2016年 05月 06日
火盗改め鬼平の京都
当時、西町奉行に就任(1772)した父の赴任と従って足掛け2年を平蔵の家族も京で暮らした、という話である、
平蔵の父もその後の平蔵も徳川の実在の官僚だったからそこまでは史実とほぼ重なる
それから20年その父の墓参りにやってきたのは小説だけのことだろう
テレビは何度も再放送されている、「艶婦の毒」と言う題であった
艶婦とはお豊と言う西国をまたにかける盗賊団の引き込みで、若いころの平蔵に京都で出会った
”お前がおれば主もいらんし親もいらん”と言わしめた相手であるが、平蔵にとっては若い時の京都での大失敗である
女優山口果林がいい40女を演じている
何んとテレビ映画「鬼平犯科帳」平成6年(1994)約20年も前の作品だ
その女を幕府のお先手弓頭兼火盗改めに出世した鬼平が20年後の京都でまた見かけたて捕えた
女優が誰であろうと、小生なら昔のよしみで見逃してやる
鬼平は自分の若い頃と京女が憎かったに違いない
父がも少し長く奉行を務めておれば、京都で暮らしてたかもしれないが、早々と父の役宅をたたんで江戸へ帰ってしまう
1年にも満たない京都暮らしであった
京都では大言だけを残した人であった
世は田沼政治の時代、28歳で長谷川家の当主となるが、無役の旗本、それからしばらくまた放蕩が始まるという、ところがやがて幕臣として頭角を現す
その上昇志向は大言壮語だけでなく三河以来と言う長谷川家の家柄によると研究者は言う
思えば地方都市京都では暮らせない人であったと思われる
明治になって都が東京に移るまで京都は都だったというのは京都人の意識的な勘違いである
鬼平の時代には既に古都だったのだから・・
写真は線香
鬼平の再放送ばかり見ている鯵庵(28.5.6)
by ajiankyoto
| 2016-05-06 07:41
| 京都の水
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