2018年 06月 21日
京都一の大酒飲み/崇徳院➀
道隆は摂政関白藤原兼家の長男、父の後を継いで関白に、あの巨大な藤原氏の氏の長者である
だが、歴史に出てくるほどの酒好きである
関白を勤めて数年、42才で若死にした
死ぬ間際まで酒を手放さなかったというほど、1000年も前の現代人である
娘は一条天皇の皇后、枕の草紙の清少納言が仕えた藤原の定子である
道隆は容貌・立ち居振る舞いに優れ、かつ気の広い自由人であったとされているが、悲しいかな好きなだけ酒を飲める身分であったこと
この道隆の弟が三男通兼・末弟五男道長である
道長の娘が一条天皇の皇后彰子である、この彰子に仕えたのが紫式部や和泉式部などの宮廷の女官女房である
教科書でご存知のようにこの後の藤原氏はこの御堂関白と言われる末弟道長と道長の子孫に収斂されていくことになる
結局、長兄道隆の一統は末弟に支えられることなくその斜陽の一途をたどる
道長は70うん才まで生き、娘彰子も80うん才まで生きた
最後は寿命が繁栄を決定づけるのである
道隆が容貌端正のまま摂政関白を務めて長生きしていれば・・歴史は思い切り違っていただろう
そのかわり軟弱なだらだらした屁にもならない恋愛小説を紫式部ではなく清少納言が書いていたかもしれない
道長が酒嫌いだったというのではないが、我が世の春を迎える道長である
それがその後の1000年も公家の家の陽当たりが違う訳である
酒で家が滅ぶということだけを捕まえてみれば、都であった京都にはありふれたことなのかもしれない
京都の歴史の中で庶民の生き方の大きな屈折点になったのはこの道長の天下と応仁の乱だという歴史研究家が小生好きである
摂政関白でも酒で家を滅ぼすこともあると思えば、俄然歴史は面白いものになってくる
写真はヤモリ、酒好き我が家の守り神
今回からシリーズで「崇徳院」始めます
鯵庵(28.5.24)