人間は、特に庶民は統計の上でなど生きていない
この老後というカテゴリーでくくっても、中には別荘を買った人もおれば、それでなくとも500万円の車を買った人も、1000万払って世界一周の旅をした人も含まれる
いいんだよ・・ただはっきり言って統計の中に入ってほしくないのだ
月25万円という夫婦所帯の平均支出と言ったってところで、平均とは何の意味もないのである

小生の先輩は1戸建て自慢の家を処分して、介護付きの養護施設に入所した
一生そこで暮らせるかもしれないが、帰るとところがなくなった
それは離婚した奥さんも同じことだろう
結果として介護を社会に頼むことによって家族は大きな資産を失った
都市住民の唯一最後の財産は家だし、最後の買い物は老後施設だろう
やっと自分の家を売って施設に入らねばならなくなってもったとしてもだ
それでも国の統計では支出も収入も平均をはるかに超える幸せかもしれない
老人の不動産処分にひょっとしたらバブルの再来を期待する不動産屋だっているかもしれない??
ただ、くどく言えば都市と田舎では大きな差がある
老後破産や、生活保護という反対因子も浮上してきている
人生はここにきてセーフかアウトの二つしかなくなる
離婚や病気はセーフからアウトへ変わるきっかけにもなる
それでも基本的な医療や介護制度は円熟してきている
ただ、介護を受けるための単価は今後も少し進めば暴騰するだろう

老後に収入を超える生活は出来ないのは当たり前だ
年金生活をするということはそれぞれの隠遁生活をするということなのだ
娑婆(しゃば)にありながら娑婆の消費生活から離脱することだ・・
それでないと暮らしていけなくなると気付くべきだ
隠居だと思っていたら隠遁だった
なまじ予定より長生きすればなおリスクが増大する
アウトかセーフか毎回ベースを踏みながら生きていけと言う警告だと思うべきではないか
鯵庵(9.20)

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by ajiankyoto | 2017-09-20 11:33 | 往生 | Comments(0)

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往古、京都に都が出来たころ庶民の多くは自然葬(風葬)であった
京都に火葬場が運営されたのは明治になってからで東西両本願寺の運営であった
それが市営の火葬場の前身である
現代は都市では人の屍(しかばね)は焼却しなければならない
従って、焼却してからの措置を埋葬(まいそう)と言う、埋葬は墓地でなくてはならない
今の自然葬(しぜんそう)と言えば散骨(さんこつ)のことを言うのが多い
墓地以外のところへの埋葬(散骨)することも、秩序的・衛生的であれば宗教的儀式として許される
ただし、遺骨を細かく砕くなどの配慮が必要である
何よりも、散骨には明確な動機がなければ後ろめたいことになる
そんなことから、自然葬としては散骨より樹木葬(じゅもくそう)が増えそうだ
お寺が墓地として許可を得る、墓石の代わりに樹木をシンボルとする、土中に埋葬するのだから、そのまま現代の法体系に合う方法でもある

小生の長男は東山花山で灰になり、そのふもと、いつもたむろしていた円山公園に隣する東大谷で、親鸞の廟の土の一部になった
世に何もなさぬままの命を石碑に名を刻むまでのことはない
が、その代わり毎日、全国から墓参りに来た人が息子の分も祈ってくれる
長男のいない辛さは齢とともに深まってくるが、哀しむのは我々夫婦だけのことだ
立派な御廟の樹林の土の一部であればむしろ永遠だと思える
小生らには樹木葬も今始まった話ではない

いかな京都でも観光寺院としてやっていける寺院は少ない
土地を売ったり、幼稚園を経営したり、墓地や駐車場の経営をしている
新たに納骨堂を建てて墓地のマンションと言うのもあるが、
インターネットで墓参りが出来るなんてついつい世間と同じで無機化しすぎてしまう
それほどの土地も持たない寺院も樹木葬なら墓地の経営は出来る
樹木葬と言うのは合同墓地だから、庭の一角を整備すれば出来る
お寺の庭を墓地として樹木葬を進めていこうというのは有効な戦略だと思う
これからは大きな霊園を作って、これ以上石屋ばかりに儲けさせることはない
その気になればお寺そのものが経営出来る手法なのだ

本来は経営の問題と捕らまえるものではない
しかし、各宗派の本山は京都に集中している
拝観謝絶ながらある寺院では既にペットの霊園を営んだりしている
本山であってもそれぞれの塔頭寺院や寺内寺は独自の宗教経営をしていかなければならない
合同墓地や樹木葬と言うことになれば新しい檀家(固定客のこと)を持つことと同じである
しかも、拝観謝絶(拝観すべきものもない?)の寺院で(合同)法要に参加できるなら、京都観光に優越感を感じることも出来る
それなら息子も娘も孫も来てくれるかもしれないと思えば自分の墓作りに希望が出る
なんたって京都(みやこ)ブランドは有利でもある
京都ブランドが現代の都市移民である世代の役に立つかもしれない言う訳である
写真はシオカラトンボ


(場合によっては続く)
鯵庵(29.7.10再掲)




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by ajiankyoto | 2017-07-10 18:32 | 後生 | Comments(0)

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墓守の仕事に興味を持ったのは、第3の仕事を求めての話であった
実はハローワークを通じて初めての面接だった、樹木葬の企画会社だった
面接の後すぐに丁寧に断られた、1年も前の話である
詮無いながらもそういうことにも勉強させていただいた
埋葬(納骨)の形は様々であるが、ここの遺骨はお寺の庭で手厚く祀られる
大きな石の墓標はないが、寺の中である、本物感?はある

一番いいことに、墓の将来(死後の姿)を容易に想像することが出来る
だから、自分用に生前に購入する人が増えている
墓参りもしてもらえない墓が、全国に何十万基いや何百万基とある
今でこれなら、我らの世代の次の世代になれば先祖代々の墓はほぼ無縁仏状態になるかも
ならば、負担にならない墓でないと子孫に恨まれるということになる

本山の塔頭寺院だから、年に何回かは厳かに法要も営んでくれるし、友の会もある
そうでなくとも新しい住人が増えてくることは事実だ
しかも、観光客では入れない・・ブランド志向にも対応できるわけである
それはさておき、もし採用されておれば私の仕事は何だったのかと言うと・・
お客の案内をする運転手と墓掃除である
古風に言うと墓守(はかもり)だった
小生の自分ことは既に心に決めている
だから、自分の墓の守をしようと言うのではない
人の墓を守するというそのことに憧れて応募したのに・・
・・である

採用されることはなかったけど、いい企画だと思っている
京都の寺院型の樹木葬は都市移民の我々の世代にとっていい落ち着きどころになる
どのような状態であっても、骨は自然のバクテリアのおかげで数十年で土と水となる
樹木の栄養となってもいいとさえ思えば、死後落ち着ける環境である
樹木の栄養になってもいいとさえ思えば、死ぬまで落ち着けることもある
小生も落ち着いて営業と墓守をしていれば、いい罪滅ぼしになったのにと、今でも残念に思っている

(この項続く)
鯵庵(29.7.8再携)

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by ajiankyoto | 2017-07-08 20:08 | 後生 | Comments(0)

墓との距離が問題だ

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田舎にある先祖の墓を何とか自分の近くに持って来たい
ところが墓を移転(※改葬)するということは結構大変なことである
親がいて正月や盆あるいは彼岸に帰省するところがあればありがたい
しかし、自分が田舎を捨てて親もいないとなれば田舎へ帰るのは墓参りと言えど辛いことである
先祖の墓と自宅との距離が問題になる
それゆえか無縁仏が増えている、墓参りしなくとも墓の所有者がはっきりしていれば無縁仏ではない
墓地の運営者が正式に無縁仏とするには改葬の公告をしなければならない
それも手間のかかることである

国の調査では出生地に住み続けてるいる人の割合は2割以下に減少している
もうこれ以上に下がらないかもしれないが、その大きな原因が都市移住と人口減少である
その残りの7割・8割の人の中で新しい墓を持つことがここ数十年続いてきた
墓地を分譲(土地は所有しない)する形の霊園が今までの主流であった
今でも条件のいい霊園墓地の競争率は高いけど、一方でそこでも無縁仏が増えている
評論家は都市移住の問題より今は未婚化の方が影響しているという
人間、子が出来て孫が出来てはじめて先祖のことに思いが至る訳である
でも残念ながらその子に墓参りする姿を見せていない
生きてるうちに自分の墓を作ったって同じである、そんな墓に参るのを子供に見せても感動はないだろう
人間の終わりは骨である
石の墓を持てる限りは生きた記念碑が欲しいというのが信仰になっている

田舎へ行って菩提寺にええかっこして墓地の改葬をしたい、と言ったら何百万も要求されることもある
何百年の清算と縁切り料である
そうでないと墓地管理者としての改葬の承認状を発行してくれない
改葬は法律に基づく手続きであるからだ
それならどうすればいいか?新しく自分の墓を作るのが手だろう
ただしそれは永久に改葬の必要のないところに・・
樹木葬については以前に何度か書いた参考にされたし

先祖の墓も守しないで自分の墓を持つのは先祖や親に大不孝だと思う人はやめたがいい、納得ができなければいくら作っても記念碑にならない
だから今あなたの心の隙間を埋めるように多くの自治体やお寺が合同葬を進めている
都市で子供のない人や未婚の人たちをターゲットにした営業戦略に変更をしている
自分の墓を守してくれるのは自分の子供達だという一番大きな信念が崩れつつある
そのことを知って選ぶべきである
守をしてもらうのでなく孫にも会いに来てもらえる墓を選ぶべきであると思うのだが・・
これからは結婚しない人にも優しい墓でないと流行らないと思う
いずれ魂は気化して残るのは土と水だ、都会の人は都会が墓場だ
写真はキク
鯵庵(9.18)

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by ajiankyoto | 2016-09-18 18:00 | 後生 | Comments(2)