淳和院と賽の河原


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西院の話の続きである
第53代淳和帝は桓武帝の皇子、第52代嵯峨天皇の弟
譲位の後、離宮淳和院(じゅんないん)で生涯を終えた
現在の西大路四条の交差点の北側一帯にあたる
この淳和院は右京の四条にあったことから西院と呼ぶ
この場合は西院(さいいん)ということでいい
また、このあたりは平安京の道祖大路が通るところでもあった
この場合は道祖(さい)ということになる

平安京は左京が中国の洛陽、右京が長安を模している
桓武帝の世紀の街づくりであったけれど、右京は低地のため早くから衰退した
だから、都のことを左京の洛陽城に例えて洛中と言い、都の外を洛外という
洛という言葉だけが残った
京都の中心は朱雀大路であり、右京も西院(いわゆる道祖大路)あたりまで来ると都城の面影はない
桂川の河原が迫っていたとも言われる
大河は昔から葬送の地である
言い換えれば冥土との境である
三途の川と言ったり、賽(さい)の河原と言ったりする
この場合は賽(さい)である

三途の川とは、悪業をなしてきた人、地獄・餓鬼・畜生という三悪道で苦しむ人が渡る川である
まだ、善も悪も無しえない子供たちもここでも責め苦にさいなまれる
これらを救えるのは地蔵菩薩だけである
地蔵菩薩は右手に錫杖を持ち左手に玉を乗せ三悪道に落ちた救済のために出現する
それが賽(さい)の河原である

長い間の地蔵信仰が京都の街を作っている
都市は、疫病や災害でいつでも地獄に変わる
地獄は見世物ではないし、極楽はこの世にはない
淳和院の後に、春日神社も建っているし、賽の河原の名残の高山寺も建っている
道祖大路の名残を今でも佐井(さい)通りと言う
どうしても「さい」という音が捨てがたい土地でもある
鯵庵


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by ajiankyoto | 2017-03-17 07:14 | Comments(1)

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西院と書いてなんて読むのだ
という会話が時にある
京都で暮らし始めた人にとってはいきなりの疑問だ
阪急電車で京都へ入ると「さいいん」と読む
嵐電に乗り換えると「さい」と読むのが原因だ

阪急の西院駅とこの嵐電の駅を上下でつなげようという計画が進んでいる
「西院駅周辺地域公共交通総合連携計画」というらしい
阪急の西院駅は昭和6年に開設された(新京阪電鉄)地下駅で、今となっては構造上の課題が多い
一方、京福の西院駅は明治43年の開設でもっと古いが幸いにして路面型である
結果として、阪急西院駅東端の北と南に出入り口が新設され嵐電のホームと上下が結ばれるようになる
阪急は乗客の安全性、嵐電は阪急から嵐山への乗り換え客を大幅に増やすことが出来ると見込まれる
ただ、この計画の中に駅名(読み方)を統一しようなどとは書かれていないことを期待する
やはり「さいいん」であり「さい」である

市バスに乗って阪急電車に乗り換えるのは「西大路四条」である
四条通と西大路通の交差点にあたる
市バスには西院という地名のバス停はない
西大路通は市電道である
四条通の市電は四条大宮から北上する
因みに四条大宮から松尾橋までは無軌条線(トロリーバス)だった
そんなことで市電線の名前を引き継いでいるように思う
もしくは、そういうややこしさを避けて中立を保ったような気がする
いずれにしても駅名だけでも100年近い謂れがある訳で、疑問提供として今のままでいい
地名(住居表示)は一方的に西院(さいいん)である・・
なお、その西院の歴史を遡ったコメントは次回以降にします
鯵庵(3.7)



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by ajiankyoto | 2017-03-07 08:03 | Comments(0)