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精霊送り/京都の盆の過ごし方_b0355451_13593802.jpg
京都の地の人は″おしょうらい(精霊)”さんと発音のする人が多い
いかに招いた霊であっても所詮一緒に長い間暮らすことは叶わない
16日にはまたあの世に送り返す訳であり、それを精霊送り(しょうりょうおくり)と言う
今は音頭の声が聞こえなくなったけど盆踊りも元来精霊送りでもある
お供えと一緒に川に流したり、松明の火で現世の穢れを清める行事が行われる
が、川にゴミ?を流さないのは現代のマナーであり、雨で川が増水していることもあり得る
と言うことで、京都市では各家庭・各町内やお寺や墓地のお供えの処分もしてくれる
終戦の日と重なるお盆は確かに魂の日でもある
精霊送りはお盆の期間最大の行事となる

それを大がかりにしたのがおそらく室町時代にはあったとされる「送り火」である
送り火は極めて素朴な祈りであるから、昔は多くの地にあったと思う
送り火が見えるところでは、も一度各家庭のご精霊さんもまとめて送ってもらえる
それを「風物詩」と言うと、観光にも都合のいい行事になった感はある

今は京都のお盆の観光は「五山の送り火」が代表する形になった
午後8時に東山銀閣寺の上の如意が岳の大文字が点火される
「妙法」「船形」「左大文字」続いて、一番西の奥嵯峨野の「鳥居形」が点火されるのが8時20分ごろになる
そのころはもう最初の大文字は消えかかっている
私が初めて送り火を見たのは、親に手を引かれ田舎から京都駅に帰ってきた列車の中だった
京都駅のあの辺りからも大文字は見えたように思う
ただ、大文字が見えるのはいつも一瞬なのだ

昔(旧暦の頃)の送り火は天気がよければ満月とセットであった
山の陰の黒と群青の空の色は明らかに違う
月と大文字と精霊流しの灯りを一緒に見ることのできた昔の人の感慨は想像できない
現代の月遅れで行われるお盆の行事では毎年8月16日の月齢は変わる
この時間に東山に上手く月がかかることの方が珍しくなった
それでも、鴨川堤防から見る大文字は絵になりやすい
今出川橋や丸太町橋あたりまで行けばよく見えるかもしれないが
わざわざ出かけていく市民は少ない
実は燃えているのは15分にも満たないからだ

この一瞬の静寂ゆえに、俗っぽい京都のお盆もこの日だけは侘しさを感じさせられる
テレビ中継ではそれぞれの火床の周りの人が映し出される
その人たちにとっては行(ぎょう)なんだと思う
そうなんだ、それでこそ精霊を送る火なんだと思わされる
全ての火が消えてしまって京都のお盆が終わる
地上には現に生きている人だけのまた迷い多き生活が始まる
これで盆が終わるのかと思いきや、京都の夏は24日の地蔵盆に向けての準備がはじまる
鯵庵(R6.8.15)

# by ajiankyoto | 2024-08-15 09:18 | 地蔵菩薩 | Comments(2)

地獄の仏か矢田地蔵

地獄の仏か矢田地蔵_b0355451_08113658.jpg
京都寺町の矢田地蔵で白い蝋燭に火をつける
こんなかすかな火で煩悩や罪が燃えるものではないだろう
人間一生の間になす悪行はどれほどの数になるのだろうか
そうでなくとも善を成したつもりが自分の意に反して地獄に堕ちる人も多い
地獄の裁きは自分の意識したことない悪行をも裁くことであろう
この世と違って閻魔の裁きは公平であるということである
それが本当の地獄の救いである

この寺の縁起などによれば・・
実母を殺す・・悪の報いで地獄に堕ちたが・・・
地獄に地蔵がおり、地蔵菩薩に懺悔して地獄から救い出された
昔、高僧が地獄で生身の地蔵に会って見てきたその姿が矢田地蔵である
矢田地蔵の信仰は地獄に仏の話である
親を見殺しにするなら殺したと同じである

この寺の名は矢田寺である、奈良の矢田寺と同じである
地蔵は菩薩の中でももっともスーパーな仏である
無限の空間の中どこにでも存在する
しかし、地獄の淵に生身でいてくれるとしたら他の仏とは違う
地蔵は亡者の身代わりに地獄の責め苦を受けてくれてるのだからなおさらだ
この炎は、地獄の灼熱でなくも悪行にも見えるし病気にも見える
その点寺町商店街の喧騒の中でそう目立たなくてお参りが出来る

自分が生きている限りどうせ大小何らかの罪を成しているものである
真理の目を持つ閻魔や地蔵を騙せるものではない
怖ければ早い目に地獄の地蔵菩薩と縁を結んでおこうというのだ
さりとて、今のうちの懺悔したからとて救われるものではない
閻魔の裁きが下ってからである
ということは一度地獄に行ってからのこととなる・・
私だけではない・・みなさん
鯵庵(R6.8.11)

# by ajiankyoto | 2024-08-11 08:16 | 地蔵菩薩 | Comments(2)

水子も帰ってくる/京都の盆の過ごし方_b0355451_14204434.jpg
・・そう思えば水子供養も気になる
広く考えれば地球上の子供達の数万倍の水子がいると説く坊さんがいる
そう言われなくとも、特に男性は水子供養と言われて無関係を装うことは出来ない
この世のことで全てのことをなかったことには出来ないのだ
このままの形で許してもらえるならこの際許されたい
と思わされたとて仕方がない
水子地蔵もお参りくださいと坊さんに勧められることになる
青春時代からずっと・・胸に棘さすことばかり・・
知ってしまえば、やはり悪いのは自分であると思う・・
閻魔大王は複雑な神様で、この世でもなしあの世でもなし、冥界(めいかい)を支配する
それでいて、地獄からでも救い上げてくれるという地蔵菩薩の化身ともされる
そんな時にすがれるのは閻魔大王か、それ以上に地獄にも顔の効く地蔵菩薩なのである
宗教は哲学を俗化したものとも言える
哲学だけでは多くの人を救えない
俗っぽくても仕方がないのだ
佛というものはどんな姿にでもなるスーパーな存在でなければならないし、
何にもまして何万・何千と言うお寺とお寺の家族も養わなければならないのだから
それがお盆の了解事項なのだ

余談ながら、この閻魔さんの縁日は1月16日と7月16日
今はほぼ死語になりつつあるが、この日は「藪入り」とも言う
お盆の7月16日は昔は嫁や奉公人が実家へ帰ることが許される日
閻魔さんありがとうと心に言いながら奉公にあがった少年・少女が日頃の辛さを忘れて親の顔を見に行ったのもお盆の過ごし方である
それも閻魔さんの功徳である
庶民には佛も俗っぽいほど好かれるような気がする
鯵庵(R6.8.10)

# by ajiankyoto | 2024-08-10 09:57 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

精霊蜻蛉(しょうりょうとんぼ)_b0355451_21531008.jpg
確かにお盆が近づくと多くのトンボが飛んでいる
ウスバキトンボだ
第一世代は台風の風にのって南洋からやってくる
8月にもなれば暑いさなかながら世代を重ねて増える
原爆記念日からお盆のこの季節が一番多い
だから、精霊トンボとも言われる
この時期に見ると精霊トンボと言われる意味が分かる
盆に返ってきたけれど家族がいないと、さ迷ってる精霊にも見える

ある人とトンボ談議になった
歌に歌われる赤トンボではない
赤とんぼの代表アキアカネはまだ山にいる
里には下りて来ていないと言ったら
そもそもあの詩はウスバキトンボだったという説もある、と
それほど日本でも親しまれるトンボである

だが、ウスバキトンボは日本では冬を越せない
旅先日本で死に絶える
しかし、来年また新しい群れが南洋からやってくる
本当にアキアカネが絶滅したら・・外国籍のウスバキトンボがその地位を奪うかもしれない
ならば・・赤とんぼアキアカネの精霊かもしれない
ならば・・ウスバキトンボを赤とんぼという人も正しい
鯵庵(R6.8.8)

# by ajiankyoto | 2024-08-08 10:20 | 地蔵菩薩 | Comments(0)

墓との距離が問題だ/京都の盆の過ごし方_b0355451_11143707.jpg
地蔵菩薩像(六波羅蜜寺・運慶作)

田舎にある親の墓を何とか自分の近くに持って来たい、という人がいる
自分が田舎を捨てて親戚も疎遠となれば田舎へ帰るのは墓参りと言えど辛いことである
ところが墓を移転(※改葬)するということは結構大変なことである
それでなくとも、
先祖の墓と自宅との距離が問題になる
国の調査では出生地に住み続けてるいる人の割合は2割以下に減少している
もうこれ以上に下がらないかもしれないが、その大きな原因が都市移住と人口減少である
その残りの7割・8割の人の中で新しい墓を持つことがここ数十年続いてきた
墓地を分譲(土地は所有しない)する形の霊園が今までの主流であった
今でも条件のいい霊園墓地の競争率は高いけど、一方でそこでも無縁仏が増えている

評論家は都市移住の問題より今は未婚化の方が影響しているという
人間、子が出来て孫が出来てやっと先祖のことに思いが至る訳である
でも残念ながらその子に墓参りする姿を見せていない
生きてるうちに自分の墓を作ったって同じである、自分の墓に参るのを子供に見せても感動はないだろう
が、石の墓を持てる限りは生きた記念碑が欲しいというのが信仰になっている
ある人は、京都人とは「京都の街中に墓がある人だけが京都人」だという論を言う
それじゃ早いか遅いかだけで・・田舎とと同じことになる

毎年お盆には西大谷や東大谷の墓地の墓参りの姿が放送される
墓の数は山を登るように壮観だがもう限界でもある
せせこましいのも京都では風情ではあるが
家族の絆も映像で見ればお盆の風物詩となる
東山の麓には墓石の数の数百倍・数千倍の骨が土になっている
改めて石の墓を持つ身分になるには人生がはかなすぎるのとちゃうか
と、墓地の入り口の六地蔵が言う
人口の流入によってむしろ田舎の文化が都市にまで及ぶこともある
自分の墓を守してくれるのは自分の子供達だという田舎の素朴な論理も崩れつつある
お盆には新しい魂も仲間入りする、いずれ魂は気化する
漂う怨念は映像にも写らない
都会の人はもともと都市が墓場だ
都というのはそう言うものなのだ
鯵庵(R6.8.5)

# by ajiankyoto | 2024-08-05 12:17 | 地蔵菩薩 | Comments(2)