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シルバーの特性三つ
一つ踏みつけられに強い
一つ融通がきく
一つ擬態がきく
さすがに若いものにないものがある
使い方次第だね

それはいいがシルバーの辞め時3原則
一つ、周回遅れ
一つ、逆行または方向違い
一つ、まんだら惚け
結局はボケか

そういうけど、何や・・現役の時と同じやんか
違うのはばれやすくなってきた
それをどうごまかすかだということで
↑ここで最初の行に戻る
鯵庵(30.10.22)
写真は京都下立売千本西入ル勝厳寺の見返地蔵

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# by ajiankyoto | 2018-10-22 07:39 | 翁草 | Comments(0)

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二人連れしてバスを待つ
来たバスの運転手に道を聞いている
バス停に自転車がおいてある
バスが行ったら自転車に乗って行ってしまった
何だったのか?
鯵庵(30.10.21)

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# by ajiankyoto | 2018-10-21 09:10 | 偽装 | Comments(0)


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沢田研二70才のコンサートがドタキャンになったとテレビで言うている
テレビで見ると、この頃はますますむさくるしい感じる風貌だ
しかも、白髪頭の年寄りにしては眼に力がありすぎる
もちろん彼は歌手であり、役者や俳優ではない
20曲も30曲も歌う舞台を今でも出来る

実は・・彼は京都の地が生んだ英雄なのだ
当時の京都の風土が彼に乗り移って・・彼こそがグループサウンズの最大のスターなのだ
しかも、スターのまま今に至ってるのである
音楽というものが才能であることを我々はあの時ぐらいから知った
作曲家も作詞家ももちろんも演奏家も同じである
一人の才能によって新しいものが作られていく

ただ、50年前は音楽は生活とはかけ離れたものであった
ロカビリーがはやった時もグループサウンズがはやった時も
モンキーダンスと同じく、実際は世間の枠外だった
音楽は若者にとっても間違いなく勉学の妨げになった
そのことを承知で音楽の世界に向かった人のほとんどがその後やがて普通の世界に帰ってきた
その内、わずかな人が今も趣味で音楽を奏でている
不良のまま大人になることは難しい時代だった
プロになって帰ってこなかった人も確かにたくさんいるが、成功できた人は極めて少ない

当時の人の中で最大の成功者(スター)が沢田研二なのである
小生も"枯れたタイガース"より"枯れた勝手にしやがれ”の方が好きだ
それは彼個人の一人拗ねた音楽的才能によってである
だからこそ、我らは彼が最後まで昔の高校生のような骨のある不良であることを期待している
ただの紳士になったのでは不良のダンディズムに反するのである
落ちこぼれが不良になったのではない・・

ドタキャンぐらいで世間に媚びたのでは面白くない
彼のぎょろ目はいつまでも反抗的でなければならない
当時まだ一地方都市である京都が持っていたスピリットの一つなのだから
鯵庵(30.1019)
ナショナルはナショナルでいい

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# by ajiankyoto | 2018-10-19 08:36 | 京都の水 | Comments(2)

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京都の名菓に"八つ橋"がある
人気があって多くの店が作っている
ここ数十年においてはその生の生地に粒あんを挟んだものがヒットしている

例えば「おたべ」と言い、例えば「聖(ひじり)」と言い、例えば「夕子」と言い、例えば「あんなま」と言いまた「なまやつ」と言ったりである
京都の八ッ橋商工業協同組合には14社も参加しているし、それ以外にもアン入り生八つ橋の商品は多くある
料理やお菓子には特許はない

数年前に京都大学が『私たちはお土産にどの八ッ橋を買えばよいのか』という情報工学的?な調査論文がネットに載っていた
調査結果の中で
「誰もが知っている京都の代表的なお土産である八ッ橋の中でも一味違うところを見せつけていきたい人は仁王門通り○○堂の八ッ橋を・・お土産として買って帰られるのがよいのではないか」と言っている
いかにも工学的な表現で内容の割に非文学的なところが面白い
ここなら自転車で買いに行ったり途中に寄るのにはちょうどのところにある

私は今時の学生や科学者の味覚を信用はしていないが・・
共栄堂は山科が本店だった
鯵庵(30.10.17)

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# by ajiankyoto | 2018-10-17 09:36 | 都市 | Comments(0)

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京都の寺は今、フヨウの花が盛りである
あるいはフジバカマ、あるいはシュウメイギク
しっとりと落ち着いた季節である
ちょうどこの10月は浄土宗寺院の大公開をしている
普通のお寺が・・公開されるということだが
多くは普通のお寺は普通である
特別というほどのことはない
ただ、地蔵菩薩を拝める機会があるかもしれない

浄土宗の本山の一つ百万遍に足を延ばした
門前、門内には多くの店が出ていた
「手作り市」で多くの老若、女ばかりで賑わっている
その傍らたまたまながら、端正な地蔵尊を拝むことが出来た

この百万遍知恩寺は元来開放的なお寺である
隣の京大の舗道の立て看板がなくなってすっきりしていた
鯵庵(30.10.16)

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# by ajiankyoto | 2018-10-16 09:44 | 地蔵菩薩 | Comments(0)


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子供も夏休みは氷屋を待つのが日課だった
氷屋にしても午前中の仕事である
むしろをかけた氷も暑い日には融けだす
氷のある生活といえば、それまで高貴な方にしか味わえないものだったのだから
明治になって製氷技術が進んだことの恩恵であり
主婦にとってうれしいことだったに違いない

父は家で冷えたビールが飲めた
私ら子供にとってはスイカやトマトの味である
トマトもモモもリヤカーで売りに来ていた
ケツがまだ青くてごつごつしたトマトが記憶に残っている
都市暮らしをしていたが日本の農村がすぐ近くにある生活だった
村から出てきた都市住民の多くが農村を近いものと感じていた

トマトを冷やして食わせてくれた父母がまだそこにいた
これも田舎から来た我が母の思い出の一つである
鯵庵(30.1015)

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# by ajiankyoto | 2018-10-15 09:12 | 家族 | Comments(0)

手に持っている間は覚えている
手から離した途端に忘れてしまう
物忘れの兆候かもしれない
いやそういうものだよと教えてくれるのが嬉しい
それがわからなくなった時がやめ時だろう
鯵庵(30.10.13)
写真は王城地祭地蔵(21番/洛陽48願地蔵・京都寺町通今出川上・仏陀寺)
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# by ajiankyoto | 2018-10-13 09:00 | 地蔵菩薩 | Comments(0)


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明治以前にはなかったものだけれど、町内の店(商売)でなくなったものに氷屋がある
昭和30年代の町の暮らしには冷氷庫(れいひょうこ・本来の冷蔵庫である)があった
冷氷庫は木製にして2段になっていた
前面や扉には銅版をはってそれなりに豪華なもので玄関を入ったところにおいていた
玄関や土間におくのは理由がある
上段に氷、その冷気で下段の食品を冷やすのである。融けた氷は水になるからである
氷屋がリヤカーの自転車に乗せて運んできた氷の塊を1貫目(3.75㌔)から2貫目くらい注文の大きさに大きなノコギリで切ってくれる
昭和40年代後半になると家庭にも電気冷蔵庫が流行り出した
三種の神器(さんしゅのじんぎ)と言われた
テレビ「サザエさん」に出てくる電気冷蔵庫は昭和50年代の製品である
その時にはもう氷屋さんは急激に減っていた
電気冷蔵庫が氷を作れるようになって、冷凍庫が当たり前になり、ドアの数が増えて、どんどん機能的になって行った
30年代に何千件もあったようなあの時の氷屋さんはその後どこへ行ったのだろうか
鯵庵(30.10.12)

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# by ajiankyoto | 2018-10-12 09:12 | 翁草 | Comments(0)

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コンビニはなじみ深いものになってしまった
日本型コンビニゆえの成功だと思う
スーパーとの最大の類似性はレジであるが最大の違いはレジでもある
コンビニのレジが最近新しくなっているのを気づいた方も多いかもしれない
都市型のコンビニはレジの数が2~3台が平均だ
レジ1台当たりの売り上げは20万~30万円だという
それで店の売り上げは60万円/1日当たり
その程度になれは平均より少し上を行くかもしれないという

三条のコンビニオーナーの娘でレジ主任のキク女史の店はレジの数は3台であるが
常は2台で、残りの1台をどう使うかで客の流れが変わるという
もちろん客がレジに並んでから空いたレジを開けるのでは遅い
並ぶ店に喜んで行くくせに、コンビニでは並んでも何のメリットもないと客は信じている
そんな客が1日に1,000人近くも来るのがコンビニである
レジが混む理由はいろいろあるが、理由にかかわらず客はいらだっている
しかし、こういう平均は個別には何の参考にもならない

アルバイトの女子の中には教えてもレジは勤まらない子もいるという
キク女史は1か月もあれば気の利いたレジ係を育てることができるらしい
現金を触る限りいやらしいことが毎日起こる
自分はオーナーの娘である、そのことと同じように彼女を妹と思うようにしているらしい
確かに店員が持っている「気」というものが商売の勝敗を分ける・・

ついでながら(小生は素人だけど・・)繁華街の中にありながらゆったりと自転車を置けるのが繁盛の理由だ、と思っている
鯵庵(30.10.11)
写真は佐川急便の配達用自転車
クロネコよりスマートであるので、鯵庵のグッドアィデア賞をおくる
こういうことが大事なのである

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# by ajiankyoto | 2018-10-11 08:08 | コンビニ | Comments(0)

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各町内には和菓子屋もあったけど駄菓子屋もあった
子供は駄菓子屋、お使い物は菓子屋
御祝い事や祭りがあれば仕出し屋の鯖寿司や御膳
毎日のおかずは豆腐屋の揚げと豆腐
風呂屋もあったが、酒屋もあった
量り売りの酒が立ち飲みの起源
それでも魚や野菜の行商人も商売ができた
何もかもが京都で暮らす町内の人々の暮らしのサイクルに必要な店が町内単位であった

町内が食わせてくれたというのはそのことだ
まず駄菓子屋が潰れ仕出し屋が潰れ、酒屋が潰れ、豆腐屋が潰れている
その一方で旅行者がこんな裏通りにも溢れている
そのくせ町家や老舗が好きな市民が多いのか、旅行者と同じ店に行く
おかげで空き家が民泊になって、インバウンドが町内を歩く
京都市民は不思議だ、家だけでなく京都の魂を売り食いする市民がいる
鯵庵(30.1010)
写真は京都・浄福寺の浄土引接地蔵尊
引接とは阿弥陀如来の来迎引接のこと

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# by ajiankyoto | 2018-10-10 10:03 | 偽装 | Comments(0)