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(36)家族葬の値段

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今、仮にインターネットで「直葬(ちょくそう・じきそう)」を検索してみると・・
以前よりはるかに葬儀の形態として定着してきているように思える
葬儀屋も葬式を大きさだけで商売していけなくなっている
それを売りに名前を変えた葬儀社まで出てきた

葬儀社の言う葬儀の流れは同じである
一つ、遺体を引き取り安置する
一つ、打ち合わせ・死亡届の提出・僧侶の手配・通夜
一つ、納棺・告別式
一つ、出棺・火葬(および式中の初七日法要)
一つ、支払い・・・となる
参列者1~2人で通夜も告別式も省略すれば20~30万円ぐらい、と言っている
直葬でも「火葬式」といういい方もある

個人の葬儀は元々家族葬だ
今、急に家族葬と言いだした、今は参列者とその経費を見直したい場合に言う
家族葬と言っても、なお少人数でも一般的なセレモニーを行う
と・・・100万円以上(実際はもっとかかる)はかかりそうだ
終わってみたら請求額に驚いたという話はあまりにも多い
人が集まってくれるちょっとした人なら
ホテルで「送る会」をしたほうがはるかに安いし有意義だ

ある葬儀会社の広告では湯灌も祭壇の花も、司会進行、みんな別途費用だとある
僧侶を頼まなければ戒名がもらえないし、
僧侶はどんなことがあっても家族葬ゆえの割引はしたくないのだ
家族葬なのに故人に無縁な参列者が増えたのでは今までと同じである
香典を受け取るべきかどうかだって線引が出来ない
本当に遺族の意向がはっきりしているなら、告別式への参列は見合わすべきである
故人を中心に考えればそれも自然なことである
が、そんなことを乗り越えてこそ本当の家族葬になる
喪主は確固たる意志をもって執り行わなければならない
故人の遺志と家族や親族の意思が方向違いではかえって白々とした葬儀になる

ただ、簡素化されては葬儀でなくなる、と言う論理矛盾に陥る
祭壇を飾ることからはじまる葬儀社の葬儀では「家族葬」の意味が違う
従前の華美な葬儀をいくら参列者を絞り込んでもほぼ同じ費用が掛かる
「家族葬」と「小さな葬式」とは別のものだという
身内の葬儀を考え直すなら「直葬」がベースなんだろうね
そこから故人や遺族の思うところを色付けしてくれる葬儀社が求められている

身元不明の行旅死亡人(ゆきだおれ)の場合は自治体での費用で葬儀が行われる
20数万円程度の支出になっているようだ
”いわゆる直葬”と言うのは昔からある
親族がいても家族がいない人も、家族をほってしまった人の葬儀も家族葬である
これからは参列者がたった一人の家族葬だってあり得るのだ
残された家族があって初めて家族葬になる
鯵庵(R7.12.11)

# by ajiankyoto | 2025-12-11 13:16 | 昼寝の寝言 | Comments(3)

(35)土にかえる

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庶民が立派な石の墓を持てるというのはそんなに古い話ではない
それなのに今度は田舎の墓を打ち捨てて都会に新しい墓を建てだした
こちらの寺とつながらないから霊園墓地(れいえんぼち)などが売れ出した
それは今でも続いている
墓参りはしたいが田舎に帰るのは嫌な人もいる
自分の代の墓が欲しいという人もいる
田舎から都市への人口の移動に伴ってのものである
新たな都市住民(移民)としての証(あかし)を求めているようでもある
墓のあるところが故郷だというのも分かる
しかしながら、あくまでも墓名碑であり、墓とはむしろ墓地の土を言う
今更ながら新しく建てたのでは
家の寿命は墓石の寿命に比べて短すぎる
し、人の寿命が蠟燭の火に例えられるのに比したら立派過ぎる
棺桶も墓石もほぼさる国からの輸入だと言われたら居心地の悪い人もいる、くらいだ

京都市が中央斎場の火葬件数の予想を立てている
市民のほぼ100%が火葬だから、市民の死者の数だと思えばいい
R13年からR17年の5年間ぐらいがピークになる
1日の火葬件数は(最大)138件になる、としている
中央斎場の1日の処理能力は120件(24基ある)程度らしい
平たく言うと、団塊の世代が85歳前後となる時期が死者のピークということだ
この間毎日18件分、仮にこの年毎日続くと1年で約6500件が生焼けになる(?)という計算だ

団塊の世代は最後の最後まで生きる競争だ、それどころか死ぬタイミングも・・
"阪神淡路"の時に経験したことであるが、
焼き場を求めて役場と遺族がさまようこともあり得るわけである
立派な墓を用意して準備したからとて優先してくれるわけではない

京都(近畿圏)は部分収骨である
残りは火葬場で処理してくれる
その処理槽を京都市の葬祭場はは丁寧に「聖土槽」と言ったりする
それがそのころには満杯になっている?
やはり、最後は遺骨(焼却灰)は土に返すことが本当だと思う
気にせず東山の樹林の土にしてもらっていい、と一市民である私は思った
ここまで来れたら御の字だ
東山の土が墓になる
鯵庵(R7.11.14)

# by ajiankyoto | 2025-11-14 08:00 | 昼寝の夢 | Comments(3)

大仏始末/(続)大仏の正面通り_b0355451_15032999.jpg
豊国神社にて

今は妙法院や智積院や京都国立博物館などもあるが
大和大路七条から東・北のこの一帯の地は秀吉(豊国大明神)や豊臣家の菩提寺であり聖地であった
豊臣家としては秀吉の発願になる大仏を完成させたかった訳であるが、豊臣家滅んでも大仏と鐘が残ることになった
が、巨大な銅の大仏は地震で倒壊
この大仏が徳川体制を支えることになる
豊臣家の銅は全て徳川の銅になった
貨幣経済は金・銀・銅の経済であるが、今日流通しているコインと同じである
日常は銅銭で暮らしている
銅銭は中国から輸入した貨幣では不足する
これを寛永通宝という徳川貨幣にしたわけである
家光の時代だという

250年間江戸時代と言われる期間を庶民の経済を支えた
権力の証になんぼ大仏作っても役に立たなかったけど
一分銭(いちもんせん)にしたら250年もったということになる
それ以上に豊臣の蓄えた金と銀はそっくり徳川体制に引き継がれていくことになる
それが革命であり、それが政治だと今では分かる
徳川政権は豊国大明神の神号をはく奪した後、天台宗の妙法院などに土地を与え聖地の分断を図ってきた
前政権の聖地は破壊しなければならない
それが、この地の宿命であり正面通の不幸の始まりである
それでも大仏は何度か再建を試みられ、天保時代の大仏も昭和48年(1973)火災で焼失するまであった
だから、今でも京都の人は大仏と言う
鯵庵(R7.11.13)



# by ajiankyoto | 2025-11-13 15:05 | 正面通 | Comments(0)

大仏の正面通

大仏の正面通_b0355451_17143836.jpg
正面通は東西の通、七条通(しちじょうとおり)の二筋ほど北へ
河原町正面(かわらまちしょうめん)というバス停がある(南行のバス停は六条通より北へ、随分離れているので注意)
例によって京都の街の河原町通と正面通の交わったところです
正面通の正面とは何の正面か?と言うと、豊臣時代に方広寺(方広寺は現存する)にあった大仏の正面と言う意味である
と言ったが、今は豊国(とよくに・ほうこくとも)神社の鳥居が立っている
正面通は豊国神社の前からスタートする
鳥居の前は参道然として広い通りである
正面橋は鴨川にかかる橋としては五条通(国道1号線)の南に架かる

この大仏と言うのが現存していれば話が早いわけであるが、
残念ながら豊臣家に似て数奇な運命を辿る
文禄4年(1593)三十三間堂の北、大和大路に西を向いて大仏殿が完成
大仏は木造漆喰(しっくい)ながら高さ19m、奈良の大仏より大きかったが、
不幸にも完成の翌年の慶長伏見大地震により倒壊した
大仏再興できぬ間に秀吉が没した
関ヶ原の役(1600)により徳川の覇権が成立したのちも
慶長7年(1602)秀頼と豊臣家は銅製の大仏に着手するが、流し込む銅で大仏も大仏殿も焼失
慶長17年(1608)再度再建に着手
ほぼ完成まじかで、徳川家の不興を買う
ご存知の方広寺鐘銘事件(慶長16年・1614)である
大大名豊臣家の財を傾け終わった時期を待って、豊臣家の始末にかかったわけである
約400年前のことである
鯵庵(R7.11.7)

# by ajiankyoto | 2025-11-07 09:07 | 正面通 | Comments(0)

(34)介護の遺伝子③楢山節考から70年_b0355451_09235623.jpg
(前項から続く)

長男同士だと何かと話が合うとこのブログで書いたことがある
親の介護の経験や世話で悩む人には他人の話は切実だ
極端な話、私の父母はともに末っ子だった
私はその長男である、そんな事態に至って何かと気持ちが行き違う
と、思ったことが嫌ほどある
介護することは難しいのは事実だが
本当は介護される側こそ難しいのだ
その難しさは家族ゆえに拡大され爆発する
親と子の夫と妻あるいは舅と嫁とか
それぞれの尊厳と尊厳の戦いだからだ

年老いて汚くなった父母を見て
小説のセリフ・・「こんなにまでしてまだ生きたいのだろうか
介護が始まったとたん間違いなくそう思う
思うのは当然かもしれないが、
実際に介護の長いトンネルを越えて初めてそれを越えられる
それが介護の遺伝子なのだ
家族の犠牲を当たり前のように期待するのは家族に対して横暴だ・・?
と気づくのも介護の遺伝子だ

個人主義、マイホーム主義や核家族は50年でほぼ定着した
おかげで親を介護する遺伝子は今は介護保険と老人ホームに引き継がれているのである
老後を自分の金で老人ホームへ行くことも子供孝行かもしれない
おかげで親を介護しなくとも親孝行ができると言うことだ
家族は最小の単位であるが、それが夫婦だけになり、最後は自分一人になる
配偶者があってもなかっても、子供がいてもいなくとも、最後のところは同じなのだ

小説「楢山節考」である
そうだ姥捨て山のことだ
皆必死で死ぬまで自分の肉体の始末を考えていかなければならない
コロナは一つの試練を与えてくれたかもしれない
「看取り」という言葉はほぼなくなった
時代が進んで親の生き方は自分とは違ったものになった
だが親の死に方は自分の死に方なのだ
家族の死は自分の死につながる
それだけが家族の絆として残る
(ここでこの章は終わる、、(追記)シェアしてくれた人の幸運を祈る)
鯵庵(R7.11.6)

# by ajiankyoto | 2025-11-06 08:00 | 昼寝の寝言 | Comments(0)