2016年 06月 17日
アザミ嬢にグッドバイ
職場の仲間とよく通っていた大阪兎我野町(とがのちょう)の地下のスナックがある
そこに九州生まれのアザミという名前の女がいた
もちろんアザミというのはここだけの源氏名で、
中島みゆきに「アザミ嬢のララバイ」(1975)という歌があるやんかと言うと
それで決めたという答えが返ってきた
昼の仕事は聞いたことなかったが、「仕事は何でもします」と言っていた
ジントニックやハイボールを飲みに3年ぐらいは通ったかもしれない
私も気になっていた
でも、一応ここでは先輩風を吹かしてるし、こちらからは何も言いだせない
暫くして急に仲間の一人が会社を辞めて九州にへ帰ると言い出した
どうするのかと聞いたら、「仕事は何でもします」という答え
アザミ嬢もその頃から店に来なくなった
ママに聞いて驚いた
私の仲間のその後輩と一緒に九州に帰ったということだ
毎日一緒に飲みに来てて気付かなかったかと言われた
ママは、あんたは馬鹿だという
あんたはアザミに聞かせかったのかもしれないが・・
毎日、飲みに来ても仕事の話ばっかり、彼もそこに退屈しアザミと目配せしてたのよ
どうせ、あなたは何もできないし、だが、その割にはいいことしたかも・・と言う
彼は折角の会社を辞めて一生を棒に振ったと若き小生が言うと、
仕事は手段よ、アザミは強い子だと、例えこれから10年かかっても彼とアザミなら間に合う、出直すためには落ちないとダメ・・
最後に、サラリーマンの10年をほる(ほかす)ことはあなたには出来ないし、あなたには分からないことなのよと、ママに言われた
私は確かに、まだ世間の男と女のことは分らなかった
それ以上に仕事は手段だと言い切れる力はなかった
スナックにカラオケが入りだす少し前の頃だった
改めてママと一緒にジュークボックスの「アザミ嬢のララバイ」を聞いてみた
余談ながらこのママは「明美(あけみ・もちろん源氏名)」といった
小生より少し年上だったと思う
ちあきなおみの「紅とんぼ」の歌のような女性だった
私の知り合いで一番の女性だった
はっきり言えば私の個人的女性観はそれで決まってしまった
どうにもならない話に過ぎないが、私はママが好きだったのだと気付くに長い時間がかかった
思えば小生、それからも年上の女性に多くのことを教えられた
人生歌謡曲だと気付く一瞬ではあるが・・現実は
そんないい女が今はおばあちゃんになっている??????筈だ
鯵庵(29.6.17改)