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千本京極は映画の都

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日本の映画の歴史で、最初に映画館が出来たところといわれる
西陣のことである、が今の京都に西陣とつく行政上の地名はない
応仁の乱に由来するのはご存じの通りだ、と
歴史を学ぶと応仁の乱は日本の、ひいては京都の歴史の潮目だと分かる
西陣織りもその一つである
明治・大正と西陣織り工業の発展とともに千本通り界隈に数十件の映画館が立ち並んでいたということだ
日本の映画の父牧野省三はこのあたりを舞台に映画作りを始めたとも言われる
大正から昭和のはじめ京都の地で日本の映画界をリードしていた
尾上松の助や坂東妻三郎など・・
映画は京都だけでなく東京にも多くの映画制作会社が出来、それから娯楽の王者として日本全国何百何千の映画館が出来て、やがて潰れていったこととなる
昭和40年代から娯楽の推移により廃館が続き今残っているのは千本京極と言われたかっての繁華街で「千本日活」が唯一の名残である
この千本日活、成人向き映画専門にして、3本立て500円で一日映画を見ることが出来る(ただし、少し落ち着かない?)
大人には日活と言うだけでも懐かしいが、大げさに言えば映画発祥の都京都の遺産の一つである
この繁華街のもう一つの顔が遊郭〝五番町″でもある
西陣に近い方では上七軒もあるが、あそこは庶民には敷居が高い
一時、上七軒の出稼ぎ場でもあったとも言う
水上勉の「五番町夕霧楼」で聞いたことを思い出す人もいるだろう
1963年には映画にもなった、佐久間良子主演である
京都ではなく、残念ながら東映の東京撮影所の作品だ
主題は金閣寺炎上事件(1950)に関係がある
そんなことで驚いてはいけない
あの辺りは桓武天皇の平安京大内裏の中、大極殿の跡に位置している
そういう街の変化も応仁の乱が潮目になっているのがの京都である
そういうことを分かりやすく教えてくれる歴史家が小生は好きである
写真はクレマチス
鯵庵(5.17)



by ajiankyoto | 2016-05-17 07:07 | 京都の水 | Comments(0)