2024年 07月 13日
詫び錆び、思ったほどのことはない
みんなが知っていることでは自慢にならない
"何でも京都が一番やと思ってるから、自慢してない様でみんな自慢になっている、
道を聞いただけでも京都自慢の押し売りに会う、京都の人はそこを上手く使う”
と感心してくれた大阪の友人がいた
京都という名前がメガトン級だから、知識のおすそ分けのつもりだろうね
旅の目的も色々あるはず、観光客ばかりではないのに・・ね
「旅」は文化、観光は「産業」、そこの区別が曖昧な街が京都だ
答えに困れば「伝統」と言う言葉を使う
一昔前サラリーマン時代、東京の本社の人を案内したことがある
外国人観光客と同じように世界遺産と言うブランドものにしか興味がなかった
しかし、こちらがガイドとしての勉強不足を謙遜したとたん、
「案内してくれるぐらいのことなら中学校で習ったわ」と変な慰めにあった
やっぱり、東京でいい大学を出ている人は違う
確かに教科書に載っている仏像を見て、教科書どおりや感心してる修学旅行生もいる
京都が中学校の教科書のままならどこ行ってもわび(詫び?)・さび(錆び?)になる
件の本社の人、そのくせ夜に飯を食ったら芸者か舞妓が来るもんやと思ってる
どこに行っても何を食っても結局は銀座以下だと慰められた
こっちは自前やで、本社から来るなら経費も持って来いと言いたくなった
「京都は生きてる町」やでと反論すると、
ついに″遺産で生きてる町″だと揶揄された
もう京都だけには行かないという人も多い
外国人ばっかしやし、やかましいし、不親切やし、何でも高いし、観光都市でも何でもないやんか
その上、テレビとも本とも違うし思ったほどのことはない、と言う結果になる
だからこそ、おもてなしのついでにちょこっと教えてやろうとするとまた嫌がられる
どこまで行っても結果の見えてる話なんだ
鯵庵(R67.12)
それなりの知識を吸収すると、どうしても人に話しをしたいと言う欲求が出て来るのは仕方がないことか。しかし、それが押しつけがましくなると煩わしい。博物館などに入るとすぐに「説明しましょか。」と寄ってこられるとうんざりだ。
最近ある博物館でこんなことがあった。友人と二人で説明書を見ながらあれやころやと話しをしていると、「せやけどこれはどうなんやろ。」と行き詰まるといままで同じ入場者と思っていた人がさりげなく寄って来て「私ここのボランティアガイドしてまんねん。」と要領よく説明してくれて、またすぐ一般の入場者の如く去って行かれた。」これが極意とちゃいまっかな。かゆいところに手が届く。しかし痛くなるまで掻きすぎない。
京都、景色と歴史の雰囲気だけでも十分堪能できまっせ。
ピントが合わないのは一にカメラ、二に体力です
視力がピントに影響することはないです
ファインダーを覗くか、しっかりホールディングです
体が震えてることがあるので注意が必要です
これはボケ大丈夫です