2017年 01月 10日
付き合いが年賀状ですむありがたさ
年賀状が毎年減ってきている
友人から年賀状交換の中止を宣言する年賀状が届いたりする
それでも正月1日には返事を書くのが忙しい
ただ、相手からの年賀状がないときは書きようがないので・・まーそういうような形で結局は減っていくという結果である
ことしから2日の配達がなくなって、一気にモチベーションがしぼんだ
正月が一日で終わってしまうという感覚だ
そういえば、もうここ数年暑中見舞いはがきももらっていない
年賀状を買いに行ったとき、お客さん、今は「官製はがき」とは言いませんと言われた
くじがついて切手を貼らなくていいから「完成はがき」と言うのと違うの?
”年賀状も出すが暑中見舞いも出す”から”年賀状だけ”になり、その年賀状も"年賀状をいただける人だけ”になってしまった
もちろん相手のご家族の幸運・幸福は祈りはするが取り立てて長々挨拶は要らない
「謹賀新年」だけで十分に通じる
年賀状が情報源(もしくわ情報発信)である時代も超えてしまったのかもしれない
いつも付き合いが絶えない友人とは「今年からは年賀状出さないよ」とあらかじめ言い合ったりしている
そのくせ、暮れに長い電話をくれたり、メールで思うところを送ってきたりする
考えてみれば忘年会をやる前に書いた年賀状が正月に来るというのもおかしな話である
孫が拙い字で書いた年賀状が届いてお年玉をやるような「年賀状の技」は必要なくなっている
そんな素朴な技よりもっと、もっと手っ取り早い効果的な技が満ち溢れている
年が明けてこそお年賀だという本来の風習を壊したのも年賀はがきかもしれない
日本郵便は毎年減っていく年賀状の売り上げを若手グループにたいまいをはたいて宣伝に使って盛り返そうと試みたみたが・・
いくら頑張っても彼らの世代の年賀状が伸びるわけではない
むしろ、高齢者の年賀状しらけに拍車をかけている
どんどんマイナス連鎖で年賀状に頼っていた郵便事業の経営も悪くなっていく気がする
年賀状文化を作ってきたのが郵便事業である
それを文化として大事に育てていくという基本か努力を忘れたのだろう
それともそれが郵政民営化の効果なのかもしれない
年賀状だけで付き合ってる友人がいっぱいいる
それまでなくしてしまうべきではないと思っている
いずれ「友あり遠方より来る・・」である
今は年賀状だけだが、いつでもこちらに旅すれば寄ってもらえるだろう
その時こそ観光客でない京都の旅をおもてなし出来るわけである
かくして、この歳になってこそ年賀状だけで済む付き合いのありがたさを感じている
鯵庵(1.10)
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sazanamikaikou at 2016-06-03 13:09
年賀状だけで済むお付き合いも年々おっくうになってきました。(わずらわしくなって来たとは言いません。来たのを見るのは楽しみなところもあるので。)
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by ajiankyoto
| 2017-01-10 20:40
| 翁草
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Comments(1)