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下段の剣(鬼平犯科帳)

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二代目中村吉右衛門が「鬼平犯科帳」に出ている
鬼平の息子、長谷川辰三の役をしている
辰三の憧れる剣客は盗人の用心棒をしている
親父鬼平(初代松本白鸚)の昔世話になった浪人である
が、下段の構えは邪剣だという

吉右衛門の辰三は痩せてひょろっとして捉えどころのない演技であった
いかに凡才であるかを演じなければならないとしても必ずしも上出来ではない
少し真面目過ぎる
実の親父の息子役をするとすればあんなものかもしれない
が、その時の親父(その時はまだ松本幸四郎であった)を見ていたことは確かだ

それから数十年の年月が経って自分が親に続いて鬼平を演じた
それも終わってまた年月が経って吉右衛門(播磨屋)の名で人間国宝にまでなった
そういう栄誉は別にしてもそこまでしてもまだ一役者を務められる
役者というのは根っからの芸術家だと思う
若い時の未熟な芸でも自分で見ることができる
逆にそれが死に至るまで役者をやめられない理由だろう

親と一緒に演じた鬼平の息子役を見て今どう思うのだろうか
吾ら凡人にとって若いころの不出来は思い出しても耐えられない
仮に再現フィルムで見せられたら生きていけない程の自己嫌悪に陥るだろう
人間は天才・秀才・凡才の3種があると言われる
その3っつともを兼ね備えるのが役者であるが

それもそうだが、親が身をもって見せてくれた芸こそが天賦の才というものだろうね
鯵庵(1.7.15)

# by ajiankyoto | 2019-07-15 19:51 | 翁草 | Comments(0)

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本山なら宿坊(ホテル)を経営出来る
塔頭寺院ならそれなりに墓地の守や幼稚園経営でやっていける
観光寺院でなければ経営も出来ない
とすれば、俗世間に自ら近づいて入っていかなければ生き残れないことになる
どこが悪いのだと開き直らなくてもいい
宗教を広めるには俗化する宿命は避けられない


由緒や祈りも現在進行形ならお寺の生活も現在進行形なのである
・・と言えど、軒を連ねて俗なものが並んでいる街が京都である
ただの民家となすべきではないと
もともと寺は檀家があって、大檀家が国や豪族であれば公務員然と暮らすことが出来た
だから、堕落したとも言える
他人のために修行し祈ることを忘れた
150年前には廃仏毀釈の憂き目にあった
肉食妻帯は以前からだとしても、家族を養っていかねばならなくなったら、俗そのものなのだ

それから150年、一度緩めたものが締まることのないのが世の常のことである

さりとて時代を戻せたとしても同じこと
今時、人より犬が好きなボンさんもいる
ぼんさんって近所の人、普通の人、俗な人・・
京都ではそれでも何百年とそれで付き合ってきた
それが「坊んさんが屁をこいた」である

ボンサンガヘヲコイタ、ボンサンガヘヲコイタ・・・・
子供達も肌で知っているし、親も止めることはない
それを見てボンさんがにっこりしているというのが本当の京都ともいえる
鯵庵(1.7.14)



# by ajiankyoto | 2019-07-14 17:35 | ゲソ番は足元を見る | Comments(0)


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「だるまさんがころんだ」・・知っていると思う
京都・大阪の子供達は「ボンさんがへをこいた」という方が多い
鬼ごっこなどで十の数を数える文句である
お姫さんでも糞もすれば屁もこく訳だから、坊主(ボンさん)が屁をこくぐらい何でもない
そんな恐れ多いこと・・と思う人は京都にはいない
京都は各宗派の本山が並んでいる
門跡寺院は京都だからこそであり、その他の寺も由緒を書くことでは負けない
観光寺院であってもなくても寺には住職がいる
ずっと昔、明治5年に太政官布告が出た
「自今僧侶の肉食妻帯蓄髪(にくじきさいたいちくはつ)勝手たるべし」とあるが、
明治新政府の神仏分離施策のとどめである

そもそもこんな布告を出さなければならないほど僧侶の日常は俗化していたとされる

この布告によって一層仏教戒律は骨を抜かれた
出家も在家も全く同じことになってしまった
ボンさんに家族が出来て家族のためにお寺を経営し財産を守る
財産を子に継いでいく・・というならお店(おたな)と同じだ
大きさから言えば商売人以上の経営センスが必要だろう
それはそれでいいのだが、お寺のありがたさもお寺が坊主の修行の場でもなくなった

息子は本山系の大学でさえあれば入学も卒業も出来る
娘をキリスト教系の私学に入れてよその親と同じレベルで教育を語ったりする
ちょこっと楽屋裏(がくやうら)をのぞき見すれば、高級車があったり、その横に子供の三輪車がおいてあったりする
家族があればなまめかしい洗濯物も干さねばならない
このお寺の跡継ぎのお嫁さんは宗教家と一緒になったという認識がない
現世は多様である・・ご住職にとってはこれが本当の修行かもしれない
(後編に続く)
鯵庵(1.7.13)

# by ajiankyoto | 2019-07-13 21:17 | ゲソ番は足元を見る | Comments(0)

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口では何とで言える
適切な手を打てるかどうかだ
「適切」という言葉を使ったのはその通りだからだ
これがサラリーマン道と言える

ネクタイをしめた「事なかれ主義」のことをサラリーマン道という人もいる
そうだとしても、正しいサラリーマンの事なかれ主義は適切であることを前提としている
事なかれと言う限りには後味の悪くない始末をつけなければならない
傷を広げたり課題を残したのでは事なかれにもならない

パートやアルバイトのことを考えているようなことを言うし
客でもない人ともよくしゃべる
何一つ為になったことは今もない
いや、言うてることが実を結んだら、会社のためにならないようなことばかりだから
何もしない方が失敗にならない
会社の中ではそれも一つの成功体験になっている
だから、困っている

彼のあだ名は"つべこべ補佐"という
あだ名の通り、負ける前に負けを宣言するから負けはない
先に言い訳するから誰も期待しない
だが、上を向いてものを言えないゲソ番パートの身分の小生らはそれでは浮かばれない
真黒な雲の方がいい、雷鳴とともに雨となればやがて隙間に青空が見れるのに
鯵庵(1.7.11)

# by ajiankyoto | 2019-07-11 11:58 | ゲソ番は足元を見る | Comments(0)

アジサイの寺の観音

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そういえばアジサイの花色が豊富になった
花の形も様々だ

楊谷寺(ようこくじ)の参拝客が急増したというニュースが流れる
手水鉢にアジサイの花を浮かべた写真が受けたようだ
元々アジサイの花の寺として知られていた
何しろ遠い
JR長岡京駅からでも6キロはある
バスは途中までは行くが、そこから歩いても小1時間ぐらいかかる
高槻市の境に近いが
往古、高槻市バスが来ていたことはある
高槻からは山道を13キロも走らねばならない
結局、この時期シャトルバスを出すということにならざるを得ない

もう梅雨も明ける
アジサイが終わったし
これかららどうしよう
縁日にはご本尊の十一面千手千眼観音が御開帳になる
御朱印を月替わりにするか、だめならをご利益にご本尊の写真でも撮らせるか
いや紅葉のシーズンにもう一度仕掛けるか
それまで覚えておいてまらえるのだろうか
バーゲンやホームランは続けることが難しい
鯵庵(1.7.9)

# by ajiankyoto | 2019-07-09 21:18 | ゲソ番は足元を見る | Comments(0)

バスに乗るスーツケース

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京都の駅前も多くの路線バスが入っている
日本の幹線鉄道のサービスの熟成度は高い、とも、言える
ところが駅を降りて数十歩、バスターミナルに出ると路頭に迷う
都市の構造と混雑がターミナルなのだ
言葉だけではない、混雑(都市用語で輻輳とも言う)なのだ
国が違えば教養も文化もマナーも違う
バスに乗ればなお一層、乗客と運転手のストレスを増している
輸送量の増加に反比例して運転手の技量が低下している
それがまた市民にはストレスになっている

さるところの市長は・・
市バスの路線を維持できているのは観光客のおかげだと認識してほしいと言っている
言い換えれば、それでも市民は市バスが走ってることをありがたく思えと言うに等しい
それを言うならそれぐらいのこと観光客にもはっきり言えよ
観光客もストレス、運転手もストレス
ひと頃天下を取っていた乳母車も車椅子もスーツケースには負ける
特にかの国の人々の傲慢なスーツケースを運転手が怒るのも無理がない

それだけでもなんとかしてよ・・と言ってみても
バスには乗ったこともない金持ちには分からない
運転手の声が市長に届く筈もない
知ってる?市バスの運転手の半分が、民間バス会社の社員なのだから
スーツケースが客だとずっと勘違いしてたって市バスを降りた元運転手が言っていた

「バス」は「乗り合い自動車」という意味の英語
語源は「オムニバス」というラテン語、「全ての人のために」という意味・・なんだって
鯵庵(1.7.7)

# by ajiankyoto | 2019-07-07 19:52 | ゲソ番は足元を見る | Comments(1)

牛頭天王/祇園祭

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東大谷の隣は旧官幣大社八坂神社
歴史ある祇園祭は八坂社の祭
神仏習合の時代は牛頭天王を祭る祇園感神院といわれるお寺
大昔は比叡山が管理していたのを足利義満が独立させた
と昨日のことのように言う

ともかくそれ以後もずっと京都の産土神として信仰されていた
昔から牛頭天王はスサノオノミコトだったり、スサノオノミコトが牛頭天王だったり区別なく祀られていた
明治の神仏分離令で八坂神社となり、スサノオノミコトが祭神となった
でも、昔のように祭りは続いている

八坂神社に行って昔のお寺風や牛頭天王を探してもちょっと無理
明治から150年、神仏習合の江戸時代も廃仏毀釈の明治も遠くなったいうことか
大幅に省略すると牛頭天王は頭に牛の角を持った異形
竜宮の王の娘、頗梨采女(はりさいじょ)を妻として七男一女の八王子をもうけた
日本の仏教では薬師如来の垂迹(化神)とされ信仰されたのが祇園信仰である

都の悪疫と水難鎮護の神でもあり、全国祇園社あるいは天王社でも祭られる
天王というのもほとんどが牛頭天王のこと
この項続く
鯵庵(1.7.2)

# by ajiankyoto | 2019-07-02 09:27 | | Comments(0)

乙女には水無月

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京都では6月に入った途端、町内の和菓子屋でも「水無月」「みな月」を売りだす
水無月は水の月、旧暦の6月のことを言う
旧暦だったらたしかに夏の気でむんむんするときである
水無月(みなづき)とは外郎(ういろう)に小豆のせ、三角形が特徴の菓子である
白いういろう(外郎)部分は氷に見立てたものと言う
宮中では氷、庶人は水無月の菓子と言うところである
涼しさを楽しむだけでなく「夏越の祓い(なごしのはらい)」の神事に関わっている

実は京都人は自分のところで作ることが出来た
格好のいいものでなかったかもしれないけれど、食い応えのあるおやつだった
あのボリュームには意味があったのだろうね
魔除けだとしたら意味が分かる
やっぱりこれもクックパッドにもちゃんと載っています
上手に出来るかどうかは別にして、

季節のことが出来るお母さんはきっといいお母さんなんでしょうね
日本の少年・少女にはお好みの味だと思う
お母さんの水無月で育った乙女はいいお母さんになれるはずです
写真はみなづき
鯵庵(1.6.18)

# by ajiankyoto | 2019-06-29 21:23 | 家族 | Comments(4)

鷹の目/鵜の目鷹の目

カメラは2台入れてほしい
組み合わせの例である
①フィルムカメラとデジカメ②ポジフィルムとネガフイルム③標準とマクロ③標準と望遠④クラシックカメラと新型⑤一眼レフとコンパクトカメラ⑥単焦点と高倍率ズーム⑦ストロボ、つきやナシやなどなど、あなたの都合と、その日の都合でスタイルを決めるのがいい
一眼レフを買って、ボディ1台に必要なレンズを買い足していくというのは昔からの王道だけれど、いいレンズは高いし、重い
自虐的に言えば挿絵のようにカメラ1台、ズームレンズ1本ですまそうと言うなら一眼レフを購入した値打ちはない
いつもながらカメラが1台では不自由なので、“2台を組み合わせて自分の写真スタイルを作る”というのが小生の昔からのスタイルであった
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今日のカメラ取材行、きっちり目標があればそれでいい
が、そうでなければ家を出る前に今日の被写体を考えよということだ
それがスタート、本日の成果はここで決まる
風景だけではないし、また旅・スポーツ・恋人・孫・女・自然・花・昆虫・街角・社会・ブログ・祭りや行事・・・などなど、あるが今日の切り口というか、あなたの今日の“目”をあらかじめ選ぶべきである

カメラは本来の単純な道具であって欲しかった
我々側も誤解しているかもしれないけどメーカーはもっと誤解している
誰にでも写真が撮れるようにと研究し開発したメーカーに敬意は払うけど、個性のないカメラばっかし作って写真好きの楽しみを半減させたのもメーカーだと思う
現にその結果メーカーも半減してしまった
オールマイティであってはいけない、せめてシンプルにあって欲しい
だから片側には強いシンプルなカメラと2台でというのが小生の論なのである
5台持ってる人は2台づつ使ってやろう
また、今は1台しか持ってない人も次の1台を買うときの選ぶ楽しみが残っている

例えて言うと今日の私の眼は右目が90ミリマクロ、左目が単焦点35ミリということ・・なんだ
明日は別の目で行こう
人間の眼は優秀すぎる
カメラは究極の道具である、道具として愚直であって欲しい
カメラを持っている人は極端に増えたけど写真を愛する人は極端に減った
オールマイティというのはアマチュアカメラマン自身が意識して排除すべきであると思うのだけど・・
イラストは往年の愛器ペンタックスLX(60年記念の旭光学も今はない)
鯵庵(1.6.27)



# by ajiankyoto | 2019-06-27 08:10 | 翁草 | Comments(2)

鵜の目/鵜の目鷹の目

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趣味とはいえ写真をする人はたとえ会社に行く時でも常にカメラを潜ませておくべきである
今はカバンの中に入る優秀なデジカメがいっぱい出ているわけだから問題はない
電池寿命も延びたし記録カードの容量も昔の比ではない
今の小型のコンパクトデジカメ一台で往時の一眼レフカメラにレンズ三本くらいを持って歩いているほどのことは軽くある、ポケットに入る大きさのもので十分である

取材行の時も同じようなものである
いずれにしたって荷物は軽い方がいいし、、、三脚は本当は持って行きたいが、都会や観光地では使用できない所が多く極めて扱いにくい
通常はストロボまでは要らない
もしもプロのカメラマンなら愛用ジープに器材専用の荷台を設けて持って行かねば悔いを残すようなこともあるかも知れないが、アマチュアはむしろ戦場カメラマン張りに軽めの装備で行動できるところを開拓する方が合理的である

カメラかばんやリュックの大きさが証(あかし)になる時代は過ぎた
昔もそうだった
自分のカメラスタイルを通していくためには一周も二周もしてこなければならない
カメラは250年の技術なのである
もう何周も回っている
デジカメも今ほぼ一周目の第3コーナーにかかっている

道具は使うものである
せめて・・
長く培ってきた写真感性はコンパクトなデジカメでも発揮されることを実証しなければならないし、自ら信じることだ
まず心構えとしてはカメラを忘れてはいけない
カメラ個人的感想編、鵜の目である
イラストはキャノンG1(平成12年、使えるデジカメが始まったがバッテリーが持たなかった、CFが数十メガで数千円ほどした)
(鷹の目に続く)
鯵庵(1.6.26)

# by ajiankyoto | 2019-06-26 07:23 | 翁草 | Comments(4)