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出会いと縁の違い

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5代将軍綱吉の母桂昌院にあやかって今宮神社に"玉の輿"を祈願する
絵馬の話である
”この人と結婚したいと思える一途でかっこよくて経済面もよくて最高の男性と付き合って結婚してとても幸せな家庭を作りたいです。その人に出会って付き合うのは1年以内にお願いします!!○○○子”
これだけのことを絵馬に書き込むには相当な時間(根性)がかかる
端的に言えば"欲どおしい”が、まだ期限を切っているあたりが神社の都合を心得ている
神社のお札の有効期限は1年である・・だとすると絵馬も同じだろう
余り欲どおしいと裏向けにされるが、ただ、神様は苦笑いで済ませてくれそうだ
どうせ何回も期限切れになる

今日も神前で結婚式があった
貸衣装と写真館がセットだから、白無垢の角隠しをしていた
結婚しても夫を信頼し、また助け合いながら健気にたくましく生きなさい
そして、これからやってくる多くの不満と不幸を力いっぱい乗り切ってください

実は、小生が後ろから柏手して直接端的に神様(大己貴命・おおなむちのみこと/大国主神のことである)にお願いしておいた

神話によればオオアナムチノカミはスサノヲの6代の子孫であったり、スサノヲの子であったりする
スサノヲの住む黄泉の国から逃れてきて、国津神になったとされる
大国主の神(出雲の神)となった
古事記やら日本書紀などまとめて言えば大国主には6人の妻があった
初めの頃の妻、であり正妻の位置にいる須勢理毘賣(すせりびめ)は嫉妬深い女神だった
「神は男だから国ごとに妻がいる・・・が、私にはあなただけ」という歌を詠んでいる
嫉妬心を互いのために上手に使える女神であった
女神なのに人間みたいな気持ちを持てたと言った方がいい

それでなくとも女神は嫉妬深いことが当然だ
神と言えど結婚は子を設けることが重大な仕事になる
神々はそれぞれ血統がある
神が神とちぎって神を産んでいくのである
それが縁である
庶民の縁というものはただ接近したということである
実はそれをどう生かしていくかということが結ぶということである


「結婚を焦っているように見られるのが一番嫌なことだ」というのが結婚しない第一の理由だと言ってる評論家がいる
確かに、あの絵馬を書いた子は一方でそう思ってるような気がする
小生は思う、結婚は怖いという予感が当たっているのだろう
だがしかし、恐くない結婚は神様だってそう得られるものではない
神様は評論家ではない、素直にさえなればどんな人の気持ちも聞いてくれるだろう
ただ、出会ったことの縁を結ぶのはあなた次第である
そういえば、絵馬を書いた時の期待も"出会い系"と全く同じかもしれない
鯵庵(1.5.16)



# by ajiankyoto | 2019-05-16 21:33 | 家族 | Comments(1)

ラーメン道

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この頃ラーメン屋が好みをしつこく聞いてくれる
小生はネギ多めだけを言うようにしている
この店は目の前にネギが盛ってあった
まあ、それなりのドジだったが
隣のおっさんは"お任せ"とつまらんことを言った
任せてどないすんねん
ふにゃふにゃのラーメン黙って食うのか
任せるのではなく一番自信あるのを持って来いと言うべきだ

実際はそんなこと言う必要はない
ただラーメンと言えばいい
メニューに書いてある一番安いものを最初に食うべきなのは当たり前だ
"素ラーメン"から付き合いを始めるべきである、そうでないとその店の実力が分からない
好みに合わなければ胡椒を一杯ふって餃子のラー油でもふりかければ一杯ぐらいは食える
そんな時はもう二度と行かないようにしてやるのが客のラーメン道と言うものだ
つけ麺など明らかな外道である、つけ麺が美味しい店はラーメンはまずいと思うべきである
昼に一杯のラーメンはかけがえのない一日一回の小生のグルメなのだ
スープを残さないというのも医者の栄養士のキツイ指導にも反している
どうせのことならスープを残さなくていいラーメンでなければ食う値打ちはない
鯵庵(1.5.14)

# by ajiankyoto | 2019-05-14 10:28 | 飲食業 | Comments(0)

年功序列

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この頃、サラリーマンしかしたことのない人がシルバーの職場に増えている
小生もその一人である
継続的に仕事のあることは幸運である
シルバーも早いもん順は間違いない

そう言うと、私の先輩は、シルバーに歳の差は関係ないと言う
シルバーの年功序列というのは死ぬ順番のことを言っている
病気もボケも許されない
早いもん順とはそのことらしい
「年功序列に異議があるならボケるのは後回しにせよ」と・・・言っていた
やはり年とってからの仕事は買ってでもせよ?????
鯵庵(1.5.10)

# by ajiankyoto | 2019-05-10 08:26 | 往生 | Comments(0)


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この頃街中を歩くと同年輩によく出合う
都会は今はガードマンの時代だ、道路工事に限らずパチンコ屋でもスーパーでもお寺でもそこらじゅうガードマンである
よく見ると、それこそ同年輩が多い
ヘルメットをかぶって少し顔も汚れているが、手入れされた髭の似合う紳士が多いことに驚く
この世代ではガードマンの仕事につけるのはエリート的存在なのだ

同年配の輩(やから)とは昭和20年前後から20年代の生まれというところ
帽子をかぶってリュックを背負って、いかにも街中をぶらぶらしている
もちろん結構いいものを着ている
まー恐らく定年を暫く過ぎて、しかも、仕事は何もしていない
広義で言えば団塊の世代とも言う
団塊の世代はそもそもその言葉が嫌いだけれど、それに代わる有効な単語がない
小生もその仲間だというのに、そんなぶらぶらしているオッサンを見るとこの頃鬱陶しい(うっとうしい)と思ってしまう

昼飯にさる中華屋に入って驚いたことがある
一人でビールや酒を呑んで中華を食っている人に挟まれたことがある
夜勤明けの労働者でないのは誰にでもわかる、それがまた同年輩である
カウンターで両側に大食漢の同年輩に挟まれると席の幅は狭い
必要以上にゆっくり食事する様子はそしり食いの様であった
たとえそれがデカダンスであったとしても・・・
客の若きサラリーマンやあるいは安い時間給で働く店員から見てどう見えるのだろうか


朝から一日街歩きの文化人風老人、昼間からビールで食らう今は遊び人風老人
その他にも、株屋の前で数字の掲示板を見つめて一日過ごす人もいる
この頃のメーデーやデモで大多数を占める元気な老人たち、これ皆街で出あう同年輩である
いずれにしろつい数年前まで都市の経済を支え会社の中で必死で働いて来た人であろう

"憎まれ者世にはばかる"という言葉がある
実は"憎まれてこそ世にはばかる"というのが正しいのではないか?
今もって世にはばかる輩も、今頃になって世にはばかる輩も同じである

その人それぞれの実際の境遇や懐具合はそこからは何も見えやしない
ただ、若い人の目から見れば腹立たしく感じるかもしれないと、この頃思っている

現在(いま)も違う以上に、過去も違う、もっとそれ以上に先のことも違うだろう
ただ、間違いなく、同じような人生(老後)を暮らすことはないように思う
家族にも社会にも何の役割もなくはばかるその姿のまま、あと何年暮らさねばならないのだろうか
ここまで来て犯罪者に転落する人間もいる
不幸でもないのに人を羨ましく思って暮らすのは嫌だ
やはり不健康で長生き出来ない人もいるだろうし、長生きしたとしたら一人で施設で暮らしているかもしれない
何か絡まっているように見えるけど碇(いかり)ほどのものじゃない
60歳を過ぎればアンカーのない小舟なのだ
おそらくイソップ童話の結果とはきっと違うだろうけど、それが誰にも本人にも分からない

のが人生なのだと、思えてくる
鯵庵(1.5.8)

# by ajiankyoto | 2019-05-08 08:41 | 往生 | Comments(0)

立夏の頃

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新緑だと言えば"青もみじ"だと言う
「京都ではそう言うんだよ」と逆に富山の友人が教えてくれた
そうか、金沢・富山までは昔から特急サンダーバードが走っていたな
だから、京都の旅は身近だという
JR西日本などの交通観光業界が力を入れているというのが訳だった

なにはともかく国語辞典でもみじを引くと、➀紅葉とある、②に"かえで”とある
かえでを引くと、カエデ(楓)科の総称とある、葉が手のひら状で紅葉が美しいとある
新緑が美しいというのでは足らなくて・・"紅葉が美しい楓の新緑、若葉も美しい"と言おうとすれば"青もみじ”になる?
元々新緑や若葉などと適格な言葉が存在する・・それで十分ではないかと小生は思う訳である

なお・・俳句の季語なら青楓(あおかえで)という言葉が古くからある、そのことやんか
実はそれどころか、「青紅葉(あおもみじ)」という言葉は既にあるのだ
紅葉の時期にまだ緑色を残しているもの、あるいは紅葉の進みを言う

紅葉しているものと未だ色づかないものグランデーションを愛でた言葉である
言葉としては新緑一色よりも奥が深い感慨が得られる

「青もみじ」という青二才的造語は、立夏のこの時も、紅葉の名所に客を導ための言葉である、ことを理解している
京都を売らなければならない業界の努力である
言い換えればこれもサラリーマンの論理なのである
観光というものはすべからくミーさんとハーさんのためにある
語彙(ごい)に飢えている人には青楓(あおかえで)より入りやすいのも事実だ
あえて言えば「青もみじ」と「青紅葉」ではまるっきり意味が反対になってしまう
なお、しかし、観光業界用語「青もみじ」は人生の秋の言葉「青紅葉」を駆逐するだろう


そんなことを言ってると今度は「あお若葉(もみじ)」というのが出てきた
若葉と書いて強引にもみじと読ます・・・・??

鯵庵は言う、つまらんことを言うと「往生しまっせ・・?」と漫才では言う
往生しきれないことを往生しまっせというのだよ
それが分からないと言葉の面白さのが分からないのだよ
鯵庵(1.5.6一部訂正)

# by ajiankyoto | 2019-05-03 21:21 | 往生 | Comments(0)


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この頃家を出る時の忘れ物が多くなった
二度も取りに帰ったこともある
忘れ物をしないようにと思うと、他のものを忘れたりする
財布や携帯電話や鍵など忘れなければ何とかその日は過ぎる
それと忘れ物に気づかなければその日は過ぎる

忘れ物でも帰ってくるまで気付かなかったらそれは要らなかったものに近いのだが・・
と言うことでリュックにしたら、リュックが一杯になってしまった

それでも・・何かを忘れているという恐怖感がある
ガスを消しただろうか、本当に鍵をかけて出ただろうか
家内がいなければそんな心配まで増える
そんなことでは一人暮らしになったら外出もできないのでは?

それでも今までも忘れ物ばかり
ボケが始まっている???・・・という人もいるが
忘れ物とボケはやはり違う、忘れてはいけないものが多くなったのだ
開き直って忘れ物があると思って家を出るようにしている
♪青春は忘れ物、過ぎてから気がつく・・と言う歌があった
長い人生ならもっとあっても不思議ではない
余韻も足跡も残せないかもしれない人生、取りに帰ってくるほどのものはないか

そもそも・・平成の忘れ物は取りに帰れない
鯵庵(1.5.3)

# by ajiankyoto | 2019-05-03 08:41 | 往生 | Comments(0)

自分の駅で降りただけ

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小生今はと言うと・・
サラリーマン社会の枠からはみ出してしまって
戻ることの出来ない現役の世界を過去として暮らしている
もう長く・・素人間でもある
社会は席を譲ることで成り立っていたのかもしれない
退職だってそうだが、逆に大昔採用され新入社員にもなれた
その後の昇格・昇任だって枠のある限りまた空いた席のある限りにおいて、譲られてきた
譲られたことに気づかなくとも、譲られたことは一方で同時に譲ることでもあった
特に私たちの世代は、いつも枠の内の数を意識させられてきた

だが、退職してしまってからは少し違う
例えが悪いが、席取りゲームからはみ出したようなもので、取り合いすべき席は無い
そうかと思うと座布団だけを持たされたような世界だ
自分で勝手に枠外の好きなところへ座れと言うことであろう
一つの役割は終えたけれど、その後の役割は全くもって漠然としている
五木寛之は“林住期”とも言っていたが、やはり今まで以上に無常である

電車の席と同じである
空いていている限り自分が座っていい
しかし、降りるときに席に未練を持つ人はいない
乗客にはそれぞれ行く先がある、乗り換えも自由である
が、何を言われなくともそれぞれ自分の駅で降りる
せっかく取った席だからと言って、そのために次の駅や終点まで行く人がいる筈が無い

小生は電車を降りた
これからまだ先に行く人にとっては、それはただの空席に過ぎない
変に礼など言われたら困る、そのかわり降りたからと言っても自分の座布団だけは持っている
どこかに座るところを見つける、さ
それでも、これからも何度も自分の意思で行きたい方の電車にも乗るし、自分の駅で降りる
そうなんだ、全くもって自分の駅で降りただけのことである

写真は「団塊の世代」昭和51年(1976)に発行された、私が読んだのは昭和55年(1980)、その時もう30歳を過ぎていた、そうだそれからだ、死ぬまで競争かもしれない宿命を感じた
鯵庵(31.4.28②)

# by ajiankyoto | 2019-04-28 07:57 | ハロー・ワーク | Comments(0)

老ネズミ男の妄想


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病気や薬の副作用で出る妄想はやはり病気の所為である
が、それはわかっていたとしても家族にとっては重大事になる
波があることも医者から聞かされているが波の高い低いは家族でもわからない
妄想はおとぎ話は違う
おとぎ話は最初から架空の話だと分かっているが
幻聴や幻覚は現実なのだ

心にも耳にあるような三半規管みたいなものがあるのではないか
その心の平衡感覚が狂い出すのではないだろうか?
心は握りこぶし二つを合わせたものだというけれど
それが離れたからといって倍になる訳ではない
小生は医学の知識もないし、心理学の素養もない
なんとなく気づくことがある

妄想はあらぬことを考えてるのではないのだ
妄想というのはその人の本心なのだ
もともと本心というのはいつも固い殻を被っている
そう訓練されたというのが正しいのではないか
妄想の始まりは人が信じられなくなることだ
自分だけが可愛くなる
求めているものは(下世話に言うと)色と金なのだ
あとは子孫を残す本能かもしれない
本能ボケながらだからこそ人に獲られたくないのだ

本心とは逆の顔をして生きてきたことが壊れるのだ
その皮が壊れたりして本心がむき出しになる
あるいは心が壊れて本能がそのまま出た状態が妄想なのだ
幻聴・幻覚というけれど本人には幻聴・幻覚でないことが問題なのだ
年とって病気になることの怖さがそこにある
病気になってぼろが出る??のである
小生のその正体が根っからのスケベーなネズミ男であったのがばれるのだ
鯵庵(31.4.25)



# by ajiankyoto | 2019-04-25 17:24 | 往生 | Comments(0)

バチか祟りか怨霊か

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新聞の人生相談も毎日となるとネタがなくなってくる
何年かで一巡りしてくると思っていい
答えがあっての相談だからだ
上手くそれにはまってくれるばかりではない

今回のは少し面白かった
60代の女性が先に死んだ母親の祟りで悩んでいるという
どんなことかと言うと外出の服に大量の鳥の糞がかかったり
その他訳の分からいケチがつくという
贅沢をすれば罰が当たるようで怖いと言う
生前十分な看病をしなかったと反省しているのはいいが
だから・・そのバチが当たってるという

どないしても生きておりゃ、バチも当たるし
バチが当たったと思ってもそれで済むもんでもない
相談の内容ぐらいなら、そんなもんバチにも値せんと言うてやるしかないのだが
怨霊などと言いだすと俄然面白くなる
そこまで行くと新興宗教みたいになって人生相談にならないのが問題だ

親の世話・看病、に限らず人の世話は十分でないことの方が世の常である
つもりはあくまでもつもりであり、それだけしかできなかったということだ
なお言えば、それはそれだけしかする気がなかったということと同じである
バチだ、バチだということは、言うなればバチ逃れなのである
怨霊信仰の原点みたいな話だ
子が親に祟るのも親が子に祟るのも暮らしているからである
親のバチならば親が生きててこそ食らうものである
生きて苦しんでいるときの怨念をしっかりと受けてやるべきである
それでこそが親孝行というものである

親は見たけど子には見てもらえない・・
それが一番普通になってきた
親の怨念より子の怨念のほうが怖い
そんな世が来てることこそ知るべきである
生きていることの覚悟のひとつである
と、小生なら締めくくる

・・・・・・ここまで来て・・いつも覗いていただける読者の皆様に感謝してます
そんな不都合な話ばかりでよければ下記も合わせてご覧ください
鯵庵(31.4.22)




# by ajiankyoto | 2019-04-22 15:17 | 家族 | Comments(0)


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少し前のこと・・”老後の暮らし方に結婚がある”と言ってある女性作家が結婚した
"60代になると老後しかない"と言ってるようではあるが、逆にまだ"現役"だと言ってるようでもある
ただし、この場合の老後とは明確に定義されたものではなく、"やがて来る"と言う意味に近い

誰でも老いる限り老いて後の老後は必ずやってくるわけである
老後は多様である
それよりも貧富の差の方が気になる
人によっては若い時のままであり
人によっては転落している
他人から見ればシルバー一色に見えるかもしれないが、赤や黄や青や黒も、多色である

60代になって初婚だとすれば最初から枯れるわけにはいかない
ゆったりとした老後を得るためには老後への蓄えの一つとして結婚もある
老後という言葉を使える人はそれだけでも仕合せである
老いるということを語れるということである

老人化の過程を一つの人生と考えることが出来ているということだろう
老後が人生の暇つぶしだったり時間つぶしだったら人生が不甲斐ないことになってしまう
と、思いませんか

補注:写真は傅大師、善慧大士とも言う。中国南北朝時代の在俗仏教者。転輪蔵を創始したと言われる。嵯峨釈迦堂にて
鯵庵(31.4.20)

# by ajiankyoto | 2019-04-20 17:15 | 往生 | Comments(0)