを自分で払えるのは会社では社長だけである

NHKのど自慢はスタート時から絶対評価である
3段階評価なのにカネ1つはもう何年も出さない
カネ1つでもいいかと言えば出てくれる人がなくなってしまったとも言える?
評価制度の行きつく先が見えたような話である
写真はニラの花
鯵庵(9.2)
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by ajiankyoto | 2016-09-02 07:46 | Comments(0)