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鳥辺野/上方落語の幽霊飴

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都の葬送地であった鳥辺野の話の続きである
http://ajiankyoto.exblog.jp/25896143/
鳥辺野の入り口にあってこの世とあの世を分けるのは六道珍皇寺
千本えんま堂と同じく冥界で閻魔大王とあってきたという小野篁(たかむら)を祀っている
http://ajiankyoto.exblog.jp/25795669/
閻魔大王の君臨する冥界を臨むことは出来ないが、鳥辺野はこの世の幽界である
だから、庶民はお盆の前にここまで死者の魂(精霊)を迎えに来るのである
この六道珍皇寺門前近くに「子育て幽霊飴」の本舗がある
日本全国にある飴買い幽霊伝説の一つである
「にっぽん昔ばなし」にも載せられた、
死後の女が子を産むという話である
一文銭を持って6日間飴を買いに来る女があり、7日目は銭がない
女の衣装と交換に飴を上げた、不思議に思って後をつけていくと鳥辺野の新しい墓で赤子が泣いていた
死んだ女が幽霊になって墓の中で生まれた子に飴(水あめ)を上げて育てていたという話である
子は後に名のある高僧になるという伝説である
落語にもある、上方落語でも『幽霊飴』という噺になっている。
上方2代目大坂生まれの桂文之助(ぶんのすけ)が噺に仕立てた
ただ、落語ではその墓は近くの高台寺になっている
子育て飴であるから「子を大事(こをだいじ)」で高台寺という落ちのためだと思う
桂米朝が解説している

高台寺は徳川政権下で北政所(きたのまんどころ)寧々が夫秀吉の菩提を弔いながら余生を暮らした庵が始まりである
若干の余談を言うと、関ヶ原の闘いの裏の舞台である
自ら面倒を見た尾張時代からの豊臣恩顧の大名を家康方につかせたと、司馬遼太郎の小説で読んだ
秀吉の霊魂をお守りするのは霊代(やくざ映画では”れいだい”と言っているが、”たましろ”という方がふさわしい)である寧々という一人の尼であるというのが根拠である
秀吉の官僚より秀吉の霊代を大事にした家康の勝利であったと・・
とすれば、今でも”秀吉と寧々”と言う夫婦の魂魄はやはり高台寺の一室にあることになる
通り一つ入ると高台寺裏には広大な墓地が広がる
東大谷から高台寺の界隈も鳥辺野と同じく葬送の地であった
そんなことに関わらず高台寺から清水寺への坂道は今日も修学旅行生と着物を着た外国人で溢れている
ソフトクリームと人力車のストリートになってしまった

なお、文之助は引退(大正9・1920)後京都高台寺境内に甘酒茶屋(後の「文の助茶屋」)を経営した
小生は高台寺界隈が京都東山を代表する観光スポットに躍り出てくるきっかけを作ったのは残念ながら秀吉寧々夫婦の魂魄ではなく、「子育て幽霊飴」とこの落語家2代目桂文之助ではないかと思っている
写真は千手観音、ハス
鯵庵(28.7.7)
『親鸞は鳥野辺に眠る』http://ajiankyoto.exblog.jp/
「閻魔大王は地蔵菩薩の化身」http://ajiankyoto.exblog.jp/

by ajiankyoto | 2016-07-07 08:29 | 都市 | Comments(0)