桃太郎

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何が日本の少年たちの願いだったのだろうか

今と違うのは仲間と遊ぶことに飢えていたことだと思う
だから、次々に知恵が湧いて出てくるわけである
独り遊びでは、限界がある
そもそも独りではリーダーになれない
二人でも三人でもいい、三人寄れば一つの軍であると、三国志は語る
劉備を兄として三人の義兄弟の契りができる
艱難辛苦のはて劉備玄徳が蜀の国の皇帝になるまで三人の血盟は続く
悠久の中国を舞台に雄大な遊びの物語が完結したような印象を受ける

子供の頃、体は大きいが同じく〝あおっぱな″を垂れた餓鬼大将がいたが、それでも同じことである
遊ぶことを真剣に考えた結果、自ずとそのガキ大将にみなついていったのである
遊ぶという同じ目的の元に集合して、より楽しくするための仕掛けである
それがガキ仲間のリーダーだった
ついていったからとて不足はないし、工夫次第ではいつでもリーダーにはなれる・・わけである
それは、遊びだからでもある
小生は言う、その時に訓練しておかねばならなかった

三国志と比するのはおかしいけど、桃太郎はイヌ・サル・キジを連れている
明らかに親分・子分の間柄である
それは黍団子(きびだんご)を与えるということで、鬼退治は主人(?)桃太郎の目的である
見返りが黍団子とは限らない・・それは金銭であったり、出世であったり、たとえば庇護や保護であったり・・自分が必要とするものを得るために結んだ関係といえる
あるいは昔のやくざの関係かもしれない

イヌ・サル・キジにだって明らかに遊び以上の仕事感が存在する
実はこちらのほうが表社会でも裏社会でも、実生活の9割を占める関係だと拙者も思う
結局こちらのほうを大事にしなければほとんどの人が生きてゆけない
鯵庵(31.2.22②)



# by ajiankyoto | 2019-02-22 20:36 | おとこ編 | Comments(0)

鞍馬天狗

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何が日本の少年たちの願いだったのだろうか
子供の頃の遊びは色々あった
単純だけど知恵はあった
遊びに対する知恵は結構鋭く独創性もまんざらではない
要は皆が貧しい時代だった
教育も満足ではなかったが、何より食べるものも豊かではなかった
青い塩辛い鼻汁を覚えてる?透明な水っぽい鼻水ではない
味のある“はな”なんです。

親が編んでくれた毛糸のセーター(そうです、毛糸は編むもんで、買うものではないのです)の袖が洟をこすり付けてテカテカだった
“あおっぱな”は栄養に問題があったなどという学者がいるが、学者でなくともそんなことわかってる
当時栄養に問題のない子など我々の近くにはいなかった。
話は横道にそれてばかりだけど、子供の遊びに関しては貧乏も栄養も関係ない
要は遊びにも飢えていた
後は知恵とリーダーの存在だった
上手く続けられるかどうかは分からないが、おとこ編と題して少し言わして・・

鞍馬天狗の映画を見たのは半世紀以上も前である
嵐寛寿郎(あらしかんじゅうろう)だった筈である
このイラストより色っぽかった
勤皇(きんのう)も佐幕(さばく)も分からなかった
鞍馬天狗もどちらの味方かよく分からなかった
大仏次郎(おさらぎじろう)の小説では覆面などしていないが、結構複雑な男だった
ただし、目元清し(めもとすずし)とある

幕末のあの時代にフェアーないい男にだけ味方する男だった
大仏次郎は〝そんな奴居るかぁ″を書きたかったのだと思っている
鯵庵(31.2.21②)

# by ajiankyoto | 2019-02-21 11:49 | おとこ編 | Comments(0)

雨水(うすい)の頃


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2月19日は二十四節気の雨水である
この時は”あまみず”と読んではいけない
立春からほぼ半月、その分温かくなまっていた体が動き出す
ほぼ施設のお泊りに慣れてきた田舎のババ(家内の母)から電話が来る
「なにもせんでもいいのか」
「おばあちゃんもうなにもせんでもいいのだ」と言うと
「百姓は今日することを延ばしてはいけない」と言う

田舎の百姓作業もずっと昔から共同作業になって勝手に何かすることはない
その共同作業にすら20年も前に来てくれるな(定年)と言われた
自分の畑を作るのは勝手だが、それが今「道の駅」に出せば金になる
隣の家も隣の家も元々兼業農家だったから・・
今は逆に年金を超える収入があるという
日本の農民は勤勉だからもう「雨水」の頃には動き出す
だから気になって仕方がないのだ

やっと施設に泊まれるよう進めてきたのである
何とか施設に馴染んでほしいと思っている
「もう百姓仕事は無関係だ」と言おうとするが、それが理解できない
電話で言い含めようとしても喧嘩になるまで続く
もちろん認知症が進んでいる
初歩だと初歩だと言っているうちに本人は時に30年位は話が戻ってしまう

今でも、畑に出るのが嬉しいらしい
家内にも、野菜作りをやめるように言っているがなかなかやめない
そう思えば米作りから野菜作りまでプロだった母親がきっぱりやめられるものでないのは分かる
ただ、もう何も出来ない
一人で出来ないことをするということはそれなりに迷惑になる
小生はそう言うが、そこまで言われると実の娘である家内には辛いことだろう

思うに日本の農業はそうやって進化しそうやって滅んできたのだろう
老人は現代の農業生産に関与していない
仮に、そのような姿を見るとしたらそれは道の駅農業であり家庭菜園である
田舎の家庭菜園は単にじいさんばあさんの小遣いになっているのではない、家庭菜園農業なのである
家庭菜園のビフォアーが「道の駅」でアフターが「老人施設」である
もう一段認知症が進めば完全にアフターである
だから、畑が気になるとディサービスも泊まりも行かないとごねるのである

田舎の共同作業も数年前から株式会社制度になっている
お彼岸の頃には株式会社の大きなトラクターが動き出す
何もかも数人の達者な人(老人が多い)のみがやってしまう
何にもせんでもいいのとは違う、何も出来ないのだ
田舎にいて、誰も百姓仕事に手を出せなくなっている

畑仕事は季節とともにある
なのに季節と関係のない辛い生き方だけが残っている
鯵庵(31.2.19)

# by ajiankyoto | 2019-02-19 08:51 | 家族 | Comments(0)

キンカンの皮

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ミカンを食って皮が残る
その皮を干しているのを見る人も多い
お風呂に入れるという人もいるだろう
昔はこうして入浴剤を作っていた
有用である
「おばあちゃんの知恵袋」と済ましてはいけない

漢方では、ミカンの皮を干したもの、これを陳皮(ちんぴ)という
ミカンの皮には、ポリフェノールの一種、「ヘスペリジン」や「ルチン」が含まれている
ミカンの皮、そのものをジャムにしたりというのもありである
が、若干そのまま食うのは不都合が多い
そこで、この成分を直に吸収できるのが、皮ごと生食することの出来るキンカンなのだ

キンカンは今が旬、梅の花の時期はキンカンが実る時期でもある
一般に出回るキンカンはニンポウキンカン(寧波金柑)という種類である
キンカンは中国原産であるが、日本へ入って来たのは意外と新しく江戸時代文政年間(1826)のことらしい
今は宮崎、鹿児島が主な産地である
特長は、皮に渋みが少なく生でも皮ごと食えることである
のどによいというのは知られるところだが・・
「ペスペリジン」というのは、ビタミンPとも言われる
主に、毛細血管の強化作用が認めれれている
血流改善、中性脂肪の低下、コレステロール値の改善、抗アレルギー作用・・・・云々の効用
メタボ系には懐かしい単語が続く

クックパッドにもキンカンの利用法はたくさん載っている
沢山手に入れば、色々工夫するのがいいが
生食向きの熟した大粒キンカンはやはり生で味あうのが一番いい
皮を食う果物である
小生(メタボ系)は生で食っている
何故か俳句ではキンカンが秋でミカンが冬の季語になっている

この時期の果物屋は意外と賑やかである
鯵庵(31.2.18)

# by ajiankyoto | 2019-02-18 18:20 | 野菜主義 | Comments(2)

ちょろいもんだ

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世間はテレビだと思っている人がいる
テレビやテレビコマーシャルばかり見ていたら
きっと人生なんて楽しいことばかりだろうね
そりゃー心地よいことが一番だけど

いつか
あんな仕事がしたい
・・・
運転しなくてもいい車が欲しい
髪の毛も増えるし
少しの勇気でキレイになる
スマホは乗り換えなければ損をする
歴史はゲームで勉強できる
ゲームで出会いも、愛も得られる
ヒット一曲一生食える
戦場へ行く間もない戦場カメラマン
老人施設は極楽に近い
幾つになっても生命保険に入れる
テレビではニュースのふりして宣伝をしている
スポーツ番組は放映権を買ってしまった後始末だ
インフルエンザだけじゃない病気にだって流行がある
他ほか
へー?今年の就職は売り手市場だったなんて

テレビは都市(まち)や田舎(いなか)もない
あんな暮らしが出来る
あんな人生が私に出来る
人生なんてちょろいものだと思うだろうね
他にも罠はたくさんある
老いも若きも・・・・
鯵庵(31.2.11)


# by ajiankyoto | 2019-02-11 15:00 | テレビ | Comments(0)

桃の滴(もものしずく)

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松尾芭蕉が京都に寄ったのは江戸期の5代将軍綱吉の時代(貞享年間1685)のこと
俳諧で馴染みであった西岸寺の上人との邂逅を果たした
この寺なり、俳諧集「野ざらし紀行」に記述がある
「我衣(わがきぬに)に ふしみの桃の しずくせよ」という句碑もここにある
江戸期の伏見の街はこのあたりが中心だったと思われる
北は大手筋、南は伏見港、ここは油掛(あぶらかけ)通りと言われる
その京からの街道(竹田街道)の交差点に駿河屋という和菓子屋がある
明治・大正時代は・・そこらが日本最初の営業電車・京電の終点だった
その隣が西岸寺だ、油掛け地蔵がある

大坂へ下る伏見港を目の前にして伏見最大の繁華街であったはずだ
伏見の町は江戸政権の誕生で直轄領として大坂に並ぶ最大の商業都市であった
伏見は桃山である
小生らは今でも伏見城のことを桃山城と呼ぶ
安土に継いだ時代は桃山時代である
それが、大阪へも行かず、京にも戻らず、江戸へ行ったのである

それでも京の洛中・洛外には数百軒の酒蔵があった
伏見は洛外でもあったが、この地そのものが渡来人秦氏の持っていた酒造りの技術がベースになっている
伏見の港は京の酒を大阪や江戸に積み出す港でもあった
特に江戸期は伏見港と豊富な地下水で酒造りが盛んになった・・とある
伏見城のあった山は桃山と呼ばれる
今は、桓武天皇と明治天皇、平安京ゆかりの帝の御陵でもある

小生、俳句も芭蕉も詳しくはないが・・話を芭蕉に戻す
「桃の滴(もものしずく)」という銘の酒がある
その名は先ほどの芭蕉の句によるという訳だ
伏見城が廃城になって後に桃の木を多く植えたから桃山というと書いてあるものがある
が、小生、後先が違うような気がする
むしろ、秀吉は桃の木の山に城を築いたのではないだろうか
それは、都を望む桃山の桓武帝の御陵であった
秀吉は桓武帝の御陵に重ねて自分の京都支配の城を築いた、というと個人的仮説を持っている
都から見て御陵の山は桃の山であったのではないだろうか・・
芭蕉が伏見へ来たのは晩春であった、桃の花盛りを目にしたのだろう

伏見は桃山からの地下水で酒造りをしている
季語は桃であり、時期は新酒の美味しいころである
伏見の酒のことを”桃の花のしずく”と詠んだのではないだろうか
という二つが個人的仮説である
あわせて「桃の滴」はずーっと後に単に伏見の一酒造会社の銘柄に用いられた
鯵庵(31.2.10)

# by ajiankyoto | 2019-02-10 19:38 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

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もう観光地京都を見てしまって、見るとこがないと堂々と言う人が増えてしまった
京都嫌いは構わないのだけれど、市民にしてみれば見てしまったと言われるのはつらい
大したおもてなしも出来ないけどそれじゃうち(我が家)へ泊まってくださいと言いたくなる(言いたくなるだけ)
見るところがないというけど、見るべきところは何処だったのでしょうね

京都はすでに観光客の数には不自由していません
でも、それだけではやっていけないのが観光ビジネスです
鉄道だってホテルだってレストランだって土産物屋だってそうなんです
失礼ながら観光寺院だってそれが経営の上で効果的なことを知ったわけです
業者が用意してくれるものは言い換えればそれは多数という名の客が教えた答えなんです
京都の観光業者の気質は京都に来る人の一番多い期待を読んだものだと思います
しかし、それは必ずしも京都という訳ではないのです

実は業者も役所も学んでいるのです
特に観光業というのは、結局は一番多い悩みを探してその答えを用意するのを業とするものです
読みが当たれば商売が成り立つわけです、毎年その繰り返しで学習した結果なんです
だからそんな京都が嫌いだという人も増えてきました
この頃やっと旅人の大多数が実は個性的な少数派だとわかってきました
それでも、市役所ですら犬が羊を追うように群れを見てるわけです
そこが落とし穴なんです
観光業は観光客それぞれの期待には永遠に応えられない業種なのです
割り切れない一人一人の割り切りを合算して加重平均したものしか用意できないのです

″皆が行きたくて誰もいないところ”を観光業者に探してもらうなんてものは大きな矛盾です
が、結局はあなたの思いとはミスマッチの結果に終わります
店や業者は割り切れない多数の一見さんを相手にそれで商売が出来るのですが
市長や市民までが群ばかり見て浮かれてしまっては気付けないことになります
人生でも同じようなやってませんか
鯵庵(31.2.10)

# by ajiankyoto | 2019-02-10 10:26 | 都市 | Comments(2)

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が、まだ階段を下ることが出来ません
が、最初の峠は越した?気がしてます

小生の母親は膝を悪くしたのが原因で足が萎え今は片足がありません
思えば小生の場合は母親への不孝がたたってるのかも
遺伝という意味です
仕方がない・・・???
鯵庵(31.2.4)



# by ajiankyoto | 2019-02-04 20:13 | 健康保険 | Comments(2)

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毎年2月1日は、国立天文台から翌年の「暦要項」が発表される
翌年「平成32年度」は閏年である
国民の祝日は「元旦」から「勤労感謝の日」までで16日ある
他に2月24日と5月6日も休日になる
「天皇誕生日」は2月23日である
因みに平成31年は天皇誕生日のない年だった
「体育の日」は「スポーツの日」7月24日(東京オリンピックの開会式の日)に変わる

6月21日は金環日食の日であるが、日本では部分食になる
平成32年は年号が決まれば読み替えるものとしている
現在の法律によっているのだから仕方がない
暦要項で定められているのが国の暦である
ひょっとすると休日は増えるかもしれないが・・
カレンダー作りはこれでスタートすることになる
オリンピックの年がもうそこに来ている

老いと若いとは違う
あと何年生きられるかというのが老いである
あと何十年生きるということとの違いは大きい
鯵庵(31.2.1)

# by ajiankyoto | 2019-02-01 17:33 | | Comments(0)

リリーも渡り鳥

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寅次郎を時々見ている
フーテンの寅をもてない男と見てはいけない
そう見える人は自分の貧弱さを言ってるに等しい
確かに寅は多くのインテリ女性が好きで、ほとんどふられてきた
だからと言って、寅がいつも女に好かれない訳ではないのだ

「寅さんとリリーさんはいつ結婚するのでしょうか?」
リリーはインテリではない、浮き草稼業の旅の歌手である
そのリリーが寅と結婚することを夢見て、一瞬承知した
リリーは言う
「女の仕合せは男次第だと、男は皆思っている」
でも、寅なら違うかもしれない??
でも、寅は言う
「リリーは頭のいい、気性のしっかりした女だから・・馬鹿(自分)と一緒になって仕合せになれるわけがない」

寅はリリーのひもになるぐらいの能力は持っている
「女の仕合せは男次第だと」と勘違いしてほしい一瞬だった
が、それでは軟弱な馬鹿になるし、フーテンとは言い難い
賢い女もそんな時にやわになる、仕合せがあるとしたら馬鹿にならなければ得られない
どちらも馬鹿だが・・男の馬鹿と女の馬鹿は種類が違うのだろうね
そんなことを作者は言いたかったのかもしれない

リリーは渡り鳥である
だがしかし渡り鳥同士だったら巣を作ることもある
現実だったらその方がいいに決まってる
好きな女と一緒になったのではフーテンでなくなる哀しさだ

4作品に出演したが、何よりもこのころの浅丘ルリ子が一番きれい
本当に熱い唇が尖っていた、いい大人の女を演じていた
鯵庵(30.1.28)

# by ajiankyoto | 2019-01-28 11:29 | おとこ編 | Comments(0)