2016年 07月 15日
京都の勇み足(おてしょうの文化⑶)

たしかに京都に住まう人が〝今晩のおかず″を考えることは、大げさに言えば京都の文化でもある
京都という町は海産物に限らず野菜だとて100%の消費都市である
ただのおかずなのだけど・・
〝おばんざい″と言えば、造語ながら〝野菜ひとつ無駄にしない″という意味を込めてあると言うことも出来る
なおもその中で突出したいと思えば、謂れや言葉の装飾も必要である
〝おばんざい″も〝おまわり″もそういうものだが、ただ足が地面につかない言葉の代表である
しかもその線に乗れば、延長線上に”京料理”とついてくる
”京料理”は和食であると連想ゲームが進めば”料亭の京料理″が我が物顔で出てくる
古都京都ででいい掛け軸の前で京料理を食ったら一味も二味違うかもしれないが、それは現代生活ではギャップが大きすぎる
「和食(文化)」と言うのが無形文化遺産になった
日本人のつつましやかな日々の暮らしが誉めていただけたと思ってもいい
京都の庶人も毎日衣食住の暮らしの中で生きている
そのとたんに京都の料亭の主人や花柳界やらがしゃしゃり出て遺産や文化を独占するのはルール違反である
いつも京都の料理屋が前に出すぎるとそれも観光業になってしまう
美味しいんだろうけれど料亭の主人たちの客を選ぶあの高慢さが鼻につきだした
何の個性もない回転寿司屋に庶人の食文化を奪われそうだ
写真は旅先で気に入って買ってきた花差し
鯵庵(7.15)
おてしょうの文化
日本にいて和食を食ったことがない
by ajiankyoto
| 2016-07-15 07:35
| 大衆食堂
|
Comments(0)