2016年 03月 12日
落ちたツバキ

この頃街中を歩くと同年配によく出合う
同年配の輩とは昭和20年前後から20年代の生まれというところか
たいていが帽子をかぶってリュックを背負って、いかにもぶらぶらしている
まー大体定年を暫く過ぎて、今は仕事は何もしていない
団塊の世代はそもそもその言葉が嫌いだけれど、それに代わる有効な単語がない
自分がその仲間だというのに、そんなぶらぶらしているオッサンを見るとつい働いてる人の目が気になる
街では、ところどころでガードマンに逢う
しかしよくよく見ればまた同年の輩である
ヘルメットをかぶって少し顔も汚れているが、いかにも髭の似合う紳士が多いことに驚いた
ハローワークに行けばすぐにわかる、簡単に採ってもくれないし、簡単に勤まらない、我らの世代ではガードマンの仕事はエリート的存在なのだ
昼飯に王将に入ったら、カウンターに中華の皿を並べて一人でビールを飲んでいるのも驚いた
街歩きの文化人、工事現場の紳士風ガードマン、昼間からビールの遊び人風・・他にも株屋の前で数字の掲示板を見つめて一日過ごす人もいる
これ同じ同年輩なのである
そういえば、子供の頃からの教科書の単調な倫理感に慣れた読者諸兄は、イソップ童話風のストーリーを思い浮かべることだろう
しかし、実際の境遇や懐具合はそんなところから見えるもんではない
今までの稼ぎや年金や貯蓄の額とは無関係である
現在(いま)も違う以上に、過去も違う、もっとそれ以上に先のことも違うだろう
間違いなく、同じような人生(老後)を暮らすことはないように思う
それは生き方の問題だからである
60歳を過ぎれば碇(アンカー)のない舟なのだ
いずれにしろ人生が決まった訳ではではない
おそらくイソップの結果とはきっと違うだろうけど
それが誰にも本人にも分からないのが人生だ
写真は落ちツバキ、落ちてなお傷みやすい花である
鯵庵(28.3.12)